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魔術の章
爾覦島一周3
しおりを挟む高橋真司は外科医として本土の大病院に勤務していたとき、複数回の医療ミスと違法行為で上層部の怒りを買いメインストリームから放逐された。敷かれたレールに乗っていただけで仕事への情熱などない。退職し、貯えを切り崩しながら自堕落に生きた。
そんな生活が一年半続いた頃、親から実家に呼び出された。小遣いを当てにして顔を出した高橋は新しい職場を紹介された。雇い主は母方の伯父が世話になっている実業家だという。場所は聞いたこともない離島。断るなら遺産はやらないと言われては従わざるを得なかった。
それからは驚きの連続だった。観光地でもない離島に建てられた高級旅館。堅牢な建屋の地下に作られた手術室と複数の独房。指示された仕事の内容。その目的。雇い主の正体。井塚影導の第一印象は普通の男。柔和な笑顔で人当たりが良い。とても拷問を命じる男には見えなかった。
給金はほとんど使いどころがなかった。家賃と光熱費、上下水道料金はタダ。食費も基本的に無料。通信販売での買い物が主な消費行動だ。ただし情報漏洩防止のためインターネットの使用には制限がかけられている。
四肢切断と拷問という業務に然したる抵抗感はなく、すぐに慣れた。そうなると本土での生活が恋しくなる。島にある娯楽はテレビ、ゲーム、映画等の動画視聴、屋内外の各種スポーツ。場所柄を考えると充実しているが健全で刺激が足りない。移住当時まだ三十代だった高橋に島での生活は退屈過ぎた。女遊びもしたい。事前に申請書を提出すれば本土に行けると知った高橋はさっそく手続きを踏んだ。
「もしこの島の秘密を漏らしたらただじゃ済まないと思ってください。私の目は誤魔化せません。いいですか、どこでも、いつでも、余計なことを言っちゃあいけませんよ」
守秘義務についてはここに来た当初から耳が痛くなるくらい聞かされている。自分がこの島で何をしているのか思い起こせば脅しではないことは直ちに理解できた。
船が桟橋を離れたときから視線を感じた。密室にいても睡眠中も、常にどこからか見られている。影導だ。余計な口を利くなと忠告をしたときの、あの射抜くような目。ずっと信じられなかった魔術の実在を認めざるを得なかった。
脱走は空想だけに留めておいた。無事逃げたところで職と親からの援助を失って苦労するだけだ。そこまでの気概はない。年月を重ね諦めるのにも慣れてしまった。一般企業なら定年退職の年齢まであと十年もない。自分に定年はあるのか。あったとしてその後生きて島を出られるのか。考えると不安になる。自称白魔術師の不可解な良心に縋るしかなかった。
地下の仕事は影導が決めたシフトとスケジュールに沿って、井塚門弟の二人と高橋が担当している。この日高橋は夕飯の後一人で夜勤に入った。まずは詰所に顔を出して業務の引継ぎ。詰所には仮眠室と簡易キッチン、ロッカールーム、シャワールームが併設されている。福利厚生がしっかりした職場だ。引継ぎが終わったら巡回へ。収容者や設備に問題がないか、実際に自分の目で見て確かめる。
地下は白を基調に明るい色調でまとめたくらいでは追い出せない陰鬱な空気の底だ。なにか意味があるのか地質の問題か、廊下には変なカーブや段差があった。天井も高かったり低かったり。非日常感が不気味さに拍車をかけている。
収容者が監禁されている部屋は、彼らの利己的な精神を自己犠牲に改めさせるという意味で転換室と呼ばれている。現在は四つのうち二つが使用中だ。覗き窓から異常がないことを確認して詰所に戻ると、今日はもう特にやることがない。転換室を映したモニターを視界に入れつつ、持ち込んだモバイル端末で映画を観る。ずっと観ていたドラマの劇場版。それほど入れ込んではいない。時間が潰せるならなんでもいい。
ふと第三転換室のドアが開いているのに気付いて慌てた。勝手に開くようなものではないし、収容者は鎖に繋がれたままだ。二つある鍵のうち一つは詰所、もう一つは執務室で保管している。ドアを開けたのは影導か弟子の誰かか。連絡もなしに来るのは珍しい。何かあったのかも知れない。高橋は鍵を持って詰所を出た。
地下へは限られた者しか立ち入りを許されていない。その誰にも該当しない笑い声が聞こえてきて、高橋は足音を忍ばせた。そっと第三転換室を覗くと、見たこともない三人の若者が収容者の傷口を突いて痛がる様を笑っている。来た時と同じように忍び足で現場を離れ、影導に緊急連絡を入れた。
『これは先生、どうなさいました』
「影導さん大変です。すぐ地下に来てください」
影導は医師である高橋を先生と呼び、自分のことはさん付けで呼ばせていた。ちなみに弟子たちは影導を先生や師匠などと呼び、高橋のことは高橋先生と呼んでいる。
『――です。――ますか、先生? 高橋先生?』
「は、い、すみません。思い違いでした。異常ありません」
通話を切って転換室に入った。振り返った若者たちはどこにでもいるような普通の子たちだった。それが怪我人を甚振って喜んでいるのだから、人間は見かけによらない。あまり刺激しないよう、落ち着いた口調を心掛けて彼らを窘める。
「この人は崇高な使命を負った殉教者なんだ。ここでしてるのはただの拷問じゃない。面白がっていじめるのはやめなさい」
影導の言葉を拝借しただけで高橋にそこまでの気持ちはない。根は素直だったらしく、若者たちはすぐに退散してくれて助かった。暇すぎるのも苦痛だが、こういうハプニングは歓迎できない。高橋は転換室に鍵をかけて詰所に戻った。
「崇高だって。馬鹿なやつ」
「おーい二人とも、こっちこっち」
「ん? ここは……」
三人が潜ったドアは花桐の間に通じていた。押入の奥が隠し扉になっている。隙間風の原因はこれだった。人間よりずっと感覚の鋭い吸血鬼だから感じ取れた、ほんの僅かな空気の流れが生じていたのだ。
「吸血鬼の部屋に地下に直通のドアか。ずいぶん親切設計だね。バレないと思ったんだろうけど」
「ねえ、屏風なんてあった?」
隙間風の報告を受けた旅館側は直ちに離れを訪れたが三人は留守だった。風除けに屏風を設置した。という内容を丁重に認めた手紙がテーブルに置いてあった。
「ここの人はこの部屋に泊まった人間がどういう目に遭ってるか知ってるのかな。みんな普通の人っぽかったけど、全員全部知っててグルだったら凄いね」
「宗教団体みたいなもんだから、案外統率はとりやすいんじゃないか?」
それから三人は従業員の住宅を回り、船着き場に行った。到着時とは打って変わって海が荒れ、とてもじゃないが出航できる状況ではない。吸血鬼なら今すぐこの冷たい冬の海に飛び込んで泳いで本土に渡ることもできる。通信の遮断といい、困るのは人間だけだ。ダンピール作戦も人間側の犠牲が大きい。人に人を殺させ、望まない妊娠を強要し、生れた命を使い捨てる。目的と相反する人の倫に非ざる所業。
「なにをしたいのかよくわからない」
「あいつ実は仲間じゃね?」
「人間より人外寄りらしいからな」
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