27 / 27
第一章 家庭教師と怪力貴公子
【一章完結記念・番外SS】困った王子さま
しおりを挟む
***フォルテさま8歳、サフィアと出会ってすぐの話***
「困った王子さまですね」
よく晴れた日の離宮の庭。泥で汚れたシーツを手に、ため息まじりにつぶやいたのは、おれの家庭教師とかいうやつだ。
ラウィニアっていう世話焼き貴族が押しつけてきた自慢の息子。
……まだよく知らねえけど、ひょろひょろしてて女みたいに髪を伸ばしてる、きれいな顔の男だ。
「おれ王子じゃないよ。庶子ってやつなんだって」
そう教えてやったら、サフィアは悲しそうな顔をした。なんでこいつが傷ついた顔するんだよ。意味わかんない。
サフィアはわざわざ屈んで、おれと目の位置を合わせた。
──怒られる。
そう思って、体にぴりっと緊張が走った。だけど……。
「今度から気をつけてくださいね」
目を見つめて注意し、頭ごなしに怒ったりはしなかった。
「……怒んねえの?」
「思いっきり遊ぶのは、フォルテさまのお仕事みたいなものでしょう」
思ってた反応とちがう。もっとキーキー喚いたり、泣いたりするかと思った。
こいつが泣きべそ浮かべたらどんなふうになるんだろう、って、すごく興味あったんだけどな。
サフィアはシーツに目を落として、「見事に泥だらけですねえ……どうしましょうか」と困ったように首を傾げた。
「お洗濯の人、まだいるかなぁ……今から洗い直したとして、夜までに乾くといいんですけど」
泥でつくったかたまりを遠くまで投げる遊びをしてたら、サフィアのベッドシーツに思いっきりぶつけてしまったのだ。白いシーツがどろどろの泥まみれだ。
洗濯物を干してる場所で汚れるような遊びをしてたのは、わざとだった。これはおれの作戦なのだ。
シーツを汚しちゃえばサフィアは、おれといっしょに寝てくれんじゃないのかな、って。
シーツを見つめたまま、しょっぱい顔をして悩んでいるサフィアの袖を、なあなあと引いた。
不思議そうにおれに目を移したサフィアに、「えへん」と咳払いして胸を張った。
「今夜は、おれといっしょに寝ていいぞ」
せいいっぱい、威厳のある態度を見せつけてやる。
「……では、そうさせてもらいましょうか」
サフィアは長いまつ毛に囲まれた目をぱちぱち瞬きさせると、長いきれいな髪を揺らして優しく笑った。
夜になって、おれはサフィアを迎えにいった。
「おい。そろそろ寝るぞ」
「はーい」
書物机に向かっていたサフィアの服の袖をつかんで、ずるずるとおれの部屋まで引っ張っていく。
「ランプ消しますよ。もうお布団は掛けましたか?」
「うん。サフィも早くこいよ」
「では遠慮なく」
もそもそとベッドにもぐりこんできたけど、「遠慮なく」なんて言ったくせに遠慮して、ベッドの端っこで体を丸めている。
「もっと近くにこいよ」
「フォルテさまを潰しちゃうかもしれませんよ」
「おまえみたいなやつにおれを潰せるわけないから」
「ええー……でも、ほんとに……」
「おれがいいって言ってんのに」
むっとして拗ねたように言い捨てると、まだ少し迷ってたみたいだったが、ぎしぎしとベッドを軋ませて距離を詰めてきた。
「……窮屈ではないですか?」
「へーき」
ごろりと横を向いて、サフィアの腕にくっ付いた。胸元からせっけんみたいな、いい匂いがする。
サフィアは固まったように動かずにいたけど、少ししてから、おれがくっ付いたのとは反対側の手で頭を撫ではじめた。さらさらと、優しく髪を指で梳いてくれる。
なんだか照れくさくて、おれはぐりぐりとおでこをサフィの腕に押し付けた。
ふふっ、と微かに笑った声がする。
母ちゃんがいたら、こんな感じなのかな……。
おれは母親の匂いを覚えていない。匂いどころか顔すらも、ほとんどなにも記憶がない。
ただなんとなく覚えてるのは、臭くて狭いところで暮らしてたら、いきなり偉そうなやつらがやってきて、おれを王宮に連れて行ったことだけ。
おとなってのは嘘つきばかりだ。
とくにひどかったのは王宮。あそこにいるやつらは顔は笑ってるけど、腹のなかじゃ意地悪でクソみたいなことばっかり考えて、他人をバカにして暮らしてる。
「七番目の王子さま」ってにやにや笑いながら媚びてくるくせに、おれから隠れると「馬小屋から拾ってきたんだろ」とか言ってる。
だけど、こいつ……サフィアってやつは、どこかちがう気がした。
「ねえ、フォルテさま」
「おれもう寝たから」
サフィアの腕にほっぺをすりよせながら言った。
「起きてるじゃないですか」
呆れたような声が、すぐ近くから響いてくる。
「いいから聞いてください。あんな悪戯しなくても、僕はいつだって、フォルテさまが呼べば一緒に寝ます。さびしいときや、眠れないとき、誰かと話がしたいとき……いろいろありますからね」
あんないたずら、って。くそ、バレてたのか。おれがわざと泥だんごを投げたこと。
「だから、いつでも言ってください。ね?」
「……ほんと?」
「本当です」
「ほんとにほんとだな?」
「はい。フォルテさまに嘘はつきません」
******
それから十年後。
「って言ってたのに、精通が来たら『もう一緒に寝ません、ダメですー』って拒否られて、俺すげーショックだったんだからな!」
午後のお茶の時間。紅茶を美味しそうに啜るサフィに、俺は積年のモヤモヤをぶつけた。
「わかってんのか?」と訊くと、彼はなんだか嬉しそうに頬をゆるめて、ふふふと可笑しそうに笑った。
「困った王子さまですね」
よく晴れた日の離宮の庭。泥で汚れたシーツを手に、ため息まじりにつぶやいたのは、おれの家庭教師とかいうやつだ。
ラウィニアっていう世話焼き貴族が押しつけてきた自慢の息子。
……まだよく知らねえけど、ひょろひょろしてて女みたいに髪を伸ばしてる、きれいな顔の男だ。
「おれ王子じゃないよ。庶子ってやつなんだって」
そう教えてやったら、サフィアは悲しそうな顔をした。なんでこいつが傷ついた顔するんだよ。意味わかんない。
サフィアはわざわざ屈んで、おれと目の位置を合わせた。
──怒られる。
そう思って、体にぴりっと緊張が走った。だけど……。
「今度から気をつけてくださいね」
目を見つめて注意し、頭ごなしに怒ったりはしなかった。
「……怒んねえの?」
「思いっきり遊ぶのは、フォルテさまのお仕事みたいなものでしょう」
思ってた反応とちがう。もっとキーキー喚いたり、泣いたりするかと思った。
こいつが泣きべそ浮かべたらどんなふうになるんだろう、って、すごく興味あったんだけどな。
サフィアはシーツに目を落として、「見事に泥だらけですねえ……どうしましょうか」と困ったように首を傾げた。
「お洗濯の人、まだいるかなぁ……今から洗い直したとして、夜までに乾くといいんですけど」
泥でつくったかたまりを遠くまで投げる遊びをしてたら、サフィアのベッドシーツに思いっきりぶつけてしまったのだ。白いシーツがどろどろの泥まみれだ。
洗濯物を干してる場所で汚れるような遊びをしてたのは、わざとだった。これはおれの作戦なのだ。
シーツを汚しちゃえばサフィアは、おれといっしょに寝てくれんじゃないのかな、って。
シーツを見つめたまま、しょっぱい顔をして悩んでいるサフィアの袖を、なあなあと引いた。
不思議そうにおれに目を移したサフィアに、「えへん」と咳払いして胸を張った。
「今夜は、おれといっしょに寝ていいぞ」
せいいっぱい、威厳のある態度を見せつけてやる。
「……では、そうさせてもらいましょうか」
サフィアは長いまつ毛に囲まれた目をぱちぱち瞬きさせると、長いきれいな髪を揺らして優しく笑った。
夜になって、おれはサフィアを迎えにいった。
「おい。そろそろ寝るぞ」
「はーい」
書物机に向かっていたサフィアの服の袖をつかんで、ずるずるとおれの部屋まで引っ張っていく。
「ランプ消しますよ。もうお布団は掛けましたか?」
「うん。サフィも早くこいよ」
「では遠慮なく」
もそもそとベッドにもぐりこんできたけど、「遠慮なく」なんて言ったくせに遠慮して、ベッドの端っこで体を丸めている。
「もっと近くにこいよ」
「フォルテさまを潰しちゃうかもしれませんよ」
「おまえみたいなやつにおれを潰せるわけないから」
「ええー……でも、ほんとに……」
「おれがいいって言ってんのに」
むっとして拗ねたように言い捨てると、まだ少し迷ってたみたいだったが、ぎしぎしとベッドを軋ませて距離を詰めてきた。
「……窮屈ではないですか?」
「へーき」
ごろりと横を向いて、サフィアの腕にくっ付いた。胸元からせっけんみたいな、いい匂いがする。
サフィアは固まったように動かずにいたけど、少ししてから、おれがくっ付いたのとは反対側の手で頭を撫ではじめた。さらさらと、優しく髪を指で梳いてくれる。
なんだか照れくさくて、おれはぐりぐりとおでこをサフィの腕に押し付けた。
ふふっ、と微かに笑った声がする。
母ちゃんがいたら、こんな感じなのかな……。
おれは母親の匂いを覚えていない。匂いどころか顔すらも、ほとんどなにも記憶がない。
ただなんとなく覚えてるのは、臭くて狭いところで暮らしてたら、いきなり偉そうなやつらがやってきて、おれを王宮に連れて行ったことだけ。
おとなってのは嘘つきばかりだ。
とくにひどかったのは王宮。あそこにいるやつらは顔は笑ってるけど、腹のなかじゃ意地悪でクソみたいなことばっかり考えて、他人をバカにして暮らしてる。
「七番目の王子さま」ってにやにや笑いながら媚びてくるくせに、おれから隠れると「馬小屋から拾ってきたんだろ」とか言ってる。
だけど、こいつ……サフィアってやつは、どこかちがう気がした。
「ねえ、フォルテさま」
「おれもう寝たから」
サフィアの腕にほっぺをすりよせながら言った。
「起きてるじゃないですか」
呆れたような声が、すぐ近くから響いてくる。
「いいから聞いてください。あんな悪戯しなくても、僕はいつだって、フォルテさまが呼べば一緒に寝ます。さびしいときや、眠れないとき、誰かと話がしたいとき……いろいろありますからね」
あんないたずら、って。くそ、バレてたのか。おれがわざと泥だんごを投げたこと。
「だから、いつでも言ってください。ね?」
「……ほんと?」
「本当です」
「ほんとにほんとだな?」
「はい。フォルテさまに嘘はつきません」
******
それから十年後。
「って言ってたのに、精通が来たら『もう一緒に寝ません、ダメですー』って拒否られて、俺すげーショックだったんだからな!」
午後のお茶の時間。紅茶を美味しそうに啜るサフィに、俺は積年のモヤモヤをぶつけた。
「わかってんのか?」と訊くと、彼はなんだか嬉しそうに頬をゆるめて、ふふふと可笑しそうに笑った。
21
お気に入りに追加
144
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
幸せの温度
本郷アキ
BL
※ラブ度高めです。直接的な表現もありますので、苦手な方はご注意ください。
まだ産まれたばかりの葉月を置いて、両親は天国の門を叩いた。
俺がしっかりしなきゃ──そう思っていた兄、睦月《むつき》17歳の前に表れたのは、両親の親友だという浅黄陽《あさぎよう》33歳。
陽は本当の家族のように接してくれるけれど、血の繋がりのない偽物の家族は終わりにしなければならない、だってずっと家族じゃいられないでしょ? そんなのただの言い訳。
俺にあんまり触らないで。
俺の気持ちに気付かないで。
……陽の手で触れられるとおかしくなってしまうから。
俺のこと好きでもないのに、どうしてあんなことをしたの? 少しずつ育っていった恋心は、告白前に失恋決定。
家事に育児に翻弄されながら、少しずつ家族の形が出来上がっていく。
そんな中、睦月をストーキングする男が現れて──!?

完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します

当て馬的ライバル役がメインヒーローに喰われる話
屑籠
BL
サルヴァラ王国の公爵家に生まれたギルバート・ロードウィーグ。
彼は、物語のそう、悪役というか、小悪党のような性格をしている。
そんな彼と、彼を溺愛する、物語のヒーローみたいにキラキラ輝いている平民、アルベルト・グラーツのお話。
さらっと読めるようなそんな感じの短編です。

フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
【完結】雨降らしは、腕の中。
N2O
BL
獣人の竜騎士 × 特殊な力を持つ青年
Special thanks
illustration by meadow(@into_ml79)
※素人作品、ご都合主義です。温かな目でご覧ください。

ド天然アルファの執着はちょっとおかしい
のは
BL
一嶌はそれまで、オメガに興味が持てなかった。彼らには托卵の習慣があり、いつでも男を探しているからだ。だが澄也と名乗るオメガに出会い一嶌は恋に落ちた。その瞬間から一嶌の暴走が始まる。
【アルファ→なんかエリート。ベータ→一般人。オメガ→男女問わず子供産む(この世界では産卵)くらいのゆるいオメガバースなので優しい気持ちで読んでください】

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。
みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。
生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。
何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる