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血だまり1
しおりを挟む公立治癒院の一室で、フィンデリカは終戦のニュースを他人事のように聞いた。世界が変わっても容体は変わらない。未来に希望などない。彼女はずっと過去を振り返っていた。
母のことはあまり記憶に残っていない。なにを考えているのかわからなくて、よく構ってくれる兄の方が好きだった。母が死んだときは自分もつらかっただろうに、兄はずいぶん気遣ってくれた。そのときに初めて兄が両親を亡くしていたと知った。イディオルヌが実の兄でないことより、そんなにつらい思いをしても人に優しくいられることに幼いながらも胸を打たれたのを憶えている。
父は朗らかで社交的な性格だった。ピクニックに連れて行ってくれたり、冗談を言って笑わせてくれることもあった。しかし母の死後は口数の少ないあまり笑わない人になってしまった。もとの明るい性格を取り戻すことはなかったが、家族や患者のために一生懸命働いてくれた。
父は兄をかわいがっていた。衣類、小物、本等々フィンデリカがなにか買ってもらうときはいつも兄のついで。兄は控えめで頑張り屋さんで応援したくなる。人を疑わないところが危なっかしくて放っておけない。フィンデリカもそんなイディオルヌが大好きだから父の気持ちは解る。父に愚痴を零したこともあったが、本気で不満に思っていたわけではない。
悲劇が訪れたのはとある春の日の夜だった。食欲がないと言ってほとんど食事を摂らなかった父が心配になり、フィンデリカは寝る前に様子を見に行った。書斎のドアを開けると、父が虚ろな目をして椅子にもたれていた。青白い顔と対照的な血の海が机や床に広がっている。フィンデリカはとっさに覚えたばかりの治癒魔術を発動させ、暴走させてしまった。
治癒の魔術は術者の生命力を消費する。適度に使用していれば健康にはなんの問題もないが、過度になると術者の寿命を縮める。フィンデリカの場合、既に事切れている相手に際限なく魔術を使ったため大量の生命力が失われてしまった。兄が発見して途中で止めなかったらその場で死んでいてもおかしくない。入院先の担当治癒士からそう説明された。
「フィンデリカ……本当によかった……」
見舞いに来た兄はそれ以上何も言えなくなり、フィンデリカの手を握って涙を流した。二度目の親も両方とも亡くしてしまった兄。妹まで死んだら天涯孤独だ。目が覚めるまで一月以上の間、どれだけ不安な思いをさせただろう。父のことも全て任せっきりにして、申し訳なく思った。
いつも泣きはらした顔をしている兄を一人にさせておくのが嫌で、退院が決まったときはほっとした。兄と家に帰る。恐怖や嫌悪はない。何が起ころうとこの家も父も人生の一部だ。イディオルヌも同じ考えで、家を手放す気はなかった。
父の葬儀はとっくに済んでいる。書斎は後始末がされていたけれど、目を凝らすと血痕のような染みが見えた。最期の光景が鮮明に蘇る。自殺だったそうだ。あのときはパニックになって、そんなことまで気が回らなかった。兄が見せてくれた紙には父の筆跡で「すまない 愛してる」とだけ書かれていた。
理由はわからない。仕事に問題なく借金もなかった。母の死からは十年が経過しているが関係あるのだろうか。他に人知れぬ悩みがあったのか。どこかへ逃げるという選択はなかったのか。子供を置いて行った父に苛立ち、何もできなかった自分に怒りを覚えた。
フィンデリカはほぼ寝たきりとなった。治療法はなく、回復の見込みもない。症例が少ないのではっきり言えないが、長くは生きられないだろうとのこと。魔術も使えなくなってしまったので治癒士の資格取得は諦めざるを得ず、継ぐ予定だったヌウォド治癒院は看板を下ろすことになった。イディオルヌは当初の予定通り魔具職人となって自宅に工房を構え、妹の世話と仕事を両立させた。
唯一衰えなかった思考は過去に囚われて自由にならない。後悔の波に揺られて毎日「なぜ」と問う。幸せだった頃の記憶を呼び戻して不幸の糸口を探す。どんなに有り得なさそうな「もしも」でも頭の中で再現して、あの悲劇に至る筋道か否か検証する。何度も何度も。来る日も来る日も。
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