4 / 119
吸血鬼の章
下僕のいる家
しおりを挟む夜明け前に辿り着いたのは森の中の一軒家だった。高い柵に囲まれた広い庭のある立派な洋風建築で、お屋敷と呼んだ方が似つかわしい。玄関に入ると二十代と思しき体格のいい男が駆け寄ってきて、床に両手両膝を着いて頭を下げた。旅館のような出迎えだが無言だ。崇人は説明を求めて結紫に視線を送る。
「下僕だよ。普通の男」
普通が強調された。それはつまり人間であることを意味している。まだ一般人の常識の中に居る崇人は、生れてはじめて会った下僕という身分の人間になんと言えばいいかわからなかった。
「この子は私たちの新しい仲間だ。一緒に住む」
そろそろと顔を上げた下僕は、ちらと崇人の顔を確認するとまたすぐに頭を下げ、小さな声で「わかりました」と返事をする。人相、体格と反比例して控えめだ。調教のほどが窺える。用が済んで戻るよう言われた下僕が、紫束に平手打ちにされて床に片膝を着いた。吸血鬼の膂力は倍ほどの体重の男を簡単によろめかせる。
下僕は痛がりつつも嫌そうではない。それを冷笑する紫束。関係性を理解して納得の笑みを浮かべる崇人。崇人の様子を見ていた結紫も満足そうに微笑んだ。それぞれが笑顔の平和な夜明け前だった。
吸血鬼たちはそれぞれ二階の自室に引っ込んで、次の夜を待つことになった。吸血鬼も睡眠をとる。なんのダメージも受けず激しい活動もしなければ数日間は眠らずにいることもできるのだが、万全でいるためには一日一時間は寝ておいた方がいい。ちなみに棺桶には入らないし土も要らない。
「いざって時のために寝れるときは寝といた方がいいよ」
人間社会では吸血鬼はフィクションの世界にしか存在しないことになっている。しかしその実在と脅威に気付いた少数の有志が、稀に先刻のような奇襲を仕掛けてくるのだとか。
崇人に与えられた部屋にはベッドとカーテン、テレビなどの家電が設置してあった。やろうと思えば野生動物のように身一つで生きていくこともできるが、そういう生き方をする吸血鬼はほぼいない。人間だった頃のように文化・文明に囲まれた生活を好む。
鏡やカメラには映るのか気になり部屋を見回して、自分の荷物のなさに気付く。何一つ私物がない。身元と位置情報が特定できる物はもちろん、身に着けていた物はここに来る前にすべて処分された。それを見越して、クローゼットには予め用意された崇人のための衣類が入っていた。
姿見には普通に自分の姿が映っていた。家で意識を取り戻してからここに来るまで、食器棚のガラスやカーブミラーに映る自分や結紫たちを見たのを思い出した。外見に変化はない。身体的にはかなりの変化を実感している。人間の頭部を粉砕する怪力。それに脚力と持久力。襲撃現場からここまで約三十キロを一時間かからず徒歩で移動して、最後の方で上り坂が続くまで呼吸が乱れることはなかった。吸血鬼の気怠いイメージと裏腹に元気いっぱいで気分も上々だ。
吸血鬼になったこと自体が冗談に思えてきた。太陽光だけは絶対に浴びないよう言われていたのだがカーテンを開けてみる。外には清々しい早朝の森が広がっていた。都会育ちの崇人はあまり見る機会のない景色。楽しんでいられたのは数秒の間だけだった。
「あっつ!!」
慌ててカーテンを閉めた。光を浴びた部分が熱湯を浴びたようにヒリヒリする。朝の時間帯に西向きの窓でこれ。直射日光だったらもっと酷いことになっている。「寝れば治る」という言葉を信じてベッドに転がった。痛みを紛らわすためテレビをつける。あんなに殺されたのに、昨夜の出来事は報道されていなかった。
それにしても怒涛の一日だった。もう一生分驚いた気がする。事件現場には自分たちの指紋や血液が残されているが、結紫は気にしなくていいと言っていた。吸血鬼はそんな心配はしなくていいらしい。最後に会話した妹は罪悪感に苛まれているかもしれない。真っ当な妹が人間失格の兄の為に苦しむのは可哀想だ。ほとぼりが冷めたら会いに行って、またつまらない冗談の一つでも言ってやりたい。あれやこれやと考えているうちに眠くなる。眠気の感じ方は吸血鬼も同じなんだなと思い目を閉じた。
目が覚めたのは三時間後。火傷は跡形もなく消えていた。時刻はまだ昼を過ぎたばかり。睡眠時間が短いのはいいが暇だ。夕方までテレビを観てごろごろすることにした。
玄関の吹き抜けの上にちょっとしたスペースがあり、日中はそこの窓から辺りを警戒するのが下僕の役目だ。彼の名は飯田基樹。現役の地下格闘家である。山籠もりと称して、一年の内約半分はここに居る。
この位置からなら、この家につながる一本道を遠くまで見渡すことができる。庭は害獣用電気柵が設けられており、道以外からの侵入者を知らせてくれる。主たちが在宅のときは危機に敏感な動物たちはまず近付かないので、センサーに反応があった場合は即ち異常事態と思っていい。
飯田は主たちの正体が何者か、はっきりと告げられたことはない。しかし共に過ごした数年間から人間以外のもの、もっと言えば吸血鬼ではないかと考えている。徹底した日光への忌避がその根拠だ。他にも異常なまでの筋力、夜間に照明を必要としない、飲食をしない等がある。
人の血液で彼ら吸血鬼が力を得ていると思うと不思議な気持ちだ。人間には不可能な強さの原動力が、自分の体内に廻っているのだ。飯田は彼らに噛みつかれたことがない。誰かが噛みつかれているのを見たこともない。いつか血を吸う様を見てみたい。生贄を貪る邪神のように禍々しいのか。それとも野生の獣のように生命力を感じさせるのか。
飯田はたまにふと考えることがある。もし自分が裏切ったらどうなるのか。例えば今日のようなよく晴れた夏の日に、この家に火を放ったとしたら彼らはどう切り抜けるだろうか。寝首をかかれるとは考えないのだろうか。それは信頼故か、それとも対抗策あってのことか。
もしこんなことを考えているのが知られてしまったら、どんな酷い目に合わされるだろう。きっとこの好奇心を後悔し、泣いて許しを乞うほどの激しい責め苦に違いない。そのとき彼らの目は獰猛に煌めいているだろう……
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる