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第一章 家庭教師と怪力貴公子
家庭教師(お目付け役)始めました
しおりを挟む「フォルテさま~! どこにいるんですかー? フォルテさまー! お願いです、サフィを困らせないで、出てきてくださ~い!」
しーん。反応なし。
お姿も見えないし足音も聞こえない。いったいどこへ行ってしまったんだ。
離宮の周辺の植生についてお話している途中だったのだが、子供の集中力に期待してはいけなかった。
だけど、反省するより、お姿を探すほうが先だ。
だだっ広い離宮の庭をぐるりと見回す。そしてまた息を吸い、声を張り上げた。
「フォルテさまー! フォルテ坊っちゃま~!!」
──がさがさがさっ!
左前方の茂みが不自然に揺れた。
……引っかかったな。
案の定、茂みをかき分けてゆくうち、前方に赤い髪がちらりと覗いた。
「見つけましたよ、フォルテ坊っちゃま!」
「坊っちゃまはやめろよ! サフィのばかっ!」
「ばかとはなんですか。お勉強の途中でいなくなったのはあなたでしょう? 心配するじゃないですか」
落ち葉を体じゅうにくっ付けたフォルテさまが現れた。
凛々しい真っ直ぐな眉をぎゅっと寄せて、口を尖らせている。
僕に見つかったのがよほど面白くないのだろう。こういう拗ねた顔をしていると、年相応に見える。
「そろそろおやつの時間ですね。館へ戻りましょう」
さあ行きますよ、と手を差し出すと、少し間を置いてから、ぎゅむっと力強く掴んでくる。
「おれのこと、心配してたのって、ほんと?」
「当たり前です。急にいなくなられたら、悲しいですよ」
「……ふうん」
手を握る力がまた少し強くなる。
汗ばんだ子供の肌。僕よりも体温が高くて、全然べつの生き物みたいだ。
「フォルテさまは、いつからこの離宮に住んでいるんですか?」
「知らん。生まれたときからじゃないか? おれみたいなのは飼い殺しだよ」
「……誰が、飼い殺しなどと言ったのですか」
「ん? みんな言ってるぞ。おれが王族の血を引いているのは、誰でもすぐに分かるだろ」
くりくりとした利発そうな目に、木漏れ日が落ちる。金色の瞳は、すべてを見抜いているかのように澄んでいた。
八歳とは思えない言動をするこの子は、「飼い殺し」という言葉の意味を理解しているのだろうか……。そう訝しんだのは、ほんの一瞬だった。フォルテさまは、ご自分の立場について達観せざるを得ない境遇に置かれてきたのだから。
フォルテさまは唇を閉じて、僕の顔をじっと見上げていた。それが思いのほか強いまなざしで、一瞬ひるんでしまう。
王家の方々の金色の瞳は、この国の貴族にとってはあまりに貴いもので、意識せずにいることはできない。
「……な、なんですか?」
「おれ、サフィの顔、好きだよ」
「……顔?」
「どうしてそんな、女みたいにきれいなんだ?」
「えーと」
僕のこめかみが、ぴくぴくと引きつった。
いろいろ言いたいことはあるが、ひとつずつ、伝えていかないと。
「フォルテさま。そういう言い方はよくないです。まず、『女』ではなく、『女性』と言うように心がけましょう。よろしいですね?」
「わかった。でもさぁ。その薄藤色の長い髪も、すごくきれい。どっかのねーちゃんみたい。サフィって本当に男なのか?」
「ねーちゃんって……」
腹が立つよりも、脱力してしまった。
子供らしいストレートな言い方だったけど、不躾な発言は貴公子として望ましくない。たしなめる視線を送るが、フォルテさまは反省のそぶりもなく、飄々としている。
悪気はないんだろうけど……いや、僕が舐められているだけか。でも、注意するたび、泣いたり怒ったりする子よりは付き合いやすいと思う。
「フォルテさま。……僕が髪を伸ばしているのは、女性に見られたいからではありません。自分の価値観、ものの見方、考え方を相手に押し付ける行為は、時として暴力になります。あなたはそれを理解しなくてはなりません」
「うー、わかったよ。むずかしいけど、わかった。だからさ、今日サフィのとこで寝ていい?」
「……僕の部屋で?」
「うん!」
すなおな返事に、胸が切なくなる。
ご自分からはおっしゃらないけど、おさびしいはずだ。
母上もおらず、父なるお方からも遠く離されて……この方は肉親の情を知っているんだろうか? 家族というものを、一度でも味わったことがあるんだろうか?
フォルテさまに対して簡単に「可哀想」だなんて、思いたくはない。だけど同情めいた気持ちを抱いてしまうのも否定できなかった。
憐れみが人を助けるとは限らないのに。
「……いいですよ。おひとりで眠れないときは、いつでもいらっしゃい」
「やった! じゃあサフィ、これお礼にやるよ」
「……? なんでしょう?」
愛らしい笑みを顔いっぱいに浮かべながら、フォルテさまはポケットから大きな葉っぱを取り出した。
ギザギザした輪郭の葉っぱに包まれていたのは──
「毛虫だよ!」
フォルテさまが、にいーっと口を広げた。いたずらっ子の笑い方だ。
「ひぎゃっ!!」
僕は情けない悲鳴をあげ、仰け反った。
全身にぶるぶると悪寒を走らせる僕を見て、フォルテさまはけらけらと笑う。
この悪童め……!
「サフィはこわがりだなぁー」
「……フォルテさま~っ!」
「やべ、逃げよーっと!」
「こらーっ、お待ちなさいっ!!」
怒りで、ふんがふんがと鼻息が荒くなる。
こうして僕の半日は、おもにフォルテさまとの追いかけっこで過ぎてゆくのだった。
はっきり言わせてもらうと、僕のお役目は、ただの家庭教師ではなかった。王家の血筋を監視し、管理する──家庭教師という名のお目付け役なのである。
フォルテさまに過不足のない教育を授けながら、同時に、フォルテさまが王国に反旗を翻さぬよう、日々の生活や成長に留意するのだ。
僕自身もこの国の貴族の一員だけど、王侯貴族の狭い社会は、うんざりするほど小汚い。
その夜。フォルテさまは燭台を片手に、おずおずと僕の部屋までやってきた。
「おや。これからお部屋に伺おうと思ってましたのに」
「サフィの匂いのするところで寝たいの」
「フォルテさま……意外と甘えん坊さんですね」
「うるさい。おまえの価値観で、おれを測るな」
「うわぁ、これは一本取られました」
重たげなまぶたで、もそもそと寝台に潜り込もうとするフォルテさま。夕陽色の御髪がぼさぼさだ。
「湯浴みのあと、髪を梳かしていませんね? ほら、櫛を入れてから眠りなさい。あなたの赤髪はかっこいいんですから」
「おれ、かっこいい?」
「ええ。かっこいいですとも」
お日さまの匂いがする髪にブラシをかけ、髪に魔除けのハーブを手早く編み込む。眠る幼な子を悪い夢から守るまじないだ。
迷信深いと笑われそうだが、しないよりも、したほうがマシだと思っている。
「悪夢を見ないおまじないをかけましたよ」
「うー……サフィ……」
「フォルテさま、おねむですか? 今日もいっぱい駆け回りましたものね」
頼れるものを求めるようにさまよっていたフォルテさまの細い腕が、僕の腰に回る。
その途端、
──ぎしいっ!
背骨が軋むような衝撃が、僕の胴体に走った。僕の腰がしなるくらい、めりめりと締め付けられて、腹の中から迫り上がってくるような呻き声がこぼれた。
「な、に……うっ……ぐふッ!」
息苦しさで、視界が一瞬霞んだ。
なにが起きている?
体を締め付けているのは、フォルテさまの腕だ。……ふざけて、格闘技でもかけているのか?
腕を引き剥がそうとするが、フォルテさまは小さな貝のようなまぶたを閉じたまま、すっかり寝入っておられる。けれど同時に、ぎゅうぎゅうと僕を締め上げてもいる。
「がはっ……!」
身動きが取れなくて、また呻く。苦しくてパニック寸前だ。
ひょっとして、フォルテさまは寝ぼけてる? ていうか、寝ぼけてて、この馬鹿力を発揮している??
息苦しくて頭が働かない。
腕の間に手を差し入れ、胴と腕の間になんとか隙間を確保した。
が、このままでは腕が折れそうだ。
「ぐっ……うぐ、はっ…………きっつい…………!!」
大人の骨さえ軋ませるほどの、異様な怪力。
どうにか腕の輪を外して寝台から逃れ出ると、フォルテさまは「う~ん」と足を蹴って、寝返りを打たれた。
僕の代わりに、今度はフェザーの入ったフカフカ枕を、胸元でぎゅむっと抱きしめる。ぴりりり……と縫い目が引きちぎれて、白い羽根がぶわわっと舞った。
「ん~、サフィ~……そばにいてよぉ……いっちゃやぁだぁ~」
「フォルテさま……」
「むにゃ……おれ、サフィ、すきぃ……」
そしてまた、すーすーと規則正しい寝息を立てはじめた。
しばらく様子を観察していたが、もう異変は起きなかった。だが僕の息はまだ震えている。
あどけない寝顔。すなおな好意。
そして、謎の怪力────。
部屋にふわふわ漂う羽根を片付けながら、僕はひたすら混乱していた。
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