年下の彼は性格が悪い

なかむ楽

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7、八千代18歳、菊華23-24歳─初夏~晩秋

47.幸せなキスをしよう⑧

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「誰が菊華の幸せを一番願っているのか。八千代くんはそれがわかっているからだよ」
「……あ」

 今まで愛情をこめて育ててくれたのは、父と母だ。祖父母たちも慈しんでくれているが、親の愛情以上ではない。誉めてくれて、喜んでくれて、時に叱り励ましてくれる。そして、抱きしめてほしい時に抱きしめてくれたのは両親だ。

「愛情をこめて大切にしてきたかけがえのない娘だよ。きみが私たちの元を離れてもね。だから八千代くんは私たちに話してくれたんだ。……その場に君もいればパーフェクトな挨拶だったけれど、それは正式に将来が決まった時の楽しみにしておくよ」

 あやふやな約束が形を成しただけで、未来の具体的な日にちは決まっていない。まだこの先何年かは、八千代は学生なのだから。

「きみを幸せにしてくれるのは八千代くんしかいないね。代わりに惜しみなく愛情を注いであげるんだよ」

 幸せの将来の約束をした。それなのに菊華は浮かない顔だ。親が心配するほどのんびりとしている性格の娘には似つかない表情だ。

「それでいいのかな。気持ちしかあげられないのは……心苦しいの。やっくんにこんなにしてもらっても、返すものがなにもないの」

 努力する八千代。なにもしていない菊華。均衡がとれていない関係はいつか壊れてしまう。
 そう思うのに、菊華はワンテンポもツーテンポも遅いから気づくと八千代が先に動いている。彼に甘えたままではいけないのに。
 八千代のためにできることはないか、ずっと考えているのに、そばにいることしかできない。

 伏せ目がちの愛娘を見つめる父親は、寂しそうに微笑む。
 少年だった彼を、娘が真剣に愛しているのだと知るたびに、巣立ちの感覚が心に募る。巣立つのは喜びもあるのだが、やはり寂しいものだ。

「それなら、もらった分を返すような愛し方じゃなくて、降り注ぐ秋の日差しのように愛していけばいいんだよ。私もそうだけど、人は欲深いからね。なかなかそうはできないけれど、菊華ならきっとそんな愛し方を続けていけると思うよ。見返りは八千代くんの笑顔なんだから愛していけるよ」

 和貴の大きな手が、菊華のほっそりとした背中を叩いた。
 八千代の手とは違う、厚みがある和貴の手が優しく気持ちを押してくれるようだと、菊華は思いあたたかくなった。

「継続はなによりも一番困難だよ。たゆまぬ努力をしなさい」

 「はい」とほころぶ花の笑顔を向けた娘は、本当に遠くに行ってしまうようで、父は秋風のように微笑んだ。

「ところで、ふたりの間のことに大きな秘密を持つのは感心できないな。八千代くんの不言実行のところはちゃんと叱ってやらないと、菊華がね」

 まだ『お嬢さんをください』と言われていないか、菊華を八千代にあげたつもりはない。その日がくれば快諾するから、これぐらいの駄々をこねさせてくれよ。男親は多少わがままな生き物なのだと、言わずに愛娘を眺めれば、菊華は陽射しのように笑う。

「そうだった」

「八千代くんの元へ行っておいで」と声をかけると、少女だったあの日のままの笑顔で娘は「うん」と父に答え振り向かずに走って行った。

「きみの幸せはきっとそこだね……」

 ため息混じりの言葉は愛娘には届かない。

 敷地をぐるりと歩いてホテルのエントランスホールに戻る。その手前で八千代と出くわした。いや、彼は和貴待っていたのだ。

「おじさん……今日は」
「八千代くん。おじさんはなしだよ。〈将来のお義父さん〉でもいいけれど、ここは〈和貴さん〉って呼んでくれると嬉しいんだがなあ」

 ウィンクをしてやると、八千代は困ったかのように笑う。軽く礼をした少年は白い歯を零した。

「和貴さん、本日はありがとうございました」
「ああ。二年後には酒にも付き合ってもらうから覚悟してくれよ」

 ばしんと肩を叩けば、青年はまだ青竹のようなしなやかな身体だった。若いなぁ。なんて思いながら、「菊華をよろしく頼むよ」そう言いそうになって、和貴は慌てて口をつぐんだ。






 エントランスホールで家族を見送った菊華は、八千代を振り返った。

「やっくん、今からどうする? 映画でも行こうよ」
「それでもいいけど、衣装を返すのが先だな」
「あ、そうだったね。朝の服が荷物になっちゃう。ロッカー空いてるといいなぁ」
「別にたいして荷物にもならないよ」
「ん?」

 八千代が笑った理由を、菊華が知るのはすぐ後だった。



 □


 衣装室で着替えたふたりはロビーで再び落ち合った。
 それから菊華は、八千代に案内された先で目を丸くするしかなかった。今日の菊華はよく目を丸くさせているのだが。

 ただ泊まるだけにしては広い部屋を、八千代が取っていたのだ。有名ホテルなだけに一泊するだけでかなりの金額のはずだ。
 高校生が記念日の宿泊のために気軽に演出できるものではない。

「夕食は気軽なレストランを予約してあるよ」
「……はあ」

 気の抜けた間抜けな返事しか出ない。
 あれ? やっくんって本当に高校生? なんてぽかんとして思う菊華であった。

「疲れた?」

 ジャケットを脱いだ八千代が、ぼさっと突っ立ている菊華を抱きかかえた。

「わあっ」

 いつも通り色気ゼロの声を上げた菊華は、そっとベッドに降ろされた。そのつかの間、胸に八千代が顔を埋めてきた。

「脱がしてあげようか?」
「だめっ。自分で脱げるから」

 恥ずかしくて死んじゃう!
 脱ぎ合いもしたことあれば、裸にされて真冬の温泉に放り出されたこともあるのに、なぜか今日は恥ずかしい。
 ゆっくりとファスナーが下りる音で、背中からそろりと新鮮な空気が入ってくる。簡単に火照り始めた身体をぞくりと冷やされるのも、菊華の羞恥を煽った。

「だめなんだ?」

 うんと首を縦に振って遠慮している菊華を、低いテノールが好きだと言っているように名前を呼ぶ。

「菊華」

 ああ、ほんとうに、もう。
 八千代に真心を込めたキスで菊華は応える。ゆっくりとくちづけを交わし、深くなるキスになる手前で菊華は静かに笑う。

「やっくん」
「ん?」
「お風呂に入ってからね?」

 そっと菊華が離れると、八千代があからさまにムッとした。
 ひょっこり現れる八千代の子供っぽさ、いや、年相応の態度がかわいいのだと、こっそり笑った菊華は、八千代の頬にちゅっと軽くキスをした。
 私だけのひみつの表情、と。
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