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第一章 家庭教師と怪力貴公子
サフィアとフォルテ
しおりを挟む王宮から戻った母さまが機嫌良さそうに話しかけてきたとき、僕はとてもイヤな予感がした。
「あーん、サフィちゃん、あたくしのかわゆい薔薇ぁ~!」
「い……痛いです、母さま」
公爵家屋敷の書斎にいきなり現れた母さまから、ひとしきり、ぎゅむ~っと熱い抱擁を受けた。
末っ子の僕は体が弱くて、何度か生死の境をさまよったこともある。そのせいで母さまは、兄弟の中でも僕をやや溺愛している。
「うふふん、照れないでいいのよぅ。ねえ、サフィちゃん。あたくしのお願い、聞いてちょうだいな」
「お願い? なんか、不穏な響きですけど……」
関わりたくないと思い、スッと視線を逸らしたが、母さまはめげなかった。
「やあね、拒否権があるとお思い?」
「と、父さまの意見も聞いてみないと……」
「すまん、サフィ。母さまの意見に従いなさい」
書斎で書物に没頭していた父さまが顔を上げ、気まずそうな表情を浮かべる。
「そっ、そんなぁ!」
母さまが形の良い唇の両端を華麗に持ち上げ、高らかに宣言した。
「あなたには、とある御子さまの、教師になっていただきます!」
我が家の法は母さまなのだ。
艶やかに微笑んだ母さまは、それ以上の反論を許さず、僕を馬車へと押し込んだ。
馬車で川を越え、市街を通り過ぎ、そこからさらに一刻も走っただろうか。連れてこられたのは王家の古い離宮だった。
周囲は森に囲まれているが、人がほどよく手を入れているようで、薄気味悪さはあまり感じられない。
なにより、高貴な人が隠れ住むのに最適な環境に思えた。
先代国王の時代に建てられて、そのまま手付かずになっていた御殿らしい。
中へ入ると壁紙に統一感がなく、調度品もまばらにしか揃っていない。なにより、侍従の数が異様に少なかった。
訳アリの貴人がいるってことかな……。
そんな厄介ごと、押し付けられたくない。今すぐ家へ帰りたかった。
僕が家にこもりきりの末っ子だからって、母さまもこんな貧乏くじを引かせなくてもいいだろうに。
我がラヴーシュ公爵家には、僕を含めて六人の子がいる。
兄三人と姉二人はみな屈強といっていい優秀な人たちだったが、末っ子の僕だけは病がちだった。他のきょうだいのように王立の学び舎に通うことは叶わず、義務教育過程は家庭教師をつけて学び切った。
学ぶのは好きだったから、熱にうなされながらも、必要な勉学だけは一年で修めた。
貴族の子弟は、成長すると剣技を磨く。
けれど僕のかかりつけ医が「サフィアさまは、おやめになったほうがいいでしょう」と止めた。代わりに僕は、自分の体を強くしてくれそうな薬草・ハーブ類について独学を続けた。
こうなると、心だけはやたら老成する。
──なるべく家の資産を使わず、残りの人生は庭で薬用植物を育てて生きていこう。
人生を悟り切っていた。
僕のささやかな願いは聞き届けられると思っていたし、隠遁した薬師になったような気持ちでいたけれど……腕力とおしゃべりで人を籠絡するのが上手い母さまは、それを良しとしなかった。
父さまだったら「うんうん」と黙って話を聞いてくれるのだけど。
静謐な人生設計が狂うのは残念だ。貴族の付き合いも僕はほとんど経験していないし……。
馬車に揺られながら、ずっと鬱々とした気分だった。
そもそも『御子さま』とは誰なのか?
貴族が『御子』と呼ぶのは王室の方々だ。今の国王陛下には全部で六人のご子息がいらっしゃる。
第一王子のテオドロス殿下はとうに立太子され、いまや公務で国内外問わず飛び回っている。残りの王子様方もすくすくと成長されていて、世話役も教師も、掃いて捨てるほどいるはずだ。
ちなみに僕の母はラウィニア・ラヴーシュ公爵夫人といって、国王陛下の従妹にあたる。美貌を謳われた社交界の花だったとか。
僕も母に似ていると言われるけど(たぶん冗談半分で)、性格はむしろ正反対だ。母が怖気付くところを見たことがない。
母が離宮の大広間の扉前で扇を振ると、どこから現れたのか、二人の侍従が重々しく左右それぞれの扉を開けた。
「お待たせしちゃったわね。フォルテ・セプティムス、出ていらっしゃい」
「……セプティムス(七番目)?」
「ほら、サフィちゃんも、ごあいさつして」
謁見の間の壇上に向かって、こうべを垂れるようにと母が促す。
いいかげん、十八の息子に「サフィちゃん」などと愛称呼びするのはやめてほしいのだけども……苦々しく思いつつ、片膝を床について貴き方への礼をとる。といってもそれが誰なのか僕は知らないのだが。
「……ラヴーシュ公爵家のサフィアと申します」
「おもてをあげよ」
やけくそ気味の名乗りに答えたのは、幼い声だった。
頭と視線をゆっくり上げる。
最初に目に入ったのは、燃える夕陽に似た、赤銅色の髪。
それから、王家の血を引く証である金色の双眸。
幼いながらも高貴なお方は、悠然とした態度で僕を見下ろしていた。
「サフィちゃん。あなた、ここに就職なさい」
「は……はぁ!?」
驚いた僕は目をまんまるに見開いた。就職ということは……この子の世話をしろと?
母さま、それはあんまりです!
反射的にそう感じたことが通じたのだろうか。小さな貴人はつんと顎を上げて、傲然と言い放った。
「なあ、ラウィニア。おれの家庭教師がそんなもやしに務まるのか?」
(もっ……もやしだとぉぉぉぉ──!?)
心の中の火山が大噴火した。
なんって可愛くないお子さまだ!
頬のまあるい線はふっくらとして愛らしいけど……僕だって、こんな傲慢なちびっこの面倒なんか見たくないっつうの!
「あら。もやしにはもやしの意地がありましてよ?」
「ちょっ……母さま、もう帰りましょ……僕にはムリです」
「サフィちゃん。この子はフォルテ。つい先日、国王陛下が認知された七番目の御子さまです。そしてあたくしは彼の後見人になりました」
僕の嫌な予感は肯定された。
国王陛下の庶子。それにしては……と、赤銅色の髪を見て首を傾げる。
陛下とも妃とも、他の王子たちとも異なる髪の色。
おそらくは侍女か下役の女性に生ませた──外腹の子なのだろう。
直接関係がなくても気が重くなる。陰謀渦巻く王宮の火種になるのは必定だ。
「察しているでしょうけれど、フォルテの立場は弱い。サフィちゃんにはフォルテの友人兼家庭教師を務めてもらいたいの。聡明なあなたなら、できるわよね?」
「……お言葉ですが、貴人の教育を担当するにふさわしい、本職の人間がいるはずです」
「フォルテの存在は薄氷よりも繊細なもの。王家に近すぎてもだめ、遠すぎてもだめ。ちょうどいいポジションにいたのがあなたなのよ、サフィア」
ああ。めまいがする。
「サフィちゃん」ではなく「サフィア」と呼ぶときの母は、本気なのだ。喉元に剣を突きつけられても驚かない。
「これは、国王たる、あたくしの従兄からの勅命です」
母はドレスの袖から一枚の証書を取り出した。ぴらんと広げた文面の上には王国のシンボル、神樹のしるしが刻印されている。
「国王陛下が? でも、急にそんな、重大なお役目……僕には無理です!」
「あなたしか、この子を導ける者はいない。それにサフィちゃんにとってもこれはいい機会じゃない。屋敷にこもったままなんてよくないわ。あなたはあたくしの自慢の息子。フォルテからのもやし呼ばわり、返上させてごらんなさい!」
母さまの中では決定事項なのだ。
心外だ……という顔をしていたら、冷めた声が上壇から降ってきた。
「おれは期待していないがな」
「もうっ、フォルテったら! めっ! 少しはサフィちゃんに優しくしてちょうだい!」
母さまがぷりぷりと怒る。
フォルテと呼ばれる少年の、どこか怜悧な光を放つ金色の瞳は、まっすぐに僕に注がれていた。
その視線を浴びていると、じわりと妙な胸騒ぎがこみあげる。
今までのささやかな人生設計なんて一瞬で吹き飛ぶほどの、大きな嵐がこれからやってくる。それは予感ではなく、確信に近かった。
「いいわね、サフィちゃん。しっかりお勤めを果たすのですよ!」
母さまに押し切られる形で僕は頷かざるを得ず……。
一週間後。僕はこの、うらぶれた離宮で暮らしはじめた。
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