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「このところ、ヨナシュと一緒にいるよね。いつの間に仲良くなったんだい?」

 両手いっぱいの書類を捌きながら、ガブリエルが不思議そうに訊ねてくる。
 パヴェルは曖昧に笑って「たまたまです」と誤魔化した。落とした書類を拾ってもらったことが出会いのきっかけだが、それを言ったら自分の粗相がバレてしまう。

「ウマが合ったんですよ。あいつ、すごく良い子なんです。若いけど苦労してるみたいだし、ガブさんも気にかけてやって」
「ふーん、なるほど。パヴェルは苦労人に弱いんだね」

 ガブリエルは一人で頷き、にっこりと邪気のない笑みを浮かべる。

「誰かさんが嫉妬しそうで、僕は怖いけど」
「はぁ? なに言って……」

 反論しかけた時、うなじを突き刺すような視線を感じた。咄嗟に周囲を見渡したが、パヴェルとガブリエル以外、誰もいない。硝子窓に駆け寄って外を見ても、鳥の影すら見当たらなかった。
 この数日、宰相府にいると誰かに見張られているような気がする。
 何とも言えない気持ち悪さに、うなじを守るように手でこすった。本能的な感覚なのか、首のまわりを温めると安心感が湧いてくる。

「どうしたの?」

 ガブリエルが気遣うように訊ねた。

「パヴェル、もしかして……具合悪い?」

 発情期が近いのではと誤解したようだ。
 いくらガブリエルが相手でも打ち明けたくない。発情期が来ないオメガなんて、世間的には価値もなければ立場もないのだ。そろそろ嘘の発情期をでっちあげて休暇申請しておいた方がいいだろう。

「いえいえ、大丈夫、俺の気のせいだったみたい!」

 両手を振って、誤魔化すように明るく笑う。
 それでもガブリエルは心配そうにしていたが、しつこいのはよくないと思ったのだろう。

「何かあったらいつでも言ってね」と微笑み、手際よく書類をまとめて別の部署に運んでいった。


 だが、オメガの勘はあなどれない。
 その日の夕刻、パヴェルの『気のせい』では済まない事態が起きた。


「あっ、新入り! おまえの部屋で小火ぼやがあったんだよ、今すぐ来てくれ!」

 門兵に呼ばれて駆けつけると、パヴェルの部屋が水浸しになっていた。

「安心しろ、延焼はないから。煙草でも消し忘れたか?」
「……煙草はやらないですよ」
「そうか? 元絵師なら古い油も持ってるんじゃないか? ここ何日か天気がよかったから、それで引火したとか」

 小火の責任を追求されているようだが、考えられない。画材は日に当たると劣化する。使わない時はしっかり仕舞い込んでいる。基本の道具の使い方や始末の仕方は、門弟になると最初に厳しく教えられることだ。
 パヴェルは自分の部屋の変わりようを眺めて目眩を感じた。

「……俺の筆がない。ペンも。なんでだ? 燃えたのは主に紙の類ですよね?」

 鎮火する際に衛兵がわざわざ片付けたというのか。だが、誰も手を触れていないと首を振る。

「──これは付け火だろう」

 いきなり部屋にゼノンが入ってきた。
 前触れもなく突然現れた黒髪の美丈夫は、じっくりと現場を見回す。

「ゼノン補佐官。お言葉ですが、ただの小火だと思いますよ。現状では煙草か画材が疑わしいです」
「こいつは絵師だ。画材は適切に管理されていた。官舎では同僚と相部屋だったが、そこでは何の事件も起こしていない」
「それは……気が緩んだってことも……」
「筆とペンが紛失している。思い込みを捨てて調書を取れ。初動が悪かったと訴えられたくないだろう?」

 ゼノンが厳しげな顔で腕を組むと、誰もがぐっと押し黙り、そそくさと動き出した。

「それと今後、宰相私邸付近の見回りを強化するように。厳命だ」

 続く指示に衛兵たちもぴっと背筋を伸ばした。
 焦げ臭い匂いが、まだ部屋の中に燻っている。細かな灰が時々空中に舞い上がる。書き物机のまわりは鎮火のために撒かれた水で、薄汚れた水溜まりができている。

「……少し前、夢に師匠が出てきたんだ」

 汚れるのも構わず、パヴェルは床に膝をついた。かろうじて燃え残り形を留めた画帳もあるが、水でふやけて開けない。

「おまえは火種を抱えてる、用心しろって言われたんだけど……このことだったのかな」

 細かな灰の塊はみな、パヴェルの一部だった。
 燃えた画帳の灰を手に取るパヴェルを、ゼノンは静かに見つめていた。



 ろくに眠れず迎えた翌日。不審な事態はさらに続く。
 宰相の私邸を訪れたパヴェルは、自分を召喚したはずのアリスがいないことに首をひねった。
 セシルに尋ねたかったが、まだ家庭教師の元で国語のお勉強中だ。使用人を掴まえても、いまいち当を得ない。

「アリスお嬢様ですか? パヴェルさんを呼びに行くというので、門兵が補佐官様のところまでお送りしたはずですけど?」
「えっ、俺はすぐこっちに来るって伝えたと思うんだけど……行き違いになったのかな」

 今までなら、こんなすれ違いは起きなかった。
 昨日の小火のショックからまだ立ち直れていないのか。パヴェルは自分自身が信じられなくなっている。

「おーい、そこの……子守り!」

 パヴェルを門番が呼び止めた。

「宰相府からの使いがアリス様をお迎えにきたんだよ。ちょうど交代の時間だったんで申し送りが遅くなった、悪かったな」
「あ、じゃあやっぱり宰相府にいるんだ」

 イレギュラーな行動だが、やはりアリスは宰相府にいるらしい。しかし使いとは誰のことか。ゼノンならゼノン補佐官が来たと言うはずだから、可能性があるのはガブリエルか。
 どちらにしてもパヴェルに一声かけてくれそうなものなのにと僅かな違和感を覚えた。


 王宮の建物から建物への移動はたくさんの門を通り抜ける。
 首にうっすらと汗をかいたパヴェルは、胸に手をかけ、少しだけシャツの襟を緩めた。
 高い門の周辺には強い風が吹き溜まっている。通り抜けようとした時、突風がパヴェルを襲った。激しい風は体を揺さぶり、胸元から白い布をふわりと奪い去る。ゼノンがくれたハンカチーフだ。
 返さなくていいと言われたものだが、ゼノンのイニシャルが刺繍してある以上そうもいかないと思っていた。布の端にはパヴェルの指から滲んだ小さな血の染みがついていて、返すに返せぬまま、ずっと懐に入れて持ち歩いていたのだ。
 パヴェルが手を伸ばす前に風に攫われて、白い布は空高く舞い上がった。木々の梢のもっと先へ消えてゆく。
 悪いが今は探す暇がない。あとでゼノンに謝ろうと決めて、道を急いだ。

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