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三話・私の知らないあなた
(1)
しおりを挟むよくお似合いですよ、と世辞を述べて離れていく侍女。鏡に映った自分は髪を纏め化粧を施した完璧なドレスアップ姿だ。あまり派手過ぎないグレーと薄いピンクの配色は脇役として相応しいだろう。
「ねえ、本当にパトリックは納得したんでしょうね」
後ろで控えているゼンへ鏡越しに訊ねる。披露宴ですったもんだになれば大事だ。パトリックはどうでもよいとしても、主に私の名誉とかが。
「ああ。ちゃんと釘刺しといたから」
「ならいいけど・・・」
幼いころから夢にまで見た結婚。それをかつて婚約していた彼と別の人物の婚姻を見届けなければならない。
別れたことを後悔はしていないけれど全く辛くないわけではなく、嫉妬という醜い感情は僅かながら私の中に渦巻いている。マリア姫との縁談さえなければ式を挙げていたのは私だったはずなのに・・・と。
私は鏡の中の自分をもう一度見つめて深呼吸した。
「余計なことは考えないで、さっさと切り上げるのよ」
自分へ言い聞かせるようにゼンに言うと彼は頷いてくれた。私は一人じゃない。嫉妬なんて醜い感情に蓋をしてちゃんと王女らしく振る舞えるわ。それが例え過去に好きだった人の幸せそうな姿を前にしても。
「行きましょう」
私の一言に待機していた侍女達はざっと整列する。扉がゆっくりと開き、ドレスの裾を持ち上げながら廊下へと進んだ。私を先導する侍女二人はいつもより背筋を伸ばし、堂々と顔を上げて真っすぐに歩を進める。
いつもよりも気合が入っているのは私だけではない。使用人たちも皆正装をして私を出迎えた。
部屋から会場が近いってすごく楽だわ。ドレスを持ち上げる手が疲れる前にホールへたどり着いて私は手を裾から放した。ダラリと床へつく重たい布。自由になった両手を前へ組んで姿勢を直すと改めて歩き出した。
ドローシアに比べればずいぶんと薄暗い、そして簡素な披露宴だ。皆は立ちながら飲んだり喋ったりしていて私の姿に気づくと一礼する。
「みなさま、ごきげんよう」
「レイラ王女、お越しくださりありがとうございます」
出迎えたのはグレスデン宰相のゼフィールという男。今日は灰色の髪を後ろで一つに束ねて鮮やかな燕尾服を着ている。あまりお洒落な格好をする人ではないのでこういった出で立ちは珍しい。先日陛下に謁見した時も地味~な格好をして後ろの方に控えていたな。
「こんにちは、ゼフィール。今日はいい日ね」
「はい。天気に恵まれました。マリア王女とパトリック殿下はもうすぐいらっしゃると思いますので」
「ええ。それまでは雑談を楽しませてもらうわ」
「ごゆるりと」
頭を下げてすごすごと後退し、私の次にやって来た客へと向かう。こういう時ってホストは大変よね。
私は来て早々に挨拶に回る気にはなれず、空いているテーブルへ向かってグラスに手を伸ばした。すぐにゼンがそれに飲み物を注ぐ。
「ほどほどにしておいてくださいよ」
小言も忘れずに。
「わかってるわよ」
主役に会う前に酔いつぶれたりはしないわよ。でもこういう場で手持無沙汰になるのは好きではないから、何かしら食べたり飲んだりしていないと落ち着かない。
「レイラ様、お久しぶりです」
人集りを縫うようにして私の前へ出てきた人物は私の顔を見るなり目を細めて笑み浮かべる。
「まあ、ニコーラス大公」
「水害の際は我が国へ物資を支援していただき誠にありがとうございました」
「それって何年前の話よ。会うたびにお礼を言い続ける気?」
「あれがなければ我が国は今頃存在しておりませんから」
「おおげさねえ」
それに物資を融通したのは私ではなく主に兄様がやったことだ。私はただその指揮を執っただけで。
大公は目の横の皺を深めて頭を下げる。
「お元気そうで」
「ええ。貴方も」
「ドローシアで空合にはお変わりはございませんか?」
「特にないわよ」
「左様でございますか。天候に恵まれているというのは、本当に幸せなことですね」
確かにドローシアはニコーラスと違って災害が少ないけど、それを彼の前で言うのもあまり良くない気がして笑顔を返すだけに留めた。ニコーラスがどれだけ天候不良に悩まされているのか知っているから余計に気を遣ってしまう。
「本日はドローシアにとってもおめでたいでしょう。パトリック殿下がルイス殿下の義弟になるのですか」
「・・・そうね。そうなるわね」
あれー?失念してたけどルイスの嫁の妹の婿ってことは、パトリックがルイスの義理の弟に?ってルイスと姉弟の私は・・・うわああああああ考えたくない。
今更過ぎることに気づいた私は身もだえそうになって咳払いをする。
「ご、ごめんなさい、ちょっと・・・」
ただの咳払いで本当に喉に違和感が出てきてしまい、私は少しワインを口に含んで飲み下す。
「こうして国同士が縁続きになるのは尊いことです。我が国がもう少しドローシアに見合う国でしたらレイラ様とも縁続きになれたかもしれませんね」
「まあ、大公ったら」
大公は笑っていたけれど目は真剣だった。恵まれない国ではドローシアの施しが明暗を分けることが多々あるから、国のためにも本気で王族の嫁を迎えたいと思っているんだろう。まあ、私は政略結婚なんて御免だけど。
「レイラ王女、ニコーラス大公」
身を乗り出すように私と大公の間に入って来たのは深緑の髪の色をした青年。名前は忘れたけど髪の色でノースロップの王家の人間だということはわかった。
「今日はお日柄も良く。まだ主役は来てませんけどねえ」
「先ほどパトリック殿下はお見掛けしましたよ」
「あらそうなの?挨拶して来なくちゃ」
長話は御免なので挨拶を理由にその場を離れようとしたけれど彼が私の目を見て話し始めたから抜けるタイミングを逃してしまう。
「いやあ、結婚とはおめでたいものですねえ。レイラ王女もいかがです?うちの次男はいい男ですよ」
「まあ」
来ていきなり見合い話かよ、とイラッとしつつ愛想笑いでさり気無く断った。
「やはりここまでお美しいと高嶺の花になるのでしょうかね。我々の手には届かない孤高の存在・・・」
「はあ」
「しかし高く厳しい山こそ登りたくなるのも男の性というもの。それが高ければ高いほど登り詰めた時の幸福は得難いのでしょうね」
「あはは」
明ら様な愛想笑いにも動じず彼の口からは滑り落ちるかのように次々と言葉が溢れ出る。
「うちの次男にも高き山に登る度胸をつけさせたいものです。確かにすぐに手に取れるような道端に咲いた野の花も美しいでしょうが―――」
「そういえばレイラ様、シンシア様がご懐妊されたと小耳に挟みましたよ。おめでとうございます」
大公が華麗に無視した。グッジョブ。
「ありがとう。私叔母になるのよ」
「おめでたいことは重なるものですね」
「ええ、ですからぜひこの機会に次男と。弟殿下に先を越されてはレイラ王女も立つ瀬がないでしょう」
立つ瀬がない?冗談じゃない、ドローシアの王女の私にどれくらい価値があると思ってるの。お前の家が全財産かき集めてたって私の私財にも満たないくせに。
なんで他人の貴方に私を否定されなきゃいけないのか。言い返そうと口を開いたが彼の話は終わる気配も無く続いていく。
「なん―――」
「ドローシアとは地続きで縁がありますし、悪くない話ですよ。なんと言ってもうちの次男は国内有数の剣の使い手でして顔も悪くありませんしいかがですか?一度お会いするだけでも」
「私はそういった話は結構ですから」
「どうぞご遠慮なさらずに。お子が産まれればどれだけ我々双方にとって利益になるのかご存じでしょう?ずっとお独り身ではご両親も神にも縋るような想いでしょうに。ですから・・・・」
「失礼」
なんの前触れもなく突然前へ出てきたゼン。私の腰を掴んで遠くのテーブルまで押しやり強制的に話をぶった切ってしまった。貴人同士の話に使用人が、しかもただの護衛である騎士が割り込むなんてあり得ない。
「ちょっと・・・」
「ゆるーく躱そうとしても無駄だって」
確かにゼンの言う通りだ。ドローシアでは傍に両親や友人たちがいたから守ってくれるけれど今はいない。非常識であろうとゼンが割り込まなければあの話は延々と続けられていたかも。マナーがなってないやらなんやら陰で言われるのは嫌だけど本当は解放されて少しホッとした。
「あら、マリア姫がいらっしゃったわ」
わあっと上がる歓声に顔を上げて振り返れば登場する主役の二人。マリア姫は白のレースを重ねたウエディングドレスを着てニコニコと皆に笑顔を振りまいている。その姿の純粋無垢なこと、何も知らない彼女がちょっとだけ羨ましい。
「失礼」
皆に注目を浴びる中我先に二人の前へ出た。こういう時は目上の者が挨拶をしなければ他の者たちは遠慮して前へ出られないから、順番で言えば私が一番先ということになる。
軽く膝を曲げて礼を取り、マリア姫の顔を見てニッコリ笑った。彼女はまだ幼さの残る容姿に零れ落ちそうな瞳を潤わせ私を見て頬を赤く染める。
「ドローシアのレイラ王女。わざわざ遠方まで足をお運びくださりなんとお礼を申し上げたらよいのか・・・」
「これだけお目出度いことですもの。駆けつけて当然だわ」
すぐ帰るけどね。
心の中でこっそり付け加えながら答えた。
「おめでとうございます、マリア王女。パトリック殿下も」
「ありがとうございます」
「・・・ありがとうございます」
パトリックが普通に挨拶を返したので安堵した。余計なことは言われずに済みそう。
ここまで余裕をかましている私だけどさすがに彼の目は見れなかった。恋人として何度も見つめ合ってきたパトリックの青い瞳だけはあまり思い出を汚したくないし、逆に思い出したくもない。私の心境はひっじょーーーに複雑なのである。
「グレスデンのますますのご繁栄をお祈りしております。それから弟のルイスのことだけど、どうぞよろしくお願いするわね」
「はい、光栄です。レイラ王女」
「感謝致します」
「あなたたちとてもお似合いだわ」
それは嫌味でもなんでもない心からの言葉だった。容姿も背格好も家柄も相応しい者を選ぶならば、二人はこれ以上にない良い組み合わせだと思う。
マリア姫は少し俯いて微笑んだ。
「はい、この良縁に感謝しております。ドローシアの方々には感謝してもし足りません」
「うちは関係ないわよ」
「いいえ、縁談を持ってきてくださったのはドローシアですもの。仲介してくださらなければこの結婚はなかったでしょう」
え?と声が漏れかけて慌てて口を噤んだ。
なにそれ。どういうことなの。縁談を持ってきたのはドローシア?なんでこのタイミングでこの組み合わせを仲介する必要が?
思考をいくら巡らせても政治的に利になるような案件は見当たらない。とすれば、わざわざ国が動いてパトリックとの縁談を仲介する理由として思い当たるのは―――私。
私の婚約を阻止したいがために、または何か理由があって縁談を持ち込んだとしか。それをやるとしたらグレスデンの婿であるルイスか、または父様辺りが動いたとしか思えない。父様が本命かしら、感が鋭いからパトリックとの仲を嗅ぎつけていてもおかしく無いし政治的に問題があって私をパトリックに嫁がせたくなかったのかも。
にしてもそれを娘に黙ってやるだなんてあんまりではないのか。そもそも父様がいくら私の結婚に反対だからと言ってそんな回りくどいことをするだろうか。なんだかしっくりと来ない。
「そう・・。でも結ばれたのはあなた達がお似合いだからに他ならないわ。どうぞお幸せに」
いくら考えたところで正解はわからない。帰って直接父様に訊かなければ。
後が控えているので自分はこれくらいで。それではごきげんようと踵を返してさっさと二人の前から退いた。驚いたからか、指先は冷たくなり感覚が鈍くなっている。
なぜだろう、妙な胸騒ぎがするのは。私はあまりこの件に深く首を突っ込むべきではないのだろうか。
「姫様、ここは人が多いので場所を変えましょう」
ゼンに促されて空いている端の方へ向かう。
ゼンはどう思う?
そう訊ねそうになって、やっぱりこんな祝いの席で話題にするべきではないかと、言うのを止めた。
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