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第一章 家庭教師と怪力貴公子
娼館と化粧
しおりを挟む凛とした目元。色っぽい、ふっくらとした唇。
現れた女性は、賢さと色気を同居させた、実に魅力的な女性だった。しかも、アラン兄とはすでに知り合いらしい。
「あなたは……僕を、ご存知なのですか?」
思わず身構えた僕に、女性は朗らかに笑いかけた。
「申し遅れました。わたくしはラウダ。本日は、あなたのお世話をさせていただきます」
「えっちょっ……お世話だなんてそんな……」
「そんなにお美しいのに、サフィアさまは初心なのですね」
かぁぁっと、頬に火がついたように熱くなる。
アラン兄は軽く腕を組み、女性に免疫のない弟を興味深そうに眺めている。
「同じ女でも、ウィステリア姉さんやマグノリア姉さんとは違うだろう?」
「まあ、失礼なことを。人は装う生き物ですわ。付ける仮面次第で、何者にもなれる」
「あ……たしかに。姉上たちも外面だけはよかった」
「アランさまったら、お姉さまたちにはずいぶん手厳しいんですのね」
「姉という生き物にとって弟は、おもちゃ同然だからな」
二人の間の慣れ親しんだ空気は気になったが、ふと、心に引っかかったことを思い出した。ラウダさんは「噂に違わず麗しい」などと言っていたが、僕の話題など世間で出回ったりするんだろうか。
「ラウダさん。僕の噂って、どんなのですか?」
「あら、ラウダと呼び捨ててくださって構いませんよ」
微笑むと、長いまつ毛の影が頬に落ちる。歌うようにラウダさんは続けた。
「公爵家の末の若君は、薔薇よりも星よりも美しい麗人。長い薄藤色の髪はどんな絹織物より輝かしいけれど、滅多に人前に姿を現わさない。控えめな月のようなお方であると」
「……作り話じゃないですか?」
「うふふ、どうでしょう。サフィアさまを拝んだ者は、若返るとも言われております」
「そうだな、『サフィに会えたら寿命が伸びる』って説なら、私も聞いたことがある」
「赤い獅子を手懐けた勝利の女神、なんてお話もありますわよ」
「……僕は珍獣扱いなんですね」というと、二人とも可笑そうに笑い転げた。
遊ばれているだけな気がする。
「ラウダ。君は、媚薬や回春薬と聞いて、なにを思いつく?」
「そうですね……東南地方でしたら、キノコや種の多い果実が使われます。効果は薄いようですが。あとは……」
ラウダさんは思考を巡らせるように何度か瞬きをする。
「……マンドラゴラにも、そういった効能があるとか」
「そうか。『エリクシー』という名に、心当たりはないか?」
「最近よく聞くようになりました。ですが……」
言いにくい内容なのか、口ごもってしまった。
「なんでもいい。情報はあるか?」
「ひと月ほど前から、王国貴族の間で流行りはじめたようです。けれど、心の臓への負担が高いとか。成分までは分かりません」
「……そうか」
アラン兄が難しい顔になった。
二人のやりとりをしばらく見ていて気づいたが、ラウダさんはアラン兄の「耳」なのだ。こわばっていた体から、ちょっぴり力が抜ける。
「ところでアランさま。そろそろ、おめかしの時間ですわ」
「ああ、そうだな。よろしく頼む」
ラウダさんとアラン兄が何事かを確認し合うように、頷き合った。アラン兄がこちらを向く。
「サフィ、おまえの出番だ」
「……え?」
「まず服を脱げ」
昔から、嫌な予感ほど、よく当たるのだ。
「ちょちょちょ待って待って! おかしくないですか? なんで僕らが女装しなきゃいけないんです? そんな必要ないでしょ!? っていうか、どうして僕とアラン兄さま!?」
「客観的な意見を取り入れたらこうなった。まあ、あれだ、おまえの女装は……おそらく士気が上がる」
「そんな士気、なんの役にも立ちませんよ!!」
ちなみにルネ兄とフォルテさまは除外されたらしい。フォルテさまは置いておくとして、ルネ兄は全体的にごつごつしているから、やむを得ない気はする。
アラン兄さまは金髪のカツラをつけた。回春薬を求める熟女に見えるよう、けばけばしいメイクを施されていく。人毛でつくられたというカツラは、とても生々しい。
ラウダさんは額に汗を浮かべつつ、僕たちのために腕をふるっている。しゅばばばと、次から次へ道具を取っ替え引っ替えして、顔になにかを塗りこんでいった。
「このラウダの手にかかって化けるのですよ! くじにでも当選したと思ってくださいまし! 性春の1ページでございます!」
ラウダさんの美貌は今や修羅の形相に変わっている。ささっと筆を走らせたかと思えば、鷹のような目つきで、鏡に映った僕の顔を食い入るように確認した。
おじけづく僕に、アラン兄が困ったように笑いかける。
「あのな。騎士団にもいたんだよ、男同士で買いに行こうとしたやつらが。そしたら門前払いされたらしい」
「それは……男性同士だからですか? そんなのおかしいでしょう。騎士は伴侶に男性を選ぶ方も多いのに」
この国では同性婚ができる。けれど、男同士では子孫をつくれないからと、領地によっては男女の結婚より劣ると見做されることも多い。
騎士であれば、同性との絆が強いことに対して世間の理解を得られる。しかし働き手を必要とする農村や商家では、同性同士で身を固める人を差別する傾向があるのだ。
「下っ端騎士の給金じゃ買えないから帰れ、と言われたそうだ」
「……は?」
「騎士の階級まで見抜くあたり、さすが売人だ。騎士にはエリクシーを売りたくないんだよ。客になるには変装しなくてはいけない。彼らが望む客……好色家の富裕層にな」
「……ん? 待ってください。だったらなにも、女装まですることないんじゃ? お金持ちっぽい服装をするだけで十分……」
「男だけで、ぞろぞろ出向いてみろ。相手の警戒心が増す。それよりも男女カップルのほうが疑われにくい。ルネとフォルテさまにもしっかり化けてもらうから」
アラン兄は「見ものだぞ」と、いたずらっ子のように目配せした。
顔から首におしろいをはたかれて、少し咽せる。南部に咲く花の香料がふわりと香った。
フォルテさまが今の僕を見たら、なんて言うかな? きっと、ろくなこと言わないだろうな。鏡の中の自分を見つめながら「なるようになれ」と思った。
「……こちらのお店、高級娼館ですよね?」
問いかければ、無言でにっこり返される。
高級な人は、みずから高級だと名乗らないらしい。
返事の代わりなのか、ラウダさんが豊かな胸を僕の肩に押し付けた。うわあと背を丸めて、逃げるように前屈みの姿勢になると、吐息で笑われる。
やたらと跳ねる胸を押さえつけながら、フォルテさまがここにいなくてよかった、と心底安堵した。
「あの、たとえば……貴族男子への閨教育も、されたりとか……?」
「そういうことでしたら、この館には専門の者がおります。紹介いたしましょうか?」
「えっと……」
僕の頭の中心を占めているのは、フォルテさまのことだ。
フォルテさまは今のところ、女人をお側に寄せたことがない。屋敷で働く人々も、老年から若者まで、ほとんどが男性だ。だけど、これから先、女性に触れて学ぶことも重要かもしれない。
お立場上、子孫をつくることは推奨されないとしても、女性とのあれこれを実地で経験しておくのは、大事なことのように思う。
「サフィ、その手のことはまず母上に相談しろ」
「あ、そうか、そうですよね」
もっともなことを言われ、少しだけ安堵した。
たしかに、これは僕ひとりで悩む内容ではない。
ふと思い至って、アラン兄の耳にそっと口を寄せた。
「ひょっとして、兄さまもこちらで……学ばれたのですか?」
鏡を見ていた兄さまの頬に、ぶわっと赤みがさした。虚を衝かれたようなお顔だ。僕が瞠目していると、アラン兄さまは「ンンッ!」と、少々わざとらしい咳払いをした。手でぱたぱたと顔を仰ぎ、困ったようにつぶやく。
「……我が弟ながら、私は時々、おまえが怖くなる」
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