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第一章 家庭教師と怪力貴公子
太陽と月、そして星
しおりを挟む第五王子ルキウス殿下は「王国の星」の異名を持っている。金の瞳だけでなく、淡いプラチナブロンドも含めて「星」のようだと讃えられるのだろう。
近くのテーブルに二人分のグラスを置き、軽く膝を折る。略式の礼だ。
ルキウス殿下は僕の存在に気付き、「楽にしていいですよ」と声をかけてくださった。星を織りこんだようなまばゆい髪がさらりと揺れる。
「あなたがサフィア殿ですね。弟……七番目の、教師を務めていらっしゃるとか?」
「は、はい」
戸惑いながら頷くと、白魚のような手が僕の顎に添えられた。うつむき気味だった顔を、くいと上向かされる。
「あなたのように美しい人には出会ったことがない。どうです、今宵は私と一曲踊りませんか?」
今夜の豪奢な夜会は、第五王子ルキウス殿下が海外遊学から帰還した祝いの場。けれどフォルテさまの手前、おいそれと返事はできない。
というか、どうして僕を誘うんだ。あなたの弟を構ってやれよ、と思う。貴人とのお付き合いって難しい。
顎にかかった手をそっと包み込み、わざとらしく眉を下げた。
「殿下、たいへん有難いお誘いですが、今宵はフォルテさまの社交界デビューでもありますので、近くにいてさしあげたいのです」
「では場を改めて後日、私とディナーは? あ、もちろん七番目は抜きで」
顔に険しい影を落としたフォルテさまが、僕からルキウス殿下を引き剥がした。
「おい、おかっぱチビ! 人のもん盗ろうとすんじゃねえ!」
「……おかっぱチビって私のことかい? 『王国の星』と謳われる私に向かって、おかっぱチビ? フォルテは良い度胸してるなぁ」
「おかっぱチビでちょうどいいだろうが!」
「フォルテさま、おやめください。すみませんルキウスさま、お許しを……」
「いいか? よーく聞け!」
興奮したフォルテさまが、唐突に僕の肩を抱いた。頬と頬がくっ付きそうになる。
「俺はサフィが大好きだし、サフィも俺が大好きなんだよ!」
「な、そうだろ?」と答えを促される。なにを言わせる気だと睨めば、拗ねたようなお顔になった。せっかくの凛々しい造形が形なしだ。
だけど、お小さいころからずっと、僕はこの顔に弱いのだ。仕方ないなあ、という気持ちでいっぱいになってしまう。
表情をふっと緩めて「……そうですね」と答えると、周囲からわっと歓声があがった。
「ほら見ろ、分かったか!? つまり俺たちは、相思相愛の仲なんだよ!」
フォルテさまが誇らしげに胸を張る。周囲のまなざしが、興味深げに僕たちに集まった。慌てたのは僕だ。
「あっ、あの、違うんです、冗談ですから! フォルテさま~っ、誤解を招く発言はしないでください!」
フォルテさまから離れようと肘鉄砲で押しやるが、微動だにしない。おとなしく話を聞いていたルキウス殿下も呆れ顔になる。
「ふーん。付け入る隙は、おおいにありそうじゃないか。今夜は楽しくなりそうだよ」
顎に手を当て、穏やかに笑った。その金色の目はどこか油断ならぬ色彩を孕んでいる。
「……だけど、少しは感謝されたかったな。流れる血が少し違うだけで遠ざけられていた君を、王宮に招いてあげたんだ。それにほら、みーんな君に興味がある。不遇の王子がおのれの才覚を頼りにのし上がろうとする姿を、一目見たいってね」
フォルテさまが剣呑な面持ちで、異母兄に歩み寄った。
「頼んでねえんだよ……! 俺は爵位にも出世にも興味ないし、王位継承権だって持っちゃいない。今さら可愛がって欲しいとも思わねえよ!」
フォルテさまは僕の傍から離れ、ぐいとルキウス殿下に迫る。息がかかるほどの距離まで顔を近づけた。
「あんたは王宮でぬくぬく暮らすのがお似合いだぜ、五番目の王子サマ」
ぴくりとルキウス殿下の眉が跳ね上がる。金の瞳を持つ者同士が睨み合う。
というか、一方的に睨んでいるのはフォルテさまだった。ルキウス殿下はやれやれと肩をすくめる。
「いじわる言わないでほしいな。今宵は陛下もおいでになるんだから」
「……は?」
フォルテさまの頬がひくりと動いた。
「だからなんだってんだ!」
「お父さまに会えるチャンスじゃないか。素直に喜んだら?」
そういってルキウス殿下は、感情の窺えない微笑みを浮かべた。
陛下は一度も離宮を訪れたことがない。
僕がフォルテさまと暮らしはじめてから、一度もだ。
王妃さまや他の王子の感情を汲んでいるのと、フォルテさまの母親がおそらく平民であるためだと思うのだが……本当に今夜、陛下は現れるのだろうか。
「せっかく親を知る機会に恵まれたんだ。楽しみにしておくといい」
「……腹違いの弟に施しすんのは、楽しいかよ?」
「そういうつもりじゃないけど、まあ否定はしないね」
フォルテさまは納得できない様子で異母兄を睨めつけている。
社交界で兄弟間の確執を深めないでほしい。お二人がせめて短い間でも兄弟らしい情を抱き合うようにならないものだろうか……。
僕はなにげなくテーブルに置いたグラスに目を移し、あれ? と違和感を覚えた。
蜂蜜色のドリンクに、わずかな赤みが混ざっている。フォルテさまのグラスだ。
グラスをテーブルに置いたのは僕だ。見間違えるはずがない。
(これ、なにか、妙なものが……?)
迂闊だった。社交界にはさまざまな罠があると聞いていたのに。
「飲まないで」と騒ぎ立てるのが得策だとは思えなかった。騒ぎを起こして注目を集めたいと思われたら、傷がつくのはフォルテさまのお名前だ。
ではどうする? どうするサフィア? わざとらしくグラスを落としてみる? だけど、怪しいグラスが他にもあったら……?
十分とは言えない時間で僕が下した判断は「飲むしかない」という愚直な一手だった。
間違えたふりをしてフォルテさまのグラスに手を伸ばし、ドリンクを一気に呷る。
杞憂ならばよし。問題は、そうでなかった場合だ。
ぐいと一息に飲み干して、口の端を手の甲で拭う。フォルテさまが困った顔で僕を見ていた。
「……それ、俺のグラスなんだけど」
「フォルテさま。あなたはしばらく、なにもしないでくださいね」
「はぁ? なんだよ急に」
フォルテさまが困惑している。
申し訳ないけど僕の懸念がはっきりするまでは、じっとしていてもらいたい。
考えたくはないけど、毒の可能性もある……浅慮だと責められても、フォルテさまが毒を飲むよりずっとましだ。こういうときに僕が役に立たなくてどうするんだ。
実際、口に含んだドリンクは、さっきまでとは異質な風味がした。たとえるなら、植物の根っこのような土臭さ。澱も残らず溶け切っているのを見ると、液状の薬を落としたのかも。だとしたら……。
混ぜ物をした犯人は──薬瓶を忍ばせているはず。
黙って推察を組み立てていたら、ぐらぐらと体が揺れはじめた。
薬物反応だ。胸元が熱くなって息苦しいし、口がカラカラに渇きだした。シャツの首のまわりに指を入れて襟元を緩めるが、効果はない。
フォルテさまが異変を察して、「おい、どうした?」と心配そうに僕の肩を支えた。
サフィ、サフィと呼ぶ声が心細そうに震えていく。ごめんなさい、心配をかけて……。
そのとき、背後でグラスの割れる音がして、「きゃっ」と短い悲鳴があがった。
グラスを落とした人物は、二つほどテーブルを挟んだ先にいる。フォルテさまをしつこく馬鹿にしていた青年貴族だ。
彼は目と口をぱっくりと開けて、僕たちの方を見ていた。
近くにいた女性が「なにするのよ、ドレスが濡れたじゃない!」と怒って詰め寄るが、彼の耳には入っていないらしく、動揺した顔で僕たちを眺めている。
「尻尾を、出しましたね……」
行儀が悪いとは思ったけれど、僕は震える手でそちらを指差した。だけど、手が震えて、思うように動かせない。
「彼は……くすり瓶を、持ってる……マン、マンド、ラ…………」
口がうまく回らない。体の奥から熱が噴き出して、鼓動がぐんぐん上がっていく。
僕らが話し込んでいる間、テーブルに置いた飲み物を顧みることは一度もなかった。薬物を混入させる隙は常にあった。ひょっとしたら薬を入れたのは青年貴族本人ではなく、他の協力者に頼んだのかもしれない。
だけど、あの動揺は彼の犯行を裏付けるはず。そこまで考えて、腹の中がかっと熱くなった。
息苦しさをやわらげたくてタイを外そうと首に手をかけ……そこで僕は、膝から崩れ落ちた。
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