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第1話

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 とある大陸の西の端に小さな国があった。
 国のこれまた西の端には小さな砦があったが、そこは今隣国からの侵攻により陥落寸前だった。

 小さな山の上に位置している砦を包囲する大軍と砦の守備兵との間には数回小競り合いのような戦闘があったが、いずれも様子見程度のもので、どちらも本気で戦闘をする気がないのが窺える。

 大軍を指揮する隣国の王は数回の小競り合いで既に相手の統率力の高さを感じていた。敵は寡兵とはいえ、生半可な攻めではあの砦は落ちないだろうと。
 隣国の王は間者を放ち、砦の指揮をしている人物を探らせた。──結果、やはりなと腑に落ちた。砦の主が『彼女』であれば統率力の高さは頷ける。早速隣国の王は砦へ使者を差し向けた。
 それは、このままやり合ってお互い多大な犠牲者を出すのは本意ではなかったし、なによりも才能溢れる『彼女』を無駄死にさせるのは忍びなく、投降を促して配下に加えたいという思いがあったからだ。

 然して、一時休戦となり、隣国の王の使者と砦の主の間で交渉の場が設けられた。


 ☆


 イレーネは金髪碧眼の麗人であり、辺境伯の娘でもあった。そして、隣国の襲撃により本来の主を失ってしまった砦を臨時的に指揮する立場でもある。
 齢18の若輩ではあったが、鍛え上げられた肉体には女性らしい丸みも帯びており、見る者を惹きつける底知れぬ魅力があった。それだけではなく彼女は武芸や知略に優れていた。その佇まいは洗練されており、この歳で既に数多の戦場を駆けてきたということが窺える。
 そんなイレーネは、敵が攻撃を仕掛けてくる気配がなくなってからも武装を解かずに油断を見せない。だがその瞳にはどこか焦りも見て取れた。
 その時、トントンと控えめに扉を叩く音が聞こえた。

 「リタです。イレーネ様、よろしいでしょうか?」
 「何だ?」

 自室の扉の向こうから若い女性の声が聴こえてくる。騎士見習いの少女のものだ。

 「実は、敵軍からイレーネ様に会いたいという者が……」
 「ついに来たか……会おう」

 イレーネは扉の向こうのリタにそう答えると身支度を整えて部屋を出た。
 これはイレーネの思惑通りであった。砦の主がイレーネだと分かれば必ず隣国の王は使者を遣わして降伏を促してくる。そうなればひとまず総攻撃までの時間は稼げる。
 それに、イレーネには今はどうしても時間を稼がなければならない事情があった。彼女は密かに王都にいる国王一族の救出を目論んでいた。そのためにわざわざ囮を買って出てこんな辺境の砦に立てこもり、敵の主力を引き付けていたのだ。


 広間へ向かうと、既に主だった家臣の生き残りや、敵軍の使者が顔を揃えていた。イレーネは黙って上座につくと、目の前で頭を垂れている使者らしき男に声をかけた。

 「待たせたな。私がイレーネだ」
 「イレーネ殿、総大将である国王の名代として参りました」
 「用件はだいたい予想が出来ている。私に降伏を促しにきたのだろう?」

 イレーネが使者の目的を看破すると、使者はバツが悪そうに目を逸らした。先手を取った形のイレーネは交渉を有利に進められそうだった。

 「私は主である国王様に対して絶対の忠誠を誓っている。敵に寝返るなどということは毛頭考えていない」
 「それは重々承知ですが……我が国王はイレーネ殿の才能を高く評価しております。我が国へ来ていただいた暁には、今と同じ騎士待遇で登用すると──」
 「聞こえなかったのか? 主を変えることは無いと言っている。それに、私が寝返ったら私を信じてついてきた家臣たちはどうなる? 私は彼らを路頭に迷わせるようなことはしたくない」

 「し、しかし……このままでは総攻撃かけなければいけなくなります。そうなると双方多大な犠牲者が……我が国王はそれも憂いておいでです」
 「なるほどな……」

 イレーネとしてもそれは望むところではなかった。イレーネ自身この負け戦に家臣たちを付き合わせてしまっていることに些かの罪悪感を覚えていたのだ。

 「確認だが──私に仕えている者たちの命の保証はしていただけるのだろうな?」
 「もちろん、イレーネ殿が我が国へ来ていただけるのであれば国王は手を尽くすと仰せです。そのままイレーネ殿に仕えてもらっても構わないと──」

 まるで熟練の軍師がするように、顎に手を当てて思案したイレーネ。が、すぐに顔を上げると、使者をまっすぐに見据えた。

 「──すぐに結論を出すことはできない。申し訳ないが今日のところはお引き取りいただけないか?」
 「では、三日後にまたご返答を伺いに参ります。良い返事を期待しております」

 使者は手応えを感じたのか、そう言い残して去っていった。だがそれは三日後がデッドラインということを示してもいた。それ以上の時間稼ぎは不可能、それまでに王都の王族を救出し、イレーネ自身も身の振り方を考えなければならない。
 広間にいた家臣の誰もが、この戦の終焉が近いのを察していた。


 ☆


 王都に遣わした別働隊からの連絡はないまま、二日目の夜になった。こうも砦が厳重に包囲されていては侵入は容易ではないのは分かっていたが、イレーネは信じて期限の間近まで待つつもりであった。
 夜も更け、さしものイレーネも諦めの色を顔に浮かべ始めた頃、突然砦が騒がしくなった。敵襲かと身構えたイレーネだったが、すぐに違うなと思い直す。隣国の王は敵とはいえ約束を反故にして夜襲を仕掛けるなどということはしないはずだ。

 広間の椅子に座したイレーネが立ち上がろうとした時、脇に控えていた騎士見習いの少女が声を上げた。彼女はセラフィナといい、イレーネよりも幾分か歳下だが信用されて傍に置かれている、イレーネが直々に鍛え上げた少女だった。

 「私が様子を見て参ります」
 「頼んだ」

 少女はブロンドの髪をなびかせながら走り去っていった。
 程なくして不規則な足音がして広間に数人の少女が転がり込んできた。その数五人。うちの二人は怪我をしているようで、その二人を残りの三人が支えるようにしている。
 イレーネは思わず少女たちに駆け寄った。

 「お前たち……無事だったか!」
 「イレーネ様!」

 怪我をしていた二人は、イレーネが別働隊に同行させていた騎士見習いの少女たちであった。イレーネに負けず劣らずの美しい金髪の少女がシャルロット、一際体格のいい赤毛の少女がカトレアという。他の三人はセラフィナ以下砦で待機していた少女たちだった。

 「待っててください、今ポーションを……」

 一番年若いリタが慌ただしく広間を後にしようとすると、その腕をシャルロットが掴んだ。

 「待て、籠城でポーションも尽きかけているのだろう? 無駄遣いはよくない」
 「し、しかし!」
 「まあまあ、シャルロット姐さんもそう言ってることだし……」

 涙目になるリタをセラフィナが宥めた。
 イレーネはシャルロットに問い質した。

 「それで、王都はどうなっていた……?」

 シャルロットとカトレアは力なく首を振ると、悔しそうに目を伏せる。

 「私たちが駆けつけた時には王都は既に焼け野原。国王一族は処刑された後でした。──任務を全うできずに申し訳ありません……」
 「──そうか」

 イレーネはただ一言そう口にしただけだった。或いは彼女の中ではすでに王族の救出が無謀な事だというのは分かりきったことだったのかもしれない。それでも彼女は希望に縋りたかったのだ。
 だが、もう希望は失われた。イレーネは目の前がすーっと暗くなっていくような錯覚に襲われた。
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