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桃林
しおりを挟む【お食事中の皆様:お下品な表現がございます。ご注意くださいませ…!】
藍鹿と菁野は村から抜け出した。
土塀を乗り越えても菁野は背後を警戒し続け、藍鹿を先に立たせて祠堂を目指した。黙々と歩いていると冷や汗がどっと噴き出してくる。抜け出せない悪夢に囚われたように息がしづらい。……九娘の首が落ちる場面と蓮主の胸で揺れる大南宝珠とが交互に眼裏に蘇り、藍鹿の心を苦しめた。
「藍鹿はさっき、何に気づいたの?」
隣に並んだ菁野が顔を覗き込むようにして訊ねた。気遣いながらも真意を掴もうとする鋭い眼差しが藍鹿を射抜く。菁野には宝珠の件を知らせていないのだった。
藍鹿は疲れ切った声で説明する。
「あなたは、蓮主がさげていた白い宝珠を見ましたか? ひょうたんのような形、拳大の大きさ……あれは二つとして同じものは存在しません。あの真珠は王宮にあった妃嬪の宝で……大南から嫁いだ貴人の棺に納められるはずだった宝珠です。神都の皇宮から紛失したあの宝玉が、この村にあるはずないんです」
「あるはずのない宝が存在したわけだ。藍鹿はさ、どうしたらそんなことがあり得ると思う?」
「どうしたらって、そんなの……私のように皇宮に縁ある人物が……いや、でもそんな、莫迦な」
「あり得ないはずの事態になってるんだから、それが答えじゃないの?」
菁野が淡々と指摘する。
宝珠を知り得る人物で、蓮花村と縁のある者。それは藍鹿を除けば――。
「――柳玄?」
柳玄が宝珠を盗み、蓮花村に運んだ?
妃嬪の私物に手を出す。それは友を欺くばかりか、一族を滅ぼすほどの大逆に匹敵する罪だ。そんな愚行を柳玄が犯すだろうか?
「そんなわけ……柳玄のわけ、ない……」
藍鹿は両手で顔を覆った。
宝珠盗難事件の犯人は判明していないのだ。
事件が発覚した時は何人もの宦官や武官が連座して責任を追及され、皇宮を追放された。藍鹿もそのうちの一人だ。家族を流行り病で失った藍鹿は、身元を証明できる者がいないという理由だけで犯人の疑い濃厚だとされ、槍玉に挙げられた。おまえのような者がいるから後宮の風紀が乱れたのだと責められ、杖刑をくらい、職を失った。
ボロボロになって街に放り出された藍鹿を迎えにきたのは、柳玄だった。柳玄は将来を嘱望された軍営の武官で、後宮へ繋がる門を守備していた。藍鹿とは仕事上の顔馴染みでもあったのだが、盗難事件後、やはり職を辞していた。あの事件のせいで職場の居心地が悪くなったのだといって笑っていた。
……そうだ。藍鹿はカッと目を見開く。
柳玄は連座で処罰されたのではなく、藍鹿の追放が決まったあと、自ら辞職を願い出たのだ……。
柳玄は本当に藍鹿を陥れたのか?
藍鹿には柳玄がわからなくなった。
「私は信じない……信じるものか!」
「少し声を落とそうか、藍鹿」
「意味がわかりません。九娘さんは殺されたし、柳玄はいなくなった。おまけに宝珠は蓮主が持っている……何なんだ、この村はっ」
感情のままに吐き出した。顎の震えが止まらず、口を開いていなければ耐えられそうもない。すると突然、藍鹿の視界がぼんやりとしたもので覆われた。驚いてしきりに瞬きを繰り返す。目前にあるのは白磁のように滑らかな肌で、唇に触れるのは柔らかなぬくもりだ。
(……この人、距離感、おかしい)
変だ、妙だ、間違ってる。そう思うのに、薄く口を開けて、いつの間にか深く彼を受け入れている。まるで出来のいい生徒のように、藍鹿の体は菁野の呼吸に合わせて動いていた。自然と瞼が降りて、ゆっくりとまた開く。
唇を離した菁野がそっと訊ねた。
「落ち着いた?」
「……取り乱して、すみません」
気まずさを俯いて誤魔化し、素っ気なく謝る。
菁野は切れ長の眦を下げ、息だけで甘く笑った。
「蓮主の行いは人の法では裁けない。この村で真実を教えてくれるのは――幽鬼だけだよ」
日が沈んで闇色を深めてゆく北山に向かい、菁野がぴゅうと口笛を吹く。はじめは緩やかに、だんだん拍子を早めて乱調な旋律に。しばらくすると、一番星が瞬く空に遠吠えが響いた。
菁野が祠堂を出て歩き出した。謎めいた行動の理由を問うのも忘れ、藍鹿もその背中を追いかける。雑木林を抜ければ、桃の林に行き当たった。ここは村の鬼門を守る要の場所だ。
「菁野、何を……」
藍鹿が話しかけようとした時、木々の間を抜けて巨大なかたまりが飛び出した。黒々とした毛並みは米俵よりもはるかに大きい。
「山狗の頭領と話をつけておいたんだ」
「山狗って、狼……!?」
新たな吠え声が空気を切り裂く。四方から土を跳ね上げ、何頭もの狼が姿を現した。荒々しい獣の気配に気圧されて、藍鹿は菁野の背中にスススと体をくっ付ける。
「に、逃げなくていいんですか……?」
「大丈夫。こいつらは味方だよ。おーい、みんなー、やっちゃってー!」
菁野が朗らかに声をかけ、大きく腕を振る。
続く狼の行動に藍鹿は驚愕した。狼たちは桃木の根元に尻を下ろすと、ぷりぷり排泄しはじめたのだ。片足をあげて小便をひっかけるものもいる。もわりとした悪臭が風に漂い、藍鹿はうっと鼻を摘んだ。
「くっさ! 待って、ねえ、待って? 狼に何させてんですか!?」
「蠱術破り。村の風水を破壊して蓮主の術を破るんだ」
「他にやり方ないんですか!? 臭すぎる!」
藍鹿は涙目になって菁野に食ってかかった。
菁野は自称、修行中の半仙だ。半人前でも仙人なのだから、妙な術もそれなりに扱えるだろう。だがこれはあまりにも下品ではないか――見ていて悲しくなってくる。
「本来は黒狗の血もしくは雌鶏の血を使うんだけど、俺は慈悲深いから殺生は避けたくてね。本格的にやるなら、木に吊るした生肉を捌いたりするんだよ。藍鹿はそういう猟奇的な趣きが好きだったりする?」
「いいえ! 最適なご判断どうもありがとう!!」
菁野も笑いながら鼻を摘んでいるが、超然とした面持ちで成り行きを見守っている。
「山狗たちの姿はなるべく見ないであげて。獣といえど凝視されちゃ気まずいでしょ」
「ちょ……っ!」
後ろから両目を隠された。手がわたわたと宙をかく。背中を菁野の胸に預ける形で引き寄せられ、愉しげな呼気が藍鹿の目許に落ちた。
「ここからが本番だね」
処女を狙う夢魔のように色気を含んで笑う。菁野と密着した背中がぽかぽか温かくて、藍鹿は腹のあたりがむずがゆくなった。
(無駄な色気を撒き散らさないでくれ――!)
黄昏時でよかった。だんだん顔が熱くなってきたが、火照った頬を菁野に見られずに済んだ。菁野は蠱術破りの行方に夢中だ。
「彼らのおかげでこれから鬼門が活発になるよ。幽鬼が力を取り戻す。蛇蠱師の蓮主様はどう出るだろうね?」
あとは仕掛け網を引くのを待つばかり。
口笛が短い旋律を奏で、群れを山へ帰す。狼たちは軽やかに身を翻し、闇を駆ける風となった。
「俺の手を取れば――きみは真実にたどりつく」
誘うように菁野が手のひらを差し出した。この誘いが悪夢の続きでも、地獄への道でも構わない。藍鹿は菁野に腕を伸ばした。
「行きましょう。私は真実が知りたい」
何もわからぬままでいるほうが苦しい。藍鹿が伸ばした手は、長い指に力強く握りしめられた。
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