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幼い頃の記憶を拾いあつめて

幼少期のわたし

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25歳でうつ病と診断された。これはまるで死ぬ直前に遺書を書くようにつらつらと並べた言葉。




幼い頃の記憶は所々だけれど、今でも鮮明に頭に残っている。思い出したくもないことばかりだけど。

夫婦喧嘩というより、それは日々行われるDV。何度も殴り合いの喧嘩をしては仲直りしていた、と思いきや父の部屋に入ると父の上に母が跨っている場面を見たことがある。当時私は4~5歳だっただろうか。今思うとあれは前戯だ。

母はフィリピン人で当時仕事を特にしていなくいわゆる専業主婦で子どもを育てていた。

3歳ずつ離れて兄、私、弟の3人を育てていた。日本語はお世辞にも上手いとは言えず、私の母は父を失うと日本では生きていけない。

ましては子どもは手がかかる幼い子3人。当然3人を1人で養える訳ない。頼れる親戚や友達も近くにいない。だから母はDVから逃れられなかった。

毎日のように行われるDVを、幼い私たち子どもは見ているか怯えていることしか出来なかった。破れる夫婦のTシャツ。私は子どもながらに「Tシャツってあんなにいとも容易くビリビリになるもんなんだ。」と感心していた。ある時には私の目の前を少し黄色くなったブロッコリーが飛んでいった。今でも鮮明にその場面を覚えている。

母はかなりヒステリックで、よく喧嘩の際に包丁を持ち出しては父に向けていた。
もう、殺してやる。と叫びながら

自分にも被害が及ぶんじゃないか、と子どもながらに思っていたけれど、その予感は当たり、私は父の巻き爪の足を踏んでしまっては殴られ、家の中でミスをしては、髪の毛を掴まれてのされたことも覚えている。

4歳くらいの時に、家のお風呂で溺れて死にかけた事がある。私は1人で入浴しており、鼻を摘んで浴槽の底に頭をつけ、目を開ける遊びをしていた。浴槽から頭から上げた際に給湯器にぶつけたらしく、そのまま倒れまた水の中に沈んだのだ。異変に気付いた母が私を浴槽から引き上げる所までは何となく記憶にある。気付くと私は病院にいた。

5歳の時には川崎病にもかかった。幸い後遺症は残らなかったが、半年ほど入院していた。当時通っていた幼稚園のみんなが書いてくれた、私の似顔絵を綴ったものがあったのを覚えている。

退院した後は普通の生活に戻った。兄の部屋に行っては一緒に野球のボールを部屋の壁に当てて跳ね返ってきたものをキャッチしてはまた投げ。弟とは人形遊びをした。相変わらず夫婦喧嘩は日常茶飯事に行われる。夫婦を止めることなんて出来なかった。警察を呼ぶ知識すらまだない幼い私たちだったから。


気付くと父は部屋に引きこもり、菓子を食べながら一日中部屋で過ごすようになった。それは1年間ほど続き、気付くと何やら別の仕事をするようになった。後に知ったのだが、父は何かの会社経営をしており、社長だった。つまり私の家は裕福だったのだ。だが、その会社は倒産し、父は元社員にお金を支払わなければならなかった。人生がどん底になったのだろう。一年引き篭もっても仕方がない。

裕福であった頃、裕福であったからこそ私と兄は私立のカトリック系の小学校に通っていた。電車で1時間弱ほどかけて通学していた。思えば幼稚園もカトリック系の私立であった。ただ、裕福でなくなり、弟は私立の小学校へは結果的に通えなかった。

父が仕事をしていなかった間、父は母に生活費を渡していなかったようで、それについて母はよく怒鳴っていた。母はパートの仕事を始め、夫婦の喧嘩は熱を増していき、家族での会話は無くなっていった。

父は私に「母にこう言っておいて。」と言い、母には「それは無理だからこう言っておいて。」と言われ、まるで私が言葉のキャッチボールのボールのようになり、板挟みにされる事がよくあった。

父が仕事を始めてからは、父はお金をちらつかせ私にワイシャツのアイロン掛けをやらせたり、クリーニング店に持っていかせる事がよくあった。兄弟で唯一私にだけ。女だからなのだろうか?

ただ、父の機嫌を損ねると暴力を振るわれる。また、当時1週間に1度まとめて食料品の買い出しに父と私(たまに弟も)で行く。母は絶対に来ない。

という暗黙のルールのようなものがあった為、生きていく為には私は父の言うことを全て聞かなければならなかった。父から脅されるような言葉もあった。拒否すると自分にとって良くない状況になる。だから私は顔色を窺って毎日を過ごしていた。というより、毎日を凌いでいた。

父の機嫌をとる私のことが気に入らないのか、父から生活費を貰えないことに腹を立てたのか、は分からないが母の機嫌を損ねると私はいつも母によって家の外に出された。

どんなに私が抵抗しても、机の脚にしがみついても、母はその手を殴ったりして剥がして私を外に出した。何度も“それ“は行われた。”それ”もやはり女である私だけに対してだった記憶がある。男兄弟に”それ”をしている場面は見たことがなかった。

やがて夫婦は衝突すらすることがなくなり、次第に離れていった。相変わらず、夫婦の間の橋渡しをしていたのは私だった。

私は字が書けるようになってから日記を書いたり、その中で両親にされたこと・言われて嫌だったこと・その時の自分の感情をよく書くようになった。そして、いつも最後には死にたいと書いていた。

1度だけそれを書いていることが母に見つかり、とても怒られたのは覚えているが、私には何故怒られているのか分からなかった。だって、私は生きていく為には口答えができないから。何かを言ったら否定され更に殴られるから。怖いから。

だから、話せない分を書いて吐き出すしかなかった。ハサミを何度も自分の手首に押しあてることはあっても、自分で切れたのは左手の人差し指1本だけだった。それでもとても痛かった。私はよく二の腕を噛んだり吸ったりして自分で跡をつけていた。それが自傷行為であることにも気付かずに。それだけ私は臆病者だった。痛いのは嫌だった。

また、私はよく怒られる子だった。
まだ夜逃げが決行される前に、母からよく言われていた。「ねぇ、えりかは離婚した方が良いと思う?」「えりかはパパとママどっちにいく?」私は「お母さんが離婚したいならすれば。」とのみ返した。

母の機嫌が悪い時には「子どもさえいなければすぐ離婚するのに。あんな男となんで結婚したんだろう。」と、母は実の娘である私に言ったのだ。私は、私の中の何かの穴が空いていくのを感じた。

私は何にも言わず感情に蓋をして、ただ涙を流すことしか出来なかった。言い返したいことは沢山あるのに、言ったら殴られるから。私は涙脆かった。だから私は今でも人に何かを言うのが苦手。最近やっと言えるようになってきたところ。

母によると、フィリピンでは親の言うことは絶対という風潮というか土台がある。みんなそうやって育ってきたと口酸っぱく私に言っていた。
私は言うことを聞かない代償として、口答えすることを封印したのだと思う。

母がヒステリックのように叫んだ時なんかは「あなたなんて産まなきゃ良かった!」「あなたはパパにそっくりだ!!」と言われたこともあった。

私はその度にどんどん穴が空いて広がっていくように感じた。私は自分を守る為に、何も感じないように努めた。

母はそれを「えりかが泣くのは心が傷つきやすいからじゃない。悔しいからでしょ。」と言ってきた。違う。何ひとつこの人は私のことを分かっていない。
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