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3.ロゼッタと初めての体験
14.-8-
しおりを挟むだが、目覚めるとすっかり早朝だった。
くしゃくしゃの人参色の長い髪をもさもさ搔いて、ロゼッタは起き上がる。
メガネがなくて視界はぼんやりとしたままだ。歩けるには歩けるだろうが、こう見えないのでは魔術式も見れない。それに、下着のままでは寝室から出られない。昨日のデイドレスはひとりで着られるが、髪型をどうするのか。悩んでいると、ドアから静かなノック音がした。
マシューかと思い、返事をすると、
「おはようございます、お嬢さま。わたしくはお嬢さまのお手伝いをさせていただくメイドです。まずはお湯の支度をします。列車が大きく揺れることもありますので、お嬢さまはそのままお座りくださいませ」
なんということだろうか。メイドがつけられていた。なるほど、さすが貴族が乗る列車だ、といたく感心していたロゼッタは、ドレスの着替えと髪をまとめてもらい、無事に寝室から出られた。
メイドに朝食を部屋で摂るか食堂車で摂るかとたずねられ、自由を得たロゼッタはすかさず食堂車を選択した。
ひとりで食堂車に向かう途中、喫煙室のドアを開けるマシューを見つけた。声をかけるにしても、淑女らしい声のかけ方とは? となぜか悩んでしまった。
すると、マシューを追いかけるように短い茶髪の軍人のような体格の若い男が喫煙室に入った。
(…………?)
ロゼッタはそっと喫煙室を覗く。
彼らは同じテーブルではなく、別々のテーブルに着いている。関係者だと思ったのはロゼッタの考えすぎで、赤の他人だったようだ。早朝、喫煙室を使う男性もいるのだろう。
給仕がマシューに葉巻たばこを渡す。彼はジャケットの内ポケットから火を取り出そうとしていると、細い葉巻を銜えた若い男が銀の着火器を差し出した。
マシューはその着火器を受け取ると、たばこを灰皿に置いた。
(マシューさんが喫煙するのって初めて見ます)
彼の長い髪とスーツからたばこの臭いはしない。それとも、彼はその辺の男たちは違って、喫煙室でしかたばこを吸わないのだろうか? ボールドウィンだって、休憩中や考え事をしていると、研究所内や教授室でぱかぱかパイプを吸っている。
あんな容姿だからさぞや伊達男が決まるだろうと様子をうかがい続けた。
(あれ?)
マシューが若い男に話しかける。男は小さく笑うと、マシューは肩を小さくすぼめた。会話上手なマシューは誰にでも話しかけるのだろうか?
彼らはしばらく話した。知り合いのようで、知らない人の奇妙な距離感と組み合わせだ。
(わわわっ)
マシューが立ち上がってこちらに向かってくる。結局、彼はたばこを吸わなかった。
「……なにしてるんだ?」
壁に張りついたロゼッタを見たマシューの疑問である。ロゼッタ自身も同じことを自分に問う。
「魔術式を……見ようと思いまして」
「ふぅん。そんなどこにでも書かれてるものなのか?」
「あーと、そうですね、ここにはないようです。わたし、食堂車に行くところでして、はい。食堂車の魔術式を見つけてメモしようと思ってたんです」
「それなら、俺も同行しよう。恋人をひとりで食事させられないからな」
「恋人がいらっしゃ……あ、わ、……そういうフリをするんでしたね、わたしたち」
あははと笑うが、これはもしかしたら、笑い事ではないのかもしれない。二十二年間のロゼッタ人生史において、フリでも恋人ができたのだ。しかも、とびっきりの美丈夫だ。
彼はそっと腕を開ける。腕を組むのは父以来だと、おずおずと手を差し込んだ。
「それはそうと、嬢ちゃん」
「はい?」
「おはよう。昨晩はよーく眠れたみたいだな」
ギクッとすることをさらりと言われて、ロゼッタは赤くなっていいのか青くなっていいのか、わからなくなった。
✩⋆。˚
朝食後、しばらく。メイズベリーの田舎町、ラセットタウンに着いた。結局、ロゼッタは、どこにも張りつけずに魔術式を見られずに泣く泣く聖白竜列車を見送った。
いつか給金を貯めて聖白竜列車に乗るのだと心に誓っていたが、そのいつかはおばあちゃんになる頃かもしれないと、肩を落とした。
マシューと腕を組んでいるロゼッタの後から、運搬係が荷物を運んでくれている。小さな駅構内から外へ出ると、蒸気バスの停車しているロータリーの反対へ向かう。
「マシューさん、どこへ行くんですか?」
蒸気バスで行くのではなく、蒸気旅客自動車で向かうことになった。
セラドンでは蒸気旅客自動車は珍しくないが、こんな田舎町にもあったんだと、ロゼッタは丸メガネの向こうの目を丸くさせた。
「わたし、蒸気旅客自動車も初めてなんです。蒸気バスより運賃がかかるのもありますが、普段は王立魔術大学周辺で事足りてます」
首都セラドンの外れにある王立魔術大学のあるウィガール地区は、様々な学校の学部や研究室と学生たちを支える機能が充実している。
わざわざセラドンの繁華街に出なくても、学徒はウィガール地区で学び遊べる衣食住が手に入る。大型のスーパーマーケットが初めてできたのは、ここウィガールだと言われている。
要するに、研究気質の出不精たちが住むのに適した発展を遂げたのだ。ちなみに王立大学、王立図書館、博物館もある。ウィガール地区を王立魔術大学と呼ぶのが一般的なのは、住んでいる学生や教師たち・多くの魔術師見習いと魔術師たちで成り立っているからだ。
ウィスタリア魔術協会の本部もウィガール地区にあり、学生たち教師たちは、気兼ねなく魔術協会が運営する信用金庫を利用している。
ロゼッタの援助金と給金は、信用金庫に入金される。金を持つのを面倒くさがる魔術師たちは、信用金庫を利用している。
個人の銀行屋を頼るよりも、魔術師は魔術協会を信用している具合だ。戦前は魔術省もウィガールにあったが、今では建物だけ残して、魔術省はセラドンの中心地にある。
「ウィガールは魔導具が安く売られている不思議な町だな」
「マシューさんも知ってるんですか?」
「まあ、学生の頃は遊ぶところがないから、よく通ったよ」
セラドンいる学生たちは、わざわざウィガールまでやって来て遊ぶのだと聞く。図書館や博物館があるのだから学びたい学生もやって来る。
「もしかしたら、すれ違ってたかもなんですね。わたし、中等部からずっとウィガールで暮らしてるんです。姉妹で暮らすのは長期休暇だけなんです……」
仇討ちを遂げたら、また姉妹で暮らせばいい。だけど、大学とボールドウィンの元でやり残したこともたくさんある。
家族より大切な物はないとわかっていても。
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