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道場破りはお静かに
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そのとき竹千代が青ざめた顔の松の袖を弱く引っ張った。
「梅姫の部屋はこっちじゃ」
初めて竹千代が口を開いた。次は竹千代が松の手を引いて、梅香御前の部屋へ行く。
「松姫様、どこまで行ってしまったかと思って心配いたしましたよ」
梅香御前の部屋に着くと、御前は松の手を取って、安堵したような表情をしていた。
「若君に連れてきていただきました。竹千代君、ありがとうございました」
松はぺこりと頭を下げた。
「まあ。では若君もご一緒にお菓子をいただきましょう」
梅香御前は松の傍にいた竹千代の手を引いて自分が座っていた上座に座らせた。姉弟というより、親子のように見えた。
*
しばらくして家光が、宗矩と三厳を伴って梅姫の部屋へとやってきた。
大奥はもちろん「女の園」であるが、六代・家宣の御世に新井白石が政治の場である表御殿と区別するまでは完全なる男子禁制の場ではなかった。
「若君様、梅香様におかれましては本日もご機嫌麗しゅう。此度は我が娘たちのことで手を煩わせまして――」
「三厳よ、そのような堅苦しい挨拶はよい」
「左様でございますわ。姫君たちがこうしてお城に来て下さってわたくし、とても嬉しう存じますの。またいらして下さいましね」
梅香御前は娘らしく笑って言う。
母親のような雰囲気に、まだ二十歳と少しであることを忘れそうになる。
「そうじゃ。そなたのところの姫たちが梅姫とともにいると、松竹梅となって縁起が良いし」
家光は笑って言った。一緒になって梅香御前もころころと笑う。
「それにしても上様も成長なさいましたなあ。梅姫様とはまるで比翼連理の鳥のごとき仲の睦まじさ。爺は嬉しゅうございますよ」
「宗矩、いつまで余を子ども扱いするのだ」
家光は拗ねたようにいう。
「いえ、滅相もございませぬ。上様のことを元服あそばすよりずっと前から存じ上げていたものですから、つい」
宗矩は破顔させて言った。
「よい、よい。そなたは父上の代からよく将軍家に仕えてくれたな。早くに父を亡くした余は、そなたを父のように思っていたぞ」
「畏れ多いことにございます」
「そなたの子である三厳には、余にとっての宗矩――そなたが余にとって父のようであったように、竹千代を政の面でも支えてやってほしい」
「はっ。この三厳、誠心誠意務めさせていただきまする」
松はこのとき、祖父が誇らしげに白い顎髭を撫でていたのをぼんやりと憶えている。
このようなことがあってまもなく、祖父・宗矩は鬼籍に入った。
宗矩が亡くなった際、兄の三厳には八千石、弟の宗冬には二千石が与えられ、柳生家は藩から旗本になった。
三厳も父の死の僅か四年後、京で四十四年の生涯を終えた。娘が二人いるだけで、嫡男は未だいなかった。
その際、家光は宗冬に三厳の石高を継がせ、直々に姉妹の養育も課した。
普通、このような場合はお家取り潰しとなる。
ゆえにこれは前代未聞、異例の待遇である。
「梅姫の部屋はこっちじゃ」
初めて竹千代が口を開いた。次は竹千代が松の手を引いて、梅香御前の部屋へ行く。
「松姫様、どこまで行ってしまったかと思って心配いたしましたよ」
梅香御前の部屋に着くと、御前は松の手を取って、安堵したような表情をしていた。
「若君に連れてきていただきました。竹千代君、ありがとうございました」
松はぺこりと頭を下げた。
「まあ。では若君もご一緒にお菓子をいただきましょう」
梅香御前は松の傍にいた竹千代の手を引いて自分が座っていた上座に座らせた。姉弟というより、親子のように見えた。
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しばらくして家光が、宗矩と三厳を伴って梅姫の部屋へとやってきた。
大奥はもちろん「女の園」であるが、六代・家宣の御世に新井白石が政治の場である表御殿と区別するまでは完全なる男子禁制の場ではなかった。
「若君様、梅香様におかれましては本日もご機嫌麗しゅう。此度は我が娘たちのことで手を煩わせまして――」
「三厳よ、そのような堅苦しい挨拶はよい」
「左様でございますわ。姫君たちがこうしてお城に来て下さってわたくし、とても嬉しう存じますの。またいらして下さいましね」
梅香御前は娘らしく笑って言う。
母親のような雰囲気に、まだ二十歳と少しであることを忘れそうになる。
「そうじゃ。そなたのところの姫たちが梅姫とともにいると、松竹梅となって縁起が良いし」
家光は笑って言った。一緒になって梅香御前もころころと笑う。
「それにしても上様も成長なさいましたなあ。梅姫様とはまるで比翼連理の鳥のごとき仲の睦まじさ。爺は嬉しゅうございますよ」
「宗矩、いつまで余を子ども扱いするのだ」
家光は拗ねたようにいう。
「いえ、滅相もございませぬ。上様のことを元服あそばすよりずっと前から存じ上げていたものですから、つい」
宗矩は破顔させて言った。
「よい、よい。そなたは父上の代からよく将軍家に仕えてくれたな。早くに父を亡くした余は、そなたを父のように思っていたぞ」
「畏れ多いことにございます」
「そなたの子である三厳には、余にとっての宗矩――そなたが余にとって父のようであったように、竹千代を政の面でも支えてやってほしい」
「はっ。この三厳、誠心誠意務めさせていただきまする」
松はこのとき、祖父が誇らしげに白い顎髭を撫でていたのをぼんやりと憶えている。
このようなことがあってまもなく、祖父・宗矩は鬼籍に入った。
宗矩が亡くなった際、兄の三厳には八千石、弟の宗冬には二千石が与えられ、柳生家は藩から旗本になった。
三厳も父の死の僅か四年後、京で四十四年の生涯を終えた。娘が二人いるだけで、嫡男は未だいなかった。
その際、家光は宗冬に三厳の石高を継がせ、直々に姉妹の養育も課した。
普通、このような場合はお家取り潰しとなる。
ゆえにこれは前代未聞、異例の待遇である。
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