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第1章 姉妹だけが知っている
6 あの晩の真相
しおりを挟む「貴女は明星を殺していない。そうですよね?」
御簾の向こう、夕星姫に向かって、時峰は、己の確信していることを尋ねた。
「どう……して……?」
「ある人が、僕に言ったんです。夕星は、明星を殺して入れ替わったか、そうでなければ、ただ入れ替わったのだ、と。」
「……どうして……どうして、殺したのが私ではない、と?」
夕星は、驚き、戸惑っているようだった。
「僕が、そう信じたからです。貴女は殺していない。ならば、ただ入れ替わっただけだ…と。」
夕星は、死んだ明星に成り代わって、明星のふりをしている。だけど、その明星を殺したのは、夕星ではない。
「その人は言いました。もし明星を殺したのが夕星でなければ、犯人は………」
一呼吸おいて、
「明星姫の、消えた侍女……だと。」
夕星は、ハッと息を呑むのが分かった。
「あの……何故そのことを……?」
「その反応、やはり夕星姫も犯人をご存知だったんですね。」
「いえ…、あの………」
夕星は、やや逡巡するような間の後、観念したように、
「………明星の部屋から逃げ出すのを、私の女房が見ました。」
あまりの慌てように、不審に思って明星の部屋を覗くと、明星が襦袢(肌着)のまま倒れていた。それで、女房は驚いて、夕星の部屋に飛び込んできたという。
「なるほど。そういう事だったんですね。」
冷静を装って夕星と話しながらも、時峰は内心、感嘆していた。
あの花房家の姫には、つくづく驚かされる。
* * *
あのときーーー花の宴の晩に、姫が時峰に告げたのだ。「犯人は侍女だと思います」、と。何故そう思うのかと問うと、彼女は答えた。
「時間ですよ。」
「時間……とは?」
時峰が尋ねると、姫はゆっくりと考えながら口を開いた。
「中将殿のお話だと、明星姫は、『夕星は、朝起きたら、息絶えていた』と言ったとか。ところが最初にそのことを告げた女房は、『一昨夜半に』身罷った、と話しています。」
言われてみれば、確かにそうだ。
「その女房の言い方が、妙に具体的な時間で気になります。」
一昨夜半ーーーつまり、日の変わる前後の時間ということ。
「それだけ具体的な時間を告げられるということは、女房は、おそらく、その時間に何かを見たのでしょう? そして、犯人を知っている可能性が高い。」
「なるほど。しかし、何故、それが侍女だと?」
今度は、少し考えてから、
「……明星と夕星が入れ替わっているとしてーーー何故、明星のフリをしているのかは分かりませんがーーーフリをしている以上、夕星にとっては、明星を殺した犯人は都合が悪いはずです。生きているのは夕星だと露見したら、夕星姫の目論見が外れてしまいます。だとしてら夕星は………」
「……犯人を、探してもらいたくない?」
「と、思います。」
時間や死因を誤魔化したこととも辻褄が合います、と土筆が言った。
確かに、あのとき、時峰が消えた侍女を探そうかと提案したら、明星は明確に拒否した。探さないでくれ、と。しかし……ーーー
「その……話を戻して申し訳ないが、二人が入れ替わっているというのが、私にはイマイチ……どうして、姫が、そのように考えたのか、教えてください。」
すると、姫の手が几帳の隙間から、スッと伸びてきた。
白い指先には、先程渡した竹片。
「これは夕星ではなく、妹の明星のものです。」
それが、夕星の部屋の前に落ちていた。二人は、日頃から、部屋を行き来するような仲ではないだろう。ということは、明星の亡骸を夕星の部屋に移した時に落ちたのではないか、と。
「これは不必要に持ち歩くものでもないでしょうし。」
「…………うーむ」
姫の言うことは、一理ある。
「犯行現場が明星の部屋だった証は、他にもありますよ?」
「……ほう? なんでしょう?」
時峰は、この姫が次に何を言うのか、楽しみになっていた。
「几帳です。」
「几帳?」
「思い出してください。夕星姫の部屋の几帳のことを。」
「夕星の部屋の几帳……ですか? たしか、落ち着いた色合いの藤の花が描かれていたと思いますが。」
その几帳は事件の後、どこに片付けられたのか、ガランとした部屋の隅に、かけられていたはずの布だけが、折り畳んで置かれていた。
「では、明星の部屋の几帳はどうでしたか?」
「華やかな紅色の小花が散っていて、若々しい女性にピッタリだと………」
そこまで言って、ハタと言葉を切った。
「明星に似合いのものだと思ったのですが………でも……なんだろう? どこか違和感が……?」
たしかに、何かが引っかかった。でも、それが何かは分からない。
「時峰さまは、とても面白い表現をされました。」
「面白い表現? 私が?」
ハテなんだろうか、と首を傾げると、
「明星の部屋を、美しい絵巻物に一点、墨を垂らしたような違和感、と。」
「えぇ、そういえば言いました。でも、それが何か?」
「墨を垂らしたように見えたのは、几帳台のせいではないですか?」
「几帳台……?」
几帳台は、布がかけられた几帳の、木枠の部分だ。
だがしかし、明星の部屋の几帳台と言われても、すぐには思い出せない。
「明星姫の几帳台、夕星姫の部屋の几帳台と全く同じだったのでは?」
「明星の部屋の几帳台……」
言われれば、確かに色は黒かったかもしれない。暗い色の几帳台と華やかな布が、どこか似合わないと感じたのだろうか。
「でも、黒い几帳台など五万とあるでしょう?」
むしろ、ほとんどが黒い。
「そうですね。でも、そうでない物もある。」
「そりゃあ、そうでしょうが……」
「では、中将殿は、明星姫の部屋の几帳台、何色なら似合うと思いますか?」
時峰は、姫の質問の意図が分からず、戸惑っていた。
「何色……などと急に言われても……」
「例えば、真っ黒ではなく、もう少し赤茶けた色ならどうでしょう?」
「赤茶色……?」
「えぇ。赤茶色の木枠、です。」
確か、最近そういう色を見た。あれはーーー
「赤褐色の折れた木の棒……!?」
あの男ーーー夕星の部屋を片付けたと言っていた下男が、折れた棒を腕に抱えていた。ということは、つまり、
「明星姫の几帳台は壊れた? 犯人と揉み合っているうちに…? それで、明星のふりをした夕星は、部屋に几帳台がないから……」
「えぇ。几帳台だけを入れ替えたんです。」
台にかかっていた布を外し、夕星の部屋の几帳台を持って来て、布だけを入れ替えた。元の夕星の部屋の布は、かける台がないから、折り畳んで床に。
「中将は、明星の部屋の几帳台が黒いから違和感があったのではありません。夕星姫の部屋にあるはずの几帳台がなく、その直後に、見覚えのあるものを明星の部屋で目にしたから気にかかったのだと思います。」
「大したものです……」
ただ時峰の話を聞いただけで、ここまで推察するとは。
時峰は、この姫の洞察力に舌を巻いた。
「まぁ、あくまで想像の範囲ですが……」
* * *
あの時、姫は控えめに言ったが、今、状況はまさに、その姫の言い当てたとおりになっている。
確かに殺されたのは明星で、夕星は明星と入れ替わってフリをしていた。
明星も女房も、犯人を知っていて、そして、黙っていた。
時峰は、御簾の向こうの夕星に尋ねた。
「小間使いの男が消えた理由はなんでしょう? 夕星姫は、それもご存知ですか?」
「あの二人は、夫婦だったのです。」
明星の侍女と小間使いの下男は夫婦だった。にも関わらず、明星が小間使いの男を誘惑し、関係を持ったらしい。早い話が、寝取ったのだという。
それを知って、逆上した侍女が、明星の部屋に踏み込んで、首を締めた。
それを見ていた夕星の女房が、慌てて夕星の部屋に飛びこんで、事の次第を伝えた、というのが事件の顛末だった。
夕星が明星の部屋に駆けつけたとき、そこにはすでに息絶えた明星が、仰向けに寝ていたという。
「それで私は、明星を自分の部屋に移すことにしまきた。あの子と入れ替わるために。」
女房が横から、
「進言したのは、ワタクシ……」
「決めたのは、私です。私が明星の代わりに………明星のフリをして嫁ぐために、そうしたんです。」
襦袢姿の明星を自分の着物に包み、女房と二人で引き摺った。
それから、部屋を片付け、几帳を入れ替えた。
「なぜ、そんなことを……? 別に、夕星姫のまま、嫁げばいいじゃないですか?」
すると、夕星は、しばらく沈黙してから、ボソリと言った。
「貴方には、分からないでしょうね。傷物の夕星じゃあ、ダメだということが。」
自嘲気味に、
「明星が、たとえ数多の男たちと関係を持っていても、夫となる人は、そのことを知りません。知っているのは、姉の夕星が前夫に離縁されたことだけ。どこに行っても、どこまでも行っても、私には、捨てられた惨めな女という称号がついて回るのです。」
だから、真っ白な経歴のまま、明星として嫁ぐのです、と。
死んだ明星を見た瞬間、思ったという。私がこの子に代われば、全てやり直せると。
時峰は、「それはあまりにも深刻に考え過ぎでしょう」と、声を掛けようとしたが、出過ぎた励ましだと気づいて、口を閉ざした。
離縁して、戻された姫。高い身分で、皆に大切に扱われていたのは、遥か昔。京に戻ってからは、姉妹仲も決して良好とは言えず、暮らし向きも厳しい。
どれだけ辛い想いをしてきたのだろう。
夕星の言葉からは、苦境に立つ姫の、並々ならぬ強い決意を感じた。
結局のところ、時峰には、この姫のためにしてあげれることなど、何もないのだ。
時峰は、夕星の顔さえ知らない。だから、入れ替わっていたことにすら、気づかなかった。
時峰には、この、厚い御簾の向こうへ飛び込む覚悟はない。だから、これ以上、口を出す権利は、自分にはないのだ。
時峰は、袖口から取り出したものを、じっと見つめた。
それから、女房を呼んで、それを渡した。
「これを夕星姫に。」
女房が御簾の向こうに消えた。
「これ……は……?」
「妹の明星姫の物でしょう? 貴女にお返します。」
あの日、夕星の部屋の前で拾った、あの竹片。
「中将殿は、どうして、これが明星のものだと?」
時峰は、小さく息を吐いてから、
「だって、貴女は琵琶なのでしょう?」
と尋ねた。
夕星は琵琶、明星は箏を弾く。
「だから、その箏爪は、明星姫のものだ。」
実を言うと、これが何か、最初、時峰には分からなかった。「おそらく箏爪でしょう。」と言ったのは勿論、花房の姫だ。
箏爪とは、箏の弦を弾くときに使う付け爪。指の腹に着けて、弦を弾く。
花房の姫の言葉に、時峰は驚いて問い返した。
「これが、箏爪ですって?」
「大きさも私の中指にピタリと添いますし、よく見ると、弦でついたような細かな傷があります。」
美しく作られた調度品ではない。素人が、竹を削って作った、荒削りな竹片。だが、言われれば、小さくあいた穴に糸を通して、指に巻けなくもない。
「明星姫の懐事情は、かなり苦しいのでしょう?」
箏爪は、どうしても弾き込めば痛む。練習のために豪華絢爛な箏爪を用意する余裕はなかった。だから、誰か………おそらく、小間使いの下男にでも頼んで、竹を薄く削って作らせたのだ。
箏爪など、いちいち持ち歩くものではないから、夕星の部屋の前に落ちているのはおかしい。
だとすると……ーーー夕星がため息をついた。
「たぶん、あの子の指についていたか握っていたのが、引き摺ったときに落ちたのね。あの子は……男好きで、浮気症で、私とは気が合わなくて……でも、箏だけは、本当に好きでした。」
たとえ立派な箏爪を揃える余裕がなくても、不器用に削った竹の爪を使ってでも、弾くほどに。
「本当に……本当に、好きでした……ーーー」
まだ幼い頃、こんなふうに冷えた関係になる前、よくあの子と二人で練習をした。
はじめは夕星も箏を弾いていたが、明星が手習いを始めると、彼女は、みるみるうちに頭角を現した。
それで、とてもこの子には敵わないと思って、夕星は、琵琶に変えたのだ。
琵琶は重くて力がいるから、琵琶を弾く女は珍しい。でも、その苦労が楽しかった。
やがて、夕星の琵琶が上達すると、二人で合わせて演奏するようになった。
あの子は、美しく、華やかな音色を奏でながら、いつも、「ねぇ。お姉様、聞いて!」と頬を染め、「今日はどこの公達が……」と、それは楽しそうに話していた。
遠い日の想い出。
父が生きていた頃の……ーーー
夕星の瞳から涙が溢れ落ちた。
「仲の良い姉妹ではない……と思っていましたが、そんなことはないわね。あの子の箏と私の琵琶を合わせて弾く、その瞬間が、私たちは、とても好きでしたから。」
他の誰と一緒に弾いても、あの子ほどピタリとくる相手はいない。あの子とほど、心が踊りはしない。
「そりゃあ……夕星と明星は、ともに同じ星だからでしょう?」
夕星は「宵の明星」とも呼ばれる。夕方を告げる一番星。だが、光る時間が違うだけで、どちらも同じ星なのだ。
「あぁ……! 私はやはり、かけがえのないものを失くしたのね……」
その言葉と同時に、御簾の向こうから、先日の、どこか演技がかった啜り泣きとは違う、嗚咽混じりの慟哭が聞こえた。
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