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ダンピールの章
待ち人来るⅠ-1
しおりを挟む勤め先が倒産して山口春香が窮地に立たされてから、もう八年が経つ。三十代後半で特に資格もなく再就職は難航。当座の資金源として始めたパートとアルバイトが今でも続いている。独身、一人っ子、老齢の両親。頼れるような人はいなかった。
そんな彼女が占いにはまり始めて、パート仲間の主婦たちは心配をしていた。かなり高額の依頼料を支払っているらしい。宗教に貢いで一家離散とか、自傷霊媒師に騙されて借金地獄とか、オカルトと金銭が絡むと碌なことにならない。さり気なく忠告するのだが、ちっとも聞き入れてもらえなかった。
春香はパート先の主婦たちを疎ましく感じていた。彼女たちのアドバイスも、独身で低収入な自分への湾曲な暴言としか思っていない。なんでもかんでも曲解して勝ち誇ったり僻んだり。そんなだから春香は陰で小馬鹿にされるようになってしまった。
一月ほど前、春香はとうとう運命の人と再会したと言い始めた。皆話半分で聞いていた。背が高くて格好いいお金持ちの男性と結ばれたなんて、哀しい独身女の妄想を間に受ける人間はいない。占い師にカモにされて、悪い男に騙されてるに決まってる。世の中そうそううまい話は転がっていない。
今日は仕事終わりに彼が迎えに来るそうだ。春香はいつになくお洒落をして、朝からずっと機嫌がいい。どうせ誰も来ないのに。皆そう思いつつ、口では「楽しみね」「紹介してね」などと言っていた。初めは面白がっていた人たちも、時間が差し迫るにつれて段々と不安になっていった。誰も迎えに来なかったらどうなってしまうんだろう。そんな状況に耐えられる? 狂ってしまうのでは? もしかしたらもう既に……?
「春香」
「絢次さん」
みんなの心配は杞憂だった。閉店後の駐車場の隅に、スーパーマーケットにそぐわないピカピカの高級車が一台。話に聞いた通りの長身で身形の良い男性が、小走りに駆け寄った春香の手を取りエスコートした。予想していたより若い。春香より少し年下だろうか。精悍な見た目だけど姿勢や動きから育ちの良さが窺える。少しぎこちないエスコートに可愛げがある。年甲斐もなくきゃあきゃあ騒ぐ主婦たちを尻目に、黒塗りの車は滑らかに走り出した。
「絢次さん、約束通り迎えに来てくれてありがとう。嬉しい」
絢次は一言小さく「うん」と言ったきり、黙って前を向いてしまった。
「昢覧さんもありがとうございます」
「いえいえ。春香ちゃんも仕事お疲れさま。お腹空いたでしょ。これ、途中のコンビニで買ったんだ。どーぞ」
春香は後部座席から押し付けられたコンビニ限定のスムージーを受け取った。夕飯を食べる間もなく移動先に向かうことになったので確かに空腹だ。しかし自分一人で、しかもこんな高そうな車の中で飲食する気になれず、スムージーは未開封のまま春香の手の中でもったりした液体を揺らし続けた。
「春香ちゃんはスーパーで働いてたんだね~。知ってればコンビニじゃなくてそっちで買い物したのに」
「いつもスーパーでばっかり買い物してるから、こういうの嬉しいですよ」
初めて昢覧に会ったとき、こんなに綺麗な男が実在するのかと春香は驚いた。黙っていれば絵になって、お喋りすれば楽しくて。もっと年齢が近かったら間違いなく恋していた。でも。
世間話に花を咲かせる振りをして、ハンドルを握る絢次をちらちら観察する。鋭い目つき、すっと通った鼻筋、太い首、厚い胸板、血管の浮いた手、引き締まったお腹、逞しい太腿。昢覧も王子様みたいで素敵だけれど、雄の猛獣みたいな絢次の方に惹かれてしまう。彼にはあの一晩ですっかり夢中にさせられてしまった。
ああ、そうか――それが、目が覚めて一人置いて行かれたと気付いた時の感想だ。怒りも悲しみも湧いてこなかった。何事もなかったように日常に戻った。しかし絢次は過去の男たちのように思い出に変わらなかった。
もう一度会いたくても、結局何も聞き出せないまま逃げられて手掛かりは無いに等しい。分かっているのは下の名前と顔だけ。写真はないし名前だって本名かどうか怪しい。いっそ忘れたいのに、ぞくぞくするような低い声や愛撫の感触がいつまで経っても昨日のことのように蘇る。
以前の同僚が良く当たる占い師の話をしていたことを思い出した。そのときは占いなんてものは暇潰しか気休めくらいにしか考えておらず、真面目に聞いていなかった。今はそれに賭けてみようと思う。自分にできるのはそれくらいしかない。これで駄目ならすっぱり諦める。幸い占い師はまだ活動していて調べたらすぐ見つかった。利用者の感想は軒並み高評価だ。早速予約を入れ、雑居ビルの一室を訪ねた。
占い師は六十前後と思しき中肉中背の女性。黒いマキシワンピースに多めのアクセサリーが魔女っぽい。咳き込みそうになるほど立ち込める香の煙が、薄暗い部屋の雰囲気を更に怪しく演出している。春香はしっかり元を取るつもりで気を引き締めた。予約から二ヶ月も待たされ、高額な相談料を支払っている。リピーターになれるほどの財力はない。後悔しないためここに来たのに、訊きそびれ聞き洩らしをしては意味がない。話してみるとさすが売れっ子。占い師は聞き上手だった。絢次との出会い、彼の良さ、仕事の愚痴、将来への不安と、気が付けば余計なことまでぶちまけてしまった。
「今日の相談は想い人との再会でしたね。占いの結果をお教えしましょう」
ここからの距離と方角、その場所の地形、会いやすい時間帯を教えられた春香は、早速次の休みの日に該当する街へ出掛けた。信号待ちの車の中に絢次を見付けるという偶然は、春香には運命となった。そこから先は執念と根性だ。これはと思う物件に張り込みを繰り返した。職場で休日の話題になったとき、本当のことが言えなくて占い師のところに通っていると嘘をついてしまった。鬱陶しい心配や陰口をバネに頑張った。身形の良さと車種から高級マンションに当たりをつけたのが功を奏し、一月足らずで住まいを突き止めた。
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