怪力貴公子にハートを脅かされています

温風

文字の大きさ
上 下
13 / 27
第一章 家庭教師と怪力貴公子

娼館と化粧

しおりを挟む


 凛とした目元。色っぽい、ふっくらとした唇。
 現れた女性は、賢さと色気を同居させた、実に魅力的な女性だった。しかも、アラン兄とはすでに知り合いらしい。

「あなたは……僕を、ご存知なのですか?」

 思わず身構えた僕に、女性は朗らかに笑いかけた。

「申し遅れました。わたくしはラウダ。本日は、あなたのお世話をさせていただきます」
「えっちょっ……お世話だなんてそんな……」
「そんなにお美しいのに、サフィアさまは初心なのですね」

 かぁぁっと、頬に火がついたように熱くなる。
 アラン兄は軽く腕を組み、女性に免疫のない弟を興味深そうに眺めている。

「同じ女でも、ウィステリア姉さんやマグノリア姉さんとは違うだろう?」
「まあ、失礼なことを。人は装う生き物ですわ。付ける仮面次第で、何者にもなれる」
「あ……たしかに。姉上たちも外面だけはよかった」
「アランさまったら、お姉さまたちにはずいぶん手厳しいんですのね」
「姉という生き物にとって弟は、おもちゃ同然だからな」

 二人の間の慣れ親しんだ空気は気になったが、ふと、心に引っかかったことを思い出した。ラウダさんは「噂に違わず麗しい」などと言っていたが、僕の話題など世間で出回ったりするんだろうか。

「ラウダさん。僕の噂って、どんなのですか?」
「あら、ラウダと呼び捨ててくださって構いませんよ」

 微笑むと、長いまつ毛の影が頬に落ちる。歌うようにラウダさんは続けた。

「公爵家の末の若君は、薔薇よりも星よりも美しい麗人。長い薄藤色の髪はどんな絹織物より輝かしいけれど、滅多に人前に姿を現わさない。控えめな月のようなお方であると」
「……作り話じゃないですか?」
「うふふ、どうでしょう。サフィアさまを拝んだ者は、若返るとも言われております」
「そうだな、『サフィに会えたら寿命が伸びる』って説なら、私も聞いたことがある」
「赤い獅子を手懐けた勝利の女神、なんてお話もありますわよ」

「……僕は珍獣扱いなんですね」というと、二人とも可笑そうに笑い転げた。
 遊ばれているだけな気がする。


「ラウダ。君は、媚薬や回春薬と聞いて、なにを思いつく?」
「そうですね……東南地方でしたら、キノコや種の多い果実が使われます。効果は薄いようですが。あとは……」

 ラウダさんは思考を巡らせるように何度か瞬きをする。

「……マンドラゴラにも、そういった効能があるとか」
「そうか。『エリクシー』という名に、心当たりはないか?」
「最近よく聞くようになりました。ですが……」

 言いにくい内容なのか、口ごもってしまった。

「なんでもいい。情報はあるか?」
「ひと月ほど前から、王国貴族の間で流行りはじめたようです。けれど、心の臓への負担が高いとか。成分までは分かりません」
「……そうか」

 アラン兄が難しい顔になった。

 二人のやりとりをしばらく見ていて気づいたが、ラウダさんはアラン兄の「耳」なのだ。こわばっていた体から、ちょっぴり力が抜ける。

「ところでアランさま。そろそろ、おめかしの時間ですわ」
「ああ、そうだな。よろしく頼む」

 ラウダさんとアラン兄が何事かを確認し合うように、頷き合った。アラン兄がこちらを向く。

「サフィ、おまえの出番だ」
「……え?」
「まず服を脱げ」

 昔から、嫌な予感ほど、よく当たるのだ。




「ちょちょちょ待って待って! おかしくないですか? なんで僕らが女装しなきゃいけないんです? そんな必要ないでしょ!? っていうか、どうして僕とアラン兄さま!?」
「客観的な意見を取り入れたらこうなった。まあ、あれだ、おまえの女装は……おそらく士気が上がる」
「そんな士気、なんの役にも立ちませんよ!!」

 ちなみにルネ兄とフォルテさまは除外されたらしい。フォルテさまは置いておくとして、ルネ兄は全体的にごつごつしているから、やむを得ない気はする。

 アラン兄さまは金髪のカツラをつけた。回春薬を求める熟女に見えるよう、けばけばしいメイクを施されていく。人毛でつくられたというカツラは、とても生々しい。
 ラウダさんは額に汗を浮かべつつ、僕たちのために腕をふるっている。しゅばばばと、次から次へ道具を取っ替え引っ替えして、顔になにかを塗りこんでいった。

「このラウダの手にかかって化けるのですよ! くじにでも当選したと思ってくださいまし! 性春の1ページでございます!」

 ラウダさんの美貌は今や修羅の形相に変わっている。ささっと筆を走らせたかと思えば、鷹のような目つきで、鏡に映った僕の顔を食い入るように確認した。
 おじけづく僕に、アラン兄が困ったように笑いかける。

「あのな。騎士団にもいたんだよ、男同士で買いに行こうとしたやつらが。そしたら門前払いされたらしい」
「それは……男性同士だからですか? そんなのおかしいでしょう。騎士は伴侶に男性を選ぶ方も多いのに」

 この国では同性婚ができる。けれど、男同士では子孫をつくれないからと、領地によっては男女の結婚より劣ると見做されることも多い。
 騎士であれば、同性との絆が強いことに対して世間の理解を得られる。しかし働き手を必要とする農村や商家では、同性同士で身を固める人を差別する傾向があるのだ。

「下っ端騎士の給金じゃ買えないから帰れ、と言われたそうだ」
「……は?」
「騎士の階級まで見抜くあたり、さすが売人だ。騎士にはエリクシーを売りたくないんだよ。客になるには変装しなくてはいけない。彼らが望む客……好色家の富裕層にな」
「……ん? 待ってください。だったらなにも、女装まですることないんじゃ? お金持ちっぽい服装をするだけで十分……」
「男だけで、ぞろぞろ出向いてみろ。相手の警戒心が増す。それよりも男女カップルのほうが疑われにくい。ルネとフォルテさまにもしっかり化けてもらうから」

 アラン兄は「見ものだぞ」と、いたずらっ子のように目配せした。



 顔から首におしろいをはたかれて、少し咽せる。南部に咲く花の香料がふわりと香った。
 フォルテさまが今の僕を見たら、なんて言うかな? きっと、ろくなこと言わないだろうな。鏡の中の自分を見つめながら「なるようになれ」と思った。

「……こちらのお店、高級娼館ですよね?」

 問いかければ、無言でにっこり返される。
 高級な人は、みずから高級だと名乗らないらしい。
 返事の代わりなのか、ラウダさんが豊かな胸を僕の肩に押し付けた。うわあと背を丸めて、逃げるように前屈みの姿勢になると、吐息で笑われる。
 やたらと跳ねる胸を押さえつけながら、フォルテさまがここにいなくてよかった、と心底安堵した。

「あの、たとえば……貴族男子への閨教育も、されたりとか……?」
「そういうことでしたら、この館には専門の者がおります。紹介いたしましょうか?」
「えっと……」

 僕の頭の中心を占めているのは、フォルテさまのことだ。
 フォルテさまは今のところ、女人をお側に寄せたことがない。屋敷で働く人々も、老年から若者まで、ほとんどが男性だ。だけど、これから先、女性に触れて学ぶことも重要かもしれない。

 お立場上、子孫をつくることは推奨されないとしても、女性とのあれこれを実地で経験しておくのは、大事なことのように思う。

「サフィ、その手のことはまず母上に相談しろ」
「あ、そうか、そうですよね」

 もっともなことを言われ、少しだけ安堵した。
 たしかに、これは僕ひとりで悩む内容ではない。

 ふと思い至って、アラン兄の耳にそっと口を寄せた。

「ひょっとして、兄さまもこちらで……学ばれたのですか?」

 鏡を見ていた兄さまの頬に、ぶわっと赤みがさした。虚を衝かれたようなお顔だ。僕が瞠目していると、アラン兄さまは「ンンッ!」と、少々わざとらしい咳払いをした。手でぱたぱたと顔を仰ぎ、困ったようにつぶやく。

「……我が弟ながら、私は時々、おまえが怖くなる」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

幸せの温度

本郷アキ
BL
※ラブ度高めです。直接的な表現もありますので、苦手な方はご注意ください。 まだ産まれたばかりの葉月を置いて、両親は天国の門を叩いた。 俺がしっかりしなきゃ──そう思っていた兄、睦月《むつき》17歳の前に表れたのは、両親の親友だという浅黄陽《あさぎよう》33歳。 陽は本当の家族のように接してくれるけれど、血の繋がりのない偽物の家族は終わりにしなければならない、だってずっと家族じゃいられないでしょ? そんなのただの言い訳。 俺にあんまり触らないで。 俺の気持ちに気付かないで。 ……陽の手で触れられるとおかしくなってしまうから。 俺のこと好きでもないのに、どうしてあんなことをしたの? 少しずつ育っていった恋心は、告白前に失恋決定。 家事に育児に翻弄されながら、少しずつ家族の形が出来上がっていく。 そんな中、睦月をストーキングする男が現れて──!?

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

当て馬的ライバル役がメインヒーローに喰われる話

屑籠
BL
 サルヴァラ王国の公爵家に生まれたギルバート・ロードウィーグ。  彼は、物語のそう、悪役というか、小悪党のような性格をしている。  そんな彼と、彼を溺愛する、物語のヒーローみたいにキラキラ輝いている平民、アルベルト・グラーツのお話。  さらっと読めるようなそんな感じの短編です。

ヤンキーDKの献身

ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。 ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。 性描写があるものには、タイトルに★をつけています。 行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

【完結】雨降らしは、腕の中。

N2O
BL
獣人の竜騎士 × 特殊な力を持つ青年 Special thanks illustration by meadow(@into_ml79) ※素人作品、ご都合主義です。温かな目でご覧ください。

ド天然アルファの執着はちょっとおかしい

のは
BL
一嶌はそれまで、オメガに興味が持てなかった。彼らには托卵の習慣があり、いつでも男を探しているからだ。だが澄也と名乗るオメガに出会い一嶌は恋に落ちた。その瞬間から一嶌の暴走が始まる。 【アルファ→なんかエリート。ベータ→一般人。オメガ→男女問わず子供産む(この世界では産卵)くらいのゆるいオメガバースなので優しい気持ちで読んでください】

処理中です...