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第2章 怨霊屋敷に巣食うモノ
4 小野明衡のハッタリ
しおりを挟む翌日の未明。まだ朝霧、濃く漂う時刻。
牛車から、見目麗しい二人の公達が、右京の端に降り立った。
「ッたく……お前の言うことは確かなんだろうな?」
今日は、絞り袴を膝までたくし上げ、足元は草鞋。立烏帽子の角度をキュッキュッと直す、逞しい美丈夫、小野明衡が、後に続く友に文句を言った。
「あぁ……確かだと思う………多分。」
「思う? おいおい、こんな早朝から呼び出しておいて、そんな自信のない言い方は、よしてくれよ。」
そう言われても、仕方がない。
土筆ですら、確信はないと言っていたのだから。
でも、もし、万が一にも土筆の推察が当たっていたら、一人の人間の命を助けられる可能性がある。
だから、時峰はその可能性を信じた。
「分かっている。でも、お前を頼りにしてるんだよ。」
素直にそう言うと、明衡は満更でもない様子で、ぺろりと唇を舐めた。
「仕方ねぇなぁ。友の頼みじゃあ。」
「すまん。助かる。」
そうして二人が、あのジメジメとした湿地で待ちわびること半刻。
ようやく、目当ての男が現れた。
男は、木板と車輪だけを組み合わせた、簡素な荷車を、あの少し開けた草地に下ろすと、件の怨霊屋敷の中へと消えていった。
「さて。これで、本当にあの男の荷物が、お前の言う通りであるかどうか……」
明衡は、疑うような口調とは相反して、腕まくりをしている。
男は、怨霊屋敷の中に消えて、少しした後、大きな箱を背に括って、戻ってきた。
「さ、行くか。」
「あぁ。」
明衡が歩き出し、時峰が続く。
「おい、そこの者。」
明衡が、低く威圧的な声で男を呼び止めた。
明衡と同じくらいの背恰好の男が、「へ?」と振り返る。
「大人しく、その箱を床に置け。」
明衡の言葉に、男は、
「あ……あの……」
狼狽えていたが、
「聞こえていないか? 我は、検非違使だ。」
明衡が、時峰の刀を腰からスッと取って、鞘のまま、男の喉者に突きつけた。
この刀は、万が一のためにと時峰が差してきたものなのだが………時峰は内心、驚いていた。
おいおい、先程まで疑っていたくせに、随分と乗り気じゃないか。検非違使なんて嘘を、スラスラつきやがる。
明衡が挿頭す近衛中将の刀は、誰がどう見ても、一介の検非違使が持つような代物ではなかった。
しかし、明衡はそんなことなど、全く意に介せず、男に検非違使の権限を振りかざす。
「さぁ、その箱を地面に置け。少し調べさせてもらう。」
身体の大きな男は、怯えるように、箱を地面に置いた。
表面を覆う組子細工は、部屋で見た唐櫃もどきと似た箱だが、こちらの方が、やや小ぶり。
明衡が、「男を頼む。」と、時峰に刀を渡し、自分は、箱の方を調べ始めた。
それで、この前と同じように、箱の天板を、持ち上げようとしたり、前や後ろに押したり引いたりしようとしたのだが、やはりこれも開かない。
「この箱、どう開ける?」
明衡が男に聞いた。
男は、「さ……さぁ?」と怯えながらも、
「私には、分かりかねます。ただ、頼まれて運んでいるだけですので。」
「頼まれた? 誰に?」
「…………」
男は、答えない。
だが、時峰と明衡は確信していた。この男が誰かから頼まれたわけではないことも、この箱を開けられるであろうことも。
「答えぬか、平六。」
明衡が、大工の平六に向かって言う。しかし、平六は、俯いたまま。
「なるほど。それでは………」
その態度に、明衡が鞘から刀を抜いた。
朝日に、鉛色の刀身がキラリと光る。
「ヒッ……」
男は、思わず目を瞑り、身をすくめた。
しかし明衡は、その刀を、男ではなく箱に向けた。
「切ってもいいか?」
明衡が、清々しいほどの笑みを浮かべて尋ねた。
「この箱を、真ん中から、真っ二つに。」
「な……な……なんの権限があって、そんなこと……」
男がブルブル震えている。
「言ったろう? 検非違使の調べだと。もし切ったところで、何も出てこなければ、詫び代として米十俵をお前にやろう。」
「こ……こ…米十俵?」
無論、そんな権限などない。
つい先程まで、あれほど、「お前の言うことは確かなのか」と、面倒くさそうに言っていた明衡が、いざ相手を目の前にしたら、堂々と口からでまかせを言ってのけるとは、とんでもない芝居者だ。
「あぁ。それなら問題なかろう?」
そういうと明衡は、箱のど真ん中に、刃を斜めに当てた。
こんな木箱が、この刀で、まともに切れるのか疑わしい。刃こぼれしそうだから、やめてほしいのだが、今は黙って見守るしかなかった。
「そうそう。この刀で上手く切れるからは分らぬから、ひょっとしたら、中身をザクッといってしまうかもしれないが、まぁ米十俵も貰えれば、十分だろう?」
からりと明るく言い放つ明衡に、男は、
「や……や………やめてください。」
真っ青になって、箱にすがりついた。
「ご……後生ですから、この箱は、傷つけんとお願いします……」
「では、箱を開けるか?」
「………」
「では、箱を開けるのか?」
答えぬ男に、威圧的な笑顔で尋ねる。すると、男は、コクコクと首を縦に振った。
「よし、あけろ。」
まごまごとする男に、「速く」と、刀身をギラつかせる。
「は……はい……」
さて、実際のところ、この箱、どこから開けるのだろうかと、時峰が興味深く見ていると、男は、側面にある組子細工の麻の葉の板を横にずらした。
それから、正面の上段を向かって右に。そして、もう一度、麻の葉を元の位置にずらすと、蓋が横に、ギギギとズレた。
「なんてことだ……」
木版を複雑かつ精巧に組み合わせて、鍵のように蓋が閉まる仕組みかーーー。
手先が器用な男だと聞いていたが、木の組み合わせで箱自体をまるごと鍵のようにしてしまうなんて。
明衡が、蓋の開いた箱の中身を見た瞬間。
「時峰ッ!!」
叫ぶのと、男が逃げ出そうと身を浮かすのが、ほぼ同時だった。
「男を捕縛しろッ!!」
「言われなくとも。」
時峰は、男が腰を浮かしながら捻ったのを、目で捉えた瞬間を見逃すことなく、男の腕を取った。
腕を後ろ手に捻り上げると、男が、「ギェェ」と悲鳴を上げた。
男の両腕を後ろに回し、手首を予め用意していた縄で縛る。
それを見届けた明衡が、中を見ろと時峰を呼んだ。
「これ……」
明衡に言われて覗き込むと、そこには、若い女が、手足を縛られ、窮屈そうに身体を折りたたんでいたーーーあの、土筆姫が予想した通りに。
女は、口に端切れ布の猿ぐつわを噛まされ、青白い顔でガタガタと震えている。
明衡が縄を解いてやろうと、手を伸ばすと、芋虫みたいに逃げようと、身体をくねらせる。
だが、所詮は、狭い箱の中。すぐに明衡に捕まり、手と口を解かれた。
途端、女は身体を起こし、箱の隅に縋り付くように寄った。まだ足が縛られているせいで、外には出られない。
女は怯えて、大粒の涙を流しながら、
「…おね……おねがい……食べないで………」
食べないで、と懇願するように繰り返す。
「食べる? なんだ、それは?」
明衡が、肩を竦めて、時峰を見た。
「私たちを物の怪か何かだと思っているのかもしれない。」
それで、明衡が、「そうなのか?」と女に尋ねた。女は、うなされるように、「…おに………おに………」と繰り返す。
「鬼ィ?」
明衡は、女の目の高さに合うように腰を落として、
「あのなぁ、私たちは、鬼ではないぞ?」
あの誰もが心を許したくなる人畜無害そうな顔で言った。
「どうして、私たちを鬼だと思った?」
すると、女は、縛られた男を見て、
「だ……旦那さまが、このあたりは……昼夜を問わず鬼が出るから、と……だから、自分のいない間は、箱から出てはいけない………と…」
「ほぅ?」
明衡が両眉をクイッと上げた。笑顔だが、内心、怒っているときにやる癖だ。
「そもそも、お前は、どこの誰だ? 何故ここにいる?」
「私は……吉野川の支流の近くに住んでいたものです。」
女は豪農の娘らしい。
川のほとりに生えていた大松に因んで、皆から「吉野大松の姫」と呼ばれていたという。
確かに、姫と呼ばれることに、違和感のない、可憐な容貌の女だった。
「そのあたりというと、先だっての吉野川の氾濫で浸水したところか?」
「はい……」
皆に姫と呼ばれているとはいえ、所詮、農家の娘。
集落の者たちと、野にでで、水害の片付けや修繕をしていたとき、
「頭にガン……という衝撃があって……」
それで、気づいたら、ここにいたという。
「あの男は、どうして君をここに連れてきたのか言っていたかい?」
「はい。鬼から守るためだ……と。」
平六は、吉野大松の姫に、「お前は鬼に攫われるところだった。」と告げたらしい。それを自分が、すんでのところで助けた。今では、姫の住んでいた川のほとり一帯が鬼に襲われ、生き残っているものは、ほとんどいない、と教えたのだ。
「それで旦那さまは、私をここに匿ってくだすったのですが、京の都は大変、恐ろしいところだそうで……」
昼夜を問わず、鬼が街中を彷徨いているという。それで平六が、「自分がいない時は、決して、ここから出ないように」と注意を与え、あの屋敷に閉じ込めていた。
ただ、普段は、手足も口も拘束されているわけではないらしい。狭いところに閉じ込められているだけだ。
「姫さま、あの男を元から知っていたのかい?」
明衡が聞くと、姫は「はい」と頷いた。
「以前の大水のときにも、京から派遣されて、何度かいらしておりました。今度、神社を建てるので、その職人の方だと。」
「以前に話をしたことは?」
「私はありません。父には、私を娶りたいと申していたそうですが……」
その時は、吉野大松の姫の父は、断ったという。
それで、諦めきれなかった平六が、この凶行に及んだということか。随分と念入りな拐かしだ。
「なるほどねぇ?」
明衡が、ニコリと笑った。
「ねぇ、姫さま。あんたは、俺たちのことを鬼だと思ったみたいだが、本当の鬼めは、どこの誰だろうなァ?」
「え……?」
明衡は、再び刀を抜いた。スラリとした刀身が、朝霧に鈍く光る。
その刃先を、平六の喉元に突きつけると、
「俺はね、暴力やら脅迫やらで女を脅しつけて支配するやり方ってのは、最も嫌いなんだ。」
少し肌けた胸元に、滲んだ汗か霧が、艶っぽく光る。妙ににこやかに笑う顔が、かえって恐ろしさを増している。
「だって、そうだろう?」
明衡は、軽く小首を傾げて平六に尋ねた。
「恋愛ってのは、もっと甘く、楽しく、心躍るもんだ。」
そうでなければならないと言う明衡に、それは、お前だから言えることだろうと、時峰は、思わず心の中で苦笑いした。
全く、この男は………。でも、こういうところが、憎めない良い男なのだ。
悪鬼のような畜生に迫る、明衡の堂々たる立ち姿や、さながら酒呑童子を倒した源頼光といったところ。いや、それにしては、鬼のほうが小物すぎるか。
明衡が、異論を一切挟ませぬ様子で迫った。
「さぁ、私たちを案内してもらおうかねぇ。可憐な姫を閉じ込めた、おぞましい箱……とやらに。」
平六の喉元に伸ばした切っ先が、今にも突き破らんと、チリチリ光っていた。
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