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切望した成人と、彼とのこと
元カノを家に泊めただって?
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家に戻ると、母は門限を新たに取り決め、やたらと厳しく、母は私の事を監視していたいようだった。ある夜は門限を超えてしまい鍵を差し込むとドアチェーンがかかっていることもあった。
時間が過ぎていって、私は高校の卒業式に当たり前かのように私は母を呼んでいなかった。卒業式があることを母親に言うという考えがそもそもなかった。こっぴどく怒られた記憶がある。だが私は謝ることはなかった。
来ても私は学校でまで母を見たくなかった。そういう時だけ母親面をしてくるのには反吐がでる。
進学にあたり、当時家庭は生活保護を受給していた為、家に戻った時短い間だったが、私もそこに加わっていた。しかし生活保護の制度的に受給者は大学には進学できないので、私は役所の人に言われるがままに「世帯分離」を行った。私は母の家に居ながらも、独立した世帯主になった。
私は20歳になるまで彼の家に転がり込んだり、実家への帰りが遅くなることがしょっちゅうあった。バイト終わりに仲間とぐだぐだ話をしたりしていた。また、彼と一緒でなくても私は彼の家に居すわった。ただ、家に帰りたくない、そんな一心だった。
母にはよく小言を言われたり怒られたりしたが、“何を言っても分かってもらえないのだ”と諦めていて、ただただ怒られた。口答えはせず、ただ母が私に怒って並べる言葉たちを傍観するかのようにして、受け流した。
ある日バイトからの帰りの道中、自転車を漕いでいると横から車がぶつかってきて交通事故に遭った。いつも「気をつけてね」と言ってくれてた先輩からその日に限って何も言われなかったのを走馬灯のように思い出した。ちょうど今日はバイト先の人に原付の試験問題を出してもらって勉強していたのに。
腰から落ちるように強打したがそこまで痛くなくとも生理的に涙が出てきた。母に電話しても23時だったこともあり電話には出てくれなかった。私はパトカーに乗り、家まで送ってもらい、起きてきた母に警官より事情の説明があった。
その時の母はとても優しく、翌日布団から動けないで呻いている私のことを心配してくれた。病院に行く時は彼が車を出してくれ、母も同行した。待合室で3人で並んだ時は何とも言えない空気感が3人の間に漂っていた。
そして私は切望していた20歳の誕生日を迎え、成人した。私が成人したことで「もうえりかも大人だから。」と母が小言を言ってくることは無くなっていった。私はいつしかほぼ母の家に帰らなくなり、彼の家でご飯を作り、眠り、学校とバイトに行く日々を過ごした。
彼は少し変わった人だった。私が家に居つくようになると、私を避けるように漫画喫茶に泊まることが何度もあった。「俺が居なくても1人で家に居られるようになって。」と言われた。自分の時間が欲しかったよう。
ご飯を彼の分まで作っては食べてもらえず、翌朝自分が食べることが多かった。
また、彼は子どものように「えりかの母は嫌いだ。」と彼の親に言っていたようだ。
彼の家に合鍵を使って1人で行った時、初めて偶然にも彼の両親に会って、その事実を彼の母から聞かされた。「結婚してえりかの母と繋がるのは嫌だ。」と言っていたことも彼の母親から聞いた。
それから、彼と付き合い始めて2年ほど経った頃に、彼が元彼女を、私の居ぬ間に何も言わず泊めさせていたこともあった。何故それが分かったのか?1人で彼の家に行った際に私の物ではない髪留めとキャミソールがあったのだ。
彼に直接聞くと「妹の物だ。」と言っていたが、私の何かの勘で彼への疑いが増していき、駄目だと思いつつも彼の携帯を見たのだ。
彼の寝ている横で見ていたのだが、元彼女とのLINEでのやりとりを見ていると身体の震えが止まらなかった。文中に沢山散りばめられたハートの絵文字。泊めてくれた事に感謝する文面。何度か会っていた痕跡。私は身体が冷えていくのを感じた。
もう夜中で電車にも乗って帰れない私は、バイト先の店長に思わず電話をして車で迎えにきてもらった。待っている間にそのキャミソールと髪留めはゴミ箱に捨ててやった。
それからのバイト中の私は、まさに”もぬけの殻”だった。ふと気を緩めると泣きそうになる。それを見かねた店長は私を仕事から上げさせた。私はそのままの足で彼にメッセージを送り彼の元へ向かった。
私は彼に携帯を見てしまったことを正直に話し、隠れてそういったことをするのは浮気だと言った。
しかし、彼は「元彼女とは何も(肉体関係)無かった。だから俺は何も悪いことをしていない。」「携帯を見たのはえりかで、パンドラの箱を開けたのはえりかだろ。」「これからも元彼女とは“友達”として付き合う。そこについては触れて欲しくない。」そう平気な顔をして言えちゃうような人だった。
いわゆる逆ギレ。普通であればすぐにでも別れているだろう。ただ、その時の私は普通でなかった。当時はそれでも彼の事が好きであったが、思い返せばあれはただの“依存”だった。彼という私の居場所が無くなることへの恐怖。
この時点で彼は優位に立っていた気がする。平等な付き合いではなかった。だが、家を出て自立する経済力もない私は、それでも彼と付き合い続ける事を選んだ。
また、彼は性のことについて淡白であった。
どんどんセックスする回数は減っていき、気付くと2~3ヶ月に1回、性行為があるかないかぐらいであった。加えて元彼女の事も頭によぎり、私は不安に襲われた。
勿論、私から何度か彼に性行為の話を会話の中で挙げた。「もう少し身体接触したい。」と、つまり性行為がしたいと思っている事を。しかし「疲れているから。」などど理由をつけては、はぐらかされた。
そして更に回数は減っていったのだ。私は最後にセックスしてから何日経過したのかカウントアップするようになっていった。もう1ヶ月経つ。から、もう3ヶ月経つのか…という風に。そうすると年にセックスする回数が片手の指で収まるな、とも考えた。
同時に私が抱きついたりちょっかいをかけることも彼は嫌がるようになり、そうなると彼は家を出ていった。
「元彼女については触れてくるな。」の言葉が呪いのように私にずっとついて回った。彼の言葉には常に悩まされた。「愛情なんて他人に求めることじゃない。」「構ってほしがりすぎ」だとか。
私は男性が怒鳴ったり、イライラしていると敏感に察知し父と兄の事がふと思い出される。そのことについて父兄と被ることを彼に伝えると「父と兄と、俺は被らない。」と真っ向に否定され、「その考え方を変えてくれ。」と私に強要した。
私は過去のことがフラッシュバックしてしまうから、もう少し穏やかにしたり、怖い口調を和らげて欲しかっただけなのだが。もう限界だ。と思っても付き合いを終わらせられなかった。
そして、ふと思った。「彼と同じ状況、つまり私も他の人と肉体関係を持てば、私は彼に何も言えなくなる状況になる。」そうしよう、と。私は1人目に付き合った元彼にわざわざ遠方に会いに行ってまで関係を持ち、また、私に好意を抱いている人を利用しては関係を持った。
虚しいだけだったが、私は彼に何も言えなくなる状況に墜ちることができたと、実感できた。
それでも、彼の携帯を見ることは辞められなかったが、何かあっても私は何も思わなくなった。思えなくなる状況を作ったのは私だ。彼は更に頻繁に漫画喫茶に泊まるようになった。私は彼と一緒に寝る為に買ったダブルベッドの真ん中で眠った。そして彼は明け方漫画喫茶から帰ってきては床に寝るのだ。
私が大学4年生になる時、彼はそれまで行っていた“転職するする詐欺”を終えて長野の実家に戻ることを決め転職した。家は私が就職するまで借りた状態でいてくれた。私はそれがとてもありがたかった。彼から「就職の際にこちらに来ないか?」と誘いがあったが、すぐ答えはでなかった。
結婚もしていないのに、彼の実家でお世話になるわけにはいかないし、私は車の免許も持っておらず、彼の長野の実家は車なしでは生活するのは難しい場所だった。それに、在学中に見つけた私のやりたい仕事、“児童養護施設で働くこと”は長野には施設自体が2カ所ほどで、更に車の免許が必須だった。現時点で車の免許をとるほど生活に余裕なんてなかった。
大学の費用、食費や生活用品。生活するのでいっぱいいっぱいだった。
私は東京に残り就職することを決めた。一緒に長野に住むことはせず、彼とは遠距離恋愛になった。私は就職先の内定を貰い、家探しのサポートを彼はしてくれた。そこから先の引っ越しにあたって見積もりや手配などは自分で行った。きちんと、自立して一人暮らしできるまでに成長した。私は自分がとても誇らしかった。
時間が過ぎていって、私は高校の卒業式に当たり前かのように私は母を呼んでいなかった。卒業式があることを母親に言うという考えがそもそもなかった。こっぴどく怒られた記憶がある。だが私は謝ることはなかった。
来ても私は学校でまで母を見たくなかった。そういう時だけ母親面をしてくるのには反吐がでる。
進学にあたり、当時家庭は生活保護を受給していた為、家に戻った時短い間だったが、私もそこに加わっていた。しかし生活保護の制度的に受給者は大学には進学できないので、私は役所の人に言われるがままに「世帯分離」を行った。私は母の家に居ながらも、独立した世帯主になった。
私は20歳になるまで彼の家に転がり込んだり、実家への帰りが遅くなることがしょっちゅうあった。バイト終わりに仲間とぐだぐだ話をしたりしていた。また、彼と一緒でなくても私は彼の家に居すわった。ただ、家に帰りたくない、そんな一心だった。
母にはよく小言を言われたり怒られたりしたが、“何を言っても分かってもらえないのだ”と諦めていて、ただただ怒られた。口答えはせず、ただ母が私に怒って並べる言葉たちを傍観するかのようにして、受け流した。
ある日バイトからの帰りの道中、自転車を漕いでいると横から車がぶつかってきて交通事故に遭った。いつも「気をつけてね」と言ってくれてた先輩からその日に限って何も言われなかったのを走馬灯のように思い出した。ちょうど今日はバイト先の人に原付の試験問題を出してもらって勉強していたのに。
腰から落ちるように強打したがそこまで痛くなくとも生理的に涙が出てきた。母に電話しても23時だったこともあり電話には出てくれなかった。私はパトカーに乗り、家まで送ってもらい、起きてきた母に警官より事情の説明があった。
その時の母はとても優しく、翌日布団から動けないで呻いている私のことを心配してくれた。病院に行く時は彼が車を出してくれ、母も同行した。待合室で3人で並んだ時は何とも言えない空気感が3人の間に漂っていた。
そして私は切望していた20歳の誕生日を迎え、成人した。私が成人したことで「もうえりかも大人だから。」と母が小言を言ってくることは無くなっていった。私はいつしかほぼ母の家に帰らなくなり、彼の家でご飯を作り、眠り、学校とバイトに行く日々を過ごした。
彼は少し変わった人だった。私が家に居つくようになると、私を避けるように漫画喫茶に泊まることが何度もあった。「俺が居なくても1人で家に居られるようになって。」と言われた。自分の時間が欲しかったよう。
ご飯を彼の分まで作っては食べてもらえず、翌朝自分が食べることが多かった。
また、彼は子どものように「えりかの母は嫌いだ。」と彼の親に言っていたようだ。
彼の家に合鍵を使って1人で行った時、初めて偶然にも彼の両親に会って、その事実を彼の母から聞かされた。「結婚してえりかの母と繋がるのは嫌だ。」と言っていたことも彼の母親から聞いた。
それから、彼と付き合い始めて2年ほど経った頃に、彼が元彼女を、私の居ぬ間に何も言わず泊めさせていたこともあった。何故それが分かったのか?1人で彼の家に行った際に私の物ではない髪留めとキャミソールがあったのだ。
彼に直接聞くと「妹の物だ。」と言っていたが、私の何かの勘で彼への疑いが増していき、駄目だと思いつつも彼の携帯を見たのだ。
彼の寝ている横で見ていたのだが、元彼女とのLINEでのやりとりを見ていると身体の震えが止まらなかった。文中に沢山散りばめられたハートの絵文字。泊めてくれた事に感謝する文面。何度か会っていた痕跡。私は身体が冷えていくのを感じた。
もう夜中で電車にも乗って帰れない私は、バイト先の店長に思わず電話をして車で迎えにきてもらった。待っている間にそのキャミソールと髪留めはゴミ箱に捨ててやった。
それからのバイト中の私は、まさに”もぬけの殻”だった。ふと気を緩めると泣きそうになる。それを見かねた店長は私を仕事から上げさせた。私はそのままの足で彼にメッセージを送り彼の元へ向かった。
私は彼に携帯を見てしまったことを正直に話し、隠れてそういったことをするのは浮気だと言った。
しかし、彼は「元彼女とは何も(肉体関係)無かった。だから俺は何も悪いことをしていない。」「携帯を見たのはえりかで、パンドラの箱を開けたのはえりかだろ。」「これからも元彼女とは“友達”として付き合う。そこについては触れて欲しくない。」そう平気な顔をして言えちゃうような人だった。
いわゆる逆ギレ。普通であればすぐにでも別れているだろう。ただ、その時の私は普通でなかった。当時はそれでも彼の事が好きであったが、思い返せばあれはただの“依存”だった。彼という私の居場所が無くなることへの恐怖。
この時点で彼は優位に立っていた気がする。平等な付き合いではなかった。だが、家を出て自立する経済力もない私は、それでも彼と付き合い続ける事を選んだ。
また、彼は性のことについて淡白であった。
どんどんセックスする回数は減っていき、気付くと2~3ヶ月に1回、性行為があるかないかぐらいであった。加えて元彼女の事も頭によぎり、私は不安に襲われた。
勿論、私から何度か彼に性行為の話を会話の中で挙げた。「もう少し身体接触したい。」と、つまり性行為がしたいと思っている事を。しかし「疲れているから。」などど理由をつけては、はぐらかされた。
そして更に回数は減っていったのだ。私は最後にセックスしてから何日経過したのかカウントアップするようになっていった。もう1ヶ月経つ。から、もう3ヶ月経つのか…という風に。そうすると年にセックスする回数が片手の指で収まるな、とも考えた。
同時に私が抱きついたりちょっかいをかけることも彼は嫌がるようになり、そうなると彼は家を出ていった。
「元彼女については触れてくるな。」の言葉が呪いのように私にずっとついて回った。彼の言葉には常に悩まされた。「愛情なんて他人に求めることじゃない。」「構ってほしがりすぎ」だとか。
私は男性が怒鳴ったり、イライラしていると敏感に察知し父と兄の事がふと思い出される。そのことについて父兄と被ることを彼に伝えると「父と兄と、俺は被らない。」と真っ向に否定され、「その考え方を変えてくれ。」と私に強要した。
私は過去のことがフラッシュバックしてしまうから、もう少し穏やかにしたり、怖い口調を和らげて欲しかっただけなのだが。もう限界だ。と思っても付き合いを終わらせられなかった。
そして、ふと思った。「彼と同じ状況、つまり私も他の人と肉体関係を持てば、私は彼に何も言えなくなる状況になる。」そうしよう、と。私は1人目に付き合った元彼にわざわざ遠方に会いに行ってまで関係を持ち、また、私に好意を抱いている人を利用しては関係を持った。
虚しいだけだったが、私は彼に何も言えなくなる状況に墜ちることができたと、実感できた。
それでも、彼の携帯を見ることは辞められなかったが、何かあっても私は何も思わなくなった。思えなくなる状況を作ったのは私だ。彼は更に頻繁に漫画喫茶に泊まるようになった。私は彼と一緒に寝る為に買ったダブルベッドの真ん中で眠った。そして彼は明け方漫画喫茶から帰ってきては床に寝るのだ。
私が大学4年生になる時、彼はそれまで行っていた“転職するする詐欺”を終えて長野の実家に戻ることを決め転職した。家は私が就職するまで借りた状態でいてくれた。私はそれがとてもありがたかった。彼から「就職の際にこちらに来ないか?」と誘いがあったが、すぐ答えはでなかった。
結婚もしていないのに、彼の実家でお世話になるわけにはいかないし、私は車の免許も持っておらず、彼の長野の実家は車なしでは生活するのは難しい場所だった。それに、在学中に見つけた私のやりたい仕事、“児童養護施設で働くこと”は長野には施設自体が2カ所ほどで、更に車の免許が必須だった。現時点で車の免許をとるほど生活に余裕なんてなかった。
大学の費用、食費や生活用品。生活するのでいっぱいいっぱいだった。
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