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吸血鬼の章
月下の不審者
しおりを挟む下僕のいない生活にもすっかり慣れてしまった頃、庭の電気柵に反応があった。ちょうど在宅していた碧以が現場に向かう。今まで枯れ枝くらいしか引っ掛かったことがない。昨日から台風で天気が荒れていたため今回もそれだろうと思われた。
外に出た碧以の耳に、葉擦れに紛れて覚えのない若い男の声が届いた。電気柵にぶつくさ文句を言いながら、有刺鉄線に絡まった服を外している。碧以は足音を忍ばせて死角から距離を詰めた。
「誰だ!?」
男が叫ぶ。暗闇と嵐の中で忍び寄る吸血鬼に気付くとは、ただの間抜けではないらしい。ちょっと真面目に対応することにした。彼が碧以の影を見たときには既に両手を後ろ手に捕られ、首根っこをがっちり掴まれていた。
「いてぇ! やめろ、離せ!」
「家に入りたいんだろ? いいよいいよー。寄って行きなよー。電気柵が初めて仕事した記念に特別サービスするよー」
碧以は自分より背の高いラグビー選手のように逞しい不審者を引きずって玄関に向かった。男はドアを開ける瞬間が拘束を解くチャンスだと思っていたが、片手だけでも恐ろしい怪力で締め上げられて逃げられなかった。後ろ手のまま床に押し付けられる。
何度か身を捩るうち、男は碧以の体格が自分よりずっと貧弱なことに気付いていた。自分が取り押さえられているのは何かの間違いで、全力を出せば負けるはずがない。そう思っていた。
「離せ!」
がうっと唸り声を上げて毛を逆立てる。しかし碧以の拘束はびくともしなかった。
「なんだよ今の。おまえ何? 何しに来たの?」
「普通の人間じゃない……!?」
「さっきからどの口が言うんだ」
碧以は暴れるお客様を締め落としてお部屋にご案内して差し上げた。目を覚ました不審者は同室に居る碧以に気付いて後退るが、狭い地下牢に逃げ場はない。
「俺、碧以。あんたは?」
「……絢次」
「よろしく絢ちゃん。あんた何者? さっきのあれなんだよ」
「……」
「教えてくんないなら殺しちゃおー」
「お、狼っ。俺は狼だ!」
「まさか、狼男……?」
「そうだ」
「ほんとに!? 変身して! あっ、月か。雨上がったかな。とりあえず一回外出よう!」
碧以はオカルトファンだった。残虐シーン目当てでその手の映画を見まくった結果だ。この世の摂理が通用しない不思議に心惹かれる。最初の状況があれで喜べなかったが、本当は吸血鬼だって大好きだ。人狼なんてワクワクする。一階に上がると、ちょうど帰宅した紫束が居た。碧以に首根っこを掴まれて四つん這いにされている絢次は、新たに出現した敵を睨みつけた。
「なにそれ」
「こいつ狼男だって! 今から変身してもらうんだ。一緒に見物しようよ」
雨はすっかり上がっていた。頭上で煌々と照る満月の前を、面白いほどの速さでいくつもの雲が通り過ぎていく。それに合わせて濡れた庭が月光を反射したり真っ黒に塗り潰されたり、目まぐるしく陰影を変えていた。
「う、お、ああ゙あ゙ぁぁ……!」
絢次の唸り声が人から獣に変わっていく。皮膚は体毛に覆われ、骨格がみしみしと音を立てながら四つ足の獣へと形を変えた。着ていた服をするりと落とすと、柵の外目指して地面を蹴る。
「ぎゃうっ」
自由は一秒もかからず奪われた。碧以に尻尾をがっちり握られ、絢次の宙に浮いた体は腹から地面に打ち付けられてしまった。
「へぇ、本当だったんだ」
「すっげええぇぇっ!! かっこいい! 生きててよかった……!」
満月の晩に狼男が出るという、オカルトファンには夢のような出来事。自分が何者かを忘れて碧以は感動を噛みしめた。
噛みつこうとすると鼻っ面を蹴られる。後ろ足が浮くほど尻尾を持ち上げられて、絢次はどうしようもなくなってしまった。泣きそうになったとき、嗅ぎ慣れた匂いが絢次を勇気づけた。視線を泳がすと、電気柵の向こうの暗がりに潜む味方の姿があった。さっきの会話で二体の吸血鬼を認識したその人物は、絢次を助けるべくクロスボウを水平に構えている。碧以は自分に放たれた矢を絢次で受け止めた。
「ぎゃっ」
「あ、悪い。手に持ってたからつい。つかなんだろ、あのおばちゃん。すげー怒ってんな」
暗闇を見通す目、自分を軽々と持ち上げる怪力、俊敏さを見せつけられて、ようやく絢次は碧以が敵わない相手だと悟った。
「ママ逃げて!!」
人間の時は二十歳前後のガッチリしたマッチョな絢次の口から出る「ママ」という単語。碧以と紫束は面白展開を期待して様子を見た。
「絢次! 今助けるからね! あんたたち、絢次を放しなさい!!」
月光の下に出てきたママは、クロスボウをボルトアクションライフルに持ち替えて啖呵を切った。絢次の言うことを聞くつもりはないようだ。
「おい絢次。ちゃんと説明してやれよ。もとはと言えばおまえが忍び込もうとしたせいだぞ」
「碧以が攫ってきたんじゃなかったんだ?」
「違うもん。こいつが柵に引っ掛かったから捕まえたんだもん」
「聞こえないの!? 絢次を放しなさい!」
「ママー!」
「うるさい」
紫束が放った殺気は物理に近い圧を絢次に感じさせた。たかが女と侮っていた相手に脚が震えて動けない。紫束は震える狼を尻目に前へ進み出た。
「ちか――」
ママが近付くなと言い終わる前に紫束は、二人を隔てていた十メートルの距離を詰めて掴んだ銃身を上空に向けた。驚いたママは銃から手を離して尻餅をついてしまった。
「あっ、あたしの銃! 返せこの泥ぼ……う……」
「泥棒て。おまえのママなだけあるな」
精神干渉で大人しくさせられたママは、絢次と一緒に地下牢に放り込まれた。絢次は人型に戻っている。太腿の矢傷は既に乾いていた。普通の人間よりは頑丈にできているらしい。
「おまえら俺のママに何をしたんだ! ただじゃ済まさないからな!」
「それより持ってきてやったんだからパンツ穿けよ! 見苦しいんだよ!」
「催眠術みたいなものだ。今は私の言いなり。ちゃんと質問に答えれば戻してやる」
ママの名前は仲野良美。二人は家賃滞納で住む場所を失った。ここに来たのは住人を殺して家を乗っ取るため。碧以と紫束は目を見合わせ、どうやらお互い同じ考えであると通じ合った。
「ここに住みたいならそうしてもいいよ。俺らと同居になるけど」
「その代わり仕事をしてもらう。家事と色々な雑用。家賃は要らない。必要な金はこっちが出す」
絢次は思ってもみない申し出に驚いた。正体を知って受け入れられるとは。された要求は拍子抜けするくらい簡単な内容。話が旨すぎて却って怪しい。
「あんたたちはなんなんだ……?」
「人間以外」
紫束が簡潔に答えた。それは絢次にも分かっている。だが紫束にそれ以上の説明をする気はなく、絢次は引き下がるしかなかった。
「どうする? 一緒に住む? 嫌なら……どうしよ」
良美は普通の人間で絢次は人外。精神干渉は人間にしか効かないため、絢次の記憶を弄ることはできない。良美の記憶を消しても絢次からバレる。良美を殺したら絢次が大人しくしているとは思えない。狼男を生かしておきたい碧以はうまい脅し文句を探して悩んだ。
「でも、ママが……」
絢次はボスである良美の意見を聞かずに決定を下すことができない。紫束は精神干渉を解除し、良美に訊いた。意思表示ができないだけで良美も話は聞いていた。
「さっきの条件は本当なんでしょうね?」
「もちろん」
良美は腹を括った。彼らが人間じゃないのは銃を奪い取った動きと精神干渉が証明している。得体の知れない連中。信用はしていない。でも断って穏便に帰されるとは思えない。第一どこに帰るというのか。自分たちにはこの話に乗る他ない。
「じゃあ住まわせてもらうわ。よろしくお願いします。ほら、絢次もちゃんとご挨拶しなさい」
「よ、よろしくお願いします……」
良美にせっつかれて絢次もおずおずと頭を下げた。あとで戻ってきた結紫と引き合わされた新入り二人は、世の中には人の理解の及ばない恐怖がまだまだ存在し、自分たちがその直中に居るのだという知りたくなかった事実を直視させられたのだった。
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