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第一章 家庭教師と怪力貴公子
あなたのそばで眠らせて
しおりを挟む離宮に戻った翌朝、僕は起き上がれなかった。
頭痛・肩こり、筋肉痛がひどくて、とにかく怠い。体が重い。風邪と疲労が合体したみたいだ。
「すみません……体じゅう痛くて……」
「謝るなって。いーから、今日は一日寝てろ。俺がサフィの身の回りの世話をしてやるよ!」
フォルテさまが腰に手を当て、どーんと胸を張った。
率直に言うと、「えーなにそれ不安しかないんですけどー」って感じだし、あちこち破壊されそうで恐ろしい。でも、フォルテさまがとても優しい顔で見返してくる。……断れない。
こんな日があってもいいかな、と素直に甘えることにした。
全身筋肉痛の体は、ふかふかのお布団の誘惑に容易く屈した。
騎士団に捜査協力をした件や、昨夜のフォルテさまのご活躍。報告書にどう書くべきだろう。監視報告の義務について現在進行形で悩んでいるのも、体調不良を加速させる要因だ。
当然、騎士団からも王宮へ報告は上っているのだが、近くにいた僕がなにも報告を上げないのはマズい。
まったく。フォルテさまといると、心臓がいくつあっても足りないよ。
寝乱れた髪を手櫛で整えると、フォルテさまが僕の様子を窺いながら寝台に腰を下ろした。
「なんかしてほしいことある? つーか、病人の世話ってなにしたらいい?」
「僕は病人じゃないですよ」
「いいからいいから、なにか考えてみろって。なにしてほしい?」
期待に満ちたまなざしを向けてくる。
してほしいこと……と、しばし腕を組んで黙考した。
「……特にないですね」
そう結論を出したら「なんだよー!」といって頬を膨らませた。
「ま、いいや。サフィに訊くんじゃなくて、自分の仕事は自分で探さないとな」
フォルテさまはすっくと立ち上がり、「ちゃんと寝てるんだぞ」と言いおいて、部屋から出ていった。その背中を見送りながら、僕は胸がじ~んとした。「大人になったなあ…」と思う。
えらいですよフォルテさま! でも張り切りすぎないでくださいね!
しばらくして、コンコンと扉を叩かれる。
返事をすれば、フォルテさまがティーセットを載せた盆を抱えて持ってきた。寝台に手をついて身を起こす。
「……ここまで運んでくださったんですか?」
「いいって、いいって。まだ寝てろ」
熱々の湯をいれたサモワール。茶葉とジャム、数種類のクッキーがきれいに皿に並んでいた。
フォルテさまが料理長に相談して、紅茶には疲れに効くスパイスを調合させたらしい。これには感心してしまった。ありがたい気遣いだ。
やや豪快に注がれたお茶を受け取って、くんくんと鼻をうごかした。少し柑橘めいた香りがする。オレンジやレモンの皮も入れてくれたのか。
明るく爽やかな気分になって、お茶に口をつけた。
「いい匂い……美味しいです」
スパイスは、クローブにシナモン、あとなんだろう。定番のものだと思うけど……ナツメグかな?
宙をぼんやり眺めて考えていると、フォルテさまが「アニスも入ってる」と付け加えた。頭の中でも読んだのかと驚いていると、クッキーの皿をぐいと突き出される。
「なにか腹に入れておけば?」
皿を出しただけではよしとせず、「これなんてどうだ?」と、フォルテさまがクッキーを口まで運んでくれる。野いちごのジャムが載ったクッキーだ。まんまるな形だけど、ぐにゃっと少し歪んでいる。
「それは……フォルテさまがつくってくださったのですか?」
「おう。貴重だぞ。しかも一つ、新しいことが判った。俺は料理に向いていないらしい」
「あー……」
料理長をはじめ、調理場のみんなは大丈夫だろうか?
粉だらけになったり、あるいは、焦げついた厨房を思い浮かべる。設備が爆ぜてないといいなあ。元気になったら様子を見にいかねば。
「ほら、あーんしろ」
フォルテさまがわざわざ僕と目の位置を合わせて、「あーん」と重ねて言う。
向かい合って口を開けるのは、なんだか照れ臭い。もじもじしてしまう。
「お口開けないとイタズラすんぞ?」と可愛い顔をして脅すので、僕はしかたなく目を閉じて「あー…ん」と口を開いた。
舌の上に、そっと小さな菓子が乗った。神妙な気持ちで口を閉じる。ざくざくと噛んでしまうのが、もったいない。
「う、ん……甘い……」
優しい甘みが口いっぱいに広がった。体調が悪くても、甘いものを食べると笑顔になれるから不思議だ。口元を手で押さえながら伝えると、「そっか」と、照れくさそうに微笑んでくれた。
ティータイムからひと心地つき、窓から庭の様子を窺った。
秋は花だけでなく、実をつける植物も多い。
収穫しつつ、庭の冬支度も進めねばならず、庭仕事は格段に忙しくなる。庭師に投げてしまえばいいのだが、土いじりは僕の唯一の趣味のようなものだから、離宮でも積極的に取り組みたいのだ。
僕の視線を追って、フォルテさまも庭の様子に目を向ける。そして出し抜けに「あっ!」と大声をあげた。
「庭行ってくる!」
「え、なにを……」
静止する間も無く部屋を飛び出したかと思えば、少し経ってから薔薇の花をざくざく切って持ってきた。
「おまえの好きな薔薇だ!」
大きな花束のようにして花瓶に活ける。
そのボリュームを見て「こんなに切っちゃったのか…?」と震撼したが、「サフィが喜ぶかなって!」と言われたら受け取るしかない。
そのとき、気づいた。
「ひょっとして……素手で収穫されたのですか?」
「あ、うん。ちょっと棘で引っかいたかも」
「園芸用手袋があるのに……ああもう、こんなに怪我して……傷だらけじゃないですか! 僕を泣かせたいんですか?」
平気だというフォルテさまの手首をがっちり掴んで、引き出しを開け、軟膏を取り出した。どこが「ちょっと引っかいた」だ。袖を折り返した手首にまで、縦横無尽に、赤い引っかき傷が走っている。
自分で塗るからいいよとフォルテさまは拒否したが、適当にすませそうなので、僕が塗りますと強く主張した。荒れた手に、薬をなるべく優しく擦り込んでいく。
フォルテさまは眉を寄せ、頬を赤くして黙っている。僕と目が合うや否や、口をへの字に曲げて、ぷいと横を向いた。
ご機嫌斜めである。
教師だから小言めいたことも癖のように口にするけど、頑張ってくれたのは、ちゃんと伝わっている。薔薇のお礼、まだ言っていなかったな、と思い至って、フォルテさまのお顔を見上げた。まだむっつりと押し黙ったままだ。
「薔薇を見て元気が出ました。ありがとうございます」
「……どういたしまして」
軟膏を塗った手を握って微笑むと、フォルテさまも小さく頷いてくれた。
ふっと目を覚ましたら、もう夕方だった。寝ていただけなのに、一日が早い。淡い夕日がカーテン越しに漏れてくる。
視線を寝台のすぐ隣にずらすと、フォルテさまが小さな椅子に腰かけて本を読んでいらした。僕の覚醒に気づいたらしい。ぱちりと視線が合うと、優しく微笑んだ。
「起きたのか」
「……どう、されたのです?」
「サフィの近くにいたかったから」
「すみません……病気でもないのに」
「謝るなって。休暇だと思えよ」
身を起こそうとすると、背を支えてくれる。
「そうだ。いいもの持ってきたぞ」
「いいもの? ……毛虫とかじゃないですよね?」
「あのな、ガキじゃないんだから。でも、特別に触らせてやる」
見せてくれたのは、サイドテーブルに置かれた小さな木の箱だ。フォルテさまの宝物……? 初めて見る。
小箱の正体はオルゴールらしく、飴色をした寄せ木細工の蓋を開けると、金属でできた円筒が仕舞われていた。
「わあ、きれいですね……」
「離宮に連れてこられたころ、国王が贈ってくれたらしい」
俺は覚えてないんだがな、と、つぶやいた声は、少し低かった。
そういえば、僕がフォルテさまと出会うより前の話は、ほとんどお聞きしたことがない。「あのねあのね」と、自分の話を積極的にするようなお子さまではなかったからだ。
僕から箱を取り上げると、一度蓋を閉め、箱の底にある銀のネジを巻き、もう一度、蓋を開いた。
フォルテさまの手の中で、オルゴールがきらきらとした音色を奏ではじめる。さびしげだけど、力強い。円筒の突起が弾かれるたび、音の粒がちかちかと瞬くようだ。
この箱は、会ってはやれない子供を思って、陛下がつくったのだろうか。フォルテさまはこの箱を開けるたび、なにを思ったんだろう。
ふたたび毛布にくるまると、額にフォルテさまの手が乗った。フォルテさまの匂いだ。
いつか僕がお役御免になって離宮から出ていっても、フォルテさまとの思い出だけで余生を過ごせると思う。きっとそれは、今日みたいな、優しくてあったかい思い出ばかりだろうな。
いつの間にか、浅い眠りに引き込まれていた。
フォルテさまが僕の枕元に口を寄せる。
「俺、ずっとサフィの傍にいる。そんで、ぜったい良い男になる。すぐサフィに追いついてみせるよ」
ずいぶん嬉しいことを言ってくれる。
フォルテさまは今でも十分ご立派です。もっといっぱい褒めてあげたい。でも褒めたら図に乗っちゃいそうだから小出しにします。
「……サフィ。寝たのか?」
昔は同じ寝台で眠った時期もあったっけ。なんだか、あのころに戻ったみたいだ。
夢でもいいな。こんな夢なら、ときどき見たい。
「大好きだよ、サフィ」
鼓膜を揺らす微かな声は、子守唄のように素直で優しくて、クッキーみたいに甘かった。
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