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第3話

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 「我が国王は、『どんな結論を出されようと、イレーネ殿のされたいようにさせよ』と仰せでした」
 「そちらの主もお人が悪い……これではまるで、私がわがままを言っているようではないか……」

 だが、イレーネとしては誰に何を言われようと考えを変えるつもりは毛頭なかった。

 「そちらの国王様へ、わがままを聞いていただき感謝いたしますと伝えてくれ」
 「はっ、そのようにお伝えいたします。軍の解散は三日以内に、その間は我々は一切の戦闘行為をいたしません。もちろん、約束どおり砦から逃げていった者たちへの手出しはしません」
 「──助かる」

 イレーネが礼を述べると使者は用は済んだとばかりに立ち上がって砦を後にしようとした。が、すぐに振り返ってイレーネに声をかけた。

 「もし──お考えが変わることがあれば、その三日以内に申し出ていただきたい。……四日目の朝に我々は砦に総攻撃を仕掛けます」
 「──わかった」

 しかし、少ないやり取りの中でも使者は理解していた。──このイレーネが、一度決めたことを覆すことなど万に一つもないことだと。砦を枕に果て、王国に忠義を尽くすと決めた彼女を引き止められる者など、誰一人としていないのだと。


 ☆


 使者が帰ってからすぐに、イレーネは砦の広間にできるだけ多くの人員を集めた。
 騎士見習いの少女たちの他にも、イレーネやその父の私兵や王国兵の生き残り、辺境伯の屋敷にいた頃の使用人たちや、イレーネの人柄に感動して駆けつけてくれた領民たち、かつて打ち破った敵の残党など、イレーネに付き従っている者たちは実に多彩だった。

 突然の招集に、皆イレーネがついに砦から打って出るつもりであると、死を覚悟していた。しかし、イレーネの口から発せられたのは突撃の号令ではなかった。

 「皆、ここまで私に付き従ってくれたこと感謝する。だが、もはや我が王族は絶え、王国は滅びようとしている。私としてもこれ以上の犠牲をお前たちに強いるつもりはない」

 イレーネは配下の一人一人の顔をしっかりと目で追いながら、語りかけるような口調でそう告げた。だが、配下の中には以前のカトレアのようにイレーネの決断に異を唱えようとする者もいた。

 「なにを仰せですか! これからじゃないですか! 共に王国を立て直し、かつての栄華を取り戻しましょうぞ!」
 「そうです! 我々は地獄の果てまでもイレーネ様について行く覚悟です!」

 「馬鹿者!」

 珍しく、イレーネは声を荒らげて一喝した。それだけで場は静まり返った。
 イレーネは一転して落ち着いた口調で諭す。

 「そんなことをして誰が喜ぶ? 少なくともお前たちの主である私は喜ばないぞ。……だったら愛する家族のため、無事に故郷に帰ってやれ。そして子や孫に我が王国のことを語り継ぐのだ。──お前たちが生きている限り……いや、我が王国のことが語り継がれている限り、王国は不滅だ!」
 「イレーネ様……」

 何人かの配下が感極まったように涙し始めた。皆、尊敬するイレーネと同じように王国のことも愛していたのだ。その気持ちを利用して促したイレーネの言葉に、彼らの気持ちは確実に動きつつあった。

 「もちろんこれはお願いであって命令ではない。ここに残って無駄な命を散らすのも一興だろう。だが残された家族はどう思う? ……少しでも後ろ髪を引かれるのであれば、躊躇なく砦を去ってもらって構わない。私はここの主として、お前たちがいかなる決断をしたとしてもそれを尊重し、一切の罪に問わないことを誓おう」

 イレーネがそう締めくくった時には、広間は配下たちの嗚咽が響き渡っていた。イレーネの覚悟に心打たれた者、彼女の優しさに感激した者、家族のことを想って泣く者──そして何より、どういう決断をしたとしてもイレーネと過ごす時間が残り少ないということを悟り、寂しさのあまり涙するという者が一番多かっただろうか。

 「それでは……イレーネ様は……」
 「私はお前たちとは違って、領主である父も、愛する母も、頼れる兄たちも、そして婚約者も戦禍で失ってしまった。もはや思い残すことは何もない」

 イレーネは酷く寂しそうであった。いかに威風堂々としていようとも、彼女は齢18の少女であることにかわりはなく、この歳にして家族を失い、そして国までも失おうとしているということは、どれほど彼女に精神的な負荷を与えているのか想像に難くなかった。
 それでもイレーネは配下たちを安心させようと背筋を正し、胸を張る。唇を噛み締めて涙をこらえる。努めて厳しい表情を作りながら、イレーネは最後にこう告げた。

 「──解散っ!」

 そう告げるや否や、広間から配下たちがぞろぞろと立ち去っていく。
 イレーネは配下たちに『命令』をすることはほとんどなかった。彼女からの指示はだいたいは従うか従わないかを当人に委ねる『お願い』という形であり、それでいてその『お願い』は的確であったので、配下たちは忠実に『お願い』を果たしてきた。
 そして彼女からの最後の『お願い』を果たすべく、配下たちはそれぞれ故郷へと帰っていく。彼女のことを──滅びゆく王国のことを後世に語り継ぐために。


 荷物をまとめて砦を後にする配下たちを、イレーネは清々しい気持ちで見送っていた。
 砦を包囲している敵軍は、砦を去る兵や使用人たちを襲うことはせず、イレーネとの約束を完璧に守っていた。
 イレーネの期待どおりに物事が運びつつある。それと共に、彼女は己の最期が近いのを察していた。あとはどのように誇り高い最期を迎えるかを考えるのみであった。

(父上、母上……死んでいった皆……すぐに後を追うぞ)

 すっかり静まり返った広間の中で覚悟を決めていると、騎士見習いの中でも最年長のシャルロットがやってきた。彼女はイレーネの目の前で片膝をつくと、ハキハキとした声で報告をする。

 「砦の人員は全て待避を完了しました!」
 「うむ、ご苦労。ではお前たちも砦を去れ」
 「その事ですが……」

 シャルロットは広間の入口の方へ目配せをした。すると、ぞろぞろと四人の騎士見習いの少女たちが広間に入ってきて、シャルロットと同じようにイレーネの目の前に片膝をついて頭を垂れた。

 「──なんの真似だ?」

 イレーネは僅かに眉を動かして問うた。応えたのはシャルロットに次いで歳上のセラフィナだった。

 「我々、シャルロット、セラフィナ、カトレア、フラウ、リタの五名は最後までイレーネ様に付き従う覚悟です」
 「聞こえてなかったのか? 立ち去れと言っている」
 「──それは命令ですか? 『お願い』ですか?」
 「命令だ」
 「そう……ですか……」

 騎士見習いの少女たちは、イレーネが特に目をかけて育てた者たちで、その出自は様々であった。貴族の息女もいれば、商人の娘、人身売買されそうになっていた奴隷、父が敗った敵将の忘れ形見、領内を住処にしていた乞食もいる。いずれもイレーネに命を救われるようにして騎士見習いになった経緯があり、彼女たちのイレーネに対する忠誠心は別格だった。

 イレーネも、もちろんその事は分かっていたし、イレーネが砦に残ることが分かれば騎士見習いたちも一緒に運命を共にしようとするということも予測できていた。だからこそイレーネはあえて彼女たちを冷たくあしらったのだ。
 一度イレーネが『命令だ』と言えば、忠実な彼女たちはそれに従うだろう。イレーネとしても有望な彼女たちに無為に命を散らせて欲しくなかったのだった。
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