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魔術の章
白魔術師2
しおりを挟む「花桐の間」には強い欲望とそれを叶えられない不満を持つ者が招かれた。夢で影導の取引に応じることは生贄にされることへの同意となってしまう。幸福な夢から一転して始まる地獄のような現実。取り返しのつかない身体改造と間断ない痛みで絶望の淵に追いやられ、長くとも二月で死を願うようになる。
手間暇かけて作り上げた生贄は多くの恩恵をもたらす。小動物たちを意に反する死から守り、異界の者を喜ばせ、魔術師は力を得、顧客は要望を叶え、地域や社会の発展につながる。生贄も望み通り死という安寧を手に入れている。白魔術師としての品格も保たれよう。
二つの問題のうち一つはこれで片付いた。いま一つは人外のことだ。人間を喰い物にする悪しき存在。人外とは異形の化け物だと思っていた影導は、それが人間と寸分違わぬ容姿を持ち、社会に紛れて暮らしていると教えられたとき心底驚いた。堂々と街を歩き獲物を物色していると知ったときの戦慄。白魔術師としてその存在を看過することはできなかった。特に吸血鬼は人を甚振るのを好む性質があるらしい。駆除するなら先ずこの悪鬼だと、影導は吸血鬼に照準を合わせた。
吸血鬼は人間を捕食するため怪力と魅了の術を使うという。どうすれば生身の人間が吸血鬼を討伐できるのか。影導はヴァンパイアハンターに接触を図った。補佐役としてハンターのチームに加わってみたが、反りが合わずすぐ辞めてしまった。
ハンターは大体真っ当な社会人なので、裏社会で暗躍する魔術師とは考え方や感覚が合わない。チームワークも向いていなかった。影導は自分が上に立ち、トップダウンで迅速に進めたいタイプだ。ハンターたちも魔術には生贄が必要と聞いてから影導に良い心証を抱いておらず、双方納得の決別となった。
かくして影導は振り出しに戻った。ハンターのように命懸けの肉弾戦というやり方は性に合っていない。魔術師らしい攻め方は何かないだろうかと思いあぐねる。ハンター曰く、殺すには頭部を徹底的に破壊するしかないらしい。最大の弱点は太陽光だが、吸血鬼も用心しており利用するのは難しいとのこと。その他の弱点の中で一番気になったのがダンピールだった。大蒜、銀、十字架等々と違って誰も実物を見たことがない。そういう存在がいるらしい、吸血鬼を倒せるらしい。らしいばかりで謎に包まれている。これを影導は、脅威であるが故に存在を抹消されているせいだと解釈した。吸血鬼に子供を作ってもらうわけにはいかないので自分で作ってみることにした。
花桐の間の最初の招待客は山本瞳。世の中には好き好んで何もない僻地に出掛ける人たちもいるが彼女は違う。生まれ育った田舎を毛嫌いし、都会の喧騒に安らぎを感じるタイプの女だ。それなのにこんな何もない島に来てしまった。導かれるように足が向かった。心の底では郷愁を抱いていたのかと思うと薄ら寒い気分になる。最終の定期船が出てしまった後なので今日はここで一拍するしかない。瞳は仕方なしに島唯一の旅館を目指した。
井塚の顧客の大半を占める富裕層を対象とした花桐は、内装はもちろん寝具や料理、すべてにおいてラグジュアリーな品質でもてなしている。無名の離島と侮っていた瞳は、思いの外の心地良さに寛いだ。飛び込みにもかかわらず豪勢な夕飯。波音を聞きながらの檜の内風呂。何種類かある室内着のうち、夏だったので甚平を選んで床に就く。そして夢を見た。
「欲深い女よ。私はおまえの願いを叶える者。首を垂れなさい」
見たことのない中年男が尊大な態度で命じてくる。普段の瞳なら冗談じゃない何様のつもりだと言い返すところを、一言も発せずに膝を屈した。男が祭壇のようなものに向かい聞いたことのない言葉でお経のようなものを唱え始めると、細胞一つ一つを浚われるような感覚が瞳を襲った。熱いような冷たいような不愉快な痛みが、末端から心臓に集まって身体と意識が分離する。はっと目を見開いて、それまで瞼を閉じていたのだと気付いた。
どこかの部屋の床に寝かされている。状態を起こして辺りを見回すとさっきまでと同じ光景があった。祭壇と、その前に立つ男。言わずと知れた魔術師井塚影導である。
「なに? これ……」
「あなたは永遠の若さを手に入れました。若い男の血を吸いなさい。相手の命があなたの美しさを保ちます」
「はぁ?」
影導に向けられるのは完全に不審者を見る目つきだ。無知蒙昧な一般人にありがちな反応である。影導は床に座る瞳に歩み寄ると、不意に右手首を引っ張って前腕をナイフで切りつけた。
「ぎゃああ!! 離して、人殺し!!」
「落ち着いて、よく見なさい!」
逃げようとする瞳は前腕の痛みがなくなっていることに気付いた。高く持ち上げられた右腕に恐る恐る触れてみる。濡れた血の下には傷痕などなかった。
「え……? なによ……なんなの……?」
「あなたは吸血鬼になりました。男はあなたに魅了され、男の血はあなたをより美しくする。もう年齢に怯えなくていいんです。あなたは解放された」
陽の光を避けて朝を待てと言われ、瞳は客室に戻された。意味が解らず外に出ようとして出られなかった。降り注ぐ陽光が燃え盛る炎に見えた。触れたら死ぬ。中に戻り、洗面所の剃刀で指を傷付けてみる。
「治った……!」
手品じゃない。夢でもない。本土に戻った瞳は影導が御守り代わりに授けた酒井という名字を名乗るようになった。瞳の最初の犠牲者は深夜帰路につく若いサラリーマンだった。影導の言った通り、男は簡単に釣れた。物陰に誘ってネクタイを緩め首筋に牙を立てる。血なんか飲んでも気持ち悪くなるだけなんじゃないかという予想に反して、温かい液体が抵抗もなくつるつると喉を通っていく。夢中になって飲んでいたら男の力が抜けて地面に崩れ落ちた。こうして生命力を譲り渡した男は吸血鬼と化し短い生涯を閉じるのだとか。影導を信じているがさすがに不安になる。
程なくして男は復活した。瞳を見る目つきは存外しっかりしている。さっきまで剥き出しだった欲望は嘘のように消えていて、もごもごと二言三言言い訳をしてから逃げるように立ち去った。瞳も眷属となった男への興味は露ほどもなくなっていた。それよりも自分だ。
「あぁ……」
手鏡の中には全盛期の自分が居た。十年前は怖いものなしだった。男を手玉に取って、女の嫉妬はせせら笑って。またあの頃に戻れる。理想の自分で居られる。いつまでも、永遠に――……
伝染型女吸血鬼プロトタイプ酒井瞳。美と若さに執着する落ち目の三十路女。欲望のためなら手段を選ばないあさましい女。実際のところ若返りも美化もされていない。魅了の自家中毒に陥っているだけだ。
影導が作った人工の吸血鬼、伝染型のからくりは概ね井東弥宙が予想した通りだ。呪いによる偽吸血鬼作成と条件行動による呪いの拡散。伝染型女吸血鬼は吸血行為で対象の男を死に至らしめ、殺された男は代わりに受け取った伝染型女の生命力と呪いによって吸血鬼として復活する。伝染型女に掛けられた呪いは分け与える生命力が枯渇するまで続き、最後は自らの命を異界に献上することとなっている。
眷属一人で約十年寿命が縮むので、一人の伝染型女が作れる眷属は多くても五人。伝染型男も共通して短命に設定したのは数をコントロールしやすくするためだ。使い捨て、足りなくなったら補充する。人類救済のための必要悪を必要以上に蔓延らせては本末転倒となってしまう。伝染型男の性能は明日紀たちが把握している通りだ。全てを忘れて女との性交に没頭する種付けマシーン。
ダンピールの性能テストは影導も行っている。瞳は監視されていて、例のサラリーマンはあの後井塚に捕えられた。金で雇った女性に彼の子を産んでもらい、島で育てて実験した。良い結果が得られたので、それから定期的に女吸血鬼を作成している。一人の女吸血鬼が百人のダンピールになる見込みだ。これまで概算千二百人のダンピールが生産されている。
ミイラ状の少女の遺体が発見されたという報せが現在まで三件。成長した瞳のダンピールが上手くやってくれたらしい。吸血鬼の総数を把握していないので、三件が多いか少ないか影導にはわからない。食物連鎖の頂点がそんなに大人数ということもないだろうから、まずまずの成果と自負している。
ゆくゆくは次代の宗家に引き継がせるつもりだ。相手は悠久の時を生きる魔物。一代で決着がつくとは思っていない。人類の真の平和と繁栄のため、今日も白魔術師は地下室で生贄候補者の合意を引き出す。
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