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幼い頃の記憶を拾いあつめて
突然の夜逃げ
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そして、それは突然起こった。
私が小学校4年生の時、夫からのDVに耐えかねた母が「今日の夜、家を出るから持っていけるだけ荷物をまとめなさい。」と言ったのだ。
兄は中学生になってから学校に行かずに自室に引き篭るようになっていた。その為、置いていかざるを得なかったのだろうか。
母・私・弟で夜逃げするかのように家を出た。夏休みが始まってすぐの事で、私は学校で出ていた宿題をランドセルの中にいっぱい詰めた。
洋服も持っていくようにと母から言われ、必要最低限の物をまとめた。私は何が起こっているのか訳が分からないまま、でも従わざるを得ないまま荷造りを進めた。“どうなってしまうのだろう”という思いを掻き消しつつ。
母の友人の協力もあり、3人で母子支援施設へと入所した。その施設から少し歩くと川が近くを流れており、木々が生い茂っている。建物は周りから隠されているかのように建っていた。中には利用者たちがひっそりと暮らしていた。
私たち3人は一部屋で夏休みの間を過ごした。そこで私は胸の膨らみに気づきスポーツブラジャーを付けるようになったことを覚えている。その建物の中にずっといるのはひどく退屈だった。しかし、“父が探している場合”に備えて何処へも行けず隠れるようにして過ごしていた。
夏休みが終わりそうで、アスファルトに倒れている蝉が鳴きだす頃。突然施設の職員から「前に行っていた学校にはもう行けない。新しい小学校へ転校するんだよ。」と言われた。私は学校の友達に別れすら言えなかった事をひどく悔いた。だって、こうなるだなんて思わなかったんだもの。
そうして、夏休み明けに見知らぬ土地で、新しいアパートを母は借り、連れて来られなかった兄も加わり、家族4人で新しい生活が始まった。兄がどういう経緯で、どういう流れで加わったのか分からないが、母の友人宅からこちらに来たようだ。
私は名前すら今となっては覚えていない、公立の小学校に転学した。初めは転校生ということでそれなりにちやほやされ、楽しく学校生活を送っていた。放課後に1度家にランドセルを置いてから友達と遊ぶ、なんてこともあった。(私立ではお互いが遠いところから来ている場合が多く、放課後に遊ぶことは滅多に無かった。)
ある日、授業の合間の休み時間の最中のこと。当時ドッヂボールが流行っており、私も誘われて参加していた。
その時に故意ではないがクラスメイトの男の子の顔面にボールを思い切り当ててしまった。男の子の鼻からは血が出ていた。
その時、クラスの皆の雰囲気が変わったのを感じた。私は内心ひどく焦っていて「ごめんね。」を言えていなかったのかもしれない。思いだせない。だけどあの赤い血が鼻からダラダラと流れていた事は鮮明に覚えている。
それからクラスメートの皆が私を避けだしたのだ。ヒソヒソと何かを話す声があちこちから聞こえた。私は昼の給食のご飯が喉を通らなくなり、吐きそうだった。机と椅子を端に寄せて掃除の当番の子が教室の半分ずつ掃除をしている時も、私は端で嘔吐しそうになりながらも、袋を傍に置いておき、何とかご飯を口の中に詰め込んだ。
その頃にはもうクラスの担任と母より「3ヶ月後に元の家に戻るからもう1度転校する。」と告げられていた。だから私は「どうせ無くなってしまうのなら、もう友達に固執する理由なんてない。1人で良い。」と強がっていた。でも本当は寂しかったし、1人でいることが何となく恥ずかしいことだと思い、早くそこから逃げ出したかった。それでも強がって毎日学校に行ったんだ。
兄は環境を変えてあげたのに不登校で…と愚痴を子どもである私にもらす母がいて、私まで不登校になるもんか、の一心だった。母に心配かけさせたくない、なんて理由じゃない。
私は“大変でもやるべきことを必死にやっている私”に母に気付いて欲しかった。けれど母の目は完全に兄に向けられており、気付くことは無かった。
そしてまた結局父の元へ戻ってきたのだ。私たちは母に散々振り回された。だが、母は理由を「子どもの為にやはり父は必要だと思うの。お父さんがいないから、もっとお兄ちゃんが引き篭もって暴力的になったの、だから戻る。」と言い絶対に自分のせいにはしなかった。
私は、母に振り回されたことを謝られたどうかさえ覚えていない。母に”振り回した“という自覚があるのかさえ分からない。
家族がまた5人に戻っても。兄が閉じた自室のドアを開けることは無かった。何度も中学校の先生が家庭訪問をしてきても駄目だった。父は、兄が不登校になったのを母のせいにし、母もまた同様に父のせいにした。そして兄は父より暴力を受けるようになった。
毎回母が泣きながら止めに入り、夫婦2人でよく口論をしていた。兄は殴られてもずっと黙り、口を閉ざしていた。私には兄の気持ちが痛いほどに分かる。分かるからこそ、その場に割って入れなかったのかもしれない。
もしくは、標的が自分に移るのが怖くて入れなかった薄情な妹だったのかもしれない。ここまで書いて、もう気付いている。私は間違いなく“後者”だ。
ーあの時。
私も戦っていれば兄は28歳になっても尚、精神科の病院に入院し続けることにはならなかったのだろうか?
私が小学校4年生の時、夫からのDVに耐えかねた母が「今日の夜、家を出るから持っていけるだけ荷物をまとめなさい。」と言ったのだ。
兄は中学生になってから学校に行かずに自室に引き篭るようになっていた。その為、置いていかざるを得なかったのだろうか。
母・私・弟で夜逃げするかのように家を出た。夏休みが始まってすぐの事で、私は学校で出ていた宿題をランドセルの中にいっぱい詰めた。
洋服も持っていくようにと母から言われ、必要最低限の物をまとめた。私は何が起こっているのか訳が分からないまま、でも従わざるを得ないまま荷造りを進めた。“どうなってしまうのだろう”という思いを掻き消しつつ。
母の友人の協力もあり、3人で母子支援施設へと入所した。その施設から少し歩くと川が近くを流れており、木々が生い茂っている。建物は周りから隠されているかのように建っていた。中には利用者たちがひっそりと暮らしていた。
私たち3人は一部屋で夏休みの間を過ごした。そこで私は胸の膨らみに気づきスポーツブラジャーを付けるようになったことを覚えている。その建物の中にずっといるのはひどく退屈だった。しかし、“父が探している場合”に備えて何処へも行けず隠れるようにして過ごしていた。
夏休みが終わりそうで、アスファルトに倒れている蝉が鳴きだす頃。突然施設の職員から「前に行っていた学校にはもう行けない。新しい小学校へ転校するんだよ。」と言われた。私は学校の友達に別れすら言えなかった事をひどく悔いた。だって、こうなるだなんて思わなかったんだもの。
そうして、夏休み明けに見知らぬ土地で、新しいアパートを母は借り、連れて来られなかった兄も加わり、家族4人で新しい生活が始まった。兄がどういう経緯で、どういう流れで加わったのか分からないが、母の友人宅からこちらに来たようだ。
私は名前すら今となっては覚えていない、公立の小学校に転学した。初めは転校生ということでそれなりにちやほやされ、楽しく学校生活を送っていた。放課後に1度家にランドセルを置いてから友達と遊ぶ、なんてこともあった。(私立ではお互いが遠いところから来ている場合が多く、放課後に遊ぶことは滅多に無かった。)
ある日、授業の合間の休み時間の最中のこと。当時ドッヂボールが流行っており、私も誘われて参加していた。
その時に故意ではないがクラスメイトの男の子の顔面にボールを思い切り当ててしまった。男の子の鼻からは血が出ていた。
その時、クラスの皆の雰囲気が変わったのを感じた。私は内心ひどく焦っていて「ごめんね。」を言えていなかったのかもしれない。思いだせない。だけどあの赤い血が鼻からダラダラと流れていた事は鮮明に覚えている。
それからクラスメートの皆が私を避けだしたのだ。ヒソヒソと何かを話す声があちこちから聞こえた。私は昼の給食のご飯が喉を通らなくなり、吐きそうだった。机と椅子を端に寄せて掃除の当番の子が教室の半分ずつ掃除をしている時も、私は端で嘔吐しそうになりながらも、袋を傍に置いておき、何とかご飯を口の中に詰め込んだ。
その頃にはもうクラスの担任と母より「3ヶ月後に元の家に戻るからもう1度転校する。」と告げられていた。だから私は「どうせ無くなってしまうのなら、もう友達に固執する理由なんてない。1人で良い。」と強がっていた。でも本当は寂しかったし、1人でいることが何となく恥ずかしいことだと思い、早くそこから逃げ出したかった。それでも強がって毎日学校に行ったんだ。
兄は環境を変えてあげたのに不登校で…と愚痴を子どもである私にもらす母がいて、私まで不登校になるもんか、の一心だった。母に心配かけさせたくない、なんて理由じゃない。
私は“大変でもやるべきことを必死にやっている私”に母に気付いて欲しかった。けれど母の目は完全に兄に向けられており、気付くことは無かった。
そしてまた結局父の元へ戻ってきたのだ。私たちは母に散々振り回された。だが、母は理由を「子どもの為にやはり父は必要だと思うの。お父さんがいないから、もっとお兄ちゃんが引き篭もって暴力的になったの、だから戻る。」と言い絶対に自分のせいにはしなかった。
私は、母に振り回されたことを謝られたどうかさえ覚えていない。母に”振り回した“という自覚があるのかさえ分からない。
家族がまた5人に戻っても。兄が閉じた自室のドアを開けることは無かった。何度も中学校の先生が家庭訪問をしてきても駄目だった。父は、兄が不登校になったのを母のせいにし、母もまた同様に父のせいにした。そして兄は父より暴力を受けるようになった。
毎回母が泣きながら止めに入り、夫婦2人でよく口論をしていた。兄は殴られてもずっと黙り、口を閉ざしていた。私には兄の気持ちが痛いほどに分かる。分かるからこそ、その場に割って入れなかったのかもしれない。
もしくは、標的が自分に移るのが怖くて入れなかった薄情な妹だったのかもしれない。ここまで書いて、もう気付いている。私は間違いなく“後者”だ。
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