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その日の夜。パヴェルは仕舞い込んでいた画帳を開いた。
記憶の彼方に忘却される前に、昼間目に焼き付けた情景を描き留めねばならない。
少年と鳩の交歓は一枚の絵と成るにふさわしい美しい光景だった。ヨナシュは濁すように『鳥』だと説明していたが、あれは『鳩』だ。わざわざ野鳥を捕まえて飼い慣らす暇人がいるとは思えないが、貴族の中には酔狂なお方もいることだろう。人に慣れた鳩がいても不思議ではないのかもしれない。
しかも、
(……あの鳩、脚に飾りを付けてたな。なんか凝った柄が編み込まれてた。実はヨナシュがこっそり飼ってるんじゃないか? だからこそこそしてたんだ。故郷を離れて、まだ淋しいのかもしれない)
パヴェルも一瞬しか見ていないが、赤と白の飾り紐が鳩の脚にくるりと巻かれていた。
そういえば、パヴェルがむかし世話になった大工の親方に聞いたことがある。船乗りたちは、赤と白の二色の旗を用いて互いの意志をやりとりするそうだ。パヴェルは王都を離れたことがないから、海というものの魅力も恐ろしさも想像がつかない。
だが、赤と白といえば、もう一つ有名なものがある。この国の東海岸をさらに東に進んだ海上に位置する、島国の国旗だ。
(絹織物が盛んな国って聞いたな。お嬢が使ってた髪飾りのリボンも輸入品だったはず)
いずれにしても、愛らしく飾るほど大切にしている『鳥』だ。パヴェルも告げ口などするつもりはなかったのだが……。
木の幹に背中を預け、今日もパヴェルは絵の続きを描いていた。休憩の合間にさらさらとスケッチするのは、ヨナシュの姿絵だ。
線描に夢中になっていると、横からひょいと画帳を取り上げられた。いつの間にか傍にゼノンがいた。パヴェルはぎゃあと悲鳴をあげた。
「あああっ、勝手に見ないでくださいよ! この、横暴補佐官っ!」
「この絵……新しい文官見習いか?」
ゼノンはさりげなく暴言を受け流し、広げた画帳にまじまじと見入っている。パヴェルはたらりと冷や汗が流れるのを感じた。
「そうですけど。俺が勝手に描いただけですから、怒るなら俺だけにしてくださいよ」
「私はそんなに横暴じゃないぞ。よく描けていると思っただけだ。現実的、写実的というのか? 目に映った光景をそのまま写し取ったような絵だな。見事な画法だ」
ゼノンがかけた言葉に、パヴェルはきつく唇を噛んだ。
現実を単純に写し取ることを、パヴェルの師匠はとても嫌っていた。積み重ねた技術を頼りにされることはあったが、師匠はパヴェルの絵を認めてくれたことは一度もない。鬱屈した思いが蘇ってたまらなくなり、フンッと盛大に鼻を鳴らした。
「……人の絵を貶さないでくれます?」
「……貶していないが? 意外と被害妄想が激しいんだな」
ゼノンに困惑した様子で見つめ返された。それがまたイラッとくる。
「はぁ~ん? どこがですかぁ?」
「少し訊きたいんだが、この『鳥』は『鳩』で間違いないんだな? 脚の紐は飾りか?」
パヴェルの煽りをさらりと無視して、ゼノンはさらに質問を重ねる。
「それ、重要なんですか?」
「ああ。覚えているなら正確に答えてくれ」
強い眼差しを返された。ゼノンの瞳の奥にちらりと蝋燭のような光が灯る。猛禽類を思わせる瞳の色。その視線に当てられて、パヴェルの背筋がぞくりと粟立つ。
「……ごく普通の、灰色の『鳩』でしたよ。紐はたぶん絹です。お嬢が着けてるリボンみたいに光沢があったんで」
「何か模様が付いてたのか?」
「はい。遠目だったけど、丸と三角みたいな記号っぽい模様が編み込まれてて」
「紐の色は?」
「赤と白」
「なるほど。それだけ分かれば十分だ」
ここでゼノンはふっと目元を緩める。
「これは純粋な興味で訊くんだが、なぜ彼の絵を描いた?」
「きれいだったから」
パヴェルはすとんと即答した。それ以外に描く理由なんてない。
ゼノンは素っ気なく「そうか」と返した。凛々しい顔に少しだけ、ふてくされたような表情が滲んで見えた。
「あの……いったい何の話なんすか?」
「……素晴らしい絵だ。それが言いたかった」
褒められているようだが、素直に受け取り難いものがある。ゼノンは勝手に話を切り上げると、速やかに踵を返し、靴音高く去っていく。結局、質問の意図は教えてもらえなかった。
さっきのは本当に興味本位の問いかけだったのだろうか。尋問というほどではないが、取り調べを受けているようにも感じた。
(俺のせいで、ヨナシュに嫌なことが起きたり……しないよな?)
妙な胸騒ぎがする。パヴェルは無性にヨナシュに謝りたくなった。
『──飾ることを覚えなさい。モデルを引き立てなさい。依頼人の『こう在りたい』という願いに耳を傾けるんだ。忘れてはいけないよ、パヴェル。現実を素直に見たまま描くのは、賢い行いとは言えない。……今のおまえは火種を抱えている。それはこの先、大きな災いに転じるかもしれない。用心しなさい』
そこではっと目が覚めた。師匠の夢を見るのは初めてだ。
今思えば、パヴェルの師匠はとても慎重な性格だった。王侯貴族付きの絵師にも派閥闘争があるのだから、当然といえば当然だ。
聖堂の地母神壁画を描いた師匠は「愛国絵師」などと呼ばれるが、その腕前は弟子であったパヴェルもよく知っている。師匠がその筆を自由にふるったことは無きに等しい。国にも認められた絵の巨匠なのだ、もっと自由に描けばいいじゃないかと思ったし進言もしたが、師匠はけして首を縦には振らなかった。
……頭が重い。冷や水を顔にぶちまけられたような、すごく憂鬱な目覚めだった。
今日の天気は薄曇り。日差しが透けていて明るかった。
中庭に出て硬いパンにチーズを挟んだ簡単な昼食を食べていると、後ろからぽんと肩を叩かれた。ヨナシュだ。
「おはようございます、パヴェルさん」
「うっ、おお、ヨナシュ! ど、どうだ、調子は? 困ったことはないか? 怖い上官に怒られてないか?」
「何も変わりはないですけど?」
パヴェルはほっと胸を撫で下ろした。鳩の素描をゼノンに見られてから、ヨナシュが変な疑いをかけられたのではないかと気が気ではなかった。変わりがないのなら問題ない。安心して懐からごそごそと画帳を取り出した。
「実はな、ヨナシュに見てほしいものがあるんだけど」
「何ですか?」
「……見せても怒らないって約束してくれる?」
眉尻を下げ、情けなく問いかけると、ヨナシュはくすくす笑って隣に腰を下ろした。
「パヴェルさんをぶん殴ったりなんてしませんよ?」
「本当? 本当だな? じゃあ見せるぞ……ほら、ヨナシュの姿絵だ!」
ばっと画帳を開けば、ヨナシュは目を丸くして押し黙った。
一枚だけじゃない。少年と鳩の戯れを簡素に捉えたスケッチから、モデルを精緻に描き込んだ横顔まで。この数日、仕事の合間に夢中で手を動かした。パヴェルは得意げに、ぱらぱらと帳面をめくってみせる。
「全部でざっと三十枚くらい描いたかな。どうだ、なかなかすごいだろう?」
ヨナシュは呆然としていたが、数拍おいてからそろそろと動き出した。自分の姿が描かれた絵に手を伸ばす。その指先はやや震えていた。
「……この画帳、いつも持ち歩いてるんですか?」
「ああ、いつも懐に入れてるよ」
ヨナシュの問いに頷き、ぱらぱらとページをめくった。
帳面の最初のページにはアリスとセシルを描いたスケッチがある。
「ほら、これが宰相のお子様だよ。こっちがアリスお嬢様で、こっちはセシル坊ちゃん。他のページはほとんどヨナシュだけど」
質のいい紙ではないから帳面の角は出し入れする際の摩擦でくたびれ、丸みを帯びている。文官が使う文書用紙を失敬できればよかったのだが、さすが王宮。ああいう備品は管理が厳しい。書き損じたものですら情報漏洩になるからという理由で恵んでもらえなかった。
「よく描けてるだろ。『鳩』とヨナシュ。いい画題だよなー」
「あの……誰にも見せないでほしいんですけど……で、できれば燃やしてください……! 恥ずかしいからっ……!」
ヨナシュは赤くなったかと思えば次は真っ青になって、ぷるぷると肩を震わせている。
「えー、やだよ、もったいない。酒場に持っていけば、吟遊詩人が歌にしてくれるかもな?」
「そんな! 誰にも見せないでってば……!」
からかい混じりに言えば、画帳を取り上げようと手を伸ばしてくるので、ひょいと身を躱した。上背のあるパヴェルが帳面を頭上に掲げて持てば、ヨナシュは前髪を揺らしてぴょんぴょん子兎のごとく跳ねる。手が届かない代わりに息を荒くして睨んできたので、パヴェルは画帳を背中に隠した。
「あ……あれ、ヨナシュ怒ってる? おまえ怒ってるよな?」
「そんなことないです。僕は冷静です」
目つきが心なしか冷たいし、口調もとげとげしている。こいつも怒ったりできるのだなと、パヴェルは新鮮な気持ちで彼を見つめ直した。
「まあ落ち着けって。絵が完成したら、ちゃんとヨナシュにプレゼントするよ。だけど、まだ手心を加えないと」
「……手心とは? どういう意味でしょうか?」
ヨナシュが訝しげな面持ちで詰問する。
「絵をより本物に近づけるための工夫だよ。もうちょっと描き込みたいってこと」
「より本物に……そうですか。パヴェルさんは本当に絵がうまいな」
ヨナシュが静かに目を伏せた。
青年というにはまだ無垢さの残る容姿。顔をうつむけたのは照れているせいか。それならいいが、ひょっとしたら泣き出してしまうんじゃないかと思って、パヴェルはどきどきした。真面目で努力家のヨナシュを驚かせたくてしたことだが、勝手に描いたことをきちんと謝罪しておくべきだろうか。
パヴェルが心の中でああだこうだと一人会議をしている最中、ヨナシュは薄く微笑んで顔を上げた。
「絵ができあがったら、必ず……必ず全部、見せてくださいね。約束ですよ?」
記憶の彼方に忘却される前に、昼間目に焼き付けた情景を描き留めねばならない。
少年と鳩の交歓は一枚の絵と成るにふさわしい美しい光景だった。ヨナシュは濁すように『鳥』だと説明していたが、あれは『鳩』だ。わざわざ野鳥を捕まえて飼い慣らす暇人がいるとは思えないが、貴族の中には酔狂なお方もいることだろう。人に慣れた鳩がいても不思議ではないのかもしれない。
しかも、
(……あの鳩、脚に飾りを付けてたな。なんか凝った柄が編み込まれてた。実はヨナシュがこっそり飼ってるんじゃないか? だからこそこそしてたんだ。故郷を離れて、まだ淋しいのかもしれない)
パヴェルも一瞬しか見ていないが、赤と白の飾り紐が鳩の脚にくるりと巻かれていた。
そういえば、パヴェルがむかし世話になった大工の親方に聞いたことがある。船乗りたちは、赤と白の二色の旗を用いて互いの意志をやりとりするそうだ。パヴェルは王都を離れたことがないから、海というものの魅力も恐ろしさも想像がつかない。
だが、赤と白といえば、もう一つ有名なものがある。この国の東海岸をさらに東に進んだ海上に位置する、島国の国旗だ。
(絹織物が盛んな国って聞いたな。お嬢が使ってた髪飾りのリボンも輸入品だったはず)
いずれにしても、愛らしく飾るほど大切にしている『鳥』だ。パヴェルも告げ口などするつもりはなかったのだが……。
木の幹に背中を預け、今日もパヴェルは絵の続きを描いていた。休憩の合間にさらさらとスケッチするのは、ヨナシュの姿絵だ。
線描に夢中になっていると、横からひょいと画帳を取り上げられた。いつの間にか傍にゼノンがいた。パヴェルはぎゃあと悲鳴をあげた。
「あああっ、勝手に見ないでくださいよ! この、横暴補佐官っ!」
「この絵……新しい文官見習いか?」
ゼノンはさりげなく暴言を受け流し、広げた画帳にまじまじと見入っている。パヴェルはたらりと冷や汗が流れるのを感じた。
「そうですけど。俺が勝手に描いただけですから、怒るなら俺だけにしてくださいよ」
「私はそんなに横暴じゃないぞ。よく描けていると思っただけだ。現実的、写実的というのか? 目に映った光景をそのまま写し取ったような絵だな。見事な画法だ」
ゼノンがかけた言葉に、パヴェルはきつく唇を噛んだ。
現実を単純に写し取ることを、パヴェルの師匠はとても嫌っていた。積み重ねた技術を頼りにされることはあったが、師匠はパヴェルの絵を認めてくれたことは一度もない。鬱屈した思いが蘇ってたまらなくなり、フンッと盛大に鼻を鳴らした。
「……人の絵を貶さないでくれます?」
「……貶していないが? 意外と被害妄想が激しいんだな」
ゼノンに困惑した様子で見つめ返された。それがまたイラッとくる。
「はぁ~ん? どこがですかぁ?」
「少し訊きたいんだが、この『鳥』は『鳩』で間違いないんだな? 脚の紐は飾りか?」
パヴェルの煽りをさらりと無視して、ゼノンはさらに質問を重ねる。
「それ、重要なんですか?」
「ああ。覚えているなら正確に答えてくれ」
強い眼差しを返された。ゼノンの瞳の奥にちらりと蝋燭のような光が灯る。猛禽類を思わせる瞳の色。その視線に当てられて、パヴェルの背筋がぞくりと粟立つ。
「……ごく普通の、灰色の『鳩』でしたよ。紐はたぶん絹です。お嬢が着けてるリボンみたいに光沢があったんで」
「何か模様が付いてたのか?」
「はい。遠目だったけど、丸と三角みたいな記号っぽい模様が編み込まれてて」
「紐の色は?」
「赤と白」
「なるほど。それだけ分かれば十分だ」
ここでゼノンはふっと目元を緩める。
「これは純粋な興味で訊くんだが、なぜ彼の絵を描いた?」
「きれいだったから」
パヴェルはすとんと即答した。それ以外に描く理由なんてない。
ゼノンは素っ気なく「そうか」と返した。凛々しい顔に少しだけ、ふてくされたような表情が滲んで見えた。
「あの……いったい何の話なんすか?」
「……素晴らしい絵だ。それが言いたかった」
褒められているようだが、素直に受け取り難いものがある。ゼノンは勝手に話を切り上げると、速やかに踵を返し、靴音高く去っていく。結局、質問の意図は教えてもらえなかった。
さっきのは本当に興味本位の問いかけだったのだろうか。尋問というほどではないが、取り調べを受けているようにも感じた。
(俺のせいで、ヨナシュに嫌なことが起きたり……しないよな?)
妙な胸騒ぎがする。パヴェルは無性にヨナシュに謝りたくなった。
『──飾ることを覚えなさい。モデルを引き立てなさい。依頼人の『こう在りたい』という願いに耳を傾けるんだ。忘れてはいけないよ、パヴェル。現実を素直に見たまま描くのは、賢い行いとは言えない。……今のおまえは火種を抱えている。それはこの先、大きな災いに転じるかもしれない。用心しなさい』
そこではっと目が覚めた。師匠の夢を見るのは初めてだ。
今思えば、パヴェルの師匠はとても慎重な性格だった。王侯貴族付きの絵師にも派閥闘争があるのだから、当然といえば当然だ。
聖堂の地母神壁画を描いた師匠は「愛国絵師」などと呼ばれるが、その腕前は弟子であったパヴェルもよく知っている。師匠がその筆を自由にふるったことは無きに等しい。国にも認められた絵の巨匠なのだ、もっと自由に描けばいいじゃないかと思ったし進言もしたが、師匠はけして首を縦には振らなかった。
……頭が重い。冷や水を顔にぶちまけられたような、すごく憂鬱な目覚めだった。
今日の天気は薄曇り。日差しが透けていて明るかった。
中庭に出て硬いパンにチーズを挟んだ簡単な昼食を食べていると、後ろからぽんと肩を叩かれた。ヨナシュだ。
「おはようございます、パヴェルさん」
「うっ、おお、ヨナシュ! ど、どうだ、調子は? 困ったことはないか? 怖い上官に怒られてないか?」
「何も変わりはないですけど?」
パヴェルはほっと胸を撫で下ろした。鳩の素描をゼノンに見られてから、ヨナシュが変な疑いをかけられたのではないかと気が気ではなかった。変わりがないのなら問題ない。安心して懐からごそごそと画帳を取り出した。
「実はな、ヨナシュに見てほしいものがあるんだけど」
「何ですか?」
「……見せても怒らないって約束してくれる?」
眉尻を下げ、情けなく問いかけると、ヨナシュはくすくす笑って隣に腰を下ろした。
「パヴェルさんをぶん殴ったりなんてしませんよ?」
「本当? 本当だな? じゃあ見せるぞ……ほら、ヨナシュの姿絵だ!」
ばっと画帳を開けば、ヨナシュは目を丸くして押し黙った。
一枚だけじゃない。少年と鳩の戯れを簡素に捉えたスケッチから、モデルを精緻に描き込んだ横顔まで。この数日、仕事の合間に夢中で手を動かした。パヴェルは得意げに、ぱらぱらと帳面をめくってみせる。
「全部でざっと三十枚くらい描いたかな。どうだ、なかなかすごいだろう?」
ヨナシュは呆然としていたが、数拍おいてからそろそろと動き出した。自分の姿が描かれた絵に手を伸ばす。その指先はやや震えていた。
「……この画帳、いつも持ち歩いてるんですか?」
「ああ、いつも懐に入れてるよ」
ヨナシュの問いに頷き、ぱらぱらとページをめくった。
帳面の最初のページにはアリスとセシルを描いたスケッチがある。
「ほら、これが宰相のお子様だよ。こっちがアリスお嬢様で、こっちはセシル坊ちゃん。他のページはほとんどヨナシュだけど」
質のいい紙ではないから帳面の角は出し入れする際の摩擦でくたびれ、丸みを帯びている。文官が使う文書用紙を失敬できればよかったのだが、さすが王宮。ああいう備品は管理が厳しい。書き損じたものですら情報漏洩になるからという理由で恵んでもらえなかった。
「よく描けてるだろ。『鳩』とヨナシュ。いい画題だよなー」
「あの……誰にも見せないでほしいんですけど……で、できれば燃やしてください……! 恥ずかしいからっ……!」
ヨナシュは赤くなったかと思えば次は真っ青になって、ぷるぷると肩を震わせている。
「えー、やだよ、もったいない。酒場に持っていけば、吟遊詩人が歌にしてくれるかもな?」
「そんな! 誰にも見せないでってば……!」
からかい混じりに言えば、画帳を取り上げようと手を伸ばしてくるので、ひょいと身を躱した。上背のあるパヴェルが帳面を頭上に掲げて持てば、ヨナシュは前髪を揺らしてぴょんぴょん子兎のごとく跳ねる。手が届かない代わりに息を荒くして睨んできたので、パヴェルは画帳を背中に隠した。
「あ……あれ、ヨナシュ怒ってる? おまえ怒ってるよな?」
「そんなことないです。僕は冷静です」
目つきが心なしか冷たいし、口調もとげとげしている。こいつも怒ったりできるのだなと、パヴェルは新鮮な気持ちで彼を見つめ直した。
「まあ落ち着けって。絵が完成したら、ちゃんとヨナシュにプレゼントするよ。だけど、まだ手心を加えないと」
「……手心とは? どういう意味でしょうか?」
ヨナシュが訝しげな面持ちで詰問する。
「絵をより本物に近づけるための工夫だよ。もうちょっと描き込みたいってこと」
「より本物に……そうですか。パヴェルさんは本当に絵がうまいな」
ヨナシュが静かに目を伏せた。
青年というにはまだ無垢さの残る容姿。顔をうつむけたのは照れているせいか。それならいいが、ひょっとしたら泣き出してしまうんじゃないかと思って、パヴェルはどきどきした。真面目で努力家のヨナシュを驚かせたくてしたことだが、勝手に描いたことをきちんと謝罪しておくべきだろうか。
パヴェルが心の中でああだこうだと一人会議をしている最中、ヨナシュは薄く微笑んで顔を上げた。
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