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藍天シリーズ
あまつかぜ
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四年に一度の藍天の下行われた試験からまもなく、わたしと哥さんは教坊付きの役人になった。
教坊とは宮廷で舞を披露する機関であり、役人はそこの妓女たちの管理をする。ここでいう妓女とは、妓楼の妓女とは別物の芸能者である。
美人揃いの割に哥さんは教坊の妓女には靡かない。彼曰く、職場に私情は持ち込まない主義らしい。
「天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよ」
わたしは短い歌を諳んじた。
「何だそれ、聞き慣れない言葉だな」
哥さんが話しかけてくる。四半時に一度は話しかけてくる。本当に暇人だな、この人。
「東の島国の歌ですよ。知らないんですか」
「生憎俺は文学とかお堅いことには疎いんでね」
「だからモテないんですよ、この間も馴染みの妓女に袖にされていたじゃないですか」
「お、おまえ! なぜそれを」
「風の噂です」
「で、さっきの東の島国の歌とか何とかっていうのは何なんだ?」
「焼き付け刃の知識じゃ、あの妓女に笑われますよ。あれは魚玄機並みの才媛です」
「やけに褒めるんだな。許嫁殿に言いつけてやろうか」
「そんなこと言うなら教えてあげません、歌の意味」
わたしは、ぷいと外方を向いた。
「すまん、教えてくれ」
よし、わたしのほうがいくらか上手だったようだ。
それにしても扱いやすいな、この人。でも、こういう大人になっても純粋なところが女好きもするのだろうと思う。
◆◇◆
「東の島国にはこんな祭りがあるんです。国の全土から嫁入り前の見目麗しい娘を千人ほど集めます」
「国から千人の美人を集めるのか」
面食いの哥さんは身を乗り出して聞いてくる。
「ええ、その中からさらに美人を厳選します」
「……小姐競選なのか?」
「ええ」
わたしは莞爾と笑って続けた。
「最終的には五人の娘が選抜されて、その国の王の前で舞うんです」
哥さんは噢~と感心する。
「それは王も冥利に尽きるだろうな」
「美女なら何でもいいんですか、本当に」
「ああ、美女ならば北も南も、胡人も、高麗人も皆好きだ。あの東の島国にもかように美女が多いとはな。今度、視察に行こうかな。経費は下りるな、きっと」
まだ見ぬ美女に鼻の下を伸ばしている。わが兄貴分ながらだらしがないな、と思った。
「教坊勤めの我々が外国へ視察に行くわけなんてないでしょう。笨ですか?」
「むむっ」
「話を戻すと、美女の舞を見ることができるのは、何も王だけじゃありません。わたしたちのような役人もずらりと並んで美女の舞を鑑賞します」
「それは是非、わが教坊でも! さっそく企画書を書かねばな!」
哥さんは硯に墨を擦りはじめた。
かと思えば、いきなり手を止める。
「そういえば、その小姐競選と歌にはどういう関係があるのだ?」
「その選ばれし美女たちを詠んだのが先ほどの歌です。しかも詠んだのは高僧だとか」
「高僧だと!? 罪深いなぁ。美女には勝てなかったか……」
「高僧がまだ出家する前ですよ」
「そうか。なぁ、もう一度、あの歌を誦じて見てくれないか?」
「いいですよ」
天つ風雲の通い路吹き閉ぢよ
をとめの姿しばしとどめむ
わたしは異国の歌を淀みなく諳んじた。
◆◇◆
「して、それどういう意味なんだ?」
「風に雲の通り道を吹き飛ばしてもらって、もうしばらく美女を見続けていたいってことですね」
「なんか雑な解釈」
哥さんのくせに腑に落ちないといった顔をしている。
「興味があるなら『古今集』でも読みなさいよ。車庫にありますよ」
「年下なのに偉そうだな。おまえ、四書五経も丸暗記してるんだろ? 異国の歌まで詳しいのか」
「白氏文集もここに入ってますよ」
「白氏文集!? あれ全部か?」
「島国の美女たちも知っているくらい有名ですよ、あれは。后が『香炉峰の雪が見たい』と言ったら簾を巻き上げて雪を見せてやる官女もいるそうですね。優秀です。まだ覚えていないなら哥さんも覚えるべきかと」
「そうか」
哥さんは思案するような顔をした。
◆◇◆
「どうしたんです、顔」
哥さんの頬には手の形をした赤い痣があった。まるで顔に止まった蚊を叩こうとしたみたいな。
「ああ、これか? 叩かれた、妓に」
「また女心分かってないとか、そういうことですか。聞いて呆れます」
「おまえに言われて白氏文集の勉強はじめて、あの才女にただ、香炉峰の雪が見たいって言ったんだよぅ」
「あれは酔狂な人間のする遊びですよ。ここから香炉峰どれだけ離れていると思ってるんですか」
「ようし、こうなったら仕事だ! わが教坊でも小姐競選を!」
役人や庶民に国民制片人として、一日一回だけお気に入りの美女に投票できる権利を与えよう、などと抜かしている。色々と先取りしすぎだってば。
面倒なことになりそうだから、ついでにあれもばらしておくか。
「哥さん、すいやせん。悪ふざけが過ぎました」
「何だ? おまえが謝るなんて珍しいじゃないか。美人に付けられた痣くらいいいんだ。勉強するきっかけにもなったし」
元々陽気な人だが、顔に痣を作りながらも上機嫌だ。
「それじゃなくて……」
「じゃあ、何だ?」
「小姐競選なんてまったくの嘘ですよ」
哥さんの紅顔はみるみる青ざめていった。
その後、二日のあいだ哥さんは「物忌み」と称して有給を取ったのだった。
教坊とは宮廷で舞を披露する機関であり、役人はそこの妓女たちの管理をする。ここでいう妓女とは、妓楼の妓女とは別物の芸能者である。
美人揃いの割に哥さんは教坊の妓女には靡かない。彼曰く、職場に私情は持ち込まない主義らしい。
「天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよ」
わたしは短い歌を諳んじた。
「何だそれ、聞き慣れない言葉だな」
哥さんが話しかけてくる。四半時に一度は話しかけてくる。本当に暇人だな、この人。
「東の島国の歌ですよ。知らないんですか」
「生憎俺は文学とかお堅いことには疎いんでね」
「だからモテないんですよ、この間も馴染みの妓女に袖にされていたじゃないですか」
「お、おまえ! なぜそれを」
「風の噂です」
「で、さっきの東の島国の歌とか何とかっていうのは何なんだ?」
「焼き付け刃の知識じゃ、あの妓女に笑われますよ。あれは魚玄機並みの才媛です」
「やけに褒めるんだな。許嫁殿に言いつけてやろうか」
「そんなこと言うなら教えてあげません、歌の意味」
わたしは、ぷいと外方を向いた。
「すまん、教えてくれ」
よし、わたしのほうがいくらか上手だったようだ。
それにしても扱いやすいな、この人。でも、こういう大人になっても純粋なところが女好きもするのだろうと思う。
◆◇◆
「東の島国にはこんな祭りがあるんです。国の全土から嫁入り前の見目麗しい娘を千人ほど集めます」
「国から千人の美人を集めるのか」
面食いの哥さんは身を乗り出して聞いてくる。
「ええ、その中からさらに美人を厳選します」
「……小姐競選なのか?」
「ええ」
わたしは莞爾と笑って続けた。
「最終的には五人の娘が選抜されて、その国の王の前で舞うんです」
哥さんは噢~と感心する。
「それは王も冥利に尽きるだろうな」
「美女なら何でもいいんですか、本当に」
「ああ、美女ならば北も南も、胡人も、高麗人も皆好きだ。あの東の島国にもかように美女が多いとはな。今度、視察に行こうかな。経費は下りるな、きっと」
まだ見ぬ美女に鼻の下を伸ばしている。わが兄貴分ながらだらしがないな、と思った。
「教坊勤めの我々が外国へ視察に行くわけなんてないでしょう。笨ですか?」
「むむっ」
「話を戻すと、美女の舞を見ることができるのは、何も王だけじゃありません。わたしたちのような役人もずらりと並んで美女の舞を鑑賞します」
「それは是非、わが教坊でも! さっそく企画書を書かねばな!」
哥さんは硯に墨を擦りはじめた。
かと思えば、いきなり手を止める。
「そういえば、その小姐競選と歌にはどういう関係があるのだ?」
「その選ばれし美女たちを詠んだのが先ほどの歌です。しかも詠んだのは高僧だとか」
「高僧だと!? 罪深いなぁ。美女には勝てなかったか……」
「高僧がまだ出家する前ですよ」
「そうか。なぁ、もう一度、あの歌を誦じて見てくれないか?」
「いいですよ」
天つ風雲の通い路吹き閉ぢよ
をとめの姿しばしとどめむ
わたしは異国の歌を淀みなく諳んじた。
◆◇◆
「して、それどういう意味なんだ?」
「風に雲の通り道を吹き飛ばしてもらって、もうしばらく美女を見続けていたいってことですね」
「なんか雑な解釈」
哥さんのくせに腑に落ちないといった顔をしている。
「興味があるなら『古今集』でも読みなさいよ。車庫にありますよ」
「年下なのに偉そうだな。おまえ、四書五経も丸暗記してるんだろ? 異国の歌まで詳しいのか」
「白氏文集もここに入ってますよ」
「白氏文集!? あれ全部か?」
「島国の美女たちも知っているくらい有名ですよ、あれは。后が『香炉峰の雪が見たい』と言ったら簾を巻き上げて雪を見せてやる官女もいるそうですね。優秀です。まだ覚えていないなら哥さんも覚えるべきかと」
「そうか」
哥さんは思案するような顔をした。
◆◇◆
「どうしたんです、顔」
哥さんの頬には手の形をした赤い痣があった。まるで顔に止まった蚊を叩こうとしたみたいな。
「ああ、これか? 叩かれた、妓に」
「また女心分かってないとか、そういうことですか。聞いて呆れます」
「おまえに言われて白氏文集の勉強はじめて、あの才女にただ、香炉峰の雪が見たいって言ったんだよぅ」
「あれは酔狂な人間のする遊びですよ。ここから香炉峰どれだけ離れていると思ってるんですか」
「ようし、こうなったら仕事だ! わが教坊でも小姐競選を!」
役人や庶民に国民制片人として、一日一回だけお気に入りの美女に投票できる権利を与えよう、などと抜かしている。色々と先取りしすぎだってば。
面倒なことになりそうだから、ついでにあれもばらしておくか。
「哥さん、すいやせん。悪ふざけが過ぎました」
「何だ? おまえが謝るなんて珍しいじゃないか。美人に付けられた痣くらいいいんだ。勉強するきっかけにもなったし」
元々陽気な人だが、顔に痣を作りながらも上機嫌だ。
「それじゃなくて……」
「じゃあ、何だ?」
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