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第1章 姉妹だけが知っている
3 中将、時峰の困り事
しおりを挟む「是非、中将殿のお話を聞かせてください。」
好奇心に勝てず、つい、土筆は聞いてしまった。
「中将殿を悩ます、厄介な困り事とは、何なのでしょう?」
時峰の「いいでしょう。」という返事に続いて、姿勢を正すような衣擦れ。そして、語りだす。
「3日ほど前のことなのですが……右京の西端に住む姫君が一人お亡くなりになったことを、ご存知ですか?」
「右京に住む姫君? いいえ。存じ上げませんわ。」
京の都は、帝のおわす内裏から真っ直ぐ南に向かって延びる朱雀大路の、左側を左京、右側を右京と呼ぶ。
だが実際には、右京は左京に比べて土地が悪く、住むのに適していない。故に、時代が進むにつれ、都は左へ、左へと拡張していき、右京は、次第に住む人が減り、寂れていった。
栄えるものは皆、左京に居を構える。右京の西端に住んでいる、という事実だけで、その姫の経済状況がうかがえた。
「夕星、明星という姉妹で、二人の父はかつて、大納言だったのだけど、ご存知ないかな?」
「まぁ……! 夕星さまですか?」
夕星、明星の姉妹の名は、土筆も知っている。二人の父親の大納言は、土筆の親とも顔見知りだった。
土筆も幼い頃に、姉妹に会った記憶がある。特に、姉の夕星は優しい人で、何事か気に入らないことがあって、グズグズと泣いた幼い土筆に、砂糖菓子をくれた。
妹のほうは、あまり記憶にないが、どちらかというと色恋事に興味津々の華やかな姫だったように思う。でも……
「お二人のお父上は、3年ほど前に亡くなられた、と聞きましたが……」
年は父より少し上だった。
「妹の明星さまが、姉の牡丹と同い年だったはずです。」
まだ結婚もされておらず、後ろ盾となる父を失うのは大変だろうと、父と姉が話していた。
「確か夕星姫は、今年、20歳におなりだと聞いた。妹の明星は2つ下だから18歳……貴女より2歳年上だね。」
「夕星姫は、ご結婚されたのでは?」
姉の夕星の方は、父の亡くなる前に決まっていた縁談があったらしい。結婚した夕星は、地方に任官する夫について京を離れたと、風の噂で聞いた記憶がある。
「あぁ。一旦は、京を離れていたようだが、どうやら少し前に、単身お戻りになり、妹と一緒に暮らし始めたようだ。」
時峰は、「単身、京に戻った」という曖昧な表現をしたが、要は離縁したのだろう。
子どもがいたのか、定かではないが、少なくとも、夕星姫は一人で戻ったということだ。
「お二人共、今は右京にお住まいとは……随分とご苦労をされたのでしょうね……」
土筆がしみじみ言うと、時峰も「そうだね。」と慮るように相槌を打つ。
「ご両親とも、親族の縁の薄い方だったようでね。父上が亡くなられてからは、これといった後ろ盾がなく、特に妹の明星姫は、一人京に残され、かなりご苦労をされたらしい。」
「それは大変でしたね。それで、あの……まさか、亡くなられたというのは……?」
時峰が一呼吸置いてから、
「姉の夕星姫のほうだ。」
「なんてことっ?!」
そう深い仲ではなかったが、それでも、幼いときに菓子を分けてくれた柔らかな眼差しは覚えている。穏やかな人だった。
「良い方でしたのに。」
「えぇ。本当に。」
時峰も同意する。
「私は少し前から、夕星姫と交流がありましてね。あちらに何度か顔を出していたのです。」
言ってから慌てて、時峰は、「交流と言っても、特別な仲ではありませんよ!」と、まるで言い訳みたいに付け足した。
あちこちで浮名を流していると評判の時峰が、今更そんな些細なことを訂正したとて、全く信じられなかったが。というか、なんでワザワザ言い訳するのだろう。
時峰は、仕切り直すように、「コホン」と、咳を一つして、
「ともかく、昨日、久しぶりに顔を出したら、夕星姫が亡くなったと聞いて、驚いたのです。」
「左様……でしたか。」
土筆は、瞳を閉じた。瞼の裏に、小さな土筆の髪を撫でる、穏やかな夕星の姿が頭に浮かんだ。
「それは、たいそう悲しいことですね。中将さまが悩まれるのも無理はありません。」
なるほど。親しくお付き合いしている姫が亡くなれば、思い悩むだろう。
「どうか、あまりお気に病まれませぬよう。」
励ましのつもりで伝えたのだが、中将は、間抜けな声で、
「………ん?」
と返事して、
「いや。違う、違う。確かに夕星が亡くなったのは、悲しいが、それを貴女に慰めてほしがった訳では無い。」
「まぁ。そうなんですか? それでは、なぜ、この話を?」
「問題は、夕星の死に様なのです。」
「死に様……?」
あまり穏やかな話ではなさそうだ。
「ご病気か何か……ではないのですか? それとも、まさか……どなたかに呪い殺された……とか?」
「実を言うと、私は、夕星が亡くなったというのを、妹の明星から聞いたのです。そして明星が言うには、夕星姫の死は突然だった、と。」
「……突然、というと?」
「昨日までは、ピンピンしていたが、朝になったら亡くなっていたというのです。だから、物の怪に命を取られたに違いない、と。」
「まぁッ! 恐ろしいことですわ。」
土筆は、ぶるりと身震いした。
「昨日まで、元気だった方の命を奪うなんて、怖い物の怪ですね。」
「いや、しかしですね、私が悩んでいるのは、これは本当に物の怪の仕業なのか……ということなんです。」
「どういう……意味ですか?」
時峰は、やや逡巡するかのような間の後、
「……本当に、この続きを聞きますか?」
「えっ?!どういうことですか?」
「話し始めておいて何ですが、よくよく考えたら、女性にするような話ではないなと思えてきて……」
「そんな! 今更……気になります。中将様は何を悩まれたのですか?」
中将は、「それでは……」と、心なしか、先程より少し声を潜めて話を続けた。
「明星のところを辞した際、たまたま、夕星の亡骸を埋葬したという者と会いまして……その者が言うには、夕星の首には、紐のようなもので締められた痕があった……と。」
「まぁッ?!」
あまりの生々しさに、背筋がゾクリと粟だった。
「申し訳ありません。やはり、女性に話すべきことではありませんでしたね。」
「いえ……それで、その男は、他に何と……?」
「男が言うには、『これは、物の怪なんかじゃない。生きている人間の仕業だ』と……。」
「生きている人間……」
ということは、どこかにいるのだ。夕星を殺した者がーーー実体のある者が……。
「貴方が悩んでいるのは、その夕星を殺した者のことですか? それが何者か知りたい、と?」
愛を交わした者を殺されたのだ。復讐でも果たしたいのだろうか。
しかし、中将の悩みは、もっと切実だった。
「その者ーーー私が話を聞いた下人が、どうも、その事実を吹聴しているらしく、どうも、右京のあたりでは、犯人は誰かと噂になっているようです。そして好奇の目は、自然、よく家を訪れていた私にも……」
つまりは、口さがない者たちが、時峰のことを犯人かもしれないと噂し合っているのだ。
勿論、所詮は、卑しい者たちの話だ。残された明星が、殺されたのではないと明確に否定している。すでに亡骸もなく、検非違使が詮索を始めることもないだろう。
だが、やはり近衛中将たる者が、そのような噂に巻き込まれるのは好ましくない。
「それに、残された明星の力になってやりたいと思っても、あの屋敷に顔を出すと噂される状況なのです。」
明星の力になりたいーーーなどと、好色男の時峰が口にするから、今度は妹のほうがに手を出すつもりなのか……と思ったが、土筆はすぐに、心に浮かんだ疑惑を否定した。
違う。
この人からは、そんな下心は感じない。
あちこちで、浮名を流していると言う割に、ここまでの時峰の態度は紳士的だ。
土筆の意向を無視して、几帳に踏み込むようなこともしない。むしろ、興味深い話し相手として接してくれる。
きっと、この人は、本当に、明星の力になってやりたいと思っているし、犯人がいるならば、見つけだして、夕星の無念を晴らしてやりたいと思っているのだ。
「なるほど。中将さまのお悩み、よくわかりました。」
それなら、土筆も何か力になれることがあるかもしれない。
「僭越ながら、今のお話、私も一緒に考えてみたく存じます。」
中将は、土筆の提案にやや驚いた様子で、
「……一緒に考えて?」
「えぇ。もっとよく思い出してお話いただければ、何か、犯人に繋がるような手がかかりがあるかもしれません。」
「私の話に手がかり……ですか?」
中将は、土筆の申し出に興味をそそられたようだ。
「勿論、話を伺うだけで解決するわではなないかもしれませんが。夕星姫と明星姫のお話、もう少し詳しく教えていただけませんか?」
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