19 / 22
17
しおりを挟む数週間後。辞令が下り、パヴェルは王都騎士団所属の事務官になった。
また山積みの書類を相手にするのかとげんなりしたが、命じられたのは情報部で似顔絵を描く仕事だった。
女性騎士に支えられた初老の婦人が、弱々しい声でパヴェルに何事か訴えかけている。
「鼻が大きくて、たしか……顎に小さなほくろがありました」
「大きな鼻に、顎のほくろ。ふーむ、こんな感じかな? 一度見てもらっていいですか?」
パヴェルがスケッチを見せる。絵を見た婦人が声を上げた。
「そうそう、この顔です! 騎士様、こいつを捕まえてください!」
女性騎士が頷き、パヴェルから絵を受け取った。見回りに出る部隊に似顔絵を見せ、聞き込み調査を行うのだ。
パヴェルは人や物の特徴を掴むのに長けている。王都を守る現場でも役に立つのではないかと踏んだ宰相の計らいだった。
ヨナシュの一件もあり、パヴェルは自身の画業について向き合うようになった。師匠の教えをもっとちゃんと受け止めていれば、ヨナシュを刺激せずに済んだのだろうか。「もし」を考えたところで後悔は尽きないが、自分の絵で何ができるのか、それをひたすら考えている。
自分が描いた肖像が少しでも事件解決に貢献できればいい。苦しむ誰かを救うきっかけになれるよう精進していくつもりだ。
「──意外と馴染んでるじゃないか?」
低く柔らかな声が耳を打った。
ゼノンは時折、こうしてパヴェルの様子を見に詰所を訪れる。大勢に引き留められたものの、結局、宰相補佐官を辞して、今はパヴェルと同じ王都騎士団に身を置いていた。
「忙しくしているみたいだな」
「まあね。みんな親切だし、絵も描けるし。それに今度、絵の講師もやってみようかなって。師匠と久しぶりに会ったら勧めてくれたんですよ。おまえは子供受けがいいから、美術教師の道もいいんじゃないかって」
「弱音を吐いて泣いているかと思ったが、そうでもなかったか」
「前の職場とは大違いでしょう?」
「……執念深いな」
「ええ、俺は繊細なので」
パヴェルの夢は宮廷絵師だった。自分も師匠のような地母神像を描いてみたかった。自分の絵筆で誰かを喜ばせたい。そう思っていた。
けれどいつしか夢は意地に変わり、失ったものにしがみつこうとした挙句、アリスやセシルの好意を利用しようとまで考えた。
カタツムリの絵で喜んでくれたセシルの笑顔が思い浮かぶ。あとになってアリスも弟に負けじと、おろしたてのドレスで『あたしの絵も描きなさいよ!』と我がまま風を吹かせていた。
(……俺が大事にしなきゃいけないのは、あの子たちが俺の絵で喜んでくれたってことだ)
どこで生きるかより、何で喜び、何を幸せと感じるか。そこを見失わないようにしたい。
「まあ、元気そうで何よりだ。これから休憩だろう? 同席させてもらう」
「どーぞご自由に」
できるだけ素っ気ない返事をして、用意していたお茶のポットに手をかけた。目敏いゼノンが気遣って、共用のテーブルを片付けてくれる。
「私も手伝おう」
「いーから、補佐官様は座っててよ」
「もう補佐官じゃない」
「あ、そっか。ええと、今の官職は?」
「……名前で呼べばいい」
「ご冗談を」
「まさか人の名前を忘れたのか?」
「ははっ、どうでしょうねー」
パヴェルの軽い返しに、苛立ったゼノンががたりと腰を浮かせた。なるべくツンとした表情を保ちながら、こぽこぽと二つの杯に茶を注いだ。
(意識しすぎて、調子狂うんだよ)
直接の上司と部下ではなくなった今、二人はとても曖昧な関係だ。
初対面の頃のような腹立たしさはとうに失せた。事件を乗り越えて以前より親しくなったが、だからといって大きな変化はない。
曲がりなりにも、二人はアルファとオメガだ。どうこうなるなら、とっくに収まるところに収まっている。関係に変化がないというなら、それは自分が原因だろうとパヴェルは考えていた。
うっすらとアルファのフェロモンは感じ取れるが、相変わらず発情の兆しはかけらもない。自分でも俺は本当にオメガなのかと疑いたくなる。
(……伴侶だとか番だとか、考えたことないもんな)
ごちゃごちゃ考えるのは性に合わないし、誰の迷惑にもなっていないのだから、今のままでも悪くないと思いはじめていた。
「パーヴェールーーー!」
詰所の外から名前を呼ばれた。アリスの声だ。
ドアを開けると、小さなご令嬢が護衛を振り切り、こちらに全速力で駆けてくるところだった。パヴェルに会いたくて、お父上を口説き落としたらしい。今朝、先触れの使者が訪れて、「お嬢様のために昼は空けておいてください」と頼み込んでいったのだ。
王宮勤めではなくなり、アリスにもセシルにも前ほど会えなくなった。王都騎士団の詰所は、王都を守る南門の近くに位置している。遠い距離ではないが、おいそれと会える立場ではなくなり、パヴェルもさすがに寂しく感じていた。
「パヴェルっ、会いたかったー!」
「お嬢! 前より走るの早くなったんじゃないですか? ああ、こんなに汗かいちゃって」
ゼノンがぼそりと「私もおりますよ、お嬢様」と呟いた。アリスは澄まし顔で形だけの挨拶をする。どうやら二人の間には埋められない溝があるらしい。
「パヴェルがいないと、あたしもセシルもつまんない。お願いお願い、帰ってきてよ!」
地団駄を踏んで我がままを言った。セシルは今日はお屋敷でマナーのレッスンだそうだ。社交界に出るのはずっと先の話だが、総領息子なので小さいうちからいろいろ学ばせておくらしい。パヴェルに会えなくて泣いていたというから、何か差し入れでもしてあげようと思った。ゼノンに相談すればいいように取りなしてくれるだろう。
「今日はあたしがセシルの分までパヴェルを独り占めする! ねえ、お姫様抱っこして!」
アリスはぐいぐいとパヴェルの膝によじ登る。ゼノンが目を細めて、何か言いたそうにしつつも見守っている。
「あのね、お嬢……レディってのは、人の膝を我がもの顔で踏んづけたりしないんですよ? お姫様抱っこはしません。ちゃんと一人で椅子に座ってください」
「けちなこと言わないでよ! だって、あたし……」
パヴェルの首に腕を回すと、アリスが大きく息を吸った。
「食べちゃいたいくらい、パヴェルが大好きなんだから!」
アリスはかぷりとパヴェルの鎖骨に思いきり噛みついた。
「いてっ!」
子供にしては猛々しい犬歯が、アリスの唇の隙間から覗いている。ぞわりと皮膚が粟立つのを、パヴェルは信じられない思いで受け止めていた。まだ子供だと思って気にしていなかった。というより、周囲の誰もが留意していなかったはずだ。
アリスはアルファだ。これほど幼いのに第二性が目覚めかけている。
自分の呑気さに舌打ちしたくなった時、急に体が熱くなった。息苦しくなって目の前がぐらりと揺れる。アリスはさらに力強く噛み付いてくる。子供らしい小さな爪を突き立てて、意地でも離すまいとパヴェルの肌を引っ掻いた。
「お、お嬢……ごめん、ちょっと離れ……」
体格も体力も、子供のアリスより大人のパヴェルの方が勝るはずだ。ところが、悪酔いでもしたように力が入らない。今まで守るべき対象だったアリスが、とてつもなく恐ろしい存在に思えてくる。オメガとしての動物的な勘、本能で感じる類の恐怖だった。
「──お嬢様」
低く穏やかな声が割って入る。ゼノンがアリスをめりめりと引き剥がしてくれた。
熱に浮かされたような状態のアリスは嫌だ離せと暴れたが、ゼノンは少女の心情などまったく斟酌しなかった。
「お嬢様、たいへん失礼致します」
断りを入れた直後、アリスを手刀で気絶させた。この脳筋なんてことしやがると憤りかけたが、パヴェルに向けたゼノンの目が赤く血走っていたのに気づき、黙り込んだ。
「パヴェル」
名を呼ばれた途端、腹の中をかき混ぜられたような気持ちになった。
「息を整えるんだ、大丈夫」
「おっ、俺、体が……おかしくて……」
知らず知らずのうちに呼吸が荒くなっていた。苦しくて思うように喋れない。
「おかしくない。それは発情だ」
「は……? これ、発情……?」
息が弾んで瞳が潤む。腹部に強烈な違和感を感じて、パヴェルはその場にうずくまった。
ごおん、ごおん、と王城の方角から時の鐘が響いてくる。
ゼノンは護衛にアリスを任せると、パヴェルを腕に抱き上げ、ひらりと馬に跨った。
11
お気に入りに追加
142
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
完結·助けた犬は騎士団長でした
禅
BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。
ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。
しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。
強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ……
※完結まで毎日投稿します
【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼第2章2025年1月18日より投稿予定
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
麗しの眠り姫は義兄の腕で惰眠を貪る
黒木 鳴
BL
妖精のように愛らしく、深窓の姫君のように美しいセレナードのあだ名は「眠り姫」。学園祭で主役を演じたことが由来だが……皮肉にもそのあだ名はぴったりだった。公爵家の出と学年一位の学力、そしてなによりその美貌に周囲はいいように勘違いしているが、セレナードの中身はアホの子……もとい睡眠欲求高めの不思議ちゃん系(自由人なお子さま)。惰眠とおかしを貪りたいセレナードと、そんなセレナードが可愛くて仕方がない義兄のギルバート、なんやかんやで振り回される従兄のエリオットたちのお話し。完結しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる