怪力貴公子にハートを脅かされています

温風

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第一章 家庭教師と怪力貴公子

媚薬の運び屋

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 僕とアラン兄は、娼館を出て約束した場所へ向かった。そこには、紳士然とした格好のフォルテさまとルネ兄が待っていた。

 ルネ兄は落ち着いた雰囲気の老紳士に扮している。
 髪はロマンスグレーに染め、オールバックに流す。太い縁の眼鏡をかけてステッキをつき、鼻の下には付け髭まで添えていた。
 黙っていればルネ兄とは分からない。見事な変わりようだ。
 ルネ兄は女装済みのアラン兄に腕を差し出し、アラン兄さまはレースの手袋に包んだ手をそっと絡めた。
 二人とも変装することに躊躇がないし、意外と演技力がある。

 一方のフォルテさまは、モノトーンでまとめたシックな装いだ。
 上質な生地のジャケットは襟が高く、腰を細く絞った流行の形をしている。実年齢よりもぐんと大人っぽく見え、元々の凛々しいお顔立ちと合わせて、若くて男前な貴族にしか見えない。
 普段の野生児っぽさも、うまく包み隠されている。
 赤い髪には少しアイロンを当てたのか、ゆるやかに波打っており、それがまた貴公子らしくて華やかだ。

 思わず見惚れていたら、フォルテさまが口を開けた。僕を見て、おどけるように左右の眉毛を持ち上げる。

「なにも言わないでください。フォルテさまのおっしゃりたいことは、だいたい見当がつきます」
「サフィ、すごく似合ってる……」
「嬉しくないんですよ!」

 ただでさえ頬紅をはたかれているのに、さらに頬が熱くなる。
 私服で持ち場についた騎士団のメンバー数人も、僕とアラン兄の女装姿に反応して、ちらちらと視線を寄越してくる。
「うわぁ…」みたいな好奇のまなざしを向けられて、ちょっと泣きたくなってきた。

「こんなのおかしくないですか? 根本的に間違ってませんかっ?」
「怒るなって。似合ってるんだし、いいじゃん」
「似合う似合わないの問題ではありません!」
「はいはい。それより、今夜は絶対、俺の傍から離れるんじゃねえぞ」

 フォルテさまが思いのほか神妙な顔で言う。
 野性の勘で何事かを察知したのだろうか。僕もこくりと頷きを返し、そっと手を添えた。

 これから僕たちは、アブない媚薬売り場に潜入するのだ。




 売り場はいかにも怪しげな仮設テントだった。
 ここは一夜のロマンスを楽しむ人々が集う公園。【あなたも至上の愛を体験してみませんか?】と書かれた幟が夜風に揺れている。
 こんな場所に夜な夜なやってくる人たちは、はじめからアブノーマルな刺激を求めているような気がする。会計は先払い方式らしいと聞いて、胡散臭さがさらに増した。

「……四人分だ」
「旦那ぁ、今夜は大盤振る舞いですねえ」

 受付の男はこちらを舐めるように一瞥すると、やに下がったように目を細めた。
 僕たちは二組の夫婦。今夜は四人で楽しみたいと思っている。そういう設定だ。

「愛の形は人それぞれ。さあ、どうぞ。めくるめく、愛の旅への切符でございます……」

 クスリを受け取るには、別途指示された場所へ移動しなくてはならない。テントを見張る人員をそこへ残し、僕とフォルテさま、ルネ兄とアラン兄は、受付で渡された地図を頼りに公園を出た。


 指定されたのは、等間隔に並木が植えられた大通り。王都の中でも高級店が立ち並ぶ区画だが、夜は人気がなくなり静かだ。馬車すら滅多に通らない。
 この区画は王都でも土地代が高く、普通の住宅が少ないのだ。それゆえクスリの受け渡し場所として選ばれたのだろう。
 まばらに立つガス灯の明かりが、ひそやかに周囲を照らしている。

 フォルテさまがクシュンと小さなくしゃみをして、鼻に皺を寄せた。収穫祭を終えた今の時期、王都にも冬の気配が日増しに濃くなっている。

「冷えてきましたね」
「なんか……獣くせえな」
「そうですか? そんな変な匂いしませんけど」
「いいや。おまえを狙う臭いがプンプンしてる」
「なに言ってんです。クスリをもらうだけじゃないですか」

 そのとき、並木の梢が不自然に揺れた。

「来たぞ!」

 こつん、と肩になにかが当たった。毛むくじゃらの、むくむくとした腕が並木の上からぶら下がり、僕になにかを突き出した。
 かなり大柄な獣だ。尖った白い爪に、小さな包みの紐を引っかけている。

「ひっ……!」

 全貌の窺えない獣の手が、媚薬入りの包みを僕の足元にぽとりと落とした。これでお役御免とばかりに手が引っ込み、また梢が揺れる。
 謎の獣は、並木から並木へ飛び移って移動しているようだった。

「──あれを追いかけろ! アジトまで行き着くはずだ!」

 兄さまやフォルテさまが騒ぎ立てると、それは最初、動きを止めて地上を見下ろした。
 夜風に揺れる黒褐色の豊かな体毛に、ふさふさとした尻尾。獣の輪郭が月の光を浴びて発光する。

 …………ぶるるるる!

 僕らに向かって歯を剥き出し、唸った。追いかけようとする僕らを威嚇しているのだ。

「あれって子熊じゃねえか!?」

 フォルテさまが嬉しそうに叫んだ。ちょっと前まで、熊と喧嘩がしたいと言っていたことを思い出す。
 たしかにその獣は小型の熊に見えなくもなかったが──。

「いえ、あれは……クズリです」

 クズリ。別名ウルヴァリン。
 巨大な体躯を持つイタチの仲間だ。性質も獰猛で、自分より大型の生物にも容赦なく襲いかかる。

「でも変だ……あれは王都近郊にいるような動物じゃない。もっと北、雪深い地方の生き物ですよ」
「ていうか完全に見た目は熊だな。こいつも蛇が嫌いだったりする?」
「わ、分からないです」

 王都の気候は、立派な毛皮を持つクズリが住むには暑すぎる。

「……王都のある平原まで、連れてこられたのかも」
「なーるほど。珍獣なら、貴族がペットにしそうだな」
「ありえますね。ですが、あの獣は野性が強い。到底、人に懐くとは思えません」
「ふーん。じゃあ、操られている……とか?」
「その可能性は高いと思います。たとえば……薬物を投与されているとか」
「……許せねえ」

 まだ可能性の話でしかないが、フォルテさまが怒りに燃える。
 けれど、当のクズリは僕たちに関心をなくしたのか、ふたたび移動を開始した。

「あれを追うぞ!」
「サフィたちは騎士団へ戻れ!」

 ルネ兄とアラン兄二人で追跡するつもりらしい。

「おいおい、冗談だろ? 最後までみっちり付き合うぜっ!」

 フォルテさまに腕を引かれるようにして、僕も走り出した。慣れない女物の靴で、爪先や踵が剥けそうだ。
 しかしすぐに並木道は終わり、クズリの姿も見えなくなってしまった。嗅覚の強い犬でも連れてこない限り、追跡は不可能に思えた。

「どこだ、どこへ行った!?」

 そのとき、誰かの悲鳴が鼓膜を切り裂くように響いた。

「──あっちだ!」

 悲鳴の聞こえた方へ向かえば、路地に女性が倒れていた。
 食堂で働いている人のようで、年季の入ったエプロンを身につけている。どうやら転んで足を挫いたらしい。
 フォルテさまが駆け寄り、女性を抱き起こした。

「平気か?」
「だ、大丈夫です……」

 助け起こされた女性は、フォルテさまを見て一瞬目を見開き、頬を上気させた。
 彼女が胸の前で組んだ手は、フォルテさまを拝んでいるように見える。「お嬢さん、あなたのその気持ち分かる~」と首が勝手に頷いてしまった。

「でかい獣が走っていっただろ? どっち行った?」
「あ、屋根に登って、あっちのほうへ……」

 女性は屋根を指差した。

「上だな。……あんた、今夜は早く店じまいしたほうがいいぜ。俺からの忠告だ」

 精悍な顔に笑みを浮かべ、ぱちりと片目を瞑る。
 フォルテさまに支えられながら、女性は夜目にも分かるほど顔を真っ赤にして、ふにゃふにゃと頷いた。

「今夜は気分がいいな! 思いっきり暴れられそうだ……!」

 肩を回しながら、フォルテさまがつぶやいた。そのお顔は常になく活き活きと輝いておられる。
 フォルテさま本来のお力を活かせる場所は、やはり騎士団なのかもしれない。

「──急いで止めないと、あの獣は十キロは平気で走り続けます」

 持久力のある獣をコントロールして使っているくらいだ。そこから推察するならば、おそらく媚薬密売組織のアジトは、この付近にはない。

「アジトも、ここから十キロは雛れた場所にあるんじゃないでしょうか?」
「聞いたか! 今から十キロ走だ! 俺たちなら走れるよなぁっ!」
「ちくしょーっ! やってやる!」

 アラン兄がカツラとハイヒール脱ぎ捨てた。びりっとスカートを引き裂く。

「上から探したほうが早いぜ!」

 フォルテさまが、家屋のそばの積み上がった木箱に足をかけた。

「サフィ、一緒に来い!」

 けれど、フォルテさまの手を取ることはできなかった。小さく、かぶりを振る。

「僕は行きません」

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