御簾の向こうの事件帖

里見りんか

文字の大きさ
上 下
16 / 36
第3章 あやし陰陽師とアサガオ

4 呪い

しおりを挟む

 自分にも、菫にも、何事も起こらなければ良いーーーそう案じていた土筆だったが、その願いは早々に潰えた。


 狐笛丸こてきまるがやってきた、その晩のこと。
 
 夕餉も終わり、そろそろ眠ろうかと支度していたころ、土筆は、突然、腹の中で何かがのた打ち回るような痛みを感じ、同時に激しい吐き気を催した。

 あまりの気持ち悪さに口を抑え、タマを呼ぶ。

 桶を持って駆けつけたタマに礼を言う間もなく、食べたばかりの雑穀米も汁も魚も、飲んだ水さえ、全てを桶に吐き出した。

「土筆さま…土筆さま……」

 青ざめたタマが、「誰か!」と人を呼ぶ。

 タマに背を擦られながら、嘔吐を繰りかえす土筆。

 吐いても、吐いても、気持ちが悪い。
 加えて、酷い頭痛に、指先の震え。

 まるで土筆の身の中に、悪い霊が入り込んで、身体の内から蝕んでいるかのように息苦しい。

 脳裏に、あの無表情な白い狐面がよぎる。

ーーー呪われているんですよ、もうすでに。

 桶を両手で抱えたまま、あの時、あの男が座っていた場所に視線を向けた。
 すると、そこには…ーーーなんと、狐笛丸が真っ直ぐ背を伸ばして鎮座している。

「…あな……た、どうやって………?」

 無機質なはずの狐面の口の端が、苦しむ土筆を嘲笑うように持ち上がる。

「わらッ……?」

 そんなはずはない。そんなはずはないのに……

 狐笛丸の口がパカリと開く。中は吸い込まれそうなほど真っ暗な闇。

「……知っていますか?」

 ふいに狐笛丸が、土筆に話しかけた。

「アサガオには毒がある、ということを。」
「貴方、何……を………?」

 土筆が尋ねようとした瞬間、狐笛丸の姿が、グニャリと歪んだ。

 目瞑り、瞼を着物の袖で擦る。再び目を開くと、そこには誰もいない。

「まぼろし………?……ッウ……」

 また吐き気。
 何度も突き上げるように、繰り返しえづく。

「土筆さま……土筆さま………」

 心配そうに背を擦るタマに促され、椀に注がれた水を飲むが、それすらも受け付けずに、吐き出した。

「せめて口を濯ぐだけでも……」

 また、水を口に含まされる。

「今、旦那様がご祈祷を捧げておりますから……」

 物の怪や悪霊が身体の内に入り込んでいる。病とは、そうして起こるものだから、その悪しきモノを祈祷で追い出すのだ。

 土筆はすでに、魂ごと吐き出してしまうのではないかと思う程の嘔吐を幾度も繰り返している。
 途中からは、もう、吐くものすらないのに、吐き気だけがこみ上げる。

 そうしているうちに、意識は朦朧としてきた。

「土筆さま……土筆さま……しっかりなさいませ……しっかり……」

 タマが土筆を呼ぶ声が聞こえた。

 頬に温かい水滴が落ちてきた。泣いているのかしら………視界が霞んで、良く見えない。

 狐笛丸の声だけが繰り返し響く。

ーーーアサガオには毒がある。


 アサガオ、朝顔、槿あさがお…………


 遠くで、パンッパンッと、弦打つるうちの音(弓の弦を弾く、魔除けのまじない)が聞こえる。

 その音を聞きながら、土筆は意識を手放した。


◇  ◇  ◇


 土筆が再び、意識を取り戻したとき、すでに丸3日が経っていた。

 ピチャピチャという水音に目を覚まし、やがてゆっくりと開いた目に、ぼんやりと浮かぶ天井。

 横を振り向くと、見慣れたタマの後ろ姿。ピチャピチャという音は、そこからしているらしい。

「…………タマ?」

 掠れた声で呼びかけると、すぐに

「土筆さまッ!!」

 タマが、振り向くと同時に駆け寄ってきた。

「お気づきになられたんですね! 良かった………」

 良かったと繰り返し言いながら、タマの目尻に涙が滲む。

「私………?」
「気を失っていたんですよ。丸3日も!」
「…みっ……か?」

 そんなに眠っていたのか、とぼんやりした頭で考えていると、頬に冷んやりとした、心地よい刺激。

 タマが手ぬぐいで、土筆の頬を拭っている。
 先程のピチャピチャという水音は、桶に手ぬぐいを浸した音だったのだろう。

「旦那様が陰陽寮に頼んで、悪霊祓いをお願いしたんですよ。藤原時峰さまも、高名な僧に加持祈祷を頼んだのだとか……」

「……そう。」

 皆の心配はありがたく、また、申し訳なく感じたが、まだそれに答える気力はなかった。

 タマは気にせず話を続ける。

「何人もの陰陽師や僧が挑んたのですが、土筆さまに取り付く悪霊の正体は、誰も掴むことが出来ず……」

 土筆を蝕む霊は、まるで陽炎のようにゆらゆらと揺らめき、姿を現さない。何者なのかすら、分からない。

 打つ手がなく、途方にくれた、その時ーーー

「狐笛丸さまが現れたのです。」
「狐笛丸?」

 突然出てきた名に、驚いてタマを見た。

「なぜ、あの人がここに?」

 吐き気とともに見た、無機質な狐面を思い出す。

「狐笛丸さま、何かあったら、助けに来ると言っていたじゃないですか!?」
「あぁ、そう……そうだったわね……」

 確かに去り際にそんな事を、告げた気がする。

「いよいよ、手のつくしようがない……となったとき、狐笛丸さま自ら、ここを訪ねてきたのです。」

 藁にもすがる思いの父、資親すけちかは、二つ返事で祓いを頼んだという。

 狐笛丸は、土筆の部屋を取り囲むように結界をはり、一晩祈祷した。タマも父とともに、それを遠くから見守った。

「それで、狐笛丸さまが、土筆さまの口を開け、例の水を飲ませて…」
「水?」
「清めの水ですよ。」

 あの時、狐笛丸が置いていった、小瓶に入った水。

「そのまま祈り続けたと思ったら、あくる朝、狐笛丸さまはがおっしゃったのです。悪霊は退散した、と。」

 疲れた様子で出てきた狐笛丸。解かれた結界の中に、皆が入ると、土筆の顔色は、随分と改善していたという。

「あの方の実力、本物ですわ!!」

 姫さまを助けてくだすったと、あれほど警戒していたタマが、いつの間にか、すっかり狐笛丸の虜になっている。

「呪いが専門と聞いていましたが、祓いの力も相当なものです。なにせ、陰陽寮の方たちが全く歯が立たなかったものを払ったのですから。」

「そうなのね……」

 腹の底の見えない不気味な男だと思っていたが、助けられたのなら、感謝すべきだろう。

「旦那様も、狐笛丸さまのことを大したものだと、たいそうお褒めになって、歓待しようとしたのですが……」
「歓待って……娘がこの状態なのに…」
「勿論、土筆さまの回復を待ってですよ!! 落ち着いたら、我が家で饗宴をしたい、と。」

「まぁ、なんでもいいわ……」

 疲れているせいか、なんだかどうでもよくなってきた。

「いえ、良くないんですよ。だって、狐笛丸さまは、それを断ったんですから。」

 父が泊まるように引き止めたが、それも聞かず、祓いが終わると早々に暇を告げたという。

「へぇ……そうなの……」

 とすると、権力に対する欲はないのだろうか。

 権力欲ーーーそれが、土筆の頭の片隅に浮かんでいた、もう一つの可能性だった。
 もし狐笛丸の狙いが菫でないのなら、権大納言の花房資親に取り立ててもらいたいのではないか、と。

「狐笛丸は、菫とは? 話したりしていた様子はなかった?」
「全く。」

 タマが首を横にふった。

「互いに、お姿さえお見せになっていないかと。」

 菫は、土筆の体調不良の間、ずっと部屋に籠もって写経をしていたという。菫付きの女房がずっと側にいたそうだから、間違いない。

「あの子、取り乱したり、泣き喚いたりしなかったかしら?」
「机に向かって、一心に写経をされていたそうです。他事など、考えている余裕はなかったかと。随分と気丈な様に、菫さまも成長なさったものだと、女房たちが言っておりましたから。」

「へぇ……あの子がねぇ……」

 それなら、やはり菫と狐笛丸は関係がないのか。

 菫と接触した様子もなく、資親に阿るでもない。

 とすると、あの男は、一体なんのために土筆を助けたのだろう。

 本当に、純粋な義侠心から? 見ず知らずの姫を、そんなことで助けるかしら?

 夢現に見た、狐面の笑い顔を思い出す。

 あの男の仮面の下には、何が隠れているの……ーーー?


 そんなことを考えているうちに、土筆はだんだん眠たくなってきた。

 ウトウトしている土筆に、タマは相も変わらぬ様子で、お構いなしに話しかける。

「でも、狐笛丸さまが土筆さまを救ったことは、すでに宮中でも噂になっていますからね。きっとこれから、評判の陰陽師になると思います。ひよっとしたら、陰陽寮からもお声がけがあるかも……」

 喋り続けるタマの傍らで、土筆はいつのまにか、眠りに落ちていた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷では不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

ビジョンゲーム

戸笠耕一
ミステリー
高校2年生の香西沙良は両親を死に追いやった真犯人JBの正体を掴むため、立てこもり事件を引き起こす。沙良は半年前に父義行と母雪絵をデパートからの帰り道で突っ込んできたトラックに巻き込まれて失っていた。沙良も背中に大きな火傷を負い復讐を決意した。見えない敵JBの正体を掴むため大切な友人を巻き込みながら、犠牲や後悔を背負いながら少女は備わっていた先を見通す力「ビジョン」を武器にJBに迫る。記憶と現実が織り交ざる頭脳ミステリーの行方は! SSシリーズ第一弾!

九竜家の秘密

しまおか
ミステリー
【第6回ホラー・ミステリー小説大賞・奨励賞受賞作品】資産家の九竜久宗六十歳が何者かに滅多刺しで殺された。現場はある会社の旧事務所。入室する為に必要なカードキーを持つ三人が容疑者として浮上。その内アリバイが曖昧な女性も三郷を、障害者で特殊能力を持つ強面な県警刑事課の松ヶ根とチャラキャラを演じる所轄刑事の吉良が事情聴取を行う。三郷は五十一歳だがアラサーに見紛う異形の主。さらに訳ありの才女で言葉巧みに何かを隠す彼女に吉良達は翻弄される。密室とも呼ぶべき場所で殺されたこと等から捜査は難航。多額の遺産を相続する人物達やカードキーを持つ人物による共犯が疑われる。やがて次期社長に就任した五十八歳の敏子夫人が海外から戻らないまま、久宗の葬儀が行われた。そうして徐々に九竜家における秘密が明らかになり、松ヶ根達は真実に辿り着く。だがその結末は意外なものだった。

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

魔女の虚像

睦月
ミステリー
大学生の星井優は、ある日下北沢で小さな出版社を経営しているという女性に声をかけられる。 彼女に頼まれて、星井は13年前に裕福な一家が焼死した事件を調べることに。 事件の起こった村で、当時働いていたというメイドの日記を入手する星井だが、そこで知ったのは思いもかけない事実だった。 ●エブリスタにも掲載しています

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...