レイラ王女は結婚したい

伊川有子

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十話・命がけの告白

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「この辺りは全部書類用の倉庫や資料室になってる。ただし名簿や手配書はここにはないよ。人が出入りする本館にある。こっちはそうだな、関所で働く人のための詰め所、裏方仕事のための場所だからね」

 本館とは繋がっているはずなのにこっちはとても静かだった。似たような部屋が並んでいて私には何が何やら。迷ったら面倒なことになりそうなくらい全部似ている。
 飾り気がないのも全部似通って見える原因だ。せめて絵とか飾ってあればまだ覚え様があるんだけど。

「なにか面白いところはないかしら。庭園なんて贅沢言わないから」
「屋上からは関所の周辺が一望できるよ。素晴らしい景色なんだ。運が良ければ兵士たちが鍛錬しているところも見られる」
「へえ」

 悪くないわねと言うとフランシスはニッコリと笑って満足そうな様子。

 こっちだよ、と案内されたのは階段を二階分ほど上った先だった。フランシスがギギィと音を立てる鉄の分厚い扉を開けると、パッと眩しいくらいの光が廊下に差し込み風に揺られる木々の音が聞こえて来た。屋内は暗くて鬱々としてたから少しほっとする。

「どうぞ」

 促されて歩を進めれば涼やかな風が頬を撫で、陽の光を浴びた肌はじわりと太陽の熱を受ける。

「ねえ、フラ―――」

 ガシャン。

 声をかけようと振り返った時には大きな音を立てて閉まっている鉄の扉。フィズたちは未だに向こう側に取り残されたままだ。

 目を点にして固まっていると鉄の扉の向こう側から怒声が響いてくる。揺れるくらいにガンガンと激しく叩かれて、パニックになっている皆の焦り様がわかった。

「・・・開けてあげなさいよ」

 何考えてるのこの人、とフランシスを見れば彼の表情からは笑顔が消え静かに私を見ていた。嫌な予感に私は思わず一歩後退る。

「そんなに警戒しないで。別に何もしないよ」
「だったら開けなさい」
「それはできない」

 決意の籠った声。

 ずいぶん丸くなったと思ってフランシスを警戒してなかった私も悪いけど、まさか屋上に二人きりで閉じ込められるなんてね。

「話があるんだ」
「護衛が居たらだめなの?」
「邪魔だからね。特にゼンは」

 ゼンが邪魔?もしかしてアルが怪我をしたって伝令は・・・嘘?
 だとしたらヘレンとフランシスが2人で計ったのね。2人は前々から知り合いだし手を組んでいても不思議ではない。

「そこまでしてしたい話って、何」

 未だに突き破らんと扉は激しく音を立て続けている。護衛兵たちの焦りを考えたら一刻も早く扉を開けてあげたい。私もフランシスと二人きりの状況は嫌ではないけど困る。

 フランシスは小さく息を吐くと、ぽつぽつと話し始めた。

「七年前のことだよ」

 七年前といえばちょうどフランシスと婚約した頃だ。

「レイラ、俺たちは騙されたんだよ。あいつに」
「あいつって、もしかしてゼンのことを言ってるの?」
「そう。俺がよく通っていた酒場に現れた女、あいつがけしかけたんだ。俺とレイラの仲を引き裂くために・・・」

 なんだか一世一代の告白的な雰囲気を出されてるんだけど、その件は割と前に解決した話。

「知ってるわよ」
「知って・・・え!?知って!?もしかしてレイラが指示して仕掛けたのか!?」
「そんなわけないでしょ。ゼンが独断でフランシスを嵌めたのは確かよ」

 驚いたらしいフランシスは目を白黒させながら「え、え、」と唇を戦慄かせる。

「じゃあなんでまだ居るんだよ!普通クビだろう!クビが飛ぶだろう!?なんでまだ当たり前に騎士やってるんだ!」
「だからそこら辺はもう解決したんだって」

 私の返答が予想外だったのだろう、フランシスは納得がいかない様子で私に詰め寄って来た。

「なんで!なんで許してるんだよ!あいつの所為で俺たちの人生がどれだけ狂わされたかわかってるのか!?」
「浮気したのはあなたでしょ?」
「―――っ!それは・・・僕も若かったから・・・・」
 
 ゼンが悪いって言いたいのだったら、私は即座にノーを突き付ける。だって浮気したのはフランシス自身だもの。ゼンが浮気を強制したわけじゃない。

「レイラ、わかってくれ。もしあの件がなかったら俺たちは上手くいってただろう?」
「それはどうかしら。あの調子じゃ遅かれ早かれ同じことになってたと思うけど」
「でも、俺たちは結婚してた」

 フランシスは奥歯を噛み締めるように声を出して、何かに耐えるように固く拳を握りしめる。

「俺にはレイラしかいない。俺たち以上にお似合いの人なんて世界中どこ探してもいないんだよ。
もう絶対に間違えないって誓うからやり直そう」

 え、それは無理。私は即座に首を横に振る。

「フランシスは友人として接する分には不都合ないけど、もう恋愛は無理よ」

 あの頃みたいにただ楽しいからという理由で一生を誓えるほど若くない。フランシスとは前世で双子だったんじゃないかってくらい気が合うのは確かだけど恋愛は無理。

 何か言い返そうとしたフランシスだけど、彼は私より向こう側の方を見て身体を硬直させた。何事かと後ろを振り返れば、淵に手をかけてよじ登ってくる赤い髪の・・・。

「ゼン!?ちょっと!危ないわよ!」

 いくら扉が封鎖されてるからってそんな所から来なくても。

 手を貸すために駆け寄ろうとしたがフランシスに腕を掴まれて引き寄せられた。首に彼の腕が回り、苦しいくらいに絞めつけられて身動きが取れない。

「レイラっ!」

 ゼンの叫び声と共に首筋に冷たく固いものが押し当てられた。あ、刃物だ、ってすぐに気が付いた。

「フランシス、何考えてるの?放して」
「なんで僕を責めるんだ。責められるべきはゼンだ」
「だからってこんな・・・私を殺して何になるの?」

 こんな状況なのに可笑しな話だけど、ゼンの表情を見ていると逆に頭がだんだん覚めてくる。

 頭上から聞こえてくるフランシスの声色に迷いはなかった。

「僕はもう後には退けないよ。たくさん悔い改めて努力してもレイラより愛せる女性はいなかったから」
「私はもう好きではないわ」

 グッと首筋に突き付けられたものが肌に食い込む。

「フランシス、武器なら捨てるからレイラを解放しろ」

 顔を真っ青にしたゼンは腰から剣を抜くとそれを放り捨てた。しかしフランシスは私を拘束したまま一歩後退るだけ。

「なあ、レイラ。今ならきっといい恋人になれる。前にみたいに自分勝手にはならない。お互いに地に足をつけてちゃんと向き合える。
間違いも多かったけど愛し合っていたのは本当じゃないか」
「・・・違うの」

 ここで首を縦に振れば解放してもらえたのかもしれない。けどゼンが聞いている。死んでも嘘なんてつけないわ。

「ごめんなさい、フランシス。あなたのことは好きだったけど結婚したいとは思わない。例え過去の間違いがなかったとしても」
「何故・・・っ」
「私が結婚したいのはあなたじゃなくてゼンなの。たぶん・・・前からずっと」
「は!?」

 痛い。締め付けられた身体も、食い込む刃物も。フランシスは姿が見えないけど明らかに激高していて、それでも引けない私は自分を鼓舞するように大きな声を出す。

「だから!あなたじゃなくて!ゼンなの!」
「よりにもよってこいつ!?レイラを裏切ったんだよ?」

 わかってるのか!?と正気を疑うかのように問うフランシス。

「わかってるわよ、とっくに!ゼンが私に黙って結婚を邪魔してきたことくらい!」
「じゃあなんで僕じゃダメなんだよ!裏切ったのは同じじゃないか!」
「そういうことじゃないの!」

 フランシスとの交際は楽しかった。いつも全てが新しくて、刺激的で、眩しいくらい毎日が輝いていた。
 だけど違うの。結婚ってそうじゃない。楽しい時だけ側にいるのは愛とは呼ばない。

「人生なんて楽しいことばっかりじゃないもの!良い時も悪い時も、一緒に居るならゼンがいいの!」
「浮気したとしても?」
「浮気されようが騙されようが、ハゲようが太ろうがゼンがいいの!」

 例え辛い時でも側に居たいのはゼンだ。支えたいと思うのも、支えられたいと思うのも。それは決定的にフランシスへの想いとは異なるものだった。

「ねえ、もう放して・・・!」

 少しでも動いたら切れてしまいそう。身を強張らせて目を固く閉じても、腰と首に回った腕から力が抜けることはなかった。

「酷いな・・・。僕はこんなにレイラを愛しているのに・・・」

 だったら浮気するんじゃないわよ!って文句を言いたかったけどもう声を出すことができなかった。首筋からタラタラと生暖かいものが流れ出て、明確に“死”を覚悟したから。

「フランシス!待て!」
「近寄るな!」

 こちらへ来ようとするゼンに威嚇するフランシス。

「頼むからナイフを置いてくれ」
「うるさいな!もう後に引けるわけないだろ?僕はレイラが運命の相手だとずっと信じてたのに・・・!」

 きっとフランシスが私を好きだというのは本心だと思う。間違いがあっても、自分勝手でも、彼の心は常に私の方を向いていた。なのに浮気ではなく本気で他の男がいいのだと言われてショックなのは当然だ。

 自分勝手なのは私も同じだったのね。知らなかったとはいえフランシスへの気持ちが愛じゃなかったなんて。夢ばっかり追いかけていたあの頃は分からなかったけど、ゼンを好きになった今ならはっきりと分かるの。

 膝を着いて必死に頭を下げるゼンを見て視界が滲む。

「あんまりだ!僕はずっと気持ちを弄ばれてたなんてっ!」
「違う。これを見ろ」

 ゼンが取り出したのは一粒のダイヤモンドが輝く銀の指輪。フランシスははっと息を飲んだ。

「えっ、まさかそれ・・・僕が渡した・・・」
「7年以上、ずっと肌身離さず持ってたんだ。馬鹿みたいだけど」
「そんな・・・」

 首を絞めていた腕から僅かに力が抜けた。

 ゼンはこちらを見ながら絞り出すように声を出す。

「何度捨てようと思っても捨てられなかった。可能性がないってわかっても気持ちは捨てられなかったからだ。
どれだけお前を愛してたか、わかるだろ?」
「そんなに僕のことを想って・・・」
「今からでもいい、やり直してほしい。たくさん間違えて遠回りしたけど、自分の気持ちを隠すのはもうやめるって誓うから」

 しばらく絶句した後、彼はポツリと呟くように言う。

「・・・・わかったよ」

 突然解放された私はその場で両手と両膝を地面についた。―――と同時にフランシスが吹っ飛ぶ。彼は殴られた痛みに蹲り動けない。

「い″っ・・・!!なんでっ!!」
「・・・馬鹿ね。自分の渡した婚約指輪の形も忘れたの?」

 フランシスに貰った指輪はもっと派手でギラギラした装飾がたくさんついていた。フランシスの婚約指輪じゃない。オリヴァーに貰ったのは装飾も石もない安物、パトリックのは石の色が違う。

 それは初めて見る指輪だった。

 ゼンが扉の施錠を外すと一気に雪崩れ込む兵士たち。あっという間に拘束されたフランシスはすぐに兵士たちによって連れていかれた。

「待ってくれ!僕はレイラとやり直すんだ!」

 最後までフランシスはゼンの言葉が自分へ贈られたものだと思い込んだまま。けど、私はすぐに違うって気づいてしまった。ゼンが話していた相手はフランシスじゃなくて私(・)。説得するふりをして私への愛を語っていたのだと。

 ねえ、その指輪、ずっと持ってたの?
 渡せないまま、どんな気持ちで私の側にいたの。

「レイラ!血が・・・!」

 ハンカチのような布で首筋を押さえつけてくるゼン。目の前に膝を突いた彼は、今は同じ目線で手を伸ばせばすぐに届く距離に居る。

「指輪っ・・・その指輪、くれないなら強奪するからっ」
「そんなことしなくてもとっくの昔にレイラのものだから」

 苦笑しながら渡されたのは、真新しさのない少し傷のある指輪だった。震える手で恐る恐る受け取ると、その指輪の重みに言葉にできないくらいの感動が押し寄せてくる。

「うわあっ・・・」

 綺麗だ。少し古い婚約指輪は今まで見てきたどんなものよりも綺麗だった。

「・・・指には嵌めてくれないの?」
「あー・・・・。それ入らないと思う」

 え?と顔を上げてゼンを見る。

「レイラ、サイズが変わっただろ?」
「変わったって・・・何年前の話よ・・・」

 確かフランシスに指輪を貰った時は今と変わらなかったはず。薬指のサイズが上がったのは確か・・・10年くらい前―――。

「嘘でしょ」

 指輪を持つ手がガクガク震えだす。これは落とせない!死んでも落とせない!

 落としたらダメだと思うと余計手が震えてしまう。不安で両手で大事に握りしめると、私の手の上にゼンの大きな手が重なった。嬉しくて気恥ずかしくて泣きながら笑ってしまう。

「首、動かしたらダメだ。傷に障るから」

 わかった、と開こうとした口はゼンに塞がれる。二度目のキスは温かくて幸せで眩暈がしそうだった。



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