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第一章 家庭教師と怪力貴公子
フォルテさま15歳、騎士団から勧誘される
しおりを挟む十三歳で虎を真っ二つに引き裂いたフォルテさまだったが、あれから何事もなく月日は流れ、無事十五歳を迎えられた。
シテール王国の成人年齢は十八だが、貴族の子弟の場合、十五で身の振り方を決める。十五は、大人の世界への第一歩を踏み出す年齢なのだ。
たとえば僕には双子の兄がいるけれど、二人とも十五で騎士団に入った。長兄のシリル兄が病にでも倒れぬ限りは、今もそのまま騎士を勤めているはずだ。
「さて。本日は森の知識について、おさらいしましょう。なぜ森の知識が必要になるのか、フォルテさまは分かりますか?」
「我が国シテール王国は、森と湖と草原の国だからでーす」
「そのとおり! 近ごろは人里まで熊が下りてくるといいます。物騒ですねえ~こわいですねえ~」
「ふーん……熊にケンカ売りに行こうかな」
「そしたら、もっと褒めてくれる?」と、フォルテさまが上目遣いで僕を見た。
可愛いとカッコイイが共存しておられて、「フォルテさま、あざとい! 史上最強!」と拍手したくなる。
が、僕は冷静沈着な家庭教師なので、そんなことはしない。
「こら。熊と戦うなんて、冗談でもそんなこと言うの、やめてください」
「でもさあ、なんかねえの? 熊の苦手なもの」
「……熊の弱点ですか。えーと、たしか……蛇のように、にょろにょろするものは嫌いだと聞いたことありますね。あとは、大きな音も苦手だとか」
「熊って、巨大な獣なんだろ? 蛇なんか怖がるんだ。変なの」
「誰にでも苦手なものはありますからね。しかし、熊は森の守り神として我が国の信仰の対象でもあります。ですから、離宮を抜け出して確かめに行こうなんて思わないでくださいよ? ……フォルテさまの行動によっては、謀反を疑われてしまいます」
「へえへえ、分かってるよ。俺は『難しいお立場』ってやつだろ?」
フォルテさまは熊のように、むくむくと成長されていた。
お食事も、毎回、料理長が目を丸くするほどの量を平らげる。そりゃもう見ていてスカッとするような食べっぷりだ。
身長もすいすいと伸び、とうとう僕の背も追い越された。そのことも王宮への報告書にしたためて送ったばかりだ。
気を取り直して教科書を開いたら、ふいに、トントントンと扉が叩かれた。
まだお勉強中なのに、部屋の外から使用人が呼ぶのが聞こえた。
「ラヴーシュ先生、騎士団の方がお見えでございます!」
「騎士団ですか……?」
「サフィ、俺も行く。この離宮の主人は俺だからな」
退屈そうに頬杖をついていたフォルテさまが、すっくと立ち上がった。
「おおっ──久しいなぁサフィア! 元気にしていたか!」
「おまえが家庭教師になるなとはなぁ。公爵家の庭で一生を終えると思っていたぞ」
「あ、あははは……ルネ兄さま、アラン兄さま。ご無沙汰しております。お二人とも、お変わりなく」
やたら大きな声で話すのがルネ兄で、静かにしゃべるけど言葉に棘があるのがアラン兄だ。
二人は双子で、二十七歳。僕より二つ年上だ。
双子といっても二卵性なので、見た目はそれほど似ていない。
がっしりとした体躯で活力漲る表情のルネ兄は、明るく大雑把。一方、すらりとした痩身に涼やかな風貌のアラン兄は、思慮深く繊細。性格も正反対といっていいほど別々だ。
はっきり分かる共通点は、僕と同じ、ラヴーシュ家特有の、薄藤色の髪の色。
「僕も驚きましたけど……母さまにゴリ押しされまして」
「母上はワンマンだが、人を見る目はあるものなぁ!」
「母上に目を付けられたのが運の尽きだったな」
ルネ兄は顎に手を当ててうむうむと頷き、アラン兄は同情の眼差しを僕に注いだ。
「──ところでサフィア、こちらのお方が?」
「あ、はい。フォルテ・セプティムスさまでございます。僕の……教え子であり、お守りしたい主でもあります」
ご紹介した途端、兄さまたちは素早くフォルテさまの前に跪いた。
「フォルテさま。大虎から俺たちの弟を守っていただき、ありがとうございました」
「任務に就いていたゆえ、直接のお礼が遅くなり、申し訳ありません。ラヴーシュ一族を代表して私ども二人、御礼申し上げます」
二人の兄がきびきびとした動作で頭を下げる。久しぶりに再会した兄さまたちにも、僕は心配をかけていたらしい。
「よい。楽にせよ」
「……あの、まさか兄さまたちが離宮にいらっしゃるとは思いもよりませんで。いったい、どのような御用件ですか?」
ルネ兄とアラン兄は二人して顔を見合わせた。
離宮でお暮らしになっている国王陛下の隠し子さまは、たいへんな力持ちであられるらしい。
王侯貴族の間ではそんな話題が飛び交い、誰もがフォルテさまに興味津々だという。
なにしろ虎を二つに引き裂いたうえに、その毛皮は王宮に飾られているのだ。根も葉もない流言飛語とはわけが違う。
フォルテさまの存在は、常時ゴシップを求めてやまない貴族にとって、これ以上ない格好の素材といえた。
「フォルテ殿、貴殿を見込んで頼みがある。我が王都第一騎士団へ、入団していただきたい!」
「私たちは、あなたのお力が欲しいのです。騎士団のため、王国のため、役立ててはいただけませんか?」
「騎士団に所属すれば、貴殿には『騎士』という地位が保証される。いくら我らの母、ラヴーシュ公爵夫人が後ろ盾となっていても、貴殿の身分は不安定だ。十五を迎えられた今、あやうい誘惑が増えるのも時間の問題。騎士団であれば、貴殿を守る砦ともなれる。いかがかな?」
二人の兄さまはこれ以上ないくらい真摯な面持ちでフォルテさまを見つめている。だが……。
「興味ない。サフィと一緒にいる時間が減るのは嫌だ。話がそれだけなら、もう帰れ」
お返事は一刀両断だった。
しかしそこで引く兄さまたちでもない。十代で騎士団に入った二人は、騎士として既にベテランの域にいる。第一騎士団の厳しい稽古に食らいついて、今があるのだ。フォルテさま、大人はしぶとい生き物なのですよ。
「お言葉だが、それは少々お子様じみた考えではないか? 貴殿の強大なお力は、我が国に波紋を投げかけたのだ」
「王のご落胤は強力な武の力を持っている。それが明るみに出たのです。国王派も反国王派も、あなたを囲い込みたくてしかたがないという顔をしておりますよ」
二人の話を聞きながら、むすっとした顔で足を組む。
「おいおい。俺は武器も弾薬も持っちゃいない。腕力が人より少し強いだけだ。武芸をたしなむことすら許されなかったんだぞ? 剣を持ったこともない俺の、いったいどこがそんなに怖いっていうんだ」
フォルテさまは喉を反らし、高慢そうな笑みを浮かべた。お顔が整っているので、尚更小憎たらしく見える。
「サフィの兄貴だから穏便に話してやろうと思ったが、おまえたちは俺に言いがかりをつけるのか?」
ルネ兄が呆れたように嘆息した。目を眇めて、椅子の背もたれに寄りかかる。
「……とんだわがまま小僧だな。おまえが苦労しているのが手に取るように分かるぞ、サフィア。王権を敵に回したと見做されたらどうなる? 待っているのは身の破滅だ。そんなことも想像できんのか」
「ルネ、口が悪い。控えろ。……フォルテさま、考えてみてはいただけませんか? 私たちの弟はあなたの元に仕えてきました。あなたが危険に晒されるときは、弟もまた危ない目に遭うでしょう。サフィアを守ると思って考えてはくれませんか。それに……あなたはずっと、剣に憧れていたんじゃないんですか?」
アラン兄の言葉に、ぴくんとフォルテさまの眉が跳ね上がる。
「おまえ……アランと言ったか。さっきから、なにが言いたい?」
「今まで手を伸ばしても得られなかったものが差し出されたのです。それを手に取らないのは、なぜ?」
「剣よりサフィのほうが好きだからだ!」
「そのサフィが、あなたのせいで危ない目に遭ったら? 騎士団に所属することで、サフィを守れると言ったら?」
「……俺は入らねえって言ってる。馬に餌ちらつかせるみたいなこと、してんじゃねえぞ!」
「めちゃくちゃですね……弟はあなたのような御仁の元に七年も仕えてきたのか。哀れにすぎる。このまま連れて帰ります」
「なんだと?」
「私たちと帰ろう、サフィ」
兄さまたちが立ち上がり、僕の腕を引いた。戸惑う僕を意に介さず、ずるずると引きずろうとする。
「ちょ、待ってくださ……アラン兄さま!」
「おまえのためだよ、サフィア。このようなお方におまえを預けてはおけない」
「……そんなの許さねえぞ!」
フォルテさまが卓上に手を叩きつけた。憤怒の形相だ。泣くことはあっても、ここまで怒ったことはなかった。
駆け寄って背中をよしよしと撫でてあげたいが、兄さまたちは僕の両腕を掴んでいて、離してくれない。
「騎士団には入らねえし、サフィは俺と一緒にいるんだ!」
「そのわがままを、どうやって押し通すおつもりですか?」
兄さまたちとフォルテさまの間に、見えない火花が散る。
「俺があんたらをぶちのめす!」
「……力頼みというわけですか。ルネ、いいか?」
「噂の怪力貴公子と勝負か。よかろう、受けて立つ!」
兄さまたちが首をこきこきと回し、臨戦態勢っぽい顔つきになる。
二人とも、どうしてフォルテさま相手に喧嘩を売るんだ! 胃がキリキリ痛くなる。
僕は、フォルテさまに思いとどまるよう説得した。
「フォルテさまっ、その二人は僕の兄さまです! なんで戦わなきゃいけないんですか!」
「向こうが絡んできたんだ。サフィといる時間を邪魔する奴は全員、俺の敵なんだよ」
「に、兄さまたち! 逃げてください! 僕はここに残りますからっ」
兄さまたちがぶちのめされるのも、フォルテさまが人を痛めつけるところも、見たくない。
「サフィ、退いていろ」
「そ、そんな……」
フォルテさまは騎士団に入らないって言ってるんだから、兄さまたちが帰ればそれで済む話だ。部屋の中で戦闘態勢に入らなくてもいいじゃないか。
「騎士たるもの、背を見せることは一生の恥!」
「私も喜んでお相手いたします!」
「どうして誰も僕の言うこと聞かないんですかっ!?」
僕を除いた三人の緊張が高まっていく。
兄さまたちが腰を低く落とし、体術の構えを見せる。行くぞ、とルネ兄が叫んだ。
けれど、フォルテさまの動きのほうがより迅速で、かつ、スケールが大きかった。
「──うらあああああっ!!」
フォルテさまが大きな食台を持ち上げ、兄さまたちの上にぶんと投げた。花瓶が派手な音とともに割れる。
投げた食台ごと押し潰すように、離宮の壁まで兄さまたちを追い詰め、まだ足りないというように、離宮の壁まで破壊した。
部屋中にきらきらと、粉塵が舞った。
げっほごっほ、おええ……と、部屋にいた全員が咳をする。
落ち着いてから見えたのは、客間の壁が完全に破壊され、隣の部屋と地続きになった風景だった。
兄さまたち二人は壊れた壁の隅っこで、すっかりのびていた。
「破壊の星の下に生まれたとしか……思えん」
「か、完敗です……」
兄さまたちは打ち身で済んだが、離宮の応接間は悲惨な様相を呈していた。
壊れたのは部屋の壁、食台、花瓶、ティーセット。物はどれも王宮からの支給品で、そんなに安くもない。ざっと計算しただけで青くなる被害総額だ。
フォルテさまも悪いけど、そもそも兄さまたちが原因のトラブルなので、ラヴーシュの家に請求しようと思う。実家に出費をさせるのは僕も本望ではないのだが。
フォルテさまに敗れた兄さまたちは、妙に清々しい表情を浮かべている。
「……私たちは諦めません。また来ます」
「次こそは一本取ってみせる……うぐっ、いてて……」
兄さまたちは頭髪はボサボサ、体中ほこりだらけで離宮を後にした。
騎乗した馬たちも主人の憔悴っぷりに驚いたのか、ヒヒンと情けない声をあげた。
兄さまたちを見送ってから、フォルテさまがぽつりと訊ねた。
「この国には……国王派と反国王派ってのがいるのか?」
「……はい」
より正確に言うならば、中立の派閥も存在する。
「サフィは、わざと俺に政治を教えていないんだな」
「も、申し訳ありません!」
「別にいいよ。それに……おまえの兄貴たちは、ちょっと面白い」
「へっ?」
「また来ると言っていた。楽しみだ」
口の端を吊り上げて、人の悪そうな笑みを浮かべた。
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