レイラ王女は結婚したい

伊川有子

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四話・失って気付くこと

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 タラーと流れ出てきた赤い血に私はすかさず用意しておいたハンカチをシージーの鼻元に押し当てた。

「ぐっ、マジか。たまらん」
「シージーこそ本気で鼻血出すとはね・・・」

 マジかってこっちの台詞だわ。「鼻血出そう~」の台詞は前に聞いたけど、本当に鼻血を出そうとは。
 シージーは何度も反芻するかのように目を閉じてウットリする。まあ彼女の願望通りの展開になったわけだし気持ちはわからなくもないけど。

「はあ、これは夢か」
「驚かないの?」

 私はひっくり返るくらい驚いたのに。実際に物理的にもひっくり返ってしまったわけで。
 とにかくそれくらいに驚いた。ゼンの気持ちはともかく、あのお手本のように素行の良いゼンが私を裏切って結婚の妨害行為までやってたんだから。

「驚くよー、驚くよそりゃあね。レイラの婚約破棄に関しては色々とタイミングが悪いなあと思ってたけど、まさかゼン様が裏で糸引いてたなんてね」
「・・・うん」
「レイラのことが好きだってのはなーんとなくわかってたけど」
「知ってたの?」
「なんとなくよ、なんとなく。勘よ。
男が好きって噂も一人歩きして疑わしかったし、いい歳した男がなんの音沙汰もないって不自然じゃないの」

 そう、フィズも納得してたみたいだし、ゼンは意外とわかりやすかったのかもしれない。ずっと一緒に居た私は全く気付かなかった。

 ・・・もっと早く気付くべきだったわ。こんなに事がこじれてしまう前に。

 シージーは私から受け取ったハンカチで何度も鼻を拭きながら喋る。

「にしてはあんまり嬉しくなさそうね」
「嬉しくないわけでは・・・。ただ、ゼン、城から出て行っちゃったの。今どこにいるかもわからなくって」

 フィズに探させているけれど数日経っても居場所を突き止められていない。ちゃんと話がしたかった、ゼンの口から話をしてほしかったのに、私が彼の部屋を訪ねた時には既にもぬけの殻だった。

「だからそんなにゲッソリしてんのね」
「なんで何も言わずに出て行っちゃったんだろう」
「そりゃあ、合わせる顔がないからでしょ。あんたの夢をことごとく潰してきたんだから。それも自分勝手な感情でね。騎士が主人を裏切るなんて処刑になってもおかしくない重罪だわ」
「処刑ってそんな・・・」

 ゼンがやってきたことに驚きこそすれ、別に恨みなどない。そもそも婚約破棄に至った直接的な原因は相手にあったわけで、ゼンはあくまでその切っ掛けを提供したに過ぎないのだから。

「ダメよ、そんな、処刑なんて許すわけないわ」
「怒ってないの?」
「なんで怒るのよ」
「え、だってゼン様が妨害行為してなければ今頃あんた結婚してたよ?夢叶ってたよ?」
「別に結婚相手なんて探せばいくらでもいるじゃない。3つ破談になったところで特に何も・・・」

 シージーは目を見開いて口をパクパクさせた。

「それは・・・何か色々間違ってる気がするんだけど・・・」

 首を傾げると、シージーはため息を吐いて「まあいいわ」と言った。

「んで、ゼン様はどうすんの?このまま放っとくの?」
「まさか。探して意地でも連れ戻すわ」
「連れ戻してどうすんのさ。騎士は罷免になったんでしょ?」
「父様を説得するから大丈夫よ」
「さすがにそれは難しいんじゃないかなあ」
「いざとなったらゼンを騎士に戻してくれないと死んでやるって脅すわ。父様はそれで折れるでしょ」
「あんた、恋人に別れを告げられたヒス女みたいなことやんのね。意外」

 マジか、とシージーは片眉をしかめてまじまじと私を見た。そんなに見つめられると身体が強張ってしまう。

「え、何」
「騎士に戻して、で、どうすんの?それからまた婚活でもする気?」
「あ、そうよね。私が結婚したらゼン嫌なのよね・・・。どうしよう。また出て行かれたら困るし、結婚は無理なのかしら」
「え?結婚諦めんの?」
「だって戻ってきてもらったのにゼンの目の前で恋愛なんてできない」
「んんん!?」

 目を白黒させる彼女は身を乗り出して私の頬を摘まんだ。痛い。

「率直に聞くからしょーーーーじきに答えなさい。レイラ、ゼン様のこと好き?どれくらい好き?異性として好き?キスしたいと思う?」
「へ・・・」

 何を突然言い出すの、と言おうと思ったのにシージーの顔は思いの外真剣で言葉を飲み込んだ。そんなこと急に言われてもわからないのに。だってゼンはゼンで、私にとってはゼン以外の何者でもない。
 答えあぐねて困っていると、シージーは突然口をへの字にして悲しそうな顔した。

「ど、どうしたのよ」
「あんた、真っ赤な顔して泣きそうな顔してんじゃないの。馬鹿じゃないの」
「だって、ゼン、出て行っちゃったし・・・とにかく早く探さないと・・・」

 早く探さなければ。私の力の及ばない遠くの国まで逃げられては手の施しようがなくなってしまう。

「前に、オリヴァーが出で行った時にゼンが言ってたの。住んでいた家を出て知り合いにも音沙汰なく消えたというのは、もう二度と帰らない覚悟を決めたこということなんだって」

 ゼンはもう私と二度と会わないつもりだ。彼の部屋にはいつも扉に掛けられていた上着も、壁に飾っていた剣も、テーブルに何冊か積みあがっているはずの本もなかった。住んでいたという痕跡が全て消え去っていた。

 ゼンはもう帰って来ない。

「私、きっと捨てられたのね」

 なんて自分勝手なの。私に内緒で結婚を破談にまでしておいて、挙げ句に何一つ語らず私の前から去って行ってしまうなんて。

 だけどきっと悪いのは私の方なんでしょうね。ゼンは私の意志を尊重していたけど、ちゃんと苦言も呈していた。フランシスは女の影が絶えない、オリヴァーは身分が釣り合わない、パトリックは私を大切にしていないって。
 私はゼンの言葉に耳を傾けて彼の言葉の意味を理解するべきだった。それはゼンのためにではなく自分自身の将来のために、自分でちゃんと考えるべきだったのに私はそれをしなかった。

 その結果、ゼンに罪を犯させ、私は彼を失った。

「わっー!泣かないで、ね?ね?」

 シージーの手に握りしめられていたぐちゃぐちゃのハンカチで目元を拭われる。ってそれ、さっき鼻血拭いてたやつなんだけど・・・。

「そう、うん、なんとなくわかったよ。レイラにとってゼン様は恋愛の情を超えた特別なのよね」
「特別?」
「婚約者よりゼン様の方が大切なんでしょ?」
「当たり前じゃない。結婚相手は代わりがいるけど、ゼンに代わりはいないもの」
「それはね、愛って言うんだよ、お馬鹿さん」

 シージーは困ったように笑ってヨシヨシと私との頭を撫でた。














 ゼンと最後に会った時から一か月が経った。ゼンは政治的軍事的な事情に内通しているからか、なかなか居場所がわからない。それだけ彼は本気で身を隠しているんだろう。
 ゼンの意志を無視して申し訳ないけど絶対に連れ戻させてもらう。どうにか説得して帰る気にさせなきゃ。

 だってゼンのいない人生なんて考えられないもの。恋人になるとか今まで想像したこともなかったから、改めて考えると恥ずかしくて身体中のいろんなところが爆発しそう。シージーにそう相談たら「それが恋だ大馬鹿野郎」と言われた。

 どうやら、私はゼンに恋をしていたらしい。

 もしシージーの言うことが正しいのだとしたらゼンへの恋は今まで経験した恋とはまったく異なる種類のものだ。恋人と一緒に居るのは楽しかったけど緊張したことなんてない。恥ずかしいと思ったこともない。不安とか感じたこともない。ゼンと一緒にいるときに感じる、身体の奥底から何かがせり上がってくるようなものはなかったのだから。

「レイラ王女、お食事中に失礼します」

 開いた扉から入って来たフィズに顔を上げる。

「どうしたの?」
「ゼンが見つかりました」
「本当!?」

 ガタッと椅子の音を立てて立ち上がる。勢いが過ぎて落ちたフォークやナイフは侍女たちが急いで拾い集めてくれた。

「午後出られる?」
「既に準備は整えてございます」
「そう、じゃあすぐに行くわ」
「お食事を召し上がられてからにしては?」
「もう結構よ」

 やっとゼンに会える。ちゃんと言葉で気持ちを伝えなくては。そしてなんとしてでも戻ってきてもらわないと。
 もし拒絶されたらと思うと胃が痛みを訴えるほど怖いけど、フィズの言う通りゼンが私を愛しているのならやり様はある。手段は選ばない。

「あ・・・、身体、綺麗にしていこうかな・・・」
「お湯の準備をいたします」

 ゼンって何色の服が好きなんだろう。ゼンの恋愛遍歴は知らないから好みも全くわからない。男が好きって噂が流れるくらいだからボーイッシュな格好の方がいいんだろうけど、私パンツスタイル似合わないのよね。

「ねえ、フィズ。ゼンの好み知らない?」

 クローゼットを漁りながら視界の端に捉えたフィズに向かって訊ねる。返答がなかったのでどうしたのかと彼の方を見れば、フィズはこれ以上ないくらいに顔を歪ませていた。

「どうしたのよ」
「まさかとは思いますけど、色仕掛けでもお考えですか?」
「だって母様が言ってたの。『心と股を大きく開け!』って」

 まさか実践する時が来ようとは。人生ってわからないものだ。

 フィズは歪んだ顔のままドン引きした様子で口を開く。

「それ真に受けちゃダメなやつです!ったくあの人も自分の娘になんてことを・・・」

 ぶちぶちと恨みがましく呟くフィズ。私だって真に受けてなんかいなかったし、まさかその教えをゼン相手に切り出さなければならないかもしれないなんて思わなかった。

「けどね、フィズ。交渉には切り出せるカードは多ければ多いほどいいわ」
「完全に政治家脳ですね」
「念のためよ、一応。私、大抵ものはなんでも持ってるもの。だから私が本気だって証明できるものはそんなに残されてないの」

 例えば私が頭を下げてお願いしたら、私の知ってるゼンなら絶対に言うことを聞いてくれる。けど私の知らないゼンはどうなんだろう。わからないから怖いし、用意は周到にしないと。

「捨て身過ぎませんか」
「だから最後の手段よ。男に責任を取らせるならそういう形が一番手っ取り早いもの・・・って前に母様が言ってた」
「男性を誘惑する知識はお持ちですか」
「・・・ないけど」

 だって今まで向こうから勝手に寄って来てたんだから好きになってもらう努力をしたことはない。だけど今回は違う。形振り構ってたら私は永遠にゼンを失うかもしれない。私はなによりそれが一番怖い。

「いざ本人を目の前にしたら硬直して何もできない姿が目に浮かびます・・・」

 確かに。クローゼットの服に手を伸ばしたまま固まる私に、フィズは大きなため息を吐いた後再び口を開いた。

「まあ仕方ありませんね。レイラ王女のおっしゃる通りやれることをやるしかないでしょう」
「・・・うん」

 頑張る他ない。ゼンに帰ってきてもらうには、自分にできることをするしかないのだから。


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