40 / 48
第三章 ジョー
第39話 ジョーと愛奈
しおりを挟む
「ジョー……君、ジョーって言うんじゃない!?」
彼女の声が上ずるのが分かった。
「これが……俺の名前……?」
「そうだよ! 身体は覚えてたんだよ! だからこうやって無意識に書けたんじゃない?」
確かに、筋の通る話だと思った。自分の名前だけは、一生をともに付き合うことになる名詞だからだ。
「というか、私、まだ名乗ってなかったよね」
彼女は俺に微笑みながら、
「私は野田愛奈。改めて、よろしく」
と言った。そして、変かな、と彼女はまた笑ってみせた。
全然変なんかじゃない。
不安や心配で満ちた心が、彼女の笑顔で晴れていくようだった。
「良かったね、名前、思い出せて」
少し違う。何も思い出せない俺から、君自身が俺の名前を当てたのだ。実際、君に言われなかったら俺は、字を書くことすら試していなかっただろう。
「まあ、これが名前だって確証は無いけどね。でも、きっとそうだよ。私は信じてみる」
「あ、ありがとう……」
俯いて返事をした。彼女の顔をまともに見ることが出来なくなっていた。絶望の底から救ってくれた女神。本当に、そうとしか思えない。
胸が締め付けられる感じがした。
食事を終え、食器と鍋をすぐそばの流し台へ片付けると、またテーブルを囲んで座った。
「これから記憶が戻るまで、ここに居ていいよ」
「えっ」
思わず顔を上げたが、彼女の顔が眩しくて見えない。
「話してみても悪い人じゃなさそうだし。私は別にいいよ。どうする?」
部屋を見渡す。さっき見た寝室が、どこかの富豪が住むような高級な部屋のように見えた。
ココニ、イル? コノヒトト?
「……大丈夫?」
俺はショートしたロボットのように固まっていた。
それから俺は愛奈さんの部屋に居候させていただくことになった。自分の記憶が戻るまで、が期限だったので、俺は複雑な気持ちになった。
記憶が戻れば終わり。戻らなければずっとここに……。
いや、失礼だ。愛奈さんは俺の力になるためにやっているんだ。ちゃんと記憶を取り戻さなければ、示しがつかない。漢じゃない。
その日、そんなことを考えながら、俺は押し入れの中で眠りについた。
次の日、午前十一時に起床した。愛奈さんは部屋には居なかった。昨日、一緒にご飯を食べたテーブルの上に、置き手紙があるのに気付いた。
「仕事に行ってきます。ご飯温めて食べて。地味でごめん」
その横に、ラップに包まれたご飯の茶碗と、納豆のパックとおぼしき物が並んでいる。
地味……か。
俺は流し台の横の電子レンジで、ご飯を温めた。無言のまま、そのご飯が回っているのをただただ眺める。特に何も考えずにいた。部屋に響く電子レンジの稼働音や、外から聴こえる車の音に耳を傾けていた。
やっぱり、現実だ。
俺はまだ心のどこかで、これが夢であることを期待していた。それならまだ、女神が出てきた夢、で許せるような気がした。でも、このままここでの生活を続けて、ここを現実だと認めるようになって、真面目に暮らして……その後に、本当は違った世界だと分かったら……?
多分、俺は耐えられない。人の情に侵された心が、一瞬にしてバラバラに崩れることだろう。それから俺は狂ったように言い張るんだ、ここが現実だ、って。
そんなことを思いながら、俺は感涙しそうなほど美味い納豆がけご飯を頬張った。
昼の十二時。俺はまた記憶探しの旅に出ようと、部屋から出ようとした時だった。
彼女の声が上ずるのが分かった。
「これが……俺の名前……?」
「そうだよ! 身体は覚えてたんだよ! だからこうやって無意識に書けたんじゃない?」
確かに、筋の通る話だと思った。自分の名前だけは、一生をともに付き合うことになる名詞だからだ。
「というか、私、まだ名乗ってなかったよね」
彼女は俺に微笑みながら、
「私は野田愛奈。改めて、よろしく」
と言った。そして、変かな、と彼女はまた笑ってみせた。
全然変なんかじゃない。
不安や心配で満ちた心が、彼女の笑顔で晴れていくようだった。
「良かったね、名前、思い出せて」
少し違う。何も思い出せない俺から、君自身が俺の名前を当てたのだ。実際、君に言われなかったら俺は、字を書くことすら試していなかっただろう。
「まあ、これが名前だって確証は無いけどね。でも、きっとそうだよ。私は信じてみる」
「あ、ありがとう……」
俯いて返事をした。彼女の顔をまともに見ることが出来なくなっていた。絶望の底から救ってくれた女神。本当に、そうとしか思えない。
胸が締め付けられる感じがした。
食事を終え、食器と鍋をすぐそばの流し台へ片付けると、またテーブルを囲んで座った。
「これから記憶が戻るまで、ここに居ていいよ」
「えっ」
思わず顔を上げたが、彼女の顔が眩しくて見えない。
「話してみても悪い人じゃなさそうだし。私は別にいいよ。どうする?」
部屋を見渡す。さっき見た寝室が、どこかの富豪が住むような高級な部屋のように見えた。
ココニ、イル? コノヒトト?
「……大丈夫?」
俺はショートしたロボットのように固まっていた。
それから俺は愛奈さんの部屋に居候させていただくことになった。自分の記憶が戻るまで、が期限だったので、俺は複雑な気持ちになった。
記憶が戻れば終わり。戻らなければずっとここに……。
いや、失礼だ。愛奈さんは俺の力になるためにやっているんだ。ちゃんと記憶を取り戻さなければ、示しがつかない。漢じゃない。
その日、そんなことを考えながら、俺は押し入れの中で眠りについた。
次の日、午前十一時に起床した。愛奈さんは部屋には居なかった。昨日、一緒にご飯を食べたテーブルの上に、置き手紙があるのに気付いた。
「仕事に行ってきます。ご飯温めて食べて。地味でごめん」
その横に、ラップに包まれたご飯の茶碗と、納豆のパックとおぼしき物が並んでいる。
地味……か。
俺は流し台の横の電子レンジで、ご飯を温めた。無言のまま、そのご飯が回っているのをただただ眺める。特に何も考えずにいた。部屋に響く電子レンジの稼働音や、外から聴こえる車の音に耳を傾けていた。
やっぱり、現実だ。
俺はまだ心のどこかで、これが夢であることを期待していた。それならまだ、女神が出てきた夢、で許せるような気がした。でも、このままここでの生活を続けて、ここを現実だと認めるようになって、真面目に暮らして……その後に、本当は違った世界だと分かったら……?
多分、俺は耐えられない。人の情に侵された心が、一瞬にしてバラバラに崩れることだろう。それから俺は狂ったように言い張るんだ、ここが現実だ、って。
そんなことを思いながら、俺は感涙しそうなほど美味い納豆がけご飯を頬張った。
昼の十二時。俺はまた記憶探しの旅に出ようと、部屋から出ようとした時だった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
学園ミステリ~桐木純架
よなぷー
ミステリー
・絶世の美貌で探偵を自称する高校生、桐木純架。しかし彼は重度の奇行癖の持ち主だった! 相棒・朱雀楼路は彼に振り回されつつ毎日を過ごす。
そんな二人の前に立ち塞がる数々の謎。
血の涙を流す肖像画、何者かに折られるチョーク、喫茶店で奇怪な行動を示す老人……。
新感覚学園ミステリ風コメディ、ここに開幕。
『小説家になろう』でも公開されています――が、検索除外設定です。
友よ、お前は何故死んだのか?
河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」
幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。
だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。
それは洋壱の死の報せであった。
朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。
悲しみの最中、朝倉から提案をされる。
──それは、捜査協力の要請。
ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。
──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?
眼異探偵
知人さん
ミステリー
両目で色が違うオッドアイの名探偵が
眼に備わっている特殊な能力を使って
親友を救うために難事件を
解決していく物語。
だが、1番の難事件である助手の謎を
解決しようとするが、助手の運命は...
誰何の夢から覚める時
多摩翔子
ミステリー
「隠し事のある探偵」×「記憶喪失の喫茶店マスター」×「忘れられた怪異の少女」による、"美珠町の怪異"に迫るホラー・ミステリー!
舞台はC部N県美珠町は人口一万人程度の田舎町
僕こと"すいか"は”静寂潮”という探偵に山の中で倒れているところを助けられた。
自分が”喫茶まほろば”のマスターだったこと、名前が”すいか”であること、コーヒーは水色のマグに入れること……と次々と脳内で少女の声が響き、”認識”が与えられるが、それを知るまでの”記憶”が抜け落ちていた。
部屋に残された「記憶を食べる代わりに願いを叶える怪異、みたま様」のスクラップブックを見つけてしまう。
現状を掴めないまま眠りにつくと、夢の中で「自分そっくりの顔を持つ天使の少女、みたま様」に出会い……
「あなたが記憶を思い出せないのは、この世界で”みたま様”が忘れられてしまったから」
忘れられた怪異の行方を追うため、すいかは喫茶オーナー兼駆け出し探偵助手となり、探偵静寂潮と共に、この町に隠された謎と、自分の記憶に隠された秘密を暴くため動き出す。
___例え、その先にどんな真実があろうとも
◇◇◇
こちらの作品は書き手がBLを好んでいるためそういった表現は意識していませんが、一部BLのように受け取れる可能性があります。
舞姫【後編】
友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。
三人の運命を変えた過去の事故と事件。
彼らには思いもかけない縁(えにし)があった。
巨大財閥を起点とする親と子の遺恨が幾多の歯車となる。
誰が幸せを掴むのか。
•剣崎星児
29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。
•兵藤保
28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。
•津田みちる
20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われ、ストリップダンサーとなる。
•桑名麗子
保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。
•津田(郡司)武
星児と保の故郷を残忍な形で消した男。星児と保は復讐の為に追う。
「鏡像のイデア」 難解な推理小説
葉羽
ミステリー
豪邸に一人暮らしする天才高校生、神藤葉羽(しんどう はね)。幼馴染の望月彩由美との平穏な日常は、一枚の奇妙な鏡によって破られる。鏡に映る自分は、確かに自分自身なのに、どこか異質な存在感を放っていた。やがて葉羽は、鏡像と現実が融合する禁断の現象、「鏡像融合」に巻き込まれていく。時を同じくして街では異形の存在が目撃され、空間に歪みが生じ始める。鏡像、異次元、そして幼馴染の少女。複雑に絡み合う謎を解き明かそうとする葉羽の前に、想像を絶する恐怖が待ち受けていた。
ファクト ~真実~
華ノ月
ミステリー
主人公、水無月 奏(みなづき かなで)はひょんな事件から警察の特殊捜査官に任命される。
そして、同じ特殊捜査班である、透(とおる)、紅蓮(ぐれん)、槙(しん)、そして、室長の冴子(さえこ)と共に、事件の「真実」を暴き出す。
その事件がなぜ起こったのか?
本当の「悪」は誰なのか?
そして、その事件と別で最終章に繋がるある真実……。
こちらは全部で第七章で構成されています。第七章が最終章となりますので、どうぞ、最後までお読みいただけると嬉しいです!
よろしくお願いいたしますm(__)m
夜人形は闇に笑う
秋月 忍
ミステリー
隣国プラームド帝国の親善使節を招いた夜会の警備をしていたラスは、不審人物を発見する。
それは、強い魔力物質で暗示をかけられた『夜人形』であった。
夜人形に暗示をかけ刺客をつくりだすのは、誰か。
そして、『夜人形』を作るための魔力物質を作る製法を記した『夜人形の書』はどこにあるのか。
ラセイトス警察のラスと相棒のディックは、謎を追い始める。
※なろうからの転載です。カクヨムにも連載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる