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3章〜生まれ落ちたシンイ〜

65話「平穏は脅威から生まれ恐怖にて消える1」

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 ー八雲 響ー

 風が草木の間を駆け抜ける。
 草達がその風で小さな音を奏で、奏でられた音に天から見下ろす太陽が温もりを与える。

 八雲 響 は暇を持て余していた。
 ダンジョンと呼ばれるこの場所に呼び出されてから特段何かが起きたことはなかった。平和に、平穏に実に何もなく幼少期に戻ったかのように自然を楽しんでいた。

「なぁ、俺って何すればいいんだ?」

 響 は隣で丸くなっているライオンの レオ に話しかけた。
 レオもまた心地よい風と陽光に寝ぼけ眼をこすりながら首を上げた。

「分からぬ。我もまた無知であったのかも知れぬな」

 低く、重い声で レオ は返した。
 そう言われてどうしようもなくなった 響 は再び自然に背中を預けた。そして、暇を持て余す 響 を一匹が見つけた。

「きゅう?」

 真っ赤な瞳でフワフワな毛を持つ一匹の丸いウサギが草原の中草を分けて転がって来た。走ってや歩いてではなく転がって来た。

「お、どうした?遊んで欲しいのか?」
「きゅ!きゅう!」

 受け止められ、抱き上げられたウサギは嬉しそうに鳴き声をあげた。
 響は転がってきた時についた土や草を取り払いながら優しく撫でた。

「カワイイなぁ」
「なー、ご主人よ!」

 鳴き声につられてピコピコと動く耳を見て口元を緩めている 響 に甲高い声がかけられた。
 響 が振り向くとそこには、真っ白の毛に絶妙なコントラストを描く黒の斑点を持つ一匹のヒョウが居た。

「アタシはよ、戦いくらいしか楽しみはないんだ! いつになったら敵が来るんだい?」
「そう言われてもな⋯⋯レオ はどう思う?」
「我に聞かれてもな⋯⋯少なくとも数日そこらでは我等のダンジョンが見つかることはない」
「つまり、アタシはどのくらい待ちゃいいんだい?」
「分からぬ」
「ああー、もう!」

 一際大きな声をあげたヒョウは理由もなく何処かへ走り去って行ってしまった。
 遊び足りない大型犬が遊んでくれない主人に愛想をつかして暴れている気分だ。召喚された当初はここまでストレスを抱えることはなかったのだが、最近は目に見えて退屈しているのが伝わる。

「はぁ⋯⋯またか」
「すまぬな、主よ」
「いいよ、これも俺の仕事みたいなものだしね」

 そう言って 響 は ヒョウが走って言った方向へ足を向けた。
 かなり殺伐とした遊び。これも暇を持て余している響にとっては貴重な日課の一つだった。このくらいの面倒がなければ自由に押しつぶされていただろうと響は感じていた。

「まぁ、最初はこんなものであろうな⋯⋯」

 レオ はそう一言呟くと暖かい日の光を受け、芝生に身を委ね、瞳を閉じた。

 ◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾️◆◾

 ー涼宮 零・立花 香ー

 装飾はおろか色合いすらも淡白とした壁、生活品はおろか埃すら落ちていない床。唯一部屋の中にあるのは二つの椅子と一つの机だけだった。
 そんな無機質な部屋の中 涼宮 零 と 立花 香 が向かい合わせで座って居た。

「⋯⋯ココがアンタのダンジョン?」
「ええ」

 あまりの簡素さに落ち着かない 香 が聞いたが 零 は簡潔、無関心に答えただけだった。

「⋯⋯」
「⋯⋯」

 沈黙が場を支配する。

 こちらの世界にくる前から関わりは少なかった香と零。
 不安もなく、余裕もあった高校生活の時とは変わり、価値観は崩壊し心身ともに化物に近づきつつある今の状況では余計に気まづい。

 それでも先に口を開いたのは 香 だった。

「さっき⋯⋯アドバイザーの魔物を自分で殺したって⋯⋯」
「ええ」
「どうしてそんなことを?」
「信用ならないから。現に貴女は死んでいない」
「⋯⋯あっ」

 アドバイザーの魔物から離れればダンジョンマスターは死んでしまう。
 香 はアドバイザーの魔物である ラウ からそう言われていた。そして今その魔物は死に、香 はその死体からかなり遠くにいる。

「それ以外にも不自然な点が多過ぎる」
「そ、それは⋯⋯?」
「マスター、お茶が入りました」

 香 が 零 に言及しようとした時、零 によく似た機械の少女がお膳に二つの茶碗を乗せ入ってきた。

「粗茶ですが、どうぞお召し上がりください」
「あ、有難うございます」
「では」

 それだけ言うと 零 に似た機械少女は部屋から出て行った。

「⋯⋯」

 香 は手をつけずに茶碗の中身を見ていた。
 香 の反応を気にもせず 零 は茶碗に手をつけ、口に運んだ。

「⋯⋯ねえ」
「何?」
「⋯⋯これ、お茶じゃないよね?」

 茶碗の中には決して緑色ではない。と言うより白い。中には氷も入っている。

「蜂蜜レモンよ」
「なんで!?」
「好きだから」
「何で茶碗に入れてるのよ!?それにさっき粗茶って言ってなかった!?」
「そんなのは挨拶みたいなものではなくて?」
「流石にこの差はないでしょ!?っていうかアンタ蜂蜜レモン好きなわけ!?」
「人それぞれでしょう」
「そ、そうだけど!」

 一息にまくし立て肺に酸素が回らなかったのか 香 は肩を上下させた。
 久しぶりに人と口論した、忘れていた温もりのような物を 香 はかすかに感じた。

 香 が落ち着く頃に 零 は茶碗の中に入っている蜂蜜レモンを飲み切り、茶碗を置いた。

「本題に入りましょう。貴方はどうする?この場に留まり私に協力するか、此処から立ち去り一人で生きるか」

 この選択は ザイト で再会した時に提案されたものだった。
 零 は香に『私に協力する気はある?』と持ちかけてきた。

 その答えに 香 は決めることができなかった。
 自分はすぐに死ぬ、そう思って止まなかったからだ。

 そこで、次に出されたのは 零 のダンジョンに行くことだった。
 香 にとっても考える時間が伸びるのは利になると考えたために 零 の後に続き今に至った。

「どうするの?」
「⋯⋯その⋯⋯アンタに協力して私は何を得られるの?」
「——復讐」
「え?」
「復習する機会よ。貴女は地球にいるクラスメイトを恨んでいる⋯⋯違う?」
「⋯⋯」

 零 の提案に 香は即答できなかった。
 沢山の仲間を死に追いやり、一つの村を潰した今もなお、復讐の炎は 香 の中で燃えていた。しかし、服の裾を握りしめ、床を踏み抜かんばかりに足が力み⋯⋯ただ、沈黙することしかできなかった。

「⋯⋯憎いよ⋯⋯殺してやりたいよ⋯⋯でも⋯⋯」

 何とかして重い口を開いた。
 零 の提案はこの上なく魅力的だが⋯⋯香にとって大きな問題があった。

「貴女にはそれを助ける魔物仲間がいない。それは貴女が殺したから」
「——ッ」

 問題は仲間。
 零が手伝ってくれるのだから必要ないように思うが、そう言う訳ではない。派閥もなく一人単騎で所属することの苦しさや、万が一に零に裏切られた場合はどうすることもできないことを 香 は想定した。
 
 そして、香 自身も必要な仲間を殺そうとまでは一切思っていなかった。
 しかしあの時⋯⋯何もする気が起きない中突然に芽生えた黒い感情が抑えきれなかったのだ。

 そしてそれは膨張して、爆発した。
 気づけば自分は狂い、魔物仲間達は死んでいた。

「そ、それは⋯⋯」
「貴女の本意ではなかった」
「え?」
「だから言っているでしょう。彼奴等は信用できない、と」
「それって、どういう⋯⋯」
「貴女の復讐心を煽り、膨張させ、狂わせる。彼奴等の使う手段としては珍しくはない」
「あ、アンタは知ってるの? 私達がこの世界に来た理由とか、何でこんな目にあったのかとか」
「答える義務はない。それよりも、貴女は協力する気はあるの?」
「そ、それは⋯⋯」

 今だに答えが出ない。
 それでも、零 は何かを知っている。香はそう感じた。そして、上手くいけばクラスの奴等にも⋯⋯と思惑が頭の片隅をよぎる。

「⋯⋯協力する前に一つだけ答えて欲しいんだけど」
「何?」
「私が協力してアンタは何を得るの? 寧ろ何が欲しいの?」

 香 の質問に 零 は値踏みをするように 香 を見た。
 やがて、考えがまとまったのかその答えを口に出した。


「——兄を救うためよ」


 これが本心かどうかは 香 にもわからない。
 しかし、その表情はいつもの無機質なものではなく切実に、待ち望んだ熱のこもった顔だった。
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