御簾の向こうの事件帖

里見りんか

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第3章 あやし陰陽師とアサガオ

1 顔の見えない男

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 左京二条。初夏の花房はなぶさ邸。
 ここのところ、天気は快晴続き。

「ねぇ、タマ。顔の見えない男って、どんな人だと思う?」

 庭から吹き込む、爽やかな風を浴びながら、花房家の次女姫、土筆つくしが側付きの女房、タマに尋ねた。

 土筆の部屋は、邸の中でも奥の方にあるから、外から見られる心配はない。やや蒸し暑さを感じる今日は、御簾をあげ、几帳も避けて、気心の知れた女房と二人、快適な風を愉しんでいた。

「顔の見えない男……でございますか?」

 タマが、土筆が読み終えた巻物を片す手を止めて、怪訝な声で問い返す。

 変わり者の土筆に慣れているタマは、こんな突拍子もない発言にも動じない。

「そりゃあ、お顔を隠されているなら、余程位の高い公達でしょうか……? それこそ、帝とか……」

 確かに、帝はいつも、御簾向こうにおり、高位の貴族の前にしか顔を出さないと言う。
 姉が女御として入内している土筆でさえ、帝の顔を見たことがない。

「その顔を隠した公達が、どうなすったんですか?」
「うん……」

 土筆は、やや躊躇いがちに、

「……どうやら、菫がその男に恋をしてているみたいで……」
「……えッ?!」

 タマが、手に持っていた巻物をボトッと落とした。

「チョット! 気をつけてちょうだい。せっかく、お父さまにお願いして手に入れたのよ。」

 源氏物語の絵巻は揃ってこそ価値があるんだから、と土筆が文句を言いながら、手を出そうとすると、タマが慌てて、「申し訳ございません。」と拾った。

「あの……まさか菫さまの浮いたお話とは思わず………」
「実は私にも、本当に浮いた話なのかどうか、分からないのだけれど……」

 ここ数日、菫の様子が、おかしかった。
 もともとノンビリしている子ではあるが、それが、いつにも混して、ボンヤリしている。
 何かあったのかと、心配になって尋ねたら、

「お顔を……隠した殿方にお会いしまして……」

 幼い子どものように世俗に疎く、純真な妹は、気が弱く、男の人が苦手。
 にも関わらず、その菫が、真っ赤な顔に、消え入るような声で、男性の話題を出したのだ。

「お顔を隠した殿方? いつ? どこで?」

 菫がこの邸から出ることは、ほとんどない。土筆が不審に思って、追求すると、

「いえ……あの……」

 しどろもどろに、「………やっぱり、何でもありません。」と答えたから、これは、いよいよおかしいように思えた。

「タマ、どう思う?」

 土筆が尋ねると、タマは腕を組んで、「うーん……」と唸った。

「正直、菫さまが恋などと言われても、全くピンと来ませんねぇ。」
「そうよね。」

 土筆だって、あの菫の様子を目の当たりにしていなければ、信じられなかっただろう。
 それくらい、『菫』と『男女の色恋事』は縁遠いものなのだ。

 もちろん世間では、可憐な深窓の姫と名高いわけで、縁談自体は、それこそ降る矢のように大量に舞い込んでくる。しかし、そのいずれも、菫には相応しくないと父が突き返しているという。

「実在している殿方なんですかねぇ? 夢幻とか、あるいは物の怪の類……」

 そこまで言ったところで、何かを思い出したように、「あっ……」と、声を上げた。

「物の怪ではないのですが、ここ最近話題になっている、素顔の分からない男なら……」
「話題になっている、素顔の分からない男? 誰かしら?」
「陰陽師ですよ。顔を隠した。」
「陰陽師……?」
「知らないんですか?」

 タマは、「土筆さまは、本当に、この手の流行には疎いんだから」と、得意げに「コテキマル」という名の、昨今話題の陰陽師について、教えてくれた。

「コテキマル?」
「少し前から、都に顔を出している陰陽師で、なんでも凄い妖力を持っているとか……」
「顔を出している……?」
「あ、いえ、顔は出していません。隠しています。それは、言葉のアヤで……」
「それくらい分かっているわよ。」

 土筆は苦笑いして、先を促した。

「顔を隠しているっていうのは、どういうことなの?」
「それが………」

 タマはゴクリと喉を鳴らすと、勿体ぶった調子で、

「なんでも、その陰陽師、常に白い狐の面を被っていて、素顔を見た者は、誰もいないのだとか。」
「なるほど。それでテキマルなのね。丸はともかくとして、テキにも何か意味があるのかしら?」
「さぁ……? それは聞いたことがありませんねぇ。」

 姫様は、本当に変なところを気になさるんだからと、タマは首をかしげた。

 それにしても、突如都に現れた、狐面で、凄い妖力とやらの陰陽師。

 その情報を聞く限り、ハッキリ言って……ーーー

「何か胡散臭いわね……」

 思わず呟いた土筆に、タマは、「シッ」と人差し指を立てて、声を潜めた

「だめですよ。悪口なんて言ったら。」
「はぁ? どうして?」

 タマは、キョロキョロと左右に視線を巡らせた。

「だって、狐テキ丸の専門は……」

 土筆の耳に口を寄せ、いっそう声を潜めて、

って話なんですから。」

「呪い?!」

 思わず声をあげた土筆の口を、タマが手で塞いだ。

「静かに! 聞かれたら大変です!!」
「……まっ………待って……」

 土筆は、タマの手を剥がすと、プハッと息を吐いた。

「呪いって……それ、本当なの?」

 土筆が声を潜めた。

「えぇ。なんでも、本当に呪い殺された人間が100人はくだらない……とか。」
「うそ……?!」

 さすがに100人は言い過ぎだろうと思う。
 だが、都の庶民たちは、常に飢えや病気の脅威に晒されている。人知れず死ぬ者など五万といて、その者たちが、呪われて死んだのか、それとも病や寿命で命が尽きたのかなど、いちいち分かりはしない。

「基本的に、市井の者たちを相手にしているそうですから、あながち否定も出来なくて……確かめる者もおりませんし。」
「なんだか、不気味ね……」

 菫が変な男に引っかかってないといいのだけれど。

『狐テキ丸』

 土筆の心の中に、その名とともに、ザラリとした嫌な予感が流れ込んできた。

◇  ◇  ◇

 狐テキ丸の「テキ」が何を意味するのか判明したのは、その数日後のことだった。

「テキは、『笛』ですよ。」

 花房邸にやってきていた、近衛中将、藤原時峰ふじわら ときみねが教えてくれたのだ。

「時峰さま、その男をご存知なのですか?」
「名前くらいは。」

 時峰は、あの怨霊屋敷のあとも、相変わらず定期的コンスタントに邸に顔を出している。
 とはいえ、やって来ては、土筆の知らない、御簾の外の話を、時峰は教えてくれるのだから、今や彼は、土筆にとって貴重な情報源であり、好奇心を刺激する源でもあった。

 それで、今日は、いつも通りにやって来た時峰に件の『狐笛丸コテキマル』のことを尋ねたのだ。

「最近、世間を騒がせているようですが、素性が定か者ではないようです。」

 時峰は、勿論、会ったことはありませんが、と前置きした上で、そう言った。

「どうして、狐笛丸のテキは笛なのかしら?」
「呪いを受けた者が命を落とす間際、辺りに笛の音が聞こえる……のだとか。」
「呪いを受けた者が、命を落とす間際……? ということは、本当に死んだ者が?」

 時峰は、やや間をおいてから、

「……疑わしき事例はあるようです。定かとまでは言い切れません。」

 疑惑であって、本当に狐笛丸が呪ったのか、そして、それによって死したのか、因果関係は分からない。

「どんな種類の呪いなのですか?」
「様々ですね。」

 あくまでも噂の範囲を出ないことだとしたうえで、

「長きに渡る嘔吐や下痢を繰り返して、次第に痩せ細って亡くなる者もいれば、ついさっきまで元気だったのに、椀を持ったまま吐血して死する者もいた、とか……」

 下痢に、嘔吐に、吐血。なかなか凄惨な死に際だ。
 もう少し穏やかに魂を奪ってくれれば良いものを。

 その時には、いつも、笛の音が響くのだろうか?

 どんな音色だろう。
 低く不気味な音か、それとも死に寄り添い、甘く手を引くような音か。

 笛を咥えた狐面の男が、黒い死の影を従えた姿が、土筆の脳裏に、妙に鮮明リアルに浮かんで、思わずブルリと身震いした。

「陰陽師を名乗っているが、陰陽寮にも所属していない無位無冠の者です。あまり関わり合いにならぬのが良いかと……」

 時峰が、釘を刺すように忠告した。

「……そうね。」

 確かに、関わらないほうが良さそうだ。

 それでも、やはり気にかかるのは、どうしてだろう。菫の恋の相手だから、それとも狐笛丸に惹かれる何かがあるのか。

「いえ、やっぱり少し調べていただけないかしら?」

 狐笛丸のことを知りたいのだと頼むと、時峰は少し不満げに顔を顰めた。
 これまでの話で、時峰が狐笛丸に対して、かなり慎重に見ていることは分かる。けれども………

「どうしても気になるのです。何か、良くないことが起きるような気がして……こんなことを頼めるのは時峰さまくらいしかおりませんし……。」

「分かりました。分かりましたよ!」

 時峰は、降参するように両手を軽くあげて、

「貴女にそう頼まれたら、引き受けないわけにはいかないでしょう。」

 時峰が、ため息をつきながら、承諾した。

「私にできる範囲で、お調べしてみます。」
「ありがとうございます。」


 しかし実際には、時峰の調査結果が出るより先に、土筆は狐笛丸という人物について、知ることになる。

 なぜなら、その翌々日、件の陰陽師のほうから、花房邸を訪ねてきたのだから。
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