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第三章

ジュードの怒り

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 その言葉に驚いたのはアビゲイル……ではなくセレニアだった。

 セレニアがハッとしてその言葉を発した人物――ジュードに視線を向ける。

「セレニアが出来損ないだという言葉を、取り消してもらおうか」

 今までに聞いたことがないほど低い声を発するジュードの表情は、大人の男性でも怯んでしまいそうなほどに恐ろしい。絶対零度のオーラをまとい、彼はアビゲイルをまるで殺さんとばかりの視線で射貫く。

「な、なに、何よっ!」

 対するアビゲイルは明らかに狼狽えていた。まさか、いつも物腰柔らかなジュードがこんなにも怒りを露わにするとは想像もしていなかったのだろう。実際、いつも一緒にいるセレニアでさえ驚いている。

(……ジュード様)

 ゆっくりと心の中でジュードの名前を呼べば、彼はアビゲイルに向かって一歩を踏み出す。それを見たためか、アビゲイルの前に一人の青年が立ちふさがった。まるでジュードからアビゲイルを守るように。

「メイウェザー男爵。貴方こそ、ご自分の立場を――」
「――貴女は確か、ヒューズ子爵家の人間でしたね」

 青年をまっすぐに見据え、ジュードはにっこりと笑う。その笑みには何とも言えぬ迫力があり、ヒューズ子爵家の令息である彼は息を呑む。

「貴方とて、俺を敵に回すのは得策じゃあない。それくらい、わかっておいででしょう」
「……そ、それは」

 どうやら、彼はまだ冷静な思考回路の持ち主らしい。

 確かにヒューズ子爵といえばジュードの会社のお得意様である。特に子爵夫人はジュードの手掛ける化粧品の産業にいたく入れ込んでいた。それは、セレニアもうっすらと聞いている。

「わかったならば、さっさとどいてください。俺はその女が気に入らない」

 地を這うような声でそう発すれば、ヒューズ子爵家の令息はそっと後ずさる。それにアビゲイルが驚き、後ろに一歩一歩後ずさっていく。

「で、出来損ないに出来損ないって言って、何が悪いのよ――!」

 それはまるで子供が責められたときに言い訳をするような。それほどまでに、中身のない言葉だった。

 そんな言葉にジュードが止まるわけがない。彼は一歩一歩アビゲイルに近づいていく。

(……ジュード様、怒っていらっしゃるわ。私のため、なのよね。……けれど)

 ジュードの気持ちは素直に嬉しい。しかし、ここで騒ぎを起こすのはジュードにとっても得策ではない。

 パーティーホールにいた人々は何事かと集まりつつある。普段のジュードならばそれに気が付くだろうに、セレニアを貶されて頭に血が上ったジュードはそれに気が付かない。

「だから、取り消せと――」
「――ジュード様っ!」

 アビゲイルにまた一歩ジュードが近づこうとしたとき。セレニアは彼の腕にしがみついて彼のことを止める。

 そうすれば、ジュードは驚いたようにセレニアの顔を見つめてきた。その目は「何故止める」とでも言いたげであり、セレニアも一瞬怯んでしまう。

 けれど、と自分自身に言い聞かせセレニアは首を横に振った。

「ここで問題を起こすのはジュード様にとっても不利に働きます。……なので、どうか怒りは抑えてくださいませ」

 彼の腕に抱き着きながらそう言えば、ジュードは「……セレニア」とセレニアのことを呼ぶ。

「……でも、あの女はセレニアのことをバカにした。それは、俺にとって何よりも許しがたいことだよ」

 ゆるゆると首を横に振りながらジュードがそう言う。

 そのため、セレニアは「わ、私、その気持ちはとても嬉しく思います」とジュードにだけ聞こえるような小さな音量で彼に囁く。

「ですが、私はジュード様の評判も落ちてほしくないのです。……お姉様のことは、もう放っておきましょう」

 アビゲイルは恐怖からかその場から逃げ出してしまった。

 ジュードのその目はアビゲイルを追っており、セレニアの胸がずきんと痛む。たとえ、彼の視線に恋慕がなかったとしても。彼の目がセレニア以外の女性を追うことは到底許せそうにない。

(私、こんなにも心が狭いのね……)

 それに少し落胆してしまいそうになるが、今はそれどころではない。ジュードのことを止めなくては。

 そう思い必死に思考を動かすものの、どうやって彼を止めればいいかがこれっぽっちも思い浮かばない。その所為で口をはくはくと動かしていれば、ジュードは不意に「ははっ」と笑い始めた。

「セレニア、一人で表情をころころと動かして可愛らしいね」

 その後、彼はいつも通りの声音でそう言ってくる。……その声には、先ほどまでの怒りなどこれっぽっちも含まれていない。それに、セレニアはホッと息を吐く。

「……セレニア、心配してくれたんだね」
「……ま、まぁ」
「ありがとう」

 照れて視線を彷徨わせるセレニアを他所に、ジュードはそう言うとセレニアの前髪を上げて軽くちゅっと額に口づける。

 その瞬間、周囲からざわめくような声が上がった。

「俺の唯一愛する人は、誰よりも優しいみたいだ」

 最後に彼はそう言うと、セレニアの腕を引いて「帰ろうか」と言ってきた。
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