夜行性の暴君

恩陀ドラック

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吸血鬼の章

被害者の会1

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 喫茶店セイロン。ドリンクは紅茶をメンに、菓子や軽食を出している。ダークブラウンを基調とした重厚で豪華な内装が自慢だ。窓際の席を陣取る男は、処分された飯田基樹の旧友で、近年急成長した半グレ集団のトップである斎藤魅輝也。彼はここからこっそりと、片手に収まる小型望遠鏡を使って向かいのマンションを見張っていた。


「このクッキーいけますよ。一つどうです」


 同席している男は部下でも取引相手でもない善良な一市民だ。なぜ堅気の中年男と喫茶店に長居する羽目になったのか。発端は半年前まで遡る。久し振りに同郷の友人と酒を飲んだときのこと。自然と地元の話題になり、飯田の名前も上がった。


「行方不明って聞いて驚いたよ。斎藤は何か知らないか?」

「いや、何も……」


 飯田とは少年時代に一緒に悪さをした仲だ。子供の頃から喧嘩が強い飯田に助けられたことも多い。周りはろくでもない大人ばかりのつらい環境にいる中で、泣き言を言わない飯田に勇気づけられ笑うことができた。引っ越しや施設への入所など色々あって中学卒業から一度は疎遠になってしまった。ずっと会いたいと思っていて、再会できたときは本当に嬉しかった。

 そんな大切な友人の存在を、斎藤は今の今まできれいに忘れていた。最後に会ったのはいつだったか。何かあったような気がするのに、その部分だけモザイクを掛けられたように記憶が酷く曖昧で思い出せない。後日飯田に連絡を入れようとしたが、電話は通じず他に連絡手段もない。

 強まるばかりの違和感を抱え、山間部へと車を走らせる。飯田が山籠もりしていたその家は、想像していたのとは違うお屋敷だった。現在は改装中で住んでいる者はいない。斎藤は門扉の横に設置された建築確認表示板を見て、物件を管理している安斎不動産へと向かった。飯田はたしかに十年前まであそこに住んでいたということだけ聞き出せた。

 記憶がないことは隠して、飯田を知る部下にそれとなく話を振る。すると格闘家を引退して引っ越したという情報を聞けた。しかも斎藤も関わっているらしい。十年前だけを頼りに資料や記録を漁る。斎藤とは関わりのない地方都市の物件情報が出てきて、それが飯田の転居先だと思い出した。行ってみるとまったく無関係の別人が住んでいた。当時からそこで働いている不動産屋の社員が飯田のことを憶えていて、契約だけして入居せずに音信不通となったのだと話してくれた。

 飯田はトラブルに巻き込まれた可能性が高い。もう一度安斎不動産を訪ねたが、新しい情報は何も得られなかった。困っていたところに声をかけてきたのが先程クッキーを勧めてきた男だ。


「すみません、そこのあなた。もしかして思い出したいことがおありでは?  局所的忘却でお悩みではありませんか?」


 セミオーダーのスーツに安い小物。作り笑い。公務員でも反社でもなさそうだ。あるとすれば宗教絡みか。現状行き詰っていて、新しい手掛かりが得られるなら多少面倒な相手でも話してみようという気になった。まだ誰にも打ち明けていない記憶の抜けについてどうやって知り得たのかも気になる。


「忘却がどうのってのはなんの話だ」

「実は私も似たような経験がありまして。普通だったら絶対に忘れないような重大なことを忘れる。そして忘れていたことすら忘れていたのではありませんか? 現段階で詳しくお話しすることはできませんが、原因に心当たりがあります。もしかしたら私が今調査中の案件と関りがあるかも知れません」


 男はとある事情から安斎不動産やそこで扱う物件について調査をしていて、偶然斎藤を見かけた。斎藤の様子にはピンとくるものがあったのだという。その日は連絡先を交換して別れ、今日喫茶セイロンに呼び出された。席につくと、男は斎藤に望遠鏡を手渡した。


「あのマンションに重要な手掛かりがあります。出入り口から目を離さないでください。私では駄目です。あなたが自分の目で確かめないといけません」


 男の話にはなにか無視できないものを感じた。この件はそもそもがおかしい。自分の知っている方法だけでは解決できそうにない。


「相手は恐ろしく勘がいい。こちらが気を向けるとすぐに気付かれてしまいます。集中しないで、でも目は離さないでください」

「難しい注文だな。気が散るように、あんたの身の上話でもしてくれ」


 ある程度は調査済みだ。男の名は新田あらた曜一朗よういちろう。真っ当な商売をする堅気の自営業。家族構成は実母と妻子。悪い遊びやおかしな宗教に手を出している形跡もない。


「今でこそしがない中年ですが、若い頃はけっこうモテてたんですよ。学校ではファンクラブなんかも作られましてね。まぁ調子に乗ってなかったと言ったら嘘になります。かなり遊ばせてもらいました。そんなとき知り合ったのが、私は、夢中に、うっ……私は化け物を殺した……すみません、今はまだ無理だ」


 急に血の気が引いて頭に手を当てる新田に、斎藤は冷ややかな目を向けた。薬中か頭の病気か知らないが、こいつはいかれ野郎だ。手掛かりどころかモテ自慢だの化け物だの。とんだ見込み違いだった。無駄な時間を過ごさせた責任をどう取らせるかと考えながら覗いた望遠鏡の視界に一人の女が入り込む。

 華やかな美貌に目を奪われ、次の瞬間には全てを思い出した。忘れていたことすら忘れていた記憶も蘇る。だいぶ雰囲気は違っているが間違いない。駐車場で見た飯田の女だ。何かから逃げたがっていた飯田に頼まれて、逃亡用の車を用意したのは自分だ。飯田にキーを渡したあと、あの女、名前は確かそう、紫束だ。赤い目をしたあいつに自分のことを色々喋らされて、このことは全て忘れろと――


「どういうことだこれは。あの女はなんだ……?」

「吸血鬼ですよ」


 新田は身を乗り出して女の正体を囁いた。







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