桜子さんと書生探偵

里見りんか

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第一幕 事件

2 湖城桜子の縁談

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 門前で新伍しんごと別れ、家に入ると、半狂乱で泣きじゃくるイツと、いつもの冷静さとは打って変わって、珍しく、青ざめた顔した執事の時津ときつが待っていた。

「さ……桜子さまっ!!」
「お嬢様っ!!」

 玄関を開けた途端、二人が駆け寄ってくる。

 桜子の部屋の灯りがついていた時点で、イツには気づかれているだろうと思ったが、時津にまで伝わっているとは……。

「嫌な予感がして、先程、部屋を覗いてみれば、お嬢さまはいらっしゃらないし、窓の鍵は開いているし……慌てて時津さんを呼んで事情をお話したのです!」

「あの……お父さまには?」

 さっきまでの心配そうな表情から一転、怒りの形相へと変化した時津が、

「まだ、伝えていません。今は、書斎にいらっしゃいます。」
「あの……できれば、お父さまに内緒というわけには……」
「できません。」

 時津は有無を言わさぬ様相で、即答した。

「では……あの、せめてイツのことは伏せて……」

 イツは既に覚悟を決めているようで、下唇をギュッと噛み締めていた。

 止めたとはいえ、自分のせいで桜子が夜、屋敷を抜け出したのだ。女中の立場としての責任を問われかねない。

「それが分かっているなら、もっと自重するべきでしたね。」

 時津が、大き溜め息をついた。

「イツは、お嬢様の不在に気づくと、真っ先に私のところに駆け込んできました。自分が叱責されるのも、覚悟の上で。」

 分かっている。イツなら、そうするだろう、と。
 同じ使用人の時津だって、イツを庇いたいに違いない。

「………ゴメンナサイ。」
「……………。」

 しばらく黙って睨んでいた時津は、ふいに肩の力をぬいた。

「これで、お嬢様は、ご自分の行動に伴う責任の重さを痛感したでしょう。」

 時津はイツに、「お嬢様を部屋までお送りしなさい。」とだけ言うと、くるりと二人に背を向けた。

 どうやら、黙っていてくれるらしい。

「イツ、良かったわね!」

 桜子が喜んで言うと、イツは眉を釣り上げた。

「今回はっ! お嬢様の身に何も起こらなかっから、大事に至らなかったから、時津さんは見逃してくれたんですよ!!」

 自分だって叱られずに済んだはずなのに、そんなことは関係ないらしい。

「はい。ごめんなさい。」

 桜子が素直に頭を下げると、イツが、ようやく、ホッと安堵した顔になって、

「……良かった。桜子さま……ご無事で、良かったです。」

 ギュッと桜子を抱きした。その手も声も震えていた。

「心配……かけて、ごめんなさい。」


◇  ◇  ◇


 翌朝、自室を出たところで、待ち構えていたイツが、桜子の肩にかかる髪を手直ししながら、

「おはようございます。よくお休みになられましたか?」
「えぇ、幸いにして。」
「旦那さまが、お話があるそうです。学校に行く前に書斎にお越しになるよう、とのことした。」

「お父さまが?! まさか、昨日のことで……?」

 時津は黙ってくれるようにみえたのに、バレてしまったのかしら。
 それとも、他の使用人に気づかれて、耳に入ったのかもしれない。

「旦那さまは、お怒りのご様子ではありませんでしたが……?」

 もし昨日のことなら、イツにも累が及ぶはずだ。そのイツが、怒っていた様子はないということなら、昨日のこととは関係ないのだろうか。

 食事を済ませた桜子は、父の書斎の扉を叩いた。

「入れ。」

 内側からの合図で、扉をあけて中に入る。

 父は、書斎で来客を受けることも多い。
 手前に黒い革張りの応接セットが置いてあり、奥には父の執務机がある。
 執務机の左右には、びっしりと本の並ぶ本棚、机の後ろは、舶来品や全国各地から取り寄せた、珍しい物が飾った棚があり、父はその棚を背に、執務机の椅子に座っていた。

「朝から呼んで済まなかった。今晩は遅くなるから、今しか時間がとれなかったのだ。」

 父は、何やら書きつけていた書類から目を離すと、万年筆を置いた。

 確かに、イツの言うように、怒っている様子はない。

「ご用と言うのは………?」
「あぁ、そうだな。」

 父は、立ち上がって、コホンと一つ咳払いをした。

「実は……」

 何事も簡潔に話す父にしては珍しく、やや言い淀んだ。

「話というのは……桜子、お前の縁談のことだ。」

「私の……縁談?」

 考えてみれば、桜子ももう15歳。女学校の学友たちも、徐々に縁談がまとまりつつある。

「私の縁談が……決まったのですか?」

 親の決めた家に嫁ぐ。それは、当然のことで、桜子も重々承知している。

 頭では承知しているのだけれど、いざ、「いよいよだ」と告げられても、全く現実感が沸いてこない。

「私は、どちらの家に嫁ぐのでしょう?」
「いや。実のところ、縁談は、決まってない。」
「え?……まだ? それでは……?」
「うむ、実は縁談候補は一人ではないのだ。」
「一人ではない?」

 一体、どういうことだろう。まさか重婚というわけでは、あるまいし。

「あの……私の縁談は、まとまるのでしょうか?」
「それは心配ない!」

 父が即座に否定した。

 その力強さに、桜子は、不思議と安堵していた。
 嫁ぐことに現実感はないけれど、良家の娘として育てられた桜子の価値観には、『嫁がない』という選択肢もまた、考えられなかった。

「実はな、縁談の候補が4人いるのだ。」
「えっ?! 4人……ですか?」
「そう。4人……いや、やっぱり3人だ。」

 なんだか混乱してきた。

「どういうことです? なぜ、この数秒の間に一人減ったのですか? まるで、流行りの奇術のように?」

 父が、ため息をついた。
 
「いや……その一人は、友人から是非にと推薦されたのだが、当人にその気がないようでね。」

 つまり、候補にあげても無駄だということらしい。父は机の上から、封筒を一つ取り上げた。

「これが、3人の名前と簡単な経歴を書いた釣書つりしょだ。いずれの男も、桜子の婿として、不足はない。」

 差し出された封筒をジッと見つめる。

「釣書を見て決めればよいのですか?」
「いや、実際に会って決めなさい。」
「会う……のですか? 私が、直に、この方たちに?」
「そうだ。その機会は、私が用意しよう。会って、貴女が良いと思う人を決めなさい。」

 桜子は戸惑っていた。

 家のために、良き相手に嫁ぐのは当然だと思っていたが、まさか自分に選択権が与えられるだなんて、露ほども想像していなかったから。

 それが、たとえ、たった3人の候補だったとしても。

「無論、先方にも、候補が他にいることは、伝えてある。相手も、桜子が婚姻を結ぶのに相応しいか、考えるだろう。互いを、よく知り、信頼できる関係を築ける人を探しなさい。」

「なぜ、このようなことを……?」

 桜子は、父に渡された書類を受け取りながらも、戸惑っていた。

「言っただろう? この中なら、誰であっても湖城家と婚姻を結ぶ相手としては、相応しいと。あとは、」

 書類が桜子の手に渡ると、父は優しく微笑んだ。

「父として、お前の幸せを願うだけだ。」

 それは、財閥を率いる経営者としての目ではなく、幼い頃から何度も見てきた、桜子を愛し、慈しむ父の眼差しだった。

「お父さま……」

 軽い書類に乗せられた、父の確かな愛情。

「さあ、用事は以上だ。まずは学校に行って、その書類は帰ってきてから、じっくり目を通しなさい。」

 父が、切り替えるように、パンと一つ手を叩いた。会談終了の合図。音とともに、書斎の扉が外から開いた。外で控えていた時津が、扉を開けたのだ。

「時津、次の予定の準備を。」
「はい。」

 開いた扉の向こうで、時津が頭を下げた。

「お嬢様も学校へいく支度を。」
「分かっているわ。」

 桜子は父に挨拶して、書斎を下がる。
 扉の横を通り過ぎるとき、時津の切れ長の瞳が、一瞬、何かを探るように、こちらを見た気がした。

(気のせい……かしら?)


 廊下で立ち止まった桜子は、改めて、手の中にある茶色い封筒に視線を落とした。

 封筒一つとともに突然、やってきた婚姻話は、やっぱり、どこか、現実味がない。

(3人の中から、自分で結婚相手を選ぶだなんて……でも、まぁ、慌てる必要はないみたいだし、そのうち、なるようになるわね。)


 そんなことを、気楽に考えていた桜子だったが、事件は、その日の午後に起きた。

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