夜行性の暴君

恩陀ドラック

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吸血鬼の章

手が届く幸せ

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 碧以を名乗り一年。昼間の暇な時間を潰すため多くの趣味に手を出した。ゲーム、ギター、読書、絵画、彫刻、手品、パズル、ダーツ、映画鑑賞。インドア限定なのが少し辛い。ヨガと筋トレはあまり意味がなかった。吸血鬼は何もしないでも常にベストの状態でいられる。変化し難い肉体はバルクアップも難しい。人間の何十倍もトレーニングしないと効果を得られない上に、筋肉と膂力が比例しないと知ったときは愕然とした。

 碧以は飯田に格闘技を教えてもらうことにした。筋肉がつかないなら技術を身に着ければいい。これなら碧以にも習得できる。サブミッションで嬲り方のバリエーションが増やせるし、ヴァンパイアハンターとの白兵戦がより有利になるだろう。三ヶ月も二人で練習をしていると自然と打ち解けて雑談も出るようになった。


「基やんは紫束ちゃんのこと好きだよね。美人なお姉さまって感じでいいよなー。あ、別に変な意味じゃないよ。向こうもたぶん俺のこと男として見てないし。弟かなんかだと思われてると思う。なんか妹思い出すわー。妹なのに姉というかお母さんかよって感じで。俺に対してすげー偉そうなの。俺の妹だけあって顔は可愛いんだけどね!」

「碧以くんの妹なら美人でしょうね。一度会ってみたいなぁ」

「妹に会うのは俺を倒してからだ」

「ははは、それじゃ一生無理っすね」


 飯田基樹、基やん。その渾名で呼ばれるのは中学生以来だ。それも吸血鬼から。笑顔で雑談を交わしても、飯田は一線を引くのを忘れなかった。時折耳に入る主たちの会話から、碧以が人命を軽視していることを知っている。どんなに親しくなろうと吸血鬼は吸血鬼。決して気を許してはいけない相手だ。練習中に見せる異常なまでの身体能力も、吸血鬼が人類の捕食者であるという事実を如実に示している。




 とある夜、飯田は碧以と出掛けた試合会場で古い友人と再会した。斎藤さいとう魅輝也みきやとは小・中学校の付き合いで、飯田を基やんと呼ぶ数少ない人物。家庭環境に恵まれず非行を繰り返したという共通点がある。二人は一緒に悪さをした仲で、しょっちゅうつるんで喧嘩をしていた。引っ越しやなんやらで連絡が途絶え、今日がおよそ十年振りの再会となる。格闘家として名を挙げた斎藤の噂を聞いて、わざわざ会いに来たのだそうだ。斎藤は所謂半グレになっていたが、飯田に見せる笑顔は昔のままだった。


「基やんに賭けるから絶対勝ってくれよ~」

「絶対かは知らねぇけどたぶん勝つわ」

「やべぇ頼もしい!」


 飯田たちが旧交を温めている横で、碧以は興味深げに会場を見回していた。普段はクラブとして運営される着飾った若者たちで埋め尽くされる空間に、今夜は格闘技ファンが詰めかけている。斎藤のようないかにも堅気ではない風体の男やギャンブラーといった胡乱な者たちもちらほら。


「なあ基やん。俺あっちに行ってるから」

「あ、はい」


 このとき斎藤は初めて碧以を認識した。年上の飯田にため口を利く不遜な態度。驚くほど整った顔立ちと見栄えのするスタイル。嫌いなタイプだ。


「え、基やんの連れ?  俺は斎藤。何君かな?」

「あー、鈴木?」


 さり気ない威圧に動じず、即席の偽名と愛想笑いで返す。小馬鹿にされたように感じて、斎藤は更に苛立った。


「じゃ、試合頑張れよ。またね」

「はい」


 斎藤の相手なんぞしたくない碧以はさっさとその場から離れた。


「んだあのくそ生意気なガキ。基やんとどういう関係?」

「今世話になってるとこの……あれだ」

「あれってなんだよ」

「どうでもいいだろ」

「よくねえ。俺はさ、けっこう基やんに憧れてんのよ。昔から強かっただろ。その最強の男が飼い馴らされちゃって、がっかりなんてもんじゃないぜ?  弱み握られてたりするなら相談に乗るから」


 斎藤は一歩も引きそうにない。今言ったことはおそらく本心だ。昔から一目置かれていたのは飯田も感じていた。


「基やん、もしかして女が関係ある?」

「な……」

「図星?  やっぱり~。あんときもそういう顔してた!  そういうとこ昔と変わってねえな!  で、相手はあいつの家族?  あいつの姉ちゃんなら美人なんだろうなぁ」

「ちょっと黙れよ」

「基やん、俺応援するから!  頑張れ!」


 ありがた迷惑な声援を背中に浴びて、飯田は控室へと向かった。





 碧以の運転で帰宅する。打撲痕を冷やし助手席に埋もれる飯田はいつになく疲弊していた。


「基やん、今日勝ったよね?  なんで負けたみたいな雰囲気?」

「なんでですかね……」

「ちょっと苦戦してたように見えたけど、あれ演出?  思ってたより面白かったよ。勉強中の身としては参考になった。もっと血が出たらもっと面白かったと思う。やっぱり命がかかってないとね。そう思わない?」

「そうっすね」


 飯田は日常生活が命がけだ。今この瞬間も。試合なんかよりどれだけ危険かわからない。だからこの生活から抜け出せないのだ。結局、普通の平穏な生活なんて望んじゃいない。アドレナリンを分泌しまくって訳が分からないくらい高揚したい。他のことは全部おまけだ。


「佐藤だっけ。何してる人?」

「斎藤っす。俺もかなり久し振りに会ったんで詳しくは……」

「いけない遊びをたくさん知ってそう。ちょっと話しとけばよかったかな。次会ったら色々聞いてみよ」


 飯田は斎藤に同情した。碧以は三人の中で一番軽い。誰に対しても気さくに接する。その軽いノリで暴力を振るう。練習試合の相手が何人か、日常生活を送れなくなるレベルの怪我を負わされている。子供が昆虫をばらすのに似ていた。次に碧以と会った日が斎藤の命日になってもおかしくない。


「斎藤くんは基やんと違って人殺したことありそう」


 風貌と職業柄誤解されがちだが、たしかに飯田は人を殺したことなどない。一人試合後に死んだらしいがあれは事故だ。それを誰かに話したことはない。碧以もそのことは知らないが、吸血鬼の特殊能力と殺人者としての勘で判断した。動揺の色が濃い飯田を碧以は笑った。


「基やん、俺のことすごいヤバい奴だと思ってるでしょ」

「ええ、まぁ、はい」

「あはは、当たり!  でもそんなに心配しないでよ。俺だって手当たり次第ってわけじゃない。あいつ一応基やんの友達だし。ちゃんと殺さないように気を付けるから。でもうっかりなんかしちゃっても許してね」


 碧以は吸血鬼になってから少し意地が悪くなった。崇人だったらこんな脅し文句でからかうような真似はしていない。当たり障りのないことしか言わなかった。前は殺せなかったから。今は殺せるから他人と向き合うのが楽しい。






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