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第2章 怨霊屋敷に巣食うモノ
5 怨霊屋敷の怨霊たち
しおりを挟む「……それで、どうなったのですか?」
御簾の向こう。時峰の話を聞く土筆の声は、心なしか固い。
「その……平六は……?」
「結局、明衡に刀を突られ詰問されている最中、舌を噛み切って、自死しました。」
「自死……?」
あっけない幕切れだった。
突きつけられた刀に、怯えていたはずの男の身体が、大きくビクンと震えた。かと思うと、唇から血が滴り、そのまま、前に倒れこんだ。
その場にいた吉野大松の姫は、何が起こったのか分からず、呆然としていた。
事の成り行きを、時峰と明衡が姫に教えた。
つまりーーー吉野大松の姫の故郷は、鬼や物の怪に蹂躙されたりは、していないということ。男が、見初めた姫を手に入れるために、嘘をついていたこと。姫は男に騙されて、ここに監禁されていたのだということ。
真実を知った吉野大松の姫は、わんわん泣いた。
それを、明衡が抱きしめて、「怖かったろう」と慰めた。下心はないと思うが、なるほど、この男は、こうやって女たちを虜にするのだな、と思った。
土筆が心配そうに、
「それで……その姫は、その後どうしたのですか?」
「明衡が、川のほとりの元の村まで送っていきました。」
送り届けると、家族皆が泣いて明衡に感謝したらしい。助けてくれた明衡に感激するあまり、姫を嫁にもらってくれ、愛妾で構わぬから……とまで言われたようだが、明衡は断った。
「弱味につけこむようなヤリ方は、俺は好きではないからな。」
からりと笑う明衡。こういうところが、この男の良いところなのだ。
「それにしても本当に、捉えられた姫が無事で良かったわ。」
その姫の安否をとかく気にしていた土筆の、ホッと安堵するような優しい声音。
「えぇ。本当に。」
時峰は、相槌を打つ。
平六は、吉野大松の姫を京から連れ出し、二度と故郷に戻れぬところに連れて行くつもりだった。
土筆が気が付かなければ、あの姫は、何も知らぬまま、生涯、あの男に囚われ続けていただろう。
ーーー落窪の姫。
それが、あの時、土筆が述べた考え。
「落窪の姫の物語を知っていますか?」
「落窪の姫? あの、内裏の女房たちが読んでいるお話ですか?」
「えぇ、そうです。」
「僕は、読んだことはありませんが、題名くらいは。」
土筆は、落窪の姫の物語のあらすじを教えてくれた。
簡単に言うと、継母や義理の姉妹に虐められた後ろ盾のない姫が、邸の奥の、落窪んだ部屋に閉じ込められて、使用人のようにこき使われているーーーという話だ。
最終的には、中将に見初められて幸せになるのだが……
「申し訳ありませんが、それが今回の怨霊屋敷と、どんな関係が?」
「問題は、その怨霊屋敷にも、何者かが閉じ込められている……ということなのです。」
「閉じ込められている? だれが、どこにですって?」
「何者かーーーおそらく女性が、その屋敷に監禁されているのではないか……と。」
土筆は、「私の話が突拍子もないのは、分かっています。」と前置きをしたうえで、
「でも………重い閂に、開かない御格子。しかも、御格子は、大の男二人がかりで押しても全く外れる様子がない。それで、もしかして、その御格子は、嵌め殺しで作られていたのではないかと思ったのです。」
例えば欄間のように、と土筆は言った。
「なるほど、欄間か……」
言われてみると、確かに、あの御格子は押した時に、ガタガタする感触がなかった。単に建付けが悪いだけなら、柱との接地面が、多少、動く気配があるはずだ。
だが、初めから固定して作られた嵌め殺しならば、開くはずがない。
「それに、時峰さまは、外からの侵入を防ぐ物々しい閂……とおっしゃいましたが、私はむしろ、中の人間を外に出さないという強い意志を感じました。」
そして、中にいるのは、目撃証言や置いてあった小物類から推察すると女性だろうということだ。
「だとすると、なんというおぞましい話だ。あの部屋に女性が閉じ込められていただなんて。」
そう思うと、部屋に足を踏み入れた瞬間の悪寒は、やはり勘違いではなかったのだと思えてくる。
しかし土筆は、時峰の言葉を改めて否定した。
「いえ、閉じ込められていた、のではなく、閉じ込められている、のはないかーーーと申し上げているのです。」
現在進行形に直した土筆に、時峰は目をパチクリとさせてから、
「そんな馬鹿な……」
と首を振った。
「私たちは、あの部屋の中を検めているんです。あの部屋に人がいなかったのは確認済みた。」
言ってから、
「ははぁ。分かりましたよ。」
時峰は、土筆の言わんとしていることを察した。
「屋敷の外の足跡のことでしょう? だから、あれは女が男を抱えて行ったんですよ。あんなところを歩かせるはずがない。それに、良く考えれば、最後に女性が目撃されたのは、5日前。雨で足跡が消えていても不思議じゃありません。」
男の足跡は、その後、一人で訪れた時についたものだろう。
「では、時峰さまなら、どこまで女性を担いでいきますか?」
「どこまで?」
「小雨の降る中、秘密裏に逢引した意中の姫を、道中、どこまで担いで行きますか?」
「そりゃあ、途中に牛車を待たせて……」
言ってから、あの少し開けた場所に、足跡以外の跡がなかったのを思い出した。あそこなら、十分に牛車をつけられる。
しかし、牛車ならば、牛の足と轍が残るはずだ。牛車の屋形は人間よりもずっと重い。跡も深くつくだろう。あの湿った地の轍が、長雨で全て綺麗に消えるだろうか?
「わざわざ密会までしている男女が、女をおぶって往来まで歩くのは、可能性がないわけではありませんが、些か滑稽な気がいたします。」
牛車に乗らない身分のものなら、どうだろう?
それなら轍の跡はつかないが、しかし、果たしてそんな者たちが、雨の中、長々おぶって歩いてまで、あの屋敷で密会をするのか?
そう考えると、確かに、土筆の指摘は最もだ。
土筆が続けて言った。
「でも、それより私が気になったのは、御格子の方なのです。」
「御格子?」
「部屋は綺麗で、板が剥がれ落ちた御格子でさえ、塵芥は積もっていなかった。………ですよね?」
「えぇ、そうです。」
「ずっと吹きさらしで風雨に晒されれば、いくら庇があっても、普通は多少の砂塵がつくはずです。ましてや、ここ数日は天気が悪く、風の出ていた日もあるのですから。」
外の簀子は砂埃が溜まっていたのに、御格子が全く汚れていないのは、不自然だと土筆は言う。
「天候の悪い日は、外側から板か何かでふさいで、偶に空気の入れ替えの時だけ、開けていたのではないですか?」
それも殆どは夜、目立たぬ時間に。
その状態で、燭台に明かりをつければ、鬱蒼と茂る草葉に囲まれた、立派な怨霊屋敷が出来上がる。
「時峰さまたちが行った日は、長雨が続いた後だったから、朝、板を外して屋敷を去ったのでしょう。比較的新しい足跡があったようですし。」
確かに、簀子のなかに置かれた木材には、板もあった。
「では、私たちが見張っていた夜も、屋敷には、その男と攫われた姫がいた、と?」
「可能性はあります。板で塞がれれば、外からは分かりませんからね。」
「うぅーん。」
時峰は唸り、
「では、土筆姫は、その女性が屋敷のどこに閉じ込められている、と思うのですか?」
「おそらくは………唐櫃。」
「そんな馬鹿なッ!!」
時峰は思わず、声を荒らげた。
「たしかに、大きな箱でしたが、それでも一畳にも満たない。高さは私の膝くらいだし、身体を起こすことすら出来はしないでしょう。あんなところに、人間をずっと閉じ込めておくなんて信じられない。」
「床下の空間を合わせたら?」
「床下?」
「えぇ。床下です。」
寝殿造りの屋敷は、庶民の家と違い、高床にできている。床下に小さな空間を設えれば、人間を隠すことも可能ではないか、というなのだ。
「その出入り口が唐櫃ではないか……と。」
開け方は分からぬが、それが余計にあやしい。
「その唐櫃、持ち上げてみましたか?」
「いえ……それは………」
今更ながら、持ち上げてみなかったことが悔やまれた。
「簀子に麻縄のはしごがあったのでしょう? 縄を編んだものですから、屋根に向けて伸ばすのは、なかなか難しい。でも下に向けて垂らすなら、これほど便利なものはありません。」
時峰は、あの正体不明な箱の蓋がギギギと開いて、中から縛られた姫が出てくるのを想像し、身震いをした。
もし仮に土筆の言うとおりなら、今もあそこに囚われている誰かがいるのだ。
自分は、なんて馬鹿馬鹿しい推理を自慢気に話してしまったのだろう。
「その大工の平六とやら、最後に大事な荷物を取って退去するのですよね? でもその荷物、実は荷物じゃないかもしれません。」
荷物ではなく………人間。
土筆のところを辞した時峰は、急ぎ明衡のところへ行った。
それで、半信半疑の明衡を引きずって連れて行けば、果たしてその通りだったのだ。
二人か吉野大松の姫に、これまでずっと、どこにいたのかと尋ねたら、やはりあの唐櫃らしき箱に案内された。
姫が、平六が背負っていた箱と同じ開けた方で、側面を横にずらすと、蓋があいた。
中は意外と深い。
「これが、落窪……か。」
一段、落窪んだ小さな部屋。
簀子にあった梯子を垂らすと、ちょうど底につく。中には、用を足すための小さな瓶があるのみ。
吉野大松の姫は、昼間はずっと、この中で過ごした。夜になると、平六が来て、出してくれる。
時々、御格子を塞ぐ板を外す時があって、そうすると、外の空気を吸うことが出来る。
吉野大松の姫の話から、時峰と明衡が見張っていた晩は板が塞いであったこと、その日の早朝ーーーおそらく、二人が帰ってから、平六が板を外したらしいことが分かった。
また姫は、その日の昼間、時峰と明衡が忍んできたことにも気づいていたという。頭上で軋む足跡と板越しの会話。
これは、鬼が来たに違いないと怯え、震えていた。
そのことを、今朝早く、迎えに来た平六に告げると、鬼に見つかるといけないからと、出掛けに口と手足を縛られた。箱の中で、大人しくしているようにと、随分キツく言われたらしい。
本当に、あの時、時峰が土筆に話をしなければ、全ては手遅れになるところだったのだ。
あの姫に関しては。
「それで………」
御簾の向こう、土筆が何かを覚悟するように、小さく息を吸って、吐くのが分かった。
「それで、何人出ましたか?」
やはり、その質問か。
本当は、彼女に聞かせるような話ではないから、言わずに済ませたい。だが、そうもいかないだろう。
時峰は、一瞬、どう答えるべきか躊躇ったが、結局は正直に答えることにした。
それは、元から彼女にも分かっていたことだから。
「………三人分です。」
あれだけの大仕掛けを、思いついて、すぐに作れるはずがない、と土筆はいった。
相当前から周到に準備していたか、そうでなければ、過去から使っていたかのどちらかだ。
そして、過去から使っていたものなら、犠牲者は、一人じゃない。
だから、土筆は言ったのだーーー落窪の姫たちの怨霊がいる、と。
実は、平六が舌を噛んだのは、その話に及んだ時だった。明衡が余罪を追求しようとした瞬間、自死を選んだのだ。
明衡は、すぐさま人を集めて、屋敷の床を取り壊させた。この取り壊しについて、権利者には、ほとんど命令に近いような交渉で許可を得たらしい。
床を壊すと、泥に埋まって、三体の遺体が出た。
どこの誰かは分からぬ。なぜ殺されたのか、も。
おそらく、吉野大松の姫と同じように、どこかから攫ってきて、そして、抵抗でもされたのであろう。
そう思うと、ひょっとしたら、純粋に平六のことを信じて、従順に「旦那さま」と呼んだ吉野大松の姫は、平六にとって、やっと巡り会えた理想の女性だったのかもしれない。
土筆に出会えた時峰のように。
でも……ーーーそれは、やってはいけないこと。人として、決して踏み外してはいけない、やり方なのだ。
時峰は静かに言った。
「出てきた遺体は、僧に頼んで、私と明衡で丁重に弔いました。」
どうか、恨んで出て来ぬように。安らかに眠れるように、と。
時峰の話に、御簾の向こうの緊張が、ホッと緩むのを感じた。先程より、幾分柔らかい口調で「ありがとう」と言う。
重く苦しい事件の報告は、これで終わり。
区切りがついたところで、土筆が思い出したように言った。
「それにしても、小野明衡さまというのは、随分変わった方なのですね。初めは、疑心暗鬼でいらしたのに、相手を眼の前にしたら、堂々とハッタリを言ってのけるだなんて……」
「えぇ、愉快なやつです。」
時峰も、なぜ明衡が急に態度を変えたのか尋ねた。すると、
「男を眼の前にしたら、その目つきや態度で、これは何かあるとピンときたのだそうです。」
明衡曰く「確信に満ちた勘」なのだそうだ。
「多分、あの男は怒っていたのです。私ですら、かつて見たことがないほどに。」
だから、あの屋敷の一切合切を壊してしまった。躊躇なく。
時峰からしたら、あの不思議な箱を作る技術は相当なものだと思えた。あんな独創的な仕掛け、今まで見たことがない。
だから、少し惜しい……と思ったのだが、明衡の頭には、そんな考えは微塵もない様子だった。
「良い親友………ですね。」
「えぇ。とても。」
言ってから、このまま明衡のことを褒められ続けたら癪だなと思い、話題を変えた。
「でも、吉野大松の姫を助けられたのは、貴女のおかげです。貴女に話してよかった。」
自慢気に話してしまったのは些か気まずいが、そのおかげで姫は助かったのだというと、土筆は、
「いえ、違います。」
すぐにキッパリと否定した。
「私じゃありません。助けたのは、私ではなく………」
続く言葉は、なかった。
だが、何故だか今、土筆が空を見上げた気がした。
それで、時峰も外を仰ぎ見る。
あぁ、なるほど。そういうことか。
「そうですね。そう……なのかもしれません。」
時峰も静かに同意した。
* * *
時峰が帰った部屋の中、御簾をあげながらタマが言った。
「それにしても、後味の悪い事件でしたね。」
「えぇ、そうね……。」
できれば、土筆の考えは、当たらないで欲しかったのだけれど……一人だけでも助けられたのは、唯一の救い。
「三人……だもの。」
剥がした床下の泥から亡骸が出てきたと聞いたとき、土筆は御簾のうちで、密かに合掌をした。
時峰と明衡が丁重に弔ってくれたと聞いたときは、本当に心から安堵した。
つい数日前まで続いた長雨。
ひょっとしたら、この雨がなければ、平六はもっと早くに吉野大松の姫を連れて京を出立していたかもしれない。
さっさと京を離れていれば、監禁の痕跡はもっと薄れていただろ。
そうなれば、明衡が屋敷を取り壊すことはなく、あの床下の者たちは、永遠に、掘り起こされ弔われることなく、床下に眠り続けたのだ。
そう思うと、あの長く続く雨は、彼女たちの……あの屋敷の落窪に閉じ込められ、殺された怨霊たちの執念だったのかもしれない。
「それにしても……」
土筆は、ふふと笑みをこぼして独り言を言う。
「明衡さまにも驚かされたけど、藤原時峰さまも、十分変わった方だわ。」
土筆からすれば、明衡に負けず劣らずと言ったところか。
彼がもたらしてくれる話は、いつも土筆の好奇心を刺激する。知らない世界を教えてくれる。
時峰がここに来るようになってから、土筆はの日々は、前よりずっと楽しく感じるようになった。
まぁ、そんな事は口にはしないけれど……
土筆は、外を見上げた。御簾を取り払って見上げる晴れた空は、青く、高い。
花房邸に、夏が近づく気配がした。
◇ ◇ ◇
同じ頃、右京の外れ。
未だジメジメと湿った土の上に、後ろ手で縛られたまま、息絶えた男がいた。
その男は二人の公達に、己が罪を咎められ、自ら死を選んだ。怒った男の一人に、「獣にでも喰わせればいい。」と、そのまま捨て置かれているという。
その亡骸の側に、今、別の男が一人、立っていることを、時峰も土筆も、知らない。
「随分と無様なもんだな。」
その男は、腰を屈めると、目を見開いたまま動かぬ男に向けて、声をかけた。
「そう、恨みがみしい目でコッチを見るなよ。」
魂の抜けた虚ろな瞳は、呼びかけに答えない。が、男は気にせず話しかける。
「せめて、生きてたときに言ってくれりゃあ、相手を呪って、その恨み、晴らしてやったんだけどなぁ………。」
男はしばらく物言わぬ亡骸を眺めていたが、それにも飽きたのか、やがて立ち上がり、烏帽子を直しながら独り言を呟いた。
「さぁて、行くかな。」
男は踵を返すと、もう朽ち始めた大工の亡骸を振り返ることもせず、歩き出した。
「いざ、左京二条の花房邸へ。」
空は抜けるように、高かった。
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