桜子さんと書生探偵

里見りんか

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第一幕 事件

10 園枝家主催の夜会にて2

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 トワが去って、しばらくの間、桜子は一人で腰掛けに座っていた。腰掛け、と言っても、洋風庭園に合うような、瀟洒なデザイン。

 桜子の位置からは、植栽のちょうど向こう側に、盛り上がる会場が見えていた。

 園枝有朋そのえ ありともは、主催者らしく、あちらこちらと会場内を縦横無尽に動き回り、色々な人たちと挨拶を交わしている。
 しかも、その合間に、男たちから、「娘の相手を」と託され、ダンスを踊っている。
 有朋が、一度ひとたび、女性の手を取り踊りだすと、華やかさに会場中の視線を独占する。

 桜子の父は、中心からやや離れた場所で、誰かと話していた。

 あれは……

(……樹兄さん?)

 どうやら、相手は東堂樹とうどう いつきらしい。いつも和服の樹が、珍しく燕尾服。一瞬、見間違えたのかと思った。

「樹兄さまも、いらしていたのね……。」

 呟いた瞬間。

「桜子さん?」

 背後から、名を呼ばれ振り向く。

「藤高……少尉。」

 藤高貢ふじたか みつぐが、植栽の向こう、木の陰から現れた。

「こちらにいたんですね。探しました。」
「探していた? 私を……ですか?」
「えぇ。いらしているはずなのに、見当たらなかったので。」

 貢は、長身を持て余すように、頭上の枝を掴んで、足元の花壇をヒョイッと乗り越えた。

「なぜ私を探していたのか、お聞きしても?」
「勿論、踊るためですよ。」

 貢は、桜子の質問が愚問だとでも言いたげに、即答した。

「藤高少尉が、私と踊るのですか?」
「そりゃあ、そうしたほうがいいでしょう?」
「なぜでしょう?」

 さっきから聞いてばかりいる。この人との会話は、根本的に噛み合わない気がする。

「皆の前で踊ったほうが、私が貴女の有力な婚約者候補だと、周囲に認知させることができるでしょう?」

 あぁ、やっぱり。聞くんじゃなかった。

 馬鹿にされてる?
 ううん、違う。
 馬鹿にするほど、桜子への関心はない。

 藤高貢にとっては、湖城家の令嬢との婚約が大事なのであって、桜子個人は、どうでもいいのだ。

 桜子は、震えそうになる手を、ギュッと掴んだ。

 こんなことで動揺してはダメ。
 この人がこういう考えだってことは、先日お会いして、分かっていたじゃない。

「しかし、こんなところに一人でいるなんて。貴女は、狙われている自覚がないのか? あの男は、どうしているんだ。」

 貢は、ブツブツ呟きながら、桜子のほうと歩み寄る。と、いきなり桜子の腕を取った。

「ひッ!」

 思わず叫び声が、小さく漏れる。

「い……いきなり女性の腕を掴むなんて、ぶ……無礼です……!」

 貢は、全く気にしている様子もなく、

「戻りましょう。まぁ、あの男がいなくとも、私が側にいれば問題ない。」
「あの……は……ッ!!」

ーーー離してッ!

 叫びそうになった瞬間、

「僕なら、ちゃんといますよ。」

 桜子の腕を掴む貢の、その腕を、新伍が掴んでいた。いつもの四方八方に散らばる散切り頭ではなく、きちんと整髪されている。

「五島さん……!」
「ちょっと遅くなりました。」

 新伍が、桜子に向かって、微笑んだ。その顔で、ホッと心が緩んだ。
 新伍は、貢のほうを向いて、

「さて、桜子さんは足を痛めているようです。少し休憩が必要でしょう。休んでから、僕が中へお送りしますよ。」
「足を?」
「慣れない靴のせいです。僕が代えの靴を預かってきましたので、会場で少しお待ちいただけますか?」

 桜子を掴む貢の手が緩んだ。

「わかりました。ダンスは、会場で、もう一度、申し込みましょう。そのときは、受けてくれますね?」

 踵を返し、会場の方へと消えていった。
 貢がいなくなると、新伍が、

「さて、大丈夫ですか?」

 外套の内側から、靴を取り出した。外套の下は、皆と同じ燕尾服。

「靴!? 本当にお持ちくださったんですね。」
「座ってください。」
「えっ?! 五島さん……が、履かせてくれる…のですか?」

 戸惑いと恥じらいで、顔が熱くなったが、

「いえ、イツさんが一緒に来ていますよ。」

 どこからともなく、イツが「お嬢さまッ!!」と、現れ、駆け寄る。

「足は、大丈夫ですか?」

 桜子が座ると、傍らに屈んで、靴を脱がせた。出掛けに、どの靴にするのかで、イツと意見が相反したことを思い出し、
 
「あなたの言う通り、慣れている靴にすれば良かったわ。」
「新しい靴は、また今度にしましょう。何回か履いて練習すれば、馴染みます。………あら? 足の指、痛めてしまいましたね。手当されました?」
「えぇ。さっき、園枝家の女中さんがしてくれたのよ。」
「痛くありませんか? お薬をお持ちしましょうか?」
「大丈夫よ。」

 そんなことを話しているうちに、あっという間に、靴は替え終わった。
 
「それでは、私はこちらを持って帰りますので。」

 時津が送ってくれたのだという。

「分かったわ。よろしくね。」

 イツがいなくなると、新伍と二人になった。夜会の喧騒が庭木の向こうから聞こえている。

「足は、まだ痛みますか?」
「平気です。もう、ダンスだって踊れますよ。」

 履き慣れた靴は、さっきよりも踵が低く、足に馴染んでいて、柔らかい。新伍に向けて、足をトントンと鳴らしてみせた。

「試しに踊ってみますか?」

 どうせ、会場に戻ったら貢に誘われるのだ。皆の前で申し込まれたら、断ることは出来ない。それなら、ここで、一旦、練習しておくのもいいかなと思ったのだが、

「結構です。」

 新伍が珍しく逃げ腰に後ずさった。

「五島さん?」
「私は、踊れませんので……。」
「えっ!そうなんですか?」

 意外だ。
 初対面から、いつも余裕の表情ばかり見せてきた新伍にも、苦手なことがあるなんて。

「簡単ですよ。ホラ、手を取って、」
「い……いいですよ、僕は!!」

 桜子は嫌がる新伍の前に立つと、構わず、右手を新伍の右上に重ね、左手を新伍の肩に乗せる。

「手は腰へ。」

 新伍の手を取って、自分の腰に回した。

「それで、こう……踊るんです。」

 まっすぐ伸ばした右手を波のようにユラ、ユラ、ユラ。今度は反対に左手を伸ばして、ユラ、ユラ、ユラ。

「足は適当に動かしてください。私の足を踏まないように。」

 新伍は、最初のうちは、「うわっ!」「うをっ!」と、ぎこち無く動いていたが、すぐに、慣れて、桜子の足を踏まないようにトントンと跳ねるように踊った。多分、器用な質なのだ。
 正しいダンスとは程遠いけれど、結構楽しい。

「あの……これ、合っていますか?」
「全然、合ってないです。」
「………。」
「………ふふふふふ。」

 可笑しい。自然と笑いが込み上げてきた。

 二人は、ガス灯の柔らかな明かりに包まれていた。

 しばらく踊ったところで、どちらからともなく踊るのをやめる。

「………もう、戻りますね。」
「そうですね。藤高少尉がお待ちでしょうし。」

(藤高少尉……)

 心の底に燻っている不安を解消するために、念を押した。

「あのっ!! 藤高……少尉は、本当に、あの恋文の人ではないんですよね?」
「違いますね。」

 新伍がきっぱりと否定した。

「字を見たでしょう? 筆跡が全く違う。今、桜子さんの周りにいる方の筆跡は、時津さんやイツさんもを始めとする使用人の方も含め、一通り確認しましたが、該当する人はいませんでした。」

「………分かりました。」

「そんなに構えなくても、大丈夫ですよ。僕も、会場の隅から見ていますから。」

 新伍がそういうなら、大丈夫だろう。大丈夫だ、と思える。

 会場に戻って、藤高貢踊る。
 それが、夜会にでた湖城の娘としての役目。

 会場に戻ると、早速、貢が寄ってきた。

「湖城桜子さん、一曲、お相手よろしいですか?」

 慇懃な申し込み。桜子も令嬢として応じた。手を取られ、会場の中央へ。

 貢は、なんの情感もない、正確無比なダンスを踊った。
 いきなり手首を掴まれたときは、背筋が粟立ったが、こうして、儀礼的に相対すれば、そこまでの嫌悪感はなかった。

 新伍のおかげ……なのかもしれない。


 貢が終わると、今度は園枝有朋が待ち構えていた。

「ようやく、皆さんとの挨拶が終わりまして。」

 洗練された仕草で、恭しく腰を折った。

「桜子さん、私とも一曲、お相手願えますか?」

 貢と踊った以上、同じ婚約者候補の有朋の誘いを断るわけには、いかない。

 足はーーー靴を代えたおかげで、大丈夫そうだ。

「はい。お願いいたします。」

 有朋のダンスは、上手かった。
 桜子を巧みに導いて、踊りやすい。それでいて、見目華やかなので、彼が踊りだすと、皆が注目する。

 桜子は、こんなにも人に見られながら踊るのは、初めてだった。

「桜子さんは、上手ですよ。だから、皆が見てるんです。」

 有朋が、パチリと片目を瞑る。と、グイッと腰を引き寄せて、小声で、

「見せつけてやりましょう。」

 大人の男性の艶と華。
 慣れていない桜子は、色気を当てられて、ドキマギしてしまう。この人が、女性に人気があるのが、わかる気がする。

 父の側に戻ってくると、今度は、東堂樹に声をかけられた。

「桜子ちゃん、お疲れさま。」
「樹兄さん!」

 やはり、こういう場所でも、見慣れた樹の顔を見るとホッとする。

「足も痛いだろう? 僕とのダンスは、今日はお預けかな。」

 流石に樹は気づいていたらしい。
 正直、樹の提案は有り難く、桜子も、できたら、そうしたい。だけど……貢や有朋同様、樹も桜子の婚約者候補だ。

 あの二人だけと踊ることで、事実上、樹は選外なのだ、とは思って欲しくなかった。

「大丈夫です。少しだけなら。」

 桜子は、樹の腕を取った。ダメダメと首を振って、逃げようとする樹に、

「行きましょう!」
「で……でも……」
「ほら、早く。」

 樹は優しいけれど、断ることが苦手だ。強気に押し切られたら、駄目だと言えない、その性格を熟知している桜子は、強引に腕を引っ張った。

 樹は、小さい時から、桜子の練習相手。上手いとか、下手だとか、そういう次元の関係性ではない。勝手知ったる樹との踊りは、他の二人よりもずっと、楽だった。

「さすが、桜子ちゃん。上手だね。」
「樹お兄さまこそ。」

 樹との踊り方は、身体が覚えている。変な力が入っていないせいか、足の痛みも全く気にならない。

 桜子の身体に馴染んだ相手。


 でも、一番楽しかったのはーーー


 踊りながら、視線の先には、ガス灯に照らされた庭。そして、壁際にもたれ、会場内に隈なく視線を巡らす、真っ黒い髪の………。

 桜子は、慌てて、頭を振った。

(何を考えているのっ?!)


 私の婚約者候補は、この三人なのに………。
 私が何を思おうと、三人の中の誰かと、私は、遠からず、婚約を結ぶのに。

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