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第一幕 事件
11 悩ましき婚約者たち2
しおりを挟む園枝有朋から、お茶会の招待状が届いたのは、夜会から一週間後のことだった。
薔薇をあしらった上等な紙に、日時が書いてある。場所は、園枝家の洋風庭園。
「これは、西欧式のお茶会でしょうか?」
念の為、父に尋ねたる。洋風庭園で行うのだから、抹茶を野点するわけではないだろうけど……。
「洋装で行くべきでしょうか?」
「そうだろうね。園枝くんが、紅茶を嗜むというのは聞いたことがあるが、茶を点てるとは、聞いたことがないから。」
園枝くんに、確認しておこう、という父に、
「やはり……行かないといけないでしょうか?」
「気が進まないか?」
娘の様子を案じるように尋ねる。
「園枝くんは確かに、華やかな分、やや軽薄な雰囲気はある。しかし、事業に対しては、真面目な青年だ。今後は海外との取引を増やしたいと、積極的に動いているし、彼なら、お前の世界を広げてくれるだろうと思ったのだが……。」
それは、分かる。先日の夜会も、ただの遊戯ではなく、熱心に参加者たちに挨拶をして、人脈を広げていた。そういう一面があるからこそ、父も、婚約者候補として、勧めたのだろう。
だが、以前、歓楽街で女と腕を絡ませあっていた姿。
あれを見るに、軽薄なのは、単に雰囲気だけのことだとは思えない。私生活は、真面目とは言い難そうだ。
「園枝くんは、嫌か? 藤高貢くんのほうがいいか?」
「藤高少尉は…………私に関心があるようには、思えません。」
湖城という家柄と、婚約という事象にのみ執着している人。
「では、樹くんは?」
「………。」
桜子が黙っていると、父がため息をついた。
「3人共気に入らない、か?」
「そうは言って………」
いない。けれど、結局、似たようなものか。
どんなに桜子が渋ったところで、あの三人の中から、誰か選ばなくてはならないのだ。
「お父さま、この機会に、聞いてもよろしいですか?」
「いいとも。」
ずっと気になっていたこと。
桜子が選択をするうえで、避けては通れない、と考えていたこと。
「園枝さまは、ご長男ですよね? 藤高少尉も。」
そして湖城家は、一人娘。
「どちらかと結婚したら、私は、先方の家に嫁に行くのですか?」
あちらが長男なら、後継ぎのはず。いずれも名家だから、婿に出すとは考えにくい。
三人の中で、唯一、樹だけは商家の次男だから、東堂樹と結婚した場合だけは、たぶん、婿に取るのだ。
「そうだ。お前が、園枝くん、藤高くんのどちらかを選べば、お前は嫁に行き、樹くんを選べば、彼に婿に入ってもらう。」
「それでは、この湖城の家はどうするのです?」
園枝、藤高ほど、家名は高くないにしても、湖城も、それなりの規模の財閥だ。跡を継ぐものは、必要なはず。
「それは、心配いらないさ。もし、お前が嫁にいけば、栄進を養子にとるつもりだ。」
「栄進………? 牧 栄進ちゃん、ですか?」
「そうだ。」
「栄進ちゃんは、まだ10歳になったばかりのはずですが……」
牧栄進は、母方血筋で、母の姉の子ども。つまり、桜子にとっては従姉弟にあたる。母の姉は、あまり裕福ではない男爵家に嫁に行ったが、父は利発な栄進に目をかけていて、可愛がっていた。
樹が桜子にとって、兄のような存在なら、時折、この屋敷に遊びに来る栄進は、弟のような存在だ。
「栄進は優秀な子だ。あそこには、すでに成人している兄がいるし、桜子が嫁に行こうと行くまいと、将来は、うちで預かるつもりだった。」
それが、後継ぎとなるか、優秀な補佐役となるかの違いだ。本人は、まさか、跡継ぎになるとは、思ってもみないだろうが。
「将来的に、うちで働くことは、本人も理解している。」
優秀な家庭教師をつけ、学費もすべて湖城で賄っている。
それは、湖城にとって投資であると同時に、それに応えることが栄進にとっての恩返しなのだと、父は言った。
「栄進ちゃんが、跡継ぎ……」
確かに、それなら安心だ。
牧栄進は、幼い頃から聡い子だったが、性格も温厚で、思慮深い。それでいて、樹のような優柔不断さはなく、こうと決めたら、ハッキリ主張するし、やり通す意志の強さがある。
にも関わらず、牧家跡継ぎの兄とは折り合いが悪いと聞く。
桜子は、ほとんど会ったことがないが、栄進の兄は、優秀すぎる栄進を嫌って遠ざけている、というのが、専らの噂だった。立場を脅かされると思っているらしい。
湖城で預かるなら、兄弟間の不和もいずれ、解消されるだろう。
何より、栄進のことは、桜子の亡き母も可愛がっていた。母もきっと喜ぶだろう。
「だから、うちの跡継ぎがどうこう、などということは、桜子は気にする必要はない。もちろん、樹くんを選んでも、栄進を重用することに変わりはないから、安心しなさい。」
そう言われて、胸を撫で下ろした。
湖城の一人娘である以上、後継者問題は避けて通れない話だと思っていたから。
「だが、もし、桜子が三人の誰とも結婚したくないと言うのなら、そのときは、もう一度、私に相談しなさい。」
誰とも結婚したくないなら、と言われ、咄嗟には否定出来なかった。
けれど、それは父の甘やかしであって、湖城の娘としての責務は理解している。
候補者の中から選んで良いと言われるだけで、すでに破格の待遇なのだ。
「大丈夫です。もう少し考えてみますから。」
父が去ると、入れ替わりに時津がやってきた。
「茶会の支度を進めるよう、イツに申し付けましょう。招待状をお預かりしておきます。」
「ありがとう。」
時津は、受け取った招待状を懐に入れる。
ふと、思いついて桜子は時津に聞いてみた。
「ねぇ、時津。時津は、三人の中で誰が良いと思う?」
「三人というと、園枝さま、藤高さま、樹さまですか?」
「そうよ。」
「私はそれにお答えする立場には、ありませんが……」
あくまで使用人に徹する、時津らしい返答。でも、聞きたいのはそんなことではない。
「それは分かっている。けど、でも、時津の意見を聞きたいの。」
父の仕事を間近で見ている時津だ。人を見る目はあるだろう。
時津は少し考えてから、鼻の上のメガネをきゅっと押し上げた。
「……それでは、恐れながら、私の意見を……」
言ってから、また黙り込む。
「なんですか?言ってください。別に、そのとおりにする、と決まったわけではないのですから。」
深いため息の後、
「桜子さまは、普通の令嬢とは違います。」
「それは……良い意味ですか?悪い意味ですか?」
「勿論、良い意味です。まぁ、一般的には良くない意味となる可能性もありますが。」
「ちょっと意味が分かりません。」
時津は、顎の下に手を添え、思案するような素振りをした。
「直接的な言い方をしても?」
「お願いします。」
「それでは……」
お代わりの紅茶を持ってきたイツが置くのを見届けると、
「まず、一般的なご令嬢は、夜中にこっそり家を抜け出したりはしません。」
「う"……」
先日のことだ。耳が痛い。
「それから、やたらと困っている人に話し掛けたり、あまつさえ、住むところのないものを家に連れ帰ったりしません。」
「それは、あのとき、あなたがっ………」
「令嬢にしては、好奇心が強く、行動力がありすぎる。」
叱られているのだ、と思って、身をすくめた。しかし、いつも真面目くさった顔かしかめっ面しかしない時津が、珍しく、口の両端を上げた。
「そして、使用人に優しすぎる。」
褒められたのだ、と気づいて、今度は、思わず顔を伏せた。めったにないことだから、妙に照れる。
「それは、桜子さんの良いところだ、と私は思います。」
「どうもありがとう。そ……それで、結局、誰が良いと思うの?」
時津は、はっきりと言い切った。
「樹さまです。」
「東堂 樹お兄さま?」
「そうです。桜子お嬢さまも、よくご存知の樹さまです。樹さまなら、桜子さんの性格をよく分かっているので、受け入れてくださるでしょう。他家に出て苦労することもありませんし、桜子さんは、今までどおり、のびのびと過ごせるはずです。」
「それは、そうでしょうけど……」
「それに、正直、私には、残りのお二人がいい婚約者だとは、とても……」
そこまで言いかけたところで、度を超えたと気づいたのだろう。すぐに、
「申し訳ありません。今のは失言です。」
「いいのよ。聞かなかったことにする。」
ウッカリ本音を漏らすなど、時津にしては、かなり稀有なこと。それほどまでに、桜子のことを心配してくれているのかもしれない。
お代わりの紅茶を飲み終わり、席を立つ前、空いたカップを下げに来たイツが、小声で言った。
「私も……桜子さまに相応しい方と、幸せになって欲しいと思います。樹さまなら……」
それは、ふとすると、聞き逃してしまいそうなほどに、小さな声だった。
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