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17話・忘れないで

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 まだ明日は会える、まだ明日は会えると、毎日思い続けて月日は流れた。

 お母様に会った日から私は別の部屋を用意してもらい、実質的なルイスとの同室生活は終わっていた。恋人関係を解消しても問題はなかったのだけれど、特に別れたことを宣言することもなくズルズルと曖昧なまま引き延ばして、結局明日グレスデンへ帰るという日まで来てしまった。

 明日、か。

 暗闇の中、布団に潜り込んで独り目を閉じる。明日私はこの国を発ち、大好きな故郷へと帰る。最後だからか、いろいろあったなあと思い出に耽りながらクスリ笑いをする。

 ドローシアの生活は本当に楽しかった。贅沢な生活ができたからではなくたくさんの素晴らしい人たちに出会えたから。

 オリヴィアさんや小鳥ちゃんたちは本当に良い子たちで最後まで私と仲良くしてくれた。最初は異国から来た王子の恋人ということで周りから厳しい視線を集めることも多かったけれど、そんな中でも躊躇なく私と仲良くしてくれたことには感謝しかない。とても勇気があって、可愛らしくて、自慢の友達だ。

 侍女や衛兵たちにも大変お世話になった。彼女たちは時には仕事以上に私の力になってくれて、親切にしてくれたおかげで私はなんの支障もなくドローシアでの生活を送ることができた。プライベートでも迷わないように付き添ってくれたり相談に乗ってくれたり、ずっと側で見守ってくれたからまるで友人のような存在でもあった。

 エルヴィーラ王妃様はいつもニコニコしていて気さくで優しくて、孤児院の子どもたちはいつ訪れても全力で歓迎してくれて。なんて温かい人たちなんだろう。

 寂しいなあ。

 布団の中で独りため息を吐く。

 決して帰りたくないわけじゃない。大好きな故郷は今でも恋しいしグレスデンの家族や友人に一刻でも早く会いたいという気持ちはある。春になってドローシアへ戻って来られたお父様だけグレスデンへ帰すなんて考えられないから、私もお父様と共にグレスデンへ帰るのは自分の中でも当たり前のことだった。

 だけどやっぱり、ルイスとさようならするのは悲しい。

 今更ながら失恋という現実に直面して参ってしまう。覚悟していても苦しみが薄れるわけじゃなくって、まるで心臓が千切れそうなくらいの痛みに襲われる。泣かないように歯を食いしばっても目の奥は熱くてしばらく眠りにつけそうになかった。

 ルイスとは本当にいろいろあったな。仲良くしたり喧嘩したりずっと忙しくて彼と過ごす時間はあっという間だった。両想いになったわけでもないのにまるで恋人みたいに接してもらえたので、私はよほど幸運に恵まれていたんだと思う。だって彼みたいな人と手を繋いだりキスしたり、もし私がグレスデンの王女じゃなければそんな奇跡は絶対に叶わなかったんだから。

「あれ?もう寝るの?」

 ノックもなく真っ暗の部屋に入ってくるのはルイス。部屋は別々になっても彼は勝手に私のベッドに潜り込んでくることがあった。

 私は布団を捲ると上半身を起こす。

「準備が終わってもうやることないから」
「でも馬車だよね」
「そうなの」

 ドローシアの陛下はグレスデンへ帰るお父様と私のためにわざわざ馬車を用意してくださった。行きは馬でほとんど休まず来たのに比べたら、なんて贅沢。
 馬車となると移動中にやることはないのでほとんど寝て過ごすことになるだろう。だからわざわざ前日にしっかり睡眠をとらなくてもいいんだけど、興奮して寝付けそうになかったため早めにベッドに入った。

「髪ちゃんと乾かしなよ」
「あ、バレた?」

 部屋は暗いというのに髪が生乾きだということに気付かれて苦笑いする。長いから途中で乾かすのを諦めてしまうのよね。

「櫛どこ?」

 ルイスは鏡台の櫛とタオルを持って私の後ろに座り、何も言うことなく私の髪を梳き始める。こうやって触れられるのも最後だなと思うと何を言えばいいのかわからず黙り込んでしまった。いつもはペラペラ喋っていたから少し不自然だったかもしれない。

「どうした、黙り込んで」

 やっぱりルイスに指摘されてしまった。

「最初に会った時に比べたらずいぶん丸くなったなあって思って」
「それって僕のこと?」
「他に誰がいるのよ」

 初めてルイスに会った時はえらいイケメンっぷりに驚いた。次にその態度の悪さに言葉を失い、彼と恋人のふりをしなければならないことに頭を抱えたんだっけ。

 だけど今のルイスは以前のルイスに比べたら全く別人ってくらい口調も穏やかだし態度も良好。もちろん今でも悪態をつかれることはあるし、苛ついていると態度が荒れる時もあるんだけど。

「そりゃあねえ。会ったばかりだったし」

 ルイスは私の髪をタオルで拭きながらさも当然のように言う。

「ねえ、ひとつ聞いてもいい?」
「何?」
「どうして協力してくれたの?」

 何故ルイスがグレスデンなんて小国の王女にいきなり一目惚れしたと言い出してドローシアとの仲を取り持ってくれたのか。私と恋仲になったとしてルイスに何か得があると思えないし、私が彼にしてあげられることは少ない。

「そりゃあいろいろあるけど」
「いろいろって何」
「こっちにも事情があるんだよ。いいじゃん、可愛い子にいい所を見せたかったってことで」

 可愛い・・・!?

「・・・喜びなよ。なんで顔が恐怖に歪んでんの」
「だって恐ろしい!」

 ルイスが私を可愛いって言うなんて空から槍が降って来たようなものだ。

「どうしたの?熱があるんじゃないの?大丈夫?」
「最後だからちょっと褒めただけだよ」
「ああ・・・そう」

 餞別みたいなものか。まあルイスにとってちょっとしたリップサービスくらい大したことないんでしょうけど・・・ビックリしたあ。

 それにしても“最後”って言葉に心がズキンと痛む。グレスデンとドローシアなんて国交はほとんどないし、私とルイスが今後会う機会なんてないだろう。本当の本当に彼の姿を見ることができるのは、明日が最後。

 だけど離れても私が彼を好きであるということは一生変わらない気がする。お母様が心はいつまでもグレスデンにあるって仰っていたように、心というものは唯一自由なのかもしれない。

「死んだ後なら会えるのかしら・・・」

 ポツリと呟いた自分の言葉にはっとした。

「ごめんなさい、今のは別に深い意味があったわけじゃなくて」

 私は後ろを振り返って髪を拭いていたルイスに慌てて言うと、彼は手を止めて小さく笑った。

「うん」

 それ以降、部屋が静寂に包まれ、私は何も言葉が見つからなくてどうすればよいかわからず俯く。

 そのまま暗くて静かな時間が続いたが、私の腰にルイスの腕が巻き付いてぎゅっと締め付けられた。こうやって抱きしめられるのは何度目だろう。もうずいぶんと慣れたはずなのに、今でも触れられるたびにドキドキする。

 ゆっくりと彼の背中に腕を回せば、ルイスは私の首筋に口付けた。

「いいよね?」

 最後なんだから。

 言われなくても分かってる。これが最初で最後。

「うん」

 私は笑って、ルイスの背中に回した腕に力を込めた。
















 春の温かい日差しに照らされて気持ちがいい日だった。天候に恵まれたなと天に感謝しながら運び込まれていく荷物を見守る。来た時はバッグひとつだったのに帰りは10倍に増えていた。その分いろいろな思い出が詰まっているのだと思えば感慨深い。

 立派な馬車に全ての荷物を運び終えると、お父様は私の目を見て問うた。

「これで全てか?」
「はい」

 お父様の問いに私は胸を張って頷く。
 そして、私たちの見送りのためにズラリと並んだ人たちに一礼する。

「お世話になりました」
「忘れ物はない?」
「ないわ」

 笑ってルイスに言う。他の皆が泣いていたからもらい泣きしてしまいそうだったけど、今日は笑ってさようならをすると決めていたから意地でも泣かなかった。

「気を付けてね」
「ええ。ルイスも元気でね」

 最後に軽くハグをして後ろを向く。もう彼の姿を見られないのかと思うと後ろを振り返りそうになったけど、震える手をもう片方の手で握りしめてそのまま馬車に向かって歩を進めた。何度振り返ってもキリがない、ここで思い切らなければズルズル引きずってしまうだけだから。

 お父様とミランダ様が先に馬車に乗り込み、続いて私も手摺りに手をかける。

 そこでふと、自分が自分に問いかけて来た。

 ―――これが最後で本当にいいの?

 いいのよ、もちろん。私はグレスデンの王女としてここへ訪れて、グレスデンの平和のために自分にできることをやった。これで笑顔でドローシアを去り胸を張ってグレスデンに帰ることができる。お母様から受け継いだ誇りをもって。

 グレスデンが私の帰りを待っている。

「あのっ!」

 私はお父様とミランダ様に向かって大きな声を出して、自分でビックリした。この時、自分の心とは裏腹に勝手に身体が動いてしまってどうしようもなかった。

「ちょっと待っててください!」

 バタン、と勢いよく馬車の扉を閉めて、後ろを振り返ると全力でルイスに向かって突進する。

 ルイスがひっくり返ってしまうんじゃないかってくらいの勢いだったけれど、彼はちゃんと私を受け止めることができた。

「好き。ルイスが好き」

 私がルイスのことを好きだったってことを忘れないで。別の女性と結婚してたくさんの子どもに囲まれる人生を送っても、私があなたを好きだったってことは永遠に変わらないんだから。

 うわーん!と子どものような声を上げ、私はしばらく大声で泣きながらルイスにしがみ付いて離れなかった。









 馬車の中で私は気まずくて仕方なかった。人前であんなに大声で泣くなんて・・・。

 頭はパンパンだし、目も腫れて痛いし、声は枯れてるし、何より気まずい。何事も動じないはずのお父様も気まずそうにチラチラこちらの様子を伺ってくるし、ミランダ様は見るからにオロオロして私に声をかけようかどうしようか迷っている。本当に恥ずかしい。

「良いのか」

 ようやく始まった会話の初めはお父様の一言だった。ルイスを諦められるのか、という意味だ。

「はい。いいんです」

 ルイスのことは好きだけど、私の生きる場所はグレスデンだ。それ以外には考えられない。
 お母様が大切にしていたあの国のためにまだ私ができることはたくさんある。誰かに嫁ぐその日まで王女としての仕事をやり遂げたい。

「私は茨の上でも背筋を正すという王家の生き方を全うしたいので」

 ルイスにも大切な国がある。あれだけ家族を大切にしている彼にグレスデンへ来てくれなんて口が裂けても言えなかった。だからこれで良かったの。

「ありがとうございました。ドローシアに来られて良かった」

 私は泣き腫らした顔で、笑ってそう言った。




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