藍より深き幽冥に咲く

温風

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菁野

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 夜になった。蓮花村滞在二日目の夜だ。

 柳玄リウシュエンが滞在したはずの水簾閣の前院を見て回ったが、村の人が頻繁に手入れしているようで、どの房もシミひとつなく清潔に保たれていた。藍鹿ランルーが期待した手がかりは何も見つからなかった。

(……気分が重い)

 胸が潰れそうなほどの長い長いため息を吐く。
 そろそろへやを出て、蓮主れんしゅの機嫌をとりにいかなくてはならない。屈辱など今さらだ。宦官となった時点で心身共にとっくにズタズタなのだ。自分を粗末に扱う趣味はないが、ただの道化になっても得られる何かがあるのなら、この身ひとつくらいくれてやる――そう意気込んで自分を鼓舞していた時だ。

 珍客は前触れもなく訪れた。

「たのもーう!」

 房の扉をがたがたと粗雑に叩く者がいる。
 姿を見ずとも誰の声かは理解した。
 扉の格子にゆらりと影が映る。やり過ごせないかと思って息を殺してみたのだが、

「おーい、藍鹿、聞こえてるー?」
「……誰ですか」
「わかってて訊くとか焦らしてる? 一緒にイイコトした仲だろうがー!」

 そこまでが我慢の限界だった。藍鹿は顔を赤くしてバァーンと扉を開けた。

「変な言いがかりはやめろ! とっとと入ってくれます!?」
「おっじゃましまーす! 俺も泊まりにきたよ」

 菁野ジンイエは腰まである長い黒髪をゆらりとなびかせ、「きみの加勢に来てやったぞ」と無意味に胸を張った。肩には麻紐で括った酒壺を担いでいる。村人の家から盗んだのでなければよいが、先行きが不安すぎる。

「池池池、村の中は池ばっかりだなぁ。ここなんて池ど真ん中だ」
「……村に入ったことなかったんですか?」
「そうだよ。今までずっと外から内部を窺ってた。特にこの邸は造りが薄気味悪くてなぁ。できれば入りたくなかったけど、藍鹿がいるっていうし、仕方なく?」
「私のせいにしないでください。それより薄気味悪いって、どこがですか?」
「風水的に。天地、山、川……この村の周辺、すべての霊気が青蓮の池に集まるように計算されて造られている。見ていて少し、具合が悪くなるよ」

 菁野は表情を曇らせ、腕を組む。風水の話は藍鹿にはわからない。

「青蓮を大事に守っているのでしょうね。青い蓮花って珍しいですからお金になると思うんですが、盗人が入ったという話も聞きません」

 蓮主が座す水簾閣にのみ花開く青蓮は、藍鹿が見た限りでは、単純に村の上に立つ者の権力の象徴だ。村の人もおいそれと触れたりはしない。

「なるほどねえ」

 菁野が長椅子にどかりと腰を下ろした。右手で酒壺を抱え、左手で膝を打つ。

「さて。せっかく俺ときみが揃ったんだ。情報のすり合わせといこうじゃないか」
「……そうしたいのは山々なのですが」

 藍鹿は渋ったが、手っ取り早く自分の状況を説明した。
 話を聞いた菁野は呆れたように天井を仰いだ。

「おいおい、ろくでもない誘いは毅然と跳ね除けなきゃいかんだろうが」
「それができたらやっています!」
「まったく……きみは人がいいよなぁ。他人の本音を引き出すには嫌われてナンボだろ」

 酒壺を抱いてやわらかく微笑む姿に、どうしてか柳玄の顔が重なった。正反対といっていい風貌なのにおかしな話だ。心細さがそうさせるのか。疲労のせいで判断が鈍っている可能性もありそうだ。藍鹿は目元を手で揉んでみる。

 その隙に、菁野は酒壺を置いてすっくと立ち上がった。

「よっし。まずは、あの女に話をつけに行こうか!」

 とんでもない提案をするな、この男。



「勝手をされては困ります、ここから先は藍鹿どのしかお呼びじゃありません!」
「あなた誰なんですか、無礼者! 蓮主様が怯えるでしょう! 下がりなさい!」

 必死に止める小七と小八の努力も虚しく、菁野は扉を蹴り開け、蓮主の房に押し入った。
 菁野の美男っぷりに目の色を変えた蓮主が「いやあぁぁ」と奇声を発し、わざとらしすぎる動きで菁野の懐に飛び込んだ。

「まあ、藍鹿様のお友達ですのね? 水簾閣へようこそ、歓迎いたしますわぁ……!」

 接近すればこちらのものだとばかりに菁野の体をぺたぺたと触る。あれやこれやと色仕掛けをしているが、その勢いたるや藍鹿の時の比ではなかった。

(うわあ、あざとすぎて全部裏目に出てますけど……)

 引き気味の表情を悟られまいと藍鹿は視線を逸らし、天井の梁を無言で眺める。長くかかりそうなら木目を数えよう、と思った時、菁野が女に冷笑を浴びせた。

「俺はさ、女が嫌いなんだ」

 蓮主の頬がぴしりと硬直した。

「あんたの誘いを断ったからって、まさか追い出したりはしないだろうね? 俺たちのことは食客と思えばいい。村の有力者なら食客を抱えたって別段おかしくないだろ。むしろ箔が付く。世のため村のために徳を積んでると思えば安いもんじゃないか。だから粉をかけるのはやめてくれ」
「あらぁ、粉をかけるだなんてぇ。あたしはただ仲良くしたいだけですわぁ」

 どうにか表情を取り繕う蓮主だが、唇の端がぴくぴく動いている。

「……その態度を改める気はないのか。あんた、元々お堅い身の上じゃないんだろ。色ボケした痴女に酷い目に遭わされたと、ありのままに吹聴してみようか。そしたら蓮花村は痴女村に早変わりだ。あんたを揶揄いたい男が村の外から集まってくるかもなぁ。男日照りが解消されたら、あんたは喜ぶかい?」

 菁野の煽りに、蓮主の相貌ががらりと変わった。眦が吊り上がり、幽鬼すら殺せるような獰猛な顔つきとなって菁野を睨みすえる。

「莫迦みたいに舌の回る男ね。優しくしてあげればつけ上がって……その態度、矯正してあげてもいいのよ!?」
「何を怒る? きみが藍鹿にしたのも同じことだろうが。やり返されたくらいで青筋立てるなよ」
「ああ、そう。そいつはあんたの『女』ってわけ。よっぽど具合が良いんだ? イチモツ切り落としたうらなりがお気に入りとはね!」

 藍鹿を貶める言葉に、菁野は劇薬を投じた。

「……自分の魅力が通じないからって、人をこき下ろすなよ」

 美しい男は白い喉を反らせてせせら笑った。瞳に氷のような鋭利な光が揺れる。尊大で傲慢な態度は菁野という男をさらに華やかに彩った。他者を圧倒し高貴さすら漂わせる姿は、場を支配する王者にも等しい。
 言い返せずにいる蓮主がギリギリと奥歯を噛み締める。

「俺はさぁ、人の体に文句つけるような女が、いっちばん嫌いなんだよね」

 とどめの一撃だった。
 菁野の瞳孔が縦に細くなる。声から伝わるのは揺るぎない怒り。その憤怒が空気を重々しいものに塗り替えた。藍鹿はもちろん、蓮主でさえも菁野の怒気に圧倒されている。

「……たっ、滞在は許しましょう。だけど、食事も酒もご自分で調達なさるがいいわ!」

 藍鹿と菁野の二人はぽいぽいと主房から追い出され、藍鹿の尊厳はどうにか守られた。



 菁野は後頭部で両手を組んで房の中をうろつき、柱の色だとか格子戸の透かし彫りを眺めている。

「蓮主の房は奥院の二階です。私たちは近づかないようにしましょう」
「はいはい。あっちが何もしてこない限りはね」
「菁野、あの……」
「ん? なあに?」

 名を呼べば、くるりと振り向いた。菁野の切れ上がった双眸が藍鹿を捉える。頬が少しだけ熱くなって、少し視線を下げた。

「……庇っていただけるとは思いませんでした。ありがとう」

 人の体にけちをつけるなと擁護されたのは、妙な気分だった。ふわふわした気持ちになるというか、息がしやすいというか。

「きみも何か目的があってこの村にいるんだろう。そっちの調子はどうなんだい?」
「来るだけ無駄だったかと今は後悔していますよ。実は……」

 遅まきながら、これまでの内容を菁野に打ち明けた。友を捜してここまで来たこと、祠堂から村へ戻ったら死人が出ていたこと。死んだのは村長一族の最後の女性で、奴婢扱いされていたこと。調査の収穫がはかばかしくないことも正直に話した。

「……村長一族の最後の一人か。藍鹿は死んだ女の顔は見たの?」
「まさか。女性の死に顔を暴くような失礼はできません」

 芳芳について話すと、やるせない気持ちが滲んでくる。彼女の亡骸に優しい言葉をかける人すらもいなかったのだから。

「芳芳て子は、本当に蛇に咬まれて死んだと思う?」
「それは検視でもしないとわからないと思います。でも蓮主が死因を宣言したことで、みんな納得したんじゃないでしょうか。実際、この村、毒蛇はいるみたいですよ。毒消しは水簾閣にあるそうです」

 報告しながら藍鹿は自分で自分の腕をさすった。今すぐ村中の蛇が消えて欲しいと心の中で願う。

「ふうん……。まあ、村には村のやり方があるって言われちゃお手上げだよな。俺たち二人とも余所者だし」

 そこで藍鹿は、はて、と疑問を浮かべた。この男は、なぜこの僻村に来たのだろうか。

「菁野はなぜ蓮花村にこだわるのですか?」
「えっ? そんなこと改めて訊いちゃうの?」
「気になるじゃないですか。あなたと私の利害は果たして一致するのかなとか、今さらですけど」

 こうした話は出会った時に済ませておくべきだと思うが、なにしろ二人の出会いときたら媚薬の熱に浮かされてそれを介抱して――という極めていかがわしく濃密な時間だった。是非もない。
 藍鹿がじとっとした視線を送ると、菁野はかすかにたじろいだ。

「お、おいしい魚を追いかけたら村を発見しちゃった……っていうか、待って、えっと……あ、今のなし……」

 目線が合わない。ふざけているのではなく、本当に困っているようだ。
 菁野の心には頑なに閉ざした扉があるのかもしれない。普段はそれを悟らせないように飄々としているだけで。

(……いじわるを言ってしまったか。突かれたくないことも、見せたくないものも、ある。私はその塊じゃないか)

 自分が安心するために人を暴き立てる真似はしたくない。
 藍鹿はゆるく頭を振った。

「嘘はつかなくていいです。あなたが話さぬと決めたなら、私はそれを無理に聞き出したりしない」

 菁野が弾かれたように顔を上げる。初めて海を見た子供のような素直な驚き顔を晒した。

「きみ……やっぱり人が良いな。いや、そうじゃなくて……なんていうか、男前だ」
浄人マラなしに男前と言いますか」

 自虐的に呟いたら自然に口許が歪んだ。けれど菁野は笑ったりしなかった。藍鹿の腕を掴むと、まっすぐな視線をぶつけて告げたのだ。

「皮肉じゃない。本気で褒めてるんだ。俺は人を足し算や引き算で判断したりしない」

 菁野の言葉はとすっと藍鹿の胸を突き刺した。だが、身構えていた痛みはやってこない。上等なお茶の旨みがじんわりと体に染み込むように、くすぐったい感覚が藍鹿の胸を刺激する。菁野という男は、冷気すら漂わせる絶世の美形でありながら、こんな場面で意外な真剣さを覗かせるのか……。

 初対面が媚薬まみれの甚だしい状況だっただけで、思ったより好男児いいやつなのかもしれない。この夜は数日ぶりにぐっすりと深い眠りに落ちた。

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