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1-01.奇跡が続く偶然は必然 ①
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君島七瀬はつい先日、三十五歳になったばかりの真面目だけが取り柄のように見える、かっちりビジネスマン然とした男である。
六本木のとあるコンビニで、フレームレス眼鏡をクイッと指で直し、真剣な表情で自分が食べるわけではない羊羹を選んでいる。
羊羹を平らげるのは、日本画家の湖月舜日。本名は湖月舜太郎といい、個人事務所のアートワークスB.W.Dreamの社長をしている。健啖家でグルメ。絵を描いているときの彼は、やたらと糖分をほしがる。
本日は持っていたブドウ糖のラムネ駄菓子を飲むように食べてしまったので、代わりの糖分を社長秘書の七瀬がコンビニまで足を運び、成分表をしっかり読んで選んでいる。甘い物ばかりでは糖尿病などのリスクを負ってしまうから。
──と、朗らかな声をかけられた。
「君島先輩、偶然ですね」
いつもは険しく怜悧な七瀬の目付きが彼女を瞳に映しただけで緩む。
ほんとうに偶然だ。まさかこんな場所に妻の彩葉がいるとは思いもよらない。
小柄な妻は、男子平均身長より少し高めの七瀬より頭ひとつ以上も小柄な身長。顎と歯も小さいせいか、いつまでも若々しい印象だし、長い髪の毛の先を〈ななくん色〉の青にしているから、さらに若く見える。三歳年下の、一児の母だというのに。可愛らしい。
「早川くんこそ。偶然だね」
旧姓で呼べば、年齢よりも幼く見える彼女は照れて可愛らしく微笑ってから、頬を膨らませる。
「今日、出勤だって言ったよ?」
フリーランスのプログラマである妻は、契約している大手IT企業に時々しか出向しない。しかも、スーツではなく、シルエットにメリハリを持たせたマニッシュコーデなので二十代半ばのようだ。肌ツヤもよく、幼い顔をより引き立たせるメイク術もあるだろう。
妻は自分のためと君島のために美しくある努力を続けている。そんなところもいじらしいと感じるのは、夫の七瀬の特権だ。
七瀬は微かに笑い、妻の不満げに膨らんだ頬をかわいいなぁと思いながら話す。
「覚えているよ。でも、こんな広い六本木で会うとは思わなかったよ。俺だって、今日、六本木に向かう予定はなかったんだし」
「ああ、アートギャラリー? 決まりそうなの?」
「決まったよ。来年の秋に。……ちょっと待ってて」
七瀬は、羊羹を几帳面に商品棚にしまってスマホを操作する。連絡相手は舜太郎だ。
<偶然、彩葉に会ったから自分で糖分を探すように>。
すぐに既読がついた。
<おとなしくカフェに行くよ。彩葉さんとゆっくりして>。
<じゃあ一時間ほど時間をもらう>
そう返信。これにもすぐに既読がつく。
<了解。遅れたらタクシーか電車で事務所に戻っていいよ>
と、舜太郎。七瀬は、直帰させてくれないんだと片眉を上げる。
「イロはカフェで休む時間ある?」
彩葉だから、イロ。いつしかそう呼ぶようになっていた。
「あるよ。でも、一時間くらいね」
「オッケー。こっちも一時間くらいの休憩もぎ取ったよ」
「いいの? 羊羹、舜太郎くんのでしょ?」
「舜太郎がビルにあるカフェに行くってさ。手軽に糖分を摂りたいだけだからな」
「ケチのつけようのないイケメンで優しいのに、生活能力ゼロだよね。絵を取り上げたら、顔と性格の良さしか取り柄ないんじゃない? ななくんなしじゃ、生きてけないんじゃないの?」
「……それは、なんとも」
くすくす笑う七瀬の腕に、彩葉がしなやかに腕を絡ませる。じゃれてくる子猫みたいだ。
「ななくん、行こ? 時間なくなっちゃう」
ななくん。彩葉は付き合っているときから七瀬をななくんと呼ぶ。字面だけなら可愛い響きだが、君島七瀬はヘアワックスで髪をゆるくオールバックにしており、フレームレス眼鏡をかけている。ビジネススーツをかっちり着こなしていて、仕事中は表情が乏しい。
事務所の新人アルバイトの森高から『機械みたい』と評されているくらいには、堅くて冷たい印象がある。舜太郎の秘書をしていると、それが役に立つことが多々あるのだが。
愛する妻の前であれば、素の状態でリラックスしているから、もしも、森高がこの君島七瀬を見たら、あんぐりと口を開けて驚くのは想像に容易い。
「このへんのカフェ、すぐ入れるかなぁ」
「イロとなら、ファストコーヒーでもいいよ。新作のカフェにする? クーポンがあるんだ」
「さすが倹約家のよき旦那さまっ。クーポンは使えるときにじゃんじゃん使お! ポイントも貯めよう!」
「イロがどんぶり勘定なんだよ」
「お金の計算、すみませんよくわかりません」
「音声アシスタントか」
七瀬はリラックスして、声を出して笑った。
彩葉とは、こうして、偶然巡り会う奇跡の運命なのだと。
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