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05.公私の区別

 ❦・01-29・❦ 

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 新しい上司はイタリア人男性だった。どこの国の誰が上司であろうと日本人の意識としては構わない。ただし、この場合の共通言語は英語になる。
 千綾は、ウェインと付き合うようになって、なぜか英語力が上がっていたので、ビジネス会話や日常会話には苦労していなかったのは救いだ。外資系だからといって、日常会話レベルの英会話ができる日本人は、千綾のいる部署には少ない。英会話が得意な人たちは、経営戦略や本部とのやり取りを直接する人たちのほうが圧倒的に多い。
 イタリア人男性ディレクターは、フェデリコ・インノチェンツォ。イタリア人は陽キャだとばかりだと思っていた千綾を含むみんなは、冷静沈着なイタリアンイケメンのギャップに驚いた。
 そして、独身女性たちは、ストイックなギャップを持つ彼に夢中になって、英会話力を磨こうとするブームも起こっている。
 職人気質さがなければ、ファッションや工業用品は洗練されないだろうと千綾は思う。関西人みんながコメディアン気質じゃない、みたいな。

 そんなこんなの一週間。フェデリコとすれ違ったり、報告をしているたび、どこかで嗅いだことのある香水が漂うのに気づいた。ホワイトムスクのようで違う。どこか、お寺を思わせる香水だった。
 ストイックであるもの、物言いがきついフェデリコは、なぜかわからないけれど、千綾への風当たりが強い。
 本日も細かいことでチクチク。おまえは姑か? 小姑か? というレベルの細かいチェックでチクチク刺してくる。フェデリコが着任してまだ一週間。されど一週間。胃が痛くなる一歩手前だった。

 帰宅すると、ウェインが家事やマッサージをしてくれるのがありがたい。ウェインがいなかったら、心がポッキリ折れていたかもしれない。
 先日は部下の津田が、とあるフォルダのデータを吹き飛ばすポカをやらかした。津田とともに千綾もフェデリコから厳しいお叱りを受けた。が、津田がそんなミスをするわけないと、千綾は食い下がった。
 仕事と愚痴をプライベートに持ち込まないようにしているけれど、ウェインにはマッサージを通して伝わっているようだった。今朝の〈いってきますのキス〉のときに「休んだら? 顔色が悪いよ?」と、心配されてしまった。
 いくら身体のケアをしてもらっても、メンタルケアは自分でするしかない。

(そんなに弱気になってちゃダメっ。こういうときに成長するチャンスがあるんだから。ウェインがいてくれるから、仕事に打ち込めるっ!)

 ぐっと拳を強く握り、千綾はオフィスビルに入った。


 現在、春に出す新商品のプロジェクトが進められている。転職したてで、新商品プロジェクトチームに抜擢されたのは、千綾のやる気に火をつけている。
 が、通常業務と新商品プロジェクトは並行して進んでいるためタスク管理が難しい。抜擢されたのではなく、タスク管理の人員補充だったのでは? と、頬杖をついて溜め息を落とす。

(よくない考え。さ、これから全体ミーティングだ)

 パソコンを一旦閉じて、プロジェクトの会議室へ向かった。

 新商品のプロジェクト会議室には、ピリピリとした雰囲気の戦略部門の社員たちと企画部社員。プロジェクト統合マネジメント部。統括長によると、タイムスケジュールには余裕があるとのこと。広告動画の制作も順調。チームが一丸となってリリースへ向かっている。
 のだが。
 千綾は、止まらない溜め息を隠して会議室を退室する。総合マネジメント部の末席にいる千綾の担当は、メインとなるアプリ開発チームのスケジュール管理だ。アプリ開発が難航しているようで、若干、スケジュールを押している。リアル会議が邪魔なんじゃないかなーっ、オンライン会議でいいんじゃないかなーっと、頭痛を覚えながら自分のデスクに戻ろうとする──ところを、フェデリコに呼び止められた。

「安城マネージャー、ちょっといいですか?」

 廊下の端に呼ばれて話をする。茶髪に近い金髪のツーブロックをビシッキチッと整髪料で固められているのも、堅い印象になっているひとつだ。と、千綾はフェデリコを鬱々と見上げる。

(仕事はできる人だけど、合わないんだよね。なんか、目の敵にされてるし……)

「はい。少しでしたら」

「そんなにお時間は取らせません」

 会議室に残ったのはふたりだけ。
 フェデリコは周囲に人気ひとけが去るのを待っているようだった。居残りをする居心地の悪さは、いつ以来だろうか。
 全員がいなくなった広い会議室の隅。フェデリコが静かに長く息を吐いた。だから、千綾は身構えた。

「単刀直入に言います。あなたは、醜悪な淫魔に取り憑かれています」

「……はい?」

(なんでわかったの? 匂う? 淫紋はわたしとウェインにしか見えないって……。ってことは、フェデリコさんは……)

「フェデリコさんは、もしかして……、ストーカーなんですかっ」

 千綾は一歩下がると、フェデリコは額に手を当てから、胸に十字を切る。
 どこかで見たポーズだ。そう、最近配信された映画で見た。そう、黒い衣装に身を包んだ、悪霊退散で有名な。

「お、陰陽師、でしたか?」

 映画に
 登場した、陰陽師・安倍晴明がそんなポーズを取っていたような。

「ストーカーでも、オンミョウジでもないっ。私は祓魔師ふつましだ。以前、会っただろう」

 以前? こんな強烈な印象に残る人に会った記憶は──、ある。

「フェデリコさんが飲み会の帰りに声をかけてきた黒ずくめの不審者だったんですね」

「不審者ではない、祓魔師だ」

 ウェインは『厄介』だとかなんとか言っていた。それに、祓う、というのは、悪霊退散と同義語ではないか?
 ウェインの敵なら、千綾の敵だ。

「その祓魔師の力とやらで祓うっていうんですか?」

「私たちの力ではなく、神の御業みわざで魔を消し去るんだ」

「宗教勧誘はお断りします。それに、まったく困っていないので、そういうのは必要ありません」

「きみは騙されているんだ」

「騙されてなんかいませんっ! 失礼します」

 千綾は足早に会議室を出て、トイレへ駆け込み個室へ入る。そして、立ったまま考える。

(わたしを説得しようとしてるってことは、わたしの協力がないと祓えないって考えで合ってるのかな。……絶対に協力しないっ! するものかっ!)


 上司であり、新プロジェクトの戦略部門にも身を置くフェデリコが危険人物だった話を、帰宅してからウェインに話した。食事中にしたくなかったので、食後のビールタイムで。
 ウェインはあっけらかんとしている。危機感が薄いのでは? と、逆に心配になる。

「ウェイン、なにがあっても、守ってあげるからね。具体案は今のところないけれど」

 心配しているのに、当の本人はというと、

「そんな会社、辞めちゃいなよ」

 あっけらかんと、そうきたもんだ。
 これにはさすがの千綾もカチンとした。自分と仕事を否定された気がしたからだ。
  
「辞めないよ。キャリアの問題じゃなくて、今は働いてるのも楽しいの」

「楽しい? その上司兼祓魔師にネチネチやられてるんでしょ」

「それもあるけど。ここのところのメンタルは、そうじゃないの」

 自分の現在の職務。新しいプロジェクトスケジュール管理。当たりの強いフェデリコ。凡ミス小ミスが多々あり、うまくいかないことが多い。でも、チームのみんなは与えられた仕事をきっちりこなしているし、新プロジェクトのアプリ開発チームだって頑張っている。
 フェデリコがピシャリ言っていた『会社は仲良しクラブではありません』と。
 なあなあの仲と仕事が円滑になるコミュニケーションは違う。周囲に気を配るのも千綾の仕事の範疇だ。

「きっと、今を乗り越えたら成長できるって思ってる。やりがいのある仕事なの」

 ぐいーっとビールの残りを飲み干して、千綾は洗面室へ向かう。

「ごめん。歯磨きして、もう寝るね。明日も忙しいから」

 逃げ込んだ洗面台に映る自分の顔は疲れている。それに、怒っていて醜い。こんな顔をウェインに見られたくない。

「ちい。俺はもう少ししたら寝るから。おやすみ」

 洗面室のドアの向こうからウェインが話しかけてくれて、千綾はじわっと滲む涙を拭いた。
 ウェインと暮らして初めて、おやすみのキスをしない。

(ウェインと、ケンカ……しちゃった)



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