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第一章 家庭教師と怪力貴公子
フォルテさま9歳、矢を振り回す
しおりを挟む朝起きると、まず冷たい水で顔を洗う。
それから髪を三つ編みに結う。
フォルテさまが「サフィは女みたい」と、しつこく言うからだ。
長寿の願いをこめて伸ばしてきた薄藤色の髪は、切ってしまうと両親が悲しむ。腰のあたりまである髪を編むのは面倒だが、日々の習慣をつくるのは良いことだ。おかげで気持ちが引き締まる。
自分の髪を編みながら、僕は少しずつフォルテさまの教師の顔になっていく。
「……よし。今日もがんばろ」
季節は巡り、フォルテさまのお側に来て一年が過ぎた。
この国では、一の月を迎えるとみな等しく歳をとる。
フォルテさまは今年、九歳を迎えられた。
午前中の勉学を終えてから、運動を兼ねて、フォルテさまと離宮の庭を散策した。
兎のように跳ね回るフォルテさまは微笑ましい。体を動かすのが好きなのだ。できることなら、もっといろんな場所へお連れしたい。
「おーい、サフィ~! 見ろよ、いいもの拾ったんだ!」
「いいもの?」
薮に顔を突っ込んでいたフォルテさまが嬉しそうに声をあげる。手に握り締めていたのは、白鷹の羽を使った矢だった。
鋭利なやじりは黒曜石……狩りに使われた矢のようだ。
獣を追い払うために使われることもあるその矢は、近隣の猟師の忘れものだろう。
フォルテさまがこの離宮で暮らしていると知る者は少ない。さびれた離宮に王の庶子が滞在されていることを一般市民が知らないのも無理はなかった。
猟師への対応はあとでもできる。それより問題なのは……。
はしゃぐフォルテさまを見て、自然と僕の顔は険しくなった。
「それは猟師が使う矢です。先が尖っていて危ないですし、しびれ薬が塗られている場合もあります。フォルテさま、それをこちらへ」
「ちょっとくらい良いだろ! すげえな、これが武器か……白い羽は鷹のだよな。弓ってどんくらい飛ぶんだろ?」
「フォルテさま……お願いですから、サフィを心配させないでください」
「ふん、安心しろ。おれはサフィみたいに鈍臭くないもんね!」
離宮にも時折、近衛兵が立ち寄る。常駐ではないのだが、彼らのような騎士を間近に見て刺激される部分があったのだろう。
この国の男の子は、身分に関係なく、みな騎士に憧れる。僕のような例外もいるが、ほとんどの貴族の子弟は、成長すると剣を習う。
でもフォルテさまには、武器を扱う武芸は許されていない。
理解はできても納得できない。そんなことはたくさんあったし、これからもあるだろう。フォルテさまは難しいお立場にある。とはいえ、まだ十にも満たない子供なのだ。そりゃあ、騎士ごっこだってしたくなる。
お遊戯に使うバトンのように、フォルテさまは矢を、宙を切るように振り回していた。
「では、持っていてもよろしいことにしましょう。でも振り回すのはやめてください」
消耗したやじりは外れることもある。ものによっては切っ先の両側に「かえり」が付いているやじりもあり、一度刺されば抜くのが困難だ。
つまり、実用的な矢ほど、殺傷能力が高い。
「なんだよ……おれがせっかく見つけたのに……サフィは喜んでくんねえの?」
「フォルテさま、その矢は狩りに使うものなんです。危ないですから、早く……」
フォルテさまがうつむく。唇がわなわなと震えていた。
「サフィのばかっ!!」
フォルテさまが地団駄を踏み、握っていた矢の節がぱきっと二つに折れた。折れた矢を力任せに地面に投げつける。
黒いやじりが外れて、僕の目の前に飛んできた。
咄嗟のことだった。反射的に目を瞑ってしまい、手で庇うのも間に合わない。やじりは右目の上を軽く掠めて、どこかの草むらへ落ちた。
「あ……」
ぽたたっと、赤い汁が足の甲に滴った。生温い液体が頬に流れてくる。血だ。
僕に縋りついたフォルテさまが、火がついたように泣き出した。
「うっ、うあっ、うわあ~ん! うあ、あっ……サフィ……サフィ~!」
眉のあたりを手で押さえながら、フォルテさまの頭をぽんぽんと撫でた。怖がらせないように、つとめて軽い調子でお話をする。
「……ちょうど良い機会です。血止め草をお教えしましょうね。血止め草は日陰に生える植物なんですよ。さきほどの藪付近を探してみましょう。きっとこのあたりに……ほら、あった」
見てください、と付近の大木の根元にある茂みを指でかき分けてみせる。そこには、小さな葉っぱが地を這うように生えていた。
しゃがみこんで、ほんの一、二枚、葉を摘んだ。小さな葉っぱだ。
「この葉を摘み取り、手で少し揉みます。葉から汁が滲んできたら患部に貼る。……ほら。調子にのって怪我をしたときに便利でしょう?」
切れたのは右の眉の少し上。そこにぺたりと血止め草の葉を貼り付けた。
僕よりも痛そうな顔をしているフォルテさまに、「大丈夫ですよ」の意味をこめて微笑んでみせた。フォルテさまはもう十分反省しておられる。
「覚えておいてくださいね」
「……おれ、おれ、もう二度とサフィを傷つけない!」
「大げさですねえ。ほら、サフィは元気いっぱいです!」
おどけるように胸を叩けば、フォルテさまが僕の首に腕を巻き付けるようにして、がばっと抱きついてきた。
えっえっえっ、と、ひとしきりしゃくりあげるように泣いて、顔を胸にぐりぐりと埋める。
「うえええ~ん! サフィぃぃぃ~!!」
あやすように、優しく背中を叩く。出会ったころより、少し背が伸びた。
子どもの成長は早い。
このままだと近い将来、フォルテさまに追い越されるだろうな、と思いながら、優しく背中をさすり続けた。
屋敷へ戻ると医師を呼んでもらい、治療を受けた。
浅いとはいえない傷だったが、縫うほどでもない。正直ホッとした。フォルテさまを庇って傷つくのは構わないが、できれば痛いのは避けたい。
「……フォルテさまが傷つかなくて、よかった」
このあと、草むらへ落ちたやじりを見つけて回収し、近隣の猟師に話をつけに行った。
子どもが矢を拾って怪我をするところだった、というと、こちらが恐縮するほど頭を下げられる。
けれど、貴族の地位を笠に着て、一方的に責めるつもりはない。ほどよく狩りをしてもらったほうが害獣も減って安心だ。使った矢はなるべく回収するようにと約束してもらい、これからもよろしく、と頼んで別れた。
治療を終えたら、廊下で待ち伏せしていたフォルテさまに捕まった。
フォルテさまは僕を見るや否や、瞳を潤ませて、胸に飛び込んできた。服をぎゅっと掴んで、肩を震わせたまま、なにも言わない。
「ご心配をおかけしました。サフィは大丈夫ですよ」
フォルテさまはゆっくりと上体を起こし、意を決したように僕を見上げた。蜂蜜を溶いたような金の目が、僕の眉の傷をじっと映している。
しばらく傷跡を見つめてから、フォルテさまは僕の目を見て、重々しく告げた。
「……おまえを傷物にした責任は、おれがとる」
「傷物って……そんな言葉、どこで覚えたんですか?」
「侍女が持ってた恋愛小説で読んだ」
「えっ、ロマンス小説を読んだのですか? 破廉恥な……ゴホン。いいですか。小説というものは、わざと事象を破廉恥に書くのです。フィクションを丸呑みにしてはなりませんよ!」
「でも……おれはサフィのきれいな顔に、傷を……」
しょんぼりと落ち込む姿がめずらしくて、僕は目をぱちくりさせた。反省する暇もないくらい、いつも活力に満ちあふれているので、しおらしいと逆に心配になる。
上手な励まし方も思いつかないし、困ったなあと思って、ぽりぽりと頬をかいた。
「……傷は、男の勲章です」
「そういえば、サフィって男なんだっけ」
あっけらかんと、そう言った。
ぴくりと、こめかみが引きつった。
「……フォルテさまは、僕に怒られたいのですか?」
ひときわ優雅な笑顔をつくって小さく首を傾げると、フォルテさまは、「サフィはきれいだから、ときどき性別分かんなくなるんだよな」と悪びれずに言う。
「男でも女でも、もう、どっちでもよくねえか?」
「どっちでもいいわけ、ないでしょうっ!?」
一喝したら、眉の傷からぴゅぴゅっと血が噴き出した。
そこで僕もフォルテさまも「ぎゃああっ!」と悲鳴をあげたのは……ここだけの話にしたい。
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