たなばたのいと

永瀬 史乃

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見えないところに御用心

2-1

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 江戸幕府四代将軍・家綱は、今は亡き母・高島御前の部屋で猫の写生にふけっていた。
 春日局が選りすぐった美女を母にもつ家綱も未だ幼さは残るが端正な顔つきをしていた。

「上様」
 戸を少し開けて御小姓の於島が家綱に声を掛けた。
 於島は家綱の乳母・矢島局の娘であり、家綱にとっては乳兄妹にあたる。

「なんじゃ、於島」
「梅の局様がお呼びにございます」
「はあ……」
 何やら心当たりのある家綱は溜息をついた。
 その刹那、衣擦れの音を携えて梅の局がやってきた。

「上様、於梅にございます」
「入られよ」
「恐れながら――上様、昨夜も御寝所に控えておりました者を下がらせたそうですね」
 家光の寵姫であった梅姫は、今や大奥総取締・梅の局として大奥の頂点に君臨していた。
 三十路に差し掛かった今もその美貌は健在である。

「それが何だ」
「何ぞご不満がおありなのですか? 大奥の中でも選りすぐりの美女を侍らせておりますのに」
「政務に追われているゆえ、早く寝たいだけだ。保科叔父が言っていたぞ、父上も若い頃は女子に興味はなかったと。それに来年には御台が来ることだし……」

「それとこれとは話が違います。良いですか、御台様がお輿入れする前に御内証の御方をお迎えくださいまし。これは決められていることなのです。そのために大奥があると言っても過言ではございませぬ。もしや誰ぞ意中の女子がいらっしゃるのでございましょうか」
 御内証の方、というのは御台所を迎える前に将軍の一夜妻となる奥女中のことである。

「意中の娘がいる、と言ったら於梅は連れて来ることができるのか」
 家綱はやや挑発的な口調で言った。
「今や徳川の天下、どのような女子でもこの於梅が連れて参ります」
「左様か――では」
「では?」

柳生やぎゅう家の姫君を連れて参れ」
「柳生家とは——」
 梅の局の顔に難色が差す。
「無論、あの柳生家だ。宗冬の養女を姉妹共々だ、良いな?」
「しかしながら——」
「どんな女子でも連れてくることができると申しただろう?」
 家綱は我ながら意地の悪い訊き方をしたと思った。
 でも、これで梅の局は家綱の寝所に女を連れてくることもやめるだろう。

「ええ」
 部屋の外ではひとり於島が心を痛めていた。
 於島は密かに家綱を慕っていた。
 乳兄妹という立場上、幼い頃から共に育ってきた仲である。
 寝所に自分より年上の娘たちが呼ばれる度に、どうして己は呼ばれないのか、とさえ思い、家綱が娘たちを下がらせる度に安堵した。
 己には邪険にしない家綱はもしかしたら同じ気持ちなのかもしれない、月の障りが始まった於島にもいつか白羽の矢が立ち、寝所に呼ばれることになるかもしれない、と人知れず思っていた矢先であった。
 家綱が言う「柳生の姫」とは果たしてどのような女子なのだろうか。
 
 梅の局は喜々として自室へ戻った。
 元は大名家、今も大身の旗本である柳生家の姫君を大奥入りさせるなど思いも寄らなかったが、自らの局に部屋子としてなら可能であるかもしれない。
 正規の奥女中としてでは他の女中よりも身分が高すぎてしまうが、部屋子へやことしであれば梅の局の個人雇用に過ぎない。

 特に幼時からはきはきと聡明な松を梅の局はおぼえていた。
 柳生三厳が急逝した際、弟の宗冬に跡を継がせ、姉妹を託すように、と家光に進言したのも梅の局である。
 姉姫に許嫁がいることも知っていたが、家光の側室であった局にとっては、将軍の側室となり世継ぎとなるべき男子を授かるのが一番の女の幸せだった。

 自身は家光の子を産むことができなかったが、姉妹のうちどちらかが将軍生母ともなれば、部屋親へやおやとして梅の局の権勢は盤石なものとなる。
 局は早速、右筆に任せることなく自身で筆を執り、文を書きはじめた。
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