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 数週間後。辞令が下り、パヴェルは王都騎士団所属の事務官になった。
 また山積みの書類を相手にするのかとげんなりしたが、命じられたのは情報部で似顔絵を描く仕事だった。

 女性騎士に支えられた初老の婦人が、弱々しい声でパヴェルに何事か訴えかけている。

「鼻が大きくて、たしか……顎に小さなほくろがありました」
「大きな鼻に、顎のほくろ。ふーむ、こんな感じかな? 一度見てもらっていいですか?」

 パヴェルがスケッチを見せる。絵を見た婦人が声を上げた。

「そうそう、この顔です! 騎士様、こいつを捕まえてください!」

 女性騎士が頷き、パヴェルから絵を受け取った。見回りに出る部隊に似顔絵を見せ、聞き込み調査を行うのだ。
 パヴェルは人や物の特徴を掴むのに長けている。王都を守る現場でも役に立つのではないかと踏んだ宰相の計らいだった。
 ヨナシュの一件もあり、パヴェルは自身の画業について向き合うようになった。師匠の教えをもっとちゃんと受け止めていれば、ヨナシュを刺激せずに済んだのだろうか。「もし」を考えたところで後悔は尽きないが、自分の絵で何ができるのか、それをひたすら考えている。
 自分が描いた肖像が少しでも事件解決に貢献できればいい。苦しむ誰かを救うきっかけになれるよう精進していくつもりだ。

「──意外と馴染んでるじゃないか?」

 低く柔らかな声が耳を打った。
 ゼノンは時折、こうしてパヴェルの様子を見に詰所を訪れる。大勢に引き留められたものの、結局、宰相補佐官を辞して、今はパヴェルと同じ王都騎士団に身を置いていた。

「忙しくしているみたいだな」
「まあね。みんな親切だし、絵も描けるし。それに今度、絵の講師もやってみようかなって。師匠と久しぶりに会ったら勧めてくれたんですよ。おまえは子供受けがいいから、美術教師の道もいいんじゃないかって」
「弱音を吐いて泣いているかと思ったが、そうでもなかったか」
「前の職場とは大違いでしょう?」
「……執念深いな」
「ええ、俺は繊細なので」

 パヴェルの夢は宮廷絵師だった。自分も師匠のような地母神像を描いてみたかった。自分の絵筆で誰かを喜ばせたい。そう思っていた。
 けれどいつしか夢は意地に変わり、失ったものにしがみつこうとした挙句、アリスやセシルの好意を利用しようとまで考えた。
 カタツムリの絵で喜んでくれたセシルの笑顔が思い浮かぶ。あとになってアリスも弟に負けじと、おろしたてのドレスで『あたしの絵も描きなさいよ!』と我がまま風を吹かせていた。

(……俺が大事にしなきゃいけないのは、あの子たちが俺の絵で喜んでくれたってことだ)

 どこで生きるかより、何で喜び、何を幸せと感じるか。そこを見失わないようにしたい。

「まあ、元気そうで何よりだ。これから休憩だろう? 同席させてもらう」
「どーぞご自由に」

 できるだけ素っ気ない返事をして、用意していたお茶のポットに手をかけた。目敏いゼノンが気遣って、共用のテーブルを片付けてくれる。

「私も手伝おう」
「いーから、補佐官様は座っててよ」
「もう補佐官じゃない」
「あ、そっか。ええと、今の官職は?」
「……名前で呼べばいい」
「ご冗談を」
「まさか人の名前を忘れたのか?」
「ははっ、どうでしょうねー」

 パヴェルの軽い返しに、苛立ったゼノンががたりと腰を浮かせた。なるべくツンとした表情を保ちながら、こぽこぽと二つの杯に茶を注いだ。

(意識しすぎて、調子狂うんだよ)

 直接の上司と部下ではなくなった今、二人はとても曖昧な関係だ。
 初対面の頃のような腹立たしさはとうに失せた。事件を乗り越えて以前より親しくなったが、だからといって大きな変化はない。
 曲がりなりにも、二人はアルファとオメガだ。どうこうなるなら、とっくに収まるところに収まっている。関係に変化がないというなら、それは自分が原因だろうとパヴェルは考えていた。
 うっすらとアルファのフェロモンは感じ取れるが、相変わらず発情の兆しはかけらもない。自分でも俺は本当にオメガなのかと疑いたくなる。

(……伴侶だとか番だとか、考えたことないもんな)

 ごちゃごちゃ考えるのは性に合わないし、誰の迷惑にもなっていないのだから、今のままでも悪くないと思いはじめていた。

「パーヴェールーーー!」

 詰所の外から名前を呼ばれた。アリスの声だ。
 ドアを開けると、小さなご令嬢が護衛を振り切り、こちらに全速力で駆けてくるところだった。パヴェルに会いたくて、お父上を口説き落としたらしい。今朝、先触れの使者が訪れて、「お嬢様のために昼は空けておいてください」と頼み込んでいったのだ。
 王宮勤めではなくなり、アリスにもセシルにも前ほど会えなくなった。王都騎士団の詰所は、王都を守る南門の近くに位置している。遠い距離ではないが、おいそれと会える立場ではなくなり、パヴェルもさすがに寂しく感じていた。

「パヴェルっ、会いたかったー!」
「お嬢! 前より走るの早くなったんじゃないですか? ああ、こんなに汗かいちゃって」

 ゼノンがぼそりと「私もおりますよ、お嬢様」と呟いた。アリスは澄まし顔で形だけの挨拶をする。どうやら二人の間には埋められない溝があるらしい。

「パヴェルがいないと、あたしもセシルもつまんない。お願いお願い、帰ってきてよ!」

 地団駄を踏んで我がままを言った。セシルは今日はお屋敷でマナーのレッスンだそうだ。社交界に出るのはずっと先の話だが、総領息子なので小さいうちからいろいろ学ばせておくらしい。パヴェルに会えなくて泣いていたというから、何か差し入れでもしてあげようと思った。ゼノンに相談すればいいように取りなしてくれるだろう。

「今日はあたしがセシルの分までパヴェルを独り占めする! ねえ、お姫様抱っこして!」

 アリスはぐいぐいとパヴェルの膝によじ登る。ゼノンが目を細めて、何か言いたそうにしつつも見守っている。

「あのね、お嬢……レディってのは、人の膝を我がもの顔で踏んづけたりしないんですよ? お姫様抱っこはしません。ちゃんと一人で椅子に座ってください」
「けちなこと言わないでよ! だって、あたし……」

 パヴェルの首に腕を回すと、アリスが大きく息を吸った。

「食べちゃいたいくらい、パヴェルが大好きなんだから!」

 アリスはかぷりとパヴェルの鎖骨に思いきり噛みついた。

「いてっ!」

 子供にしては猛々しい犬歯が、アリスの唇の隙間から覗いている。ぞわりと皮膚が粟立つのを、パヴェルは信じられない思いで受け止めていた。まだ子供だと思って気にしていなかった。というより、周囲の誰もが留意していなかったはずだ。
 アリスはアルファだ。これほど幼いのに第二性が目覚めかけている。
 自分の呑気さに舌打ちしたくなった時、急に体が熱くなった。息苦しくなって目の前がぐらりと揺れる。アリスはさらに力強く噛み付いてくる。子供らしい小さな爪を突き立てて、意地でも離すまいとパヴェルの肌を引っ掻いた。

「お、お嬢……ごめん、ちょっと離れ……」

 体格も体力も、子供のアリスより大人のパヴェルの方が勝るはずだ。ところが、悪酔いでもしたように力が入らない。今まで守るべき対象だったアリスが、とてつもなく恐ろしい存在に思えてくる。オメガとしての動物的な勘、本能で感じる類の恐怖だった。

「──お嬢様」

 低く穏やかな声が割って入る。ゼノンがアリスをめりめりと引き剥がしてくれた。
 熱に浮かされたような状態のアリスは嫌だ離せと暴れたが、ゼノンは少女の心情などまったく斟酌しなかった。

「お嬢様、たいへん失礼致します」

 断りを入れた直後、アリスを手刀で気絶させた。この脳筋なんてことしやがると憤りかけたが、パヴェルに向けたゼノンの目が赤く血走っていたのに気づき、黙り込んだ。

「パヴェル」

 名を呼ばれた途端、腹の中をかき混ぜられたような気持ちになった。

「息を整えるんだ、大丈夫」
「おっ、俺、体が……おかしくて……」

 知らず知らずのうちに呼吸が荒くなっていた。苦しくて思うように喋れない。

「おかしくない。それは発情だ」
「は……? これ、発情……?」

 息が弾んで瞳が潤む。腹部に強烈な違和感を感じて、パヴェルはその場にうずくまった。
 ごおん、ごおん、と王城の方角から時の鐘が響いてくる。
 ゼノンは護衛にアリスを任せると、パヴェルを腕に抱き上げ、ひらりと馬に跨った。

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